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花器は割れて火器は火を噴く(2/5)

「おがん婆さん。うちは骨董屋だよ。鉄砲なんてあっても古い古い火縄銃さ」


 御一新ごいっしんのあと火縄銃が多く売りに出た。それらは各藩が持っていたり、士分の家々に伝えられていたもので大半が役に立たない代物であった。ちょっと頭の回る人間はそれを蝦夷えぞと呼ばれていた北海道に持ち込んで開拓者に売り込んで利益を得たらしいが、世に出た多くは屑鉄屋行きとなり、本当にわずかばかりの銃が骨董として生き残っている。


「別に撃てれば火縄でも何でもかまわないよ」


 婆さんはただでさえ小さな目を半眼にさせて、実に不機嫌な顔をした。そして、胸元から写真を一枚取り出してこちらに差し出した。写っているのは十五、六の女性で肩衣姿に三味線を持っていた。坊ちゃんはそれを上からのぞきながら「誰かな」とのんびりした声を出したが、こちらは見覚えがあった。


「ああ、豊竹乱菊とよたけ・らんぎくじゃないか」


 豊竹乱菊は浅草、両国、本郷あたりで人気の女義太夫(おんなぎだゆう)である。三味線の伴奏で素浄瑠璃(すじょうるり)を演じる彼女たち女義太夫は歌舞伎に迫る勢いである。女義太夫の客は若い男性で、自分のお気に入りの太夫ごとにれんと呼ばれる組を作っているという。


 いま一番人気は竹本小蝶で二番は菊池早矢だというが、残念ながら実物を見たことはない。


「豊竹乱菊?」


 坊ちゃんが首をかしげる。


「なんだい坊ちゃんは友達に誘われたことはなかったのかい? 綾之助なんてずいぶんと流行っただろうに。書生や学生なんて連中は一度いったら沼に落ちたようにはまって抜け出せないって話ゴロゴロあったと思うがね」

「そうだったかな?」


 どうにもしっくりとこないという顔をするあたりこの男は、本当に坊ちゃんなのだろう。普通ならちょいと悪いことを進めるような友達の二、三が教えるに違いないのだが、坊ちゃんを見る限り縁がなかったのは確からしい。


「まぁいいさ。で、婆さんと乱菊がどう繋がるのさ? まさかとは思うけど好いた男を乱菊に取られたから、撃ち殺そうとしているとか言わないでくれよ」

「馬鹿をいいな」


 婆さんは拳骨をこちらの頭にくれると「これはあたしの孫さ」と優しさと不機嫌さの混じる声で答えた。婆さんの顔を見てもう一度、写真を眺める。なるほど、確かに口元から鼻筋が似ていないことはない。


「このお孫さんと鉄砲とがどう繋がるんですか?」


 のほほんとした様子で坊ちゃんが尋ねるが、どうにも緊張感がなくしまらない。


「実はね。この娘のところに変な男が出るっていうんですよ」

「変な男?」

「その男は最初はただの客だったらしいんだけど、月に一度寄席に来るのが週に一回、日に一回とどんどんと来るようになり、最後には両国、浅草、本郷の三つの寄席に通うようになったから日に三回来るようになったのよ。それで乱菊もよく来てくれる客だくらいには顔を知っていたんだけど、ある日その男が手紙を渡してきた。中には『浅草の寄席に出るな。ひどいことになるぞ』とだけ書いてあった。書いてあったからと言って寄席を出るのをやめるなんてできやしない」


 いくら人気があるとはいえ女義太夫が勝手に出番を降りたりすれば、大番狂わせとしてひどく怒られたり、二度と寄席に出られなくなるかもしれない。


「それでどうなったんですか?」

「それが何もなかったのよ。なにも起こらないし変なこともない。だけど、毎日のように男は乱菊に手紙を送ってくるのよ。浅草の寄席には出るな。ひどいことになるぞってね」


 男にとって乱菊が浅草の寄席に出てくることが何か不都合なことがあるのだろうか? もともと日に三回も違う寄席に通っていた男が浅草だけ嫌がるというのはどうにも腑に落ちない。坊ちゃんのほうも納得がいかないのか眉毛をハの字にした情けない顔で頭をかいた。


「しかし、それでどうしておがんさんが銃を求めるのですか?」

「坊ちゃんはそんなこともわかんないのかい!?」


 腕を叩くと坊ちゃんは何を言われているのかという顔で首を傾げた。


「婆さんの孫娘は毎日、脅されてるんだよ。『浅草の寄席に出るな。ひどいことになるぞ』って。だから婆さんは孫を守るために銃が欲しいのさ。単純なことじゃないか」

「それは違うよ。無鉄砲。男はひどいことに()()とは言っているけど、ひどいことを()()とは言っていない。つまり、男は何か危害を加える意思はないといえるはずだよ」


 確かにそういえなくはない。だけど、それはそうもとれるというだけである。


「そんなこと言っても何もしない人が、脅迫まがいの手紙を送り続けるかい?」

「まぁそうかな」

「そうかなって、どんだけトンチキなんだい坊ちゃんは


 こちらの怒りが伝わったのか伝わってないのか。坊ちゃんはふーむとなにかを考え込むような素振りを見せてこちらを見た。


「よし、ならその男に会ってみようじゃないか。無鉄砲、案内してくれ」


 そう言って坊ちゃんが勝手にこちらの手を取る。思ったよりもでかい手で驚いたが、二、三度手を振って振り払った。


「などうして坊ちゃんの案内をしなくちゃならないのさ」

「僕はどこに寄席があるか知らないからね。無鉄砲は知ってるんだろ?」

「知ってるがあんたを案内する理由はない」

「そうか……。うん、そうだ。その花器を十円で買おう。その代わり案内をしてほしい」


 鉄砲の代わりに持ってきた花器を指さして坊ちゃんがほほ笑む。婆さんが買わないと言っている以上、花器が売れなければここまで来た電車代分損になるが買ってもらえるならかなりのおつりがあるといっていい。かと言って坊ちゃんの思惑に乗っかかるのも気分が悪い。


「無鉄砲」


 振り返ると婆さんが袖をついついと引いていた。


「なんだよ。婆さん」

「いいから坊ちゃんと乱菊のところへ行ってきな」

「それなら婆さんが行けばいいだろうよ」


 どいつもこいつも好き勝手なことばかり言いやがると、婆さんからそっぽを向くとそっちには坊ちゃんがなにか不思議なものでも見るかのようにこちらを眺めている。


「ああ、わかったよ。いけばいいんだろ!」


 諸手を挙げて一言だけわめいて、玄関口を開ける。背後では婆さんが坊ちゃんにくれぐれもよろしくお願いしますだのと言っているが、普通に考えてあんな世間知らずの坊ちゃんを案内するこっちのほうがよほど、よろしくとお願いされるべきではないか。


「さぁ、行こうか。無鉄砲」


 お大尽おだいじんよろしく先頭に立つ坊ちゃんだが、その向きは西向きで両国とも浅草とも別の方向である。そっちじゃないよと手を引いてやると坊ちゃんは、こちらの手の傷に気づいたらしく何とも言えない顔をした。


「別に隠すような傷でもなし。気にするな」


 手の甲の傷なら向こう傷だ。八丁堀の同心の末にとっては誇るべきだろう。


 そのままずいずいと進んでいくと少し遅れてから坊ちゃんが大きな体でついてくるのがわかる。まったく変な奴である。 最近の両国は勢いこそ浅草に負けるものの老舗といわれる寄席や小屋が多い。また、それらに来る人々をあてにした屋台や料理屋が立ち並び、行きかう人々の食欲を満たしている。昔ながらの天婦羅てんぷら屋台のカラカラと衣が揚がる音や田楽屋からの味噌の焦げるにおいが否応に五感に働きかけるが、それらのいちいち反応していれば両国を抜けるだけで日が暮れてしまうに違いない。


 そう思って足早に歩いているというのに、たびたび足が止まるのは坊ちゃんがすぐに気を取られるからだ。普通の人よりも頭一つ大きな坊ちゃんは呼子からよく見えるのか「お兄さんお兄さん」とか「若旦那!」と呼びかけられている。


 その声のたびにこちらが坊ちゃんの手を引いてやるのだが、小僧のようなタッパにデクの坊が引き回されている姿は奇異に見えるらしく、周囲からの目線が痛い。そもそも人よりも背の低いこちらは人込みというものが大嫌いなのだ。坊ちゃんはそれがわからないのであろう。


 そんな艱難辛苦を乗り越えて寄席の前にたどり着いたときは一日分の疲れがどっと噴き出た思いであった。屋号が大きく書かれた仮名座の大看板に色とりどりの幟、そして小気味のいい太鼓の音が聞こえる。見物のために来たわけではないが、どうにも浮ついて気持ちになるのは場の空気ゆえだろうか。


仮名座かなざ? ここか無鉄砲?」

「ああ、そうだよ。お前さんはもうちょっとちゃきちゃき歩けないのかい? 牛のように歩きやがって」

「そうかな? 無鉄砲こそちょこちょこと動き回るものだから鼠のようだったな」


 小さいからと言って鼠あつかいとは腹が立つ。拳を握りしめて反対の手に平に打ち付けてにらみつけると坊ちゃんは思い出したかのように「まぁ、干支なら牛も鼠も一番と二番だ。大差はない」と誤魔化しにもならぬ言葉を付け加えた。大差はないと坊ちゃんはいうが一番と二番にも差があり、それよりも下ともなればなおさらである。


 仮名座の大看板には番組が大きく張り出され、独特の幅広の文字で演目と演者が書かれている。やはりトリの竹本小蝶は一番大きな文字で、菊池早矢、豊竹乱菊の名前は他の落語や色物の演者変わらない並みの大きさである。ここだけでも一番人気と二番以下では格差がある。


「坊ちゃん。いま何時だい?」


 訊ねた瞬間だった。寄席の中から大きな歓声が上がって「小蝶」だの「日本一!」という景気のいい言葉が舞い踊る。どうやら大トリである竹本小蝶が高座に上がったらしい。坊ちゃんがもっと早く歩いていれば乱菊の回に間に合ったに違いない。面倒なことになったと渋面を作っていると、懐中時計を取り出した坊ちゃんが「二時半だよ」といらなくなった問いに答えてくれた。


「坊ちゃん、行くよ」


 寄席の出入り口に背を向けて歩き出す。


「どこに行くんだ。無鉄砲」

「寄席のなかさ」

「中ならそこの出入り口から入らないと」


 坊ちゃんは困惑した表情でこちらと寄席の出入り口を交互に見た。


「馬鹿だねぇ。もう、大トリの小蝶が高座に上がってるんだ。前席の乱菊は控えに戻ってるか。下手すりゃ次の寄席に行っちまってるよ。その前に会えりゃいいんだけどね」


 馬車通りから裏手に回ると力車一台がとおれる裏道に出る。その角に簡素な木戸が建てられ、若い下男が退屈そうに門番をしている。こちらが近づくと男も気づいたらしく顔を上げてこちらを値踏みするような顔をした。


「何の用です。ここは仮名座のお勝手かってだけど勝手に入られちゃ困るんだけど」

「ちょいと乱菊さんに用事があってね。あがらせてもらうよ」


 木戸をくぐろうとすると慌てた様子で止めに来た。


「だめです。この間から女義太夫目当ての連中が上がりこんだり、騒ぎ立てたりして迷惑してるんです。あんたらみたいな素性の分からないものを上げることはできない」


 確かにこのところの女義太夫人気はかなりのもので観客の中には控室に押しかけたり、女義太夫が移動する際の力車を追いかけたりと熱狂的な者もいるという。寄席としては不審な者を入れるわけにはいかないに違いない。


「別に怪しいもんじゃないさ。乱菊の祖母であるおがん婆さんからの頼みで来てるんだ」

「そう言われても僕は乱菊姐さんからそんな話聞いてませんし、おがんさんも知りません」

「融通の利かない奴だな。通してくれりゃ誰にも角が立たないっていうのに」


 にらみつけてやると下男はひどく困った様子で視線を逸らせた。その逸らせた視線の先に坊ちゃんがぼんやりとした顔で立っていたのが悪かったのか、下男は「そこの男の人は?」と訊ねた。


「あー、あっちも同じ要件だよ」

女義じょぎ目当てで入場料も払わず入ろうとしてるんじゃないですか?」

「馬鹿いう奴だな。あのボンクラの身なりを見な! 高そうなべべ着て、高そうな懐中を見せびらかしてるだろ。あんな奴が小金惜しさに勝手から入ろうとするか」

「いや、でも服装で人を判断するのは……」


 下男は坊ちゃんを見つめて言葉を濁した。すくなくとも坊ちゃんの服装は一張羅であり、古着屋で間に合わせたような粗悪品でもない。なによりも本人の身の丈によく似合っている。


「ぐだぐだいう奴だね。黙って上がらせてくれればいいんだよ」

「何かあったら席亭から怒られるのは僕ですし……」


 下男は押しに弱いのかこちらが一歩出るごとに一歩下がる。この調子で押し続ければいいと押し続けて木戸に足がかかったときだった。鈴の音のようなかわいらしい声が飛んできた。


「なにの騒ぎです。高座の後ろでギャーギャーと」


 中から出てきたのは黒紋付白袴の若い女で、すっと伸びた鼻筋にほっそりとした輪郭。ややきつそうな目に泣きぼくろが印象的であった。女が出てくると下男は、繰り返し頭を下げた。


「小蝶さん!? すいません。」

「……小蝶? あの小蝶かい?」

「あの小蝶かどうだか知らないけど、この寄席で小蝶といえばあたし竹本小蝶だけだろうさ」


 いま一番人気の女義太夫が出てきたことに驚いていると後ろで突っ立っていた坊ちゃんが隣に立った。


「無鉄砲。これが女義太夫か?」

「そうだよ。しかも女義太夫の天辺のね」

「そうか。なら、おがんさんが言っていた乱菊さんとは違うのか」


 明らかにがっかりしたようで語る坊ちゃんに下男は「この!」と腕まくりをしたが、当の小蝶は涼しい顔でこちらと坊ちゃんを見比べてほっそりとした唇を動かした。


「小蝶のお客なら残念でした。あの娘はもう次の寄席に向かったあとよ」

「いや、僕たちは客ではない。彼女のおばあ様から乱菊さんが変な手紙で脅されていると聞いてやって来たのです」

「ああ、なるほど。人が高座に上がってるっていうのにお勝手が騒がしいと思えばそういうことかい」


 小蝶は少しだけ目を大きくして感心したような声を出すと下男に「二人を上げなさい」と命令した。下男は不承不承という様子で木戸を開けると、舌打ちをした。腹が立ったので思いっきり舌を出してやると下男はぷいっと顔をそむけた。


 寄席の中は狭く通路には小道具や座布団のほか三味線などの鳴り物が無造作に置かれており、進むのに難儀した。小蝶は適当な部屋のふすまを開けると「どうぞ」とこちらに座布団をすすめた。部屋のわきではお茶子と思われる和服に前掛けの女が、茶を出すのかと問いたげに小蝶を見つめる。


「お茶ならいらないわ。この人たちは私のお客さんでもないし」


 小蝶の言葉を聞いてお茶子は少し安堵した様子で部屋から出て行った。


「その様子では小蝶さんは乱菊さんが脅されているとご存じみたいですね」

「そりぁね。師匠違いとは言え同じ義太夫で寄席も同じだ。そのうえあれだけ手紙がくりゃ嫌でも耳に入るってもんさ。それにしても孫娘が危ないってときに寄こされたのがあんたらっていうのはなんとも」


 坊ちゃんとこちらを目踏みするように眺めると小蝶は煙草盆から煙管を持ち上げると手慣れた手つきで火を入れた。ほっそりとした唇から雲のような煙が沸き立つ。それは何とも言えない色香のある姿であったが、どこか怪しげでもあった。


「頼りないですか?」


 坊ちゃんが情けない笑顔を向けると小蝶は「そうだねぇ、旦那はたっぱもあるからいいけど、そっちのはねぇ」と煙管をこちらに向けた。


「別にこちとらは坊ちゃんのように頼まれた口じゃないさ。せいぜいが道案内といったもんさ。助ける助けないというのはまた別のもんだ」

「その割にあんたのほうがやる気に見えるがね」


 小蝶はころころと人をからかうように笑ったあと、人が変わったような顔をした。


「まぁ、いいさ。あの子が何に狙われてるか教えてあげよう」


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