前編
「すごいな、七尾! どうやったんだ? 21回目にして、ようやくジャンケンに勝つなんて!」
「普通にやっただけなんだけど……」
一ノ瀬の『すごい』が称賛の言葉ではないことくらい、七尾にも理解できていた。20回も負け続けたのを馬鹿にされたのだ。
実際、一ノ瀬は上から目線の口調で、追い討ちのような言葉を口にしている。
「理学部数学科だった僕が、計算してやろう。20回連続で負けて、21回目にようやく勝つ確率は……」
ペラペラと述べられる、数字と数式。それを聞き流しながら、七尾は心の中だけで吐き捨てた。
何が理学部数学科だ! そんな確率計算、高校数学レベルじゃないか!
仲の良い友人同士の小旅行、その一日目の夜。
五人が泊まっているのはホテルではなく、使われなくなった一軒家だった。いわゆる『民泊』というやつだ。だから夜みんなで集まって飲むのも、誰かの部屋に集合するのではなく、一階のリビングを使う形になっていた。
アルコールが入って、くだらない話をするうちに、どうしてジャンケン大会が始まったのか、正直、七尾はよく覚えていない。
ただ一つ理解できているのは、この場の四人が、いつも自分を馬鹿にしている、ということ。一ノ瀬ほどあからさまではないが、他の三人も似たようなものなのだ。
そもそも五人は『仲の良い友人同士』なんて関係ではなく……。
「じゃあ、そろそろお開きにするか? 七尾だって、一回勝てば満足だろう」
ポンと七尾の肩を叩きながら、一ノ瀬が立ち上がる。他の者たちの返事を聞く前に、部屋を出ようと歩き出した。
ところが、彼の行動に待ったをかける声があった。
「おいおい、まだ夜は長いだろ? お開きは早すぎるぜ」
「三木くんの言う通りよ。一ノ瀬くん、そういうところは変わらないのね。昔から『早い男』のままだわ」
三木は一ノ瀬の親友だから、特に深い意味はなかったのかもしれない。
だが万田さんは違う、と七尾は思ってしまった。なにしろ彼女は、一ノ瀬の元カノなのだから。
大学時代の二人は、卒業したら確実にゴールインすると思われるほどのラブラブぶり。当然やることもやっていたのだろう。そんな二人がなぜ破局したのか七尾は知らないが、それよりも、別れたはずの一ノ瀬と万田が今でも『友人』であることの方が、七尾には不思議だった。
「さすが元カノ。昔の一ノ瀬くんのこと、よく知ってるのね。でも今の彼は、もう『早い男』じゃないのよ?」
ニヤリと笑いながら、これまた意味深な言葉を吐いたのは、スレンダー美人の百池。現在の一ノ瀬の恋人だ。
二人の女性は高校時代からの親友であり、その片方と別れてすぐに、もう片方と一ノ瀬は付き合い始めたのだ。とても七尾には理解できない話だった。
そもそも大学時代、七尾も百池には好意を抱いており、「いつか彼女に相応しい男になって告白しよう」と思っていたくらいだ。その百池が、よりにもよって一ノ瀬にとられてしまうとは……。
七尾の心の中で、今さらのように、かつての悔しい気持ちが蘇る。
「まだ遊び足りないというなら、みんなだけで続けてくれたまえ。僕はお先に失礼するよ」
二人の女性の間に流れる険悪な空気を察して、板挟みになるのが嫌だったのかもしれない。一ノ瀬は一人でリビングから退散、二階の寝室へ向かってしまう。
「おやすみー!」
「また明日ー!」
去っていく一ノ瀬に明るく声をかける、恋人の百池と元カノの万田。
こういうところも羨ましい、と七尾は思ってしまった。もしも自分が先に寝るとしたら、彼女たちは、こんな反応を見せてくれるだろうか。無視あるいは「さっさと寝ろ」という態度を示すのではないだろうか。
「じゃあ、四人で遊びましょうか」
と百池が提案するので、七尾はその場に残った。
大学時代ならまだしも、働き出した今となっては、こうして百池さんと一晩中遊べる機会なんて少ない。今日は楽しもう、と考えたのだ。
いつもならば、家で一人寂しく、深夜アニメを見ている時間帯だ。それと比べたら、この状況は天国ではないか!
ここの民泊は部屋が多いので、寝室は五人それぞれ個室だ。それこそ、ここでも部屋で一人で深夜アニメを見ることは可能だが……。
部屋のテレビは、ちょうど昔の旅館みたいに有料制。10分100円という、ぼったくり気味の料金設定だった。その上、今夜の番組は、既にネットの先行放送を視聴済み。ネットでは「秀逸なホラー回」という高評価と、「ただ騒々しいだけの駄作」という悪評とで真っ二つなエピソードであり……。
「……ん?」
「どうした、七尾。お前の番だぞ」
「ああ、ごめん」
トランプをしながら考え事をしていた七尾は、三木に促されて、ハートのエースをその場に出す。
ハートといえば心臓、そしてエースは『1』すなわち一ノ瀬。
これも酒の勢いなのだろうか。七尾の頭の中では、まるで悪魔が囁くかのように、恐ろしい計画が出来上がっていた。