表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

自殺の抑止力

いろいろなことをエッセイとして書いていきますが、

あくまでも私の考えであり、それは真理ではありません。

私が経験してきたこと、関わってきた人、様々な要因で私の今の価値観ができ、私の考えがあります。

読み手の皆さんに押し付ける気はありません。

私の話に「正しい/間違っている」ことなんて何もありません。

「良い/悪い」の話でもありません。

ご了承ください。

自殺へのハードルが自殺の抑止力になっているという考え方もあるだろう。

しかし、それは生きている者から見た善悪で死を悪だと決めつけた判断でしかない。

生きることが地獄だという人は、本当に存在する。

現状、自殺したい人にに自殺をしないでと伝える方法は二つある。


一つは、その人の抱える問題を解消する手助けをすること。

人が本当に人一人救おうとすると、人生をかけて一人救えるかどうかだと思っている。

本当に人を救うのは難しいのだ。それだけの覚悟と、愛のある人がそばにいる人であればもしかしたら自殺を踏みとどまれるかもしれない。

そして、二つ目は「私はあなたに自殺してほしくないから、自殺しないでほしい」と伝えることだ。

しかし、それは自殺したい人にとっては、「私のためにそのまま生き地獄で苦しんでいてくれ」と言われるのに等しい。


私は後者の自殺阻止を実際にしてしまったことがある。

私が仲が良かった女性が一度死ぬ日付を決めて伝えてきたことがあった。彼女はゴールを自分で決めたことで、とても前向きに最後の時間を過ごしていた。

しかし、私は自分が仲が良かった人が死んでしまうことが嫌だという気持ちでいた。

死にたいと思っている人に「死なないでほしい」なんて言葉は口が裂けても言えない。

彼女が日々生き地獄を味わっているのを知っていたからだ。

最終的に私は、彼女の周りの大人にその旨を伝え、遠回しに阻止した。

汚いやり方だが、一生彼女に恨まれることを覚悟して自殺をやめさせるように仕向けたのだ。

私の気持ちのために、彼女に生き地獄を味わってもらうことにしたことは、私が背負っていくべき業である。

それから彼女は療養のために疎遠になったが、難燃化後に私は彼女に罪を自白し謝罪した。

責められはしなかったが、今もまだ苦しみの中にある彼女を思うと、到底許される行為ではないのだ。


自殺に踏み切るハードルの高さは自殺の抑止力にはならないと述べた。

自殺に踏み切る人は生きている現在が死よりも苦しい状況にあるので、ハードルよりもすでに高い位置で生きているのだ。

超えるのではなく、ハードルを階段を下りるかのように簡単に突破できてしまうのだ。

読んでくださりありがとうございます。

読んだ方の中には不快になってしまう方や、あまりいい気持がしない方もいるかと思います。

申し訳ありません。

ただ、これは飾らない、等身大のリアルを書いていく作品です。

ご了承ください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ