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花器は割れて火器は火を噴く(1/5)

 爺様ゆずりの無鉄砲で子供のときから損ばかりしている。小学校にいる時分、二間ほどの堀川を飛び越えて一週間ほど風邪をひきこんだ事がある。飛び越えておきながらなぜ風邪をひいたかと聞く人がいるかもしれない。別段深い理由はない。八丁堀の稲村稲荷をちょいと東に抜けたところを歩いていたら、同級生の一人が堀川の向こうから冗談に「いくら威張っていても、飛び越えられまい。臆病者」と、はやし立てたのである。


 応ずるよりも早くに堀川を飛び越えて同級生を突き落としたまでは良かったが、勢い余って自らもドボンと堀川に落ちた。近所の者が引き上げてくれたものの二月の水は凍蝶のごとくで芯から冷え切ることとなった。湯たんぽをつっこんだ布団に横になっていると店から引っ込んできた親父が大きな目を細めて「岸涯小僧じゃあるめぇし人を引きずり込んでもしかたるめぇよ」と言ったから、「引きずり込んではいない。ミイラ取りがミイラになっただけだ」と答えた。それが面白かったのか親父はひとしきり笑うと「次は蹴りこむだけにしろ」とだけ言った。


 日頃目立たぬ者が西洋製のナイフを貰ったとして友達に見せていた。刃物を持つと気が大きくなるのか妙に武威ばったことばかり言うので「良く光るが光ほど切れるのか」とポロリと皮肉が出た。自らの獲物を馬鹿にされたのが気に食わなかったのかナイフよりも先に持ち主の堪忍袋の緒が切れた。浅野内匠頭のように耳まで真っ赤に染めたそいつが大きく振り上げたナイフは妙に光って見えた。幸いナイフが小さいのと手の甲で受けたので大怪我にはならずにすんだ。しかし、傷痕は死ぬまで消えそうにない。


 このようなことが積もりに積もり、いつのころから周りが「無鉄砲」と呼んでくるようになった。これにはさすがに困った。なんせ、『無鉄砲』というのは亡くなった爺様のあだ名である。無鉄砲ということは事実であるが、爺様と比べれば可愛いものだと自負している身としてはこのあだ名は実に遺憾であった。


 腑抜けた将軍が江戸を明け渡して、薩摩の芋と長州の茄子が大きな顔をするのが許せなかったのか。八丁堀として守り続けてきた江戸が踏みにじられるのが嫌だったのか。爺様は彰義隊に入って上野で戦った。ただ、それだけで無鉄砲など言われるはずもない。聞いた話では爺様は寛永寺を囲んだ長州の軍勢を見ると銃も持たずに飛び出していった。驚いたのは長州方だったに違いない。鉄砲だ。大砲だ。と言って準備をしているところにたった一人敵兵が刀だけ持ってきたのだ。


「降伏ですかな?」


 そう言った者がいたかいなかったは聞いていないが。爺様はそのまま二、三人の兵士を切り伏せてあっさりと撃ち殺されたらしい。結果、爺様は無鉄砲と呼ばれることになったのである。それと同じあだ名を貰っても流石に素手で鉄砲に向かおうという気にはならぬし向かうこともないに違いない。


 とは言え、このほかいたずらは大分やった。


 おかげで小学校を出てからの奉公先が決まらずにゴロゴロしていると「家にいるなら店番くらいしやがれ」という親父の言葉に従って同心から鞍替えした家業である骨董品屋の丁稚となった。だが、この骨董品屋という商売は実にアコギなものである。


 例えば、ちょいと落ち目のお武家さんが随分と立派な箱に入った伊万里の皿を持ち込んできたときのことである。由緒書きを見れば柿右衛門の作とある。ここで親父は二十円で皿を買い取る。小学校の教師が四十円の月収だと思えば半月は暮らせるお金であるが、家宝の値としては寂しい限りである。


 この皿を親父は外国人のもとへ持っていく。この外国人はたいして陶器も書画も好きではないが、自国に持って帰れば数寄者が高値で買い取ってくれることを知っている人物で皿は二百円で売れる。この外国人がいくらでこの皿を売るかは知らないが随分な仕事もあったものである。


「アコギな商売だね」


 率直に親父に言うと「馬鹿だねぇ。お前は」と呆れたような様子でその辺りに転がっていた茶碗を掴み上げるとぐぃっとこちらに向けた。


「無鉄砲。お前さんはこいつがいくらだと思う?」


 茶碗を受け取ってのぞき込む。赤い地に釉薬がかけられているあたり秀吉好みの赤楽だろう。しかし、釉薬が妙に白々しており赤を弱めている。口作りから腰回りが妙に平坦なくせに高台はひどく痩せている。さらに左にやや傾斜しており、どうにも気持ち悪い。


「こんな茶碗一円にもならないだろうさ」

「馬鹿だねぇ。そいつぁは五代宗入の作さ。売れば六百円くらいはなるだろう」

「その割にはぞんざいな扱いじゃないか」


 文句と一緒に茶碗を返すと親父はさらにもう一回「馬鹿だねぇ」とため息をついた。


「外人さんはこんな地味な茶碗欲しがりやしないさ。あいつらは伊万里とか加賀、尾張そういうのの絵付がいいんだよ。ついでに言えば大きければ大きいほどなお良い。そっちのほうが飾り映えするんだろうよ。そういうことでこの茶碗はいくら価値があっても売れはしねぇ」


「いま六百円になるつったじゃないか!」

「そりゃ六百円の価値はあるさ。でも買い手がいなけりゃ意味はあるめぇ。良いもんだから売れるってことはねぇ。相手が欲しがるから売れるんだ」


 それは事実であろうがどうにも釈然としない。それが顔に現れていたのか親父は「まぁ、人情としてはお前さんが正しかろうよ」と言った。それが誉め言葉かどうかと言われればあまり褒められた気はしない。腹が立ったのでじっと睨むと親父は視線を天井へそらした。


「……どうだ。無鉄砲、ちょいと奉公にでねぇか?」

「はっ、どこにだい?」

「九段の粟屋様のところさ。古い家人が歳でやめちまって新しいのを探してるって話でな」


 山手の九段あたりはお役人が多く住んでいる地域で、役人の大半は芋と茄子の出である。当人が生きているかはおいても爺様の仇と言えなくはない。そんな家に仕えるというのはどうにも気が向かない。


「ヤダね。芋か茄子でも爺様の仇の家だろうに」

「芋か茄子かでいえば粟屋様は茄子のほうだろうが、爺さんは四十九日どころか三十七回忌だって終わってらぁ。いまさら仇もあるかよ。それに無鉄砲よ。おめぇさんはどうにも骨董屋はむいちゃいねぇ」


 なんとなくそんなことは分かっていたが、面と向かって言われると妙に腹が立つ。思いっきり床を踏みつけて立ち上がると背中に声がかかる。


「おい、無鉄砲。どっかいくならこいつを鳥越のおがん婆さんのところに持って行ってくれ」


 舌の根も乾かぬうちによく言ったもんである。親父が棚にあった風呂敷を取り出すとひったくるように受け取とった。風呂敷はちょうど手首から二の腕までの大きさである。中身はおそらく花生けだろう。


「おがん婆さんって言えばあのお花の先生かい? あれが花生けとは腐るほどもう持ってるだろうに」

花器かきが欲しいってんだから欲しいんだろうさ」

「いまさらいるかねぇ。親父が頼まれたのなら親父が行けばいいだろうよ」

「俺はちょいと忙しんだよ」


 親父はこちらを見ずにぷぃと後ろを向いた。こういうときはどうにも面倒なことがあるときの合図である。断ってやろうか、と考えたがこのまま親父と店にいるほうが気まずいと思いなおしてそのまま店を出た。





 八丁堀から鳥越までは東電で浅草橋まで行ってあとは徒歩である。電車の運行が始まる前は「馬もいないのに馬車が動くのか」と首をひねっていた人々もいざ始まってしまえばすぐになれるものでいまでは「馬糞臭くなくていいや」と笑っている。それほどまでに馬車鉄道は臭かったのである。特に雨の日は、雨水でゆるくなった馬の糞尿が跳ねるのでご婦人は近づこうともしなかった。


 だが、便利になればなったで問題も出てくる。


 浅草参りや上野の博覧会に行く人が多いのである。三十人そこらでいっぱいになる車両に四十人も五十人も乗ると鮨枠に押し込まれたようなもんで、浅草橋に着くころにはしっかり潰されて気持ち悪くなる。電車から降りると東は昔ながらの太鼓橋が両国へと続き、北にはいかにも武骨な鋼鉄製の浅草橋が横綱のように座っている。さらに遠くには浅草十二階が雨後の筍のように直立しているのが見えた。


 このままぶらりと浅草で遊んで帰ろうか、と思ったが浅草の本通りに向かえばここ以上に人にまみれることになり、生来の人込み嫌いとしてはいささかきつい。浅草橋をひょいと渡りちょいと西に入れば文明開化の明かりが届きにくい路地に出る。


 昔ながらの長屋所帯に黒襟木綿のおばさん方が井戸周りで集まり、子供たちが何やら走り回っている。こうなってくると八丁堀も浅草も変わりはしない。ときよりアサリを売る棒手振りの声が聞こえる。この声が聞こえてくるといよいよ春も暮れだという気がする。


 ざっと砂抜きをしたアサリを煮込んでからむき身にする。ちょいちょいとむくのは面倒であるが、煮込みすぎては食感が悪くなるので仕方がない。煮汁に少しの醤油と酒、味醂を入れて千切りにした大根を軟らかくなるまで温める。ここにむいたアサリを加えれば実に旨い。行儀が悪いことに目をつぶって飯の上にぶっかけて山椒をぱらりと振りかけてざっとかきこむのもたまらない。


 そんなことを考えて歩いていると鳥越神社の参道と屋台が見えてきた。あいの日であるためか参詣者は少なくどこか寂しげな雰囲気がある。参道を横切りさらに西に抜ければおがん婆さんの家である。


 玄関脇に籠花入れがつるされ、紫の花菖蒲がすくっと一輪だけ活けてある。こういうものは潔く気持ちがよい。そう思った矢先にへんちくりんな奴がいた。おがん婆さんの家の前を行ったり来たり、そわそわと歩き回る男はいかにも怪しい。


 年のころは二十くらいだろうか。日に焼けた様子もなく仕立てのいい背広に革靴は磨き立てでピカピカしている。いかにも山手から来ましたという格好で下町に似合わぬ姿で、どこぞの坊ちゃんという感じである。


「おい! 何をしてやがる」


 こちらが声をかけると坊ちゃんは肩を揺らして驚いた。


「いや、こちらの奥様に以前うちの母が花を習っていたもので季節のご挨拶に」

「そいつぁ殊勝な心掛けで。なら、どうしてこんな玄関でまごまごしてるんだい?」


 坊ちゃんはこちらを困ったような顔で見たり目を下にそらせたりどうにも落ち着きがない。


「ノックをしたのですが、ご返事がなく。どうしたものかと思案していたのです」

「ノックだぁ? お前さんは本当に坊ちゃんだねぇ。こんなもんはこうすんのさ」


 玄関前でまごつく坊ちゃんを押し出して、拳をだんだんと木戸に叩きつけて叫ぶ。


「おがん婆さん。いるんだろ。八丁堀の三木屋が来たよ」

「そんなにがならなくても聞こえてるよ。旦那じゃなくて無鉄砲が来たのかい。当てが外れたね」


 露骨に嫌な顔をしたおがん婆さんがゆっくりと奥から出てきた。若いころ大奥にいたという噂の婆さんは梅鼠うめねずの着物に黒帯という簡素な着こなしであったが、隙のない佇まいでこちらをにらみつけると早く出しなとばかりに手をこちらに伸ばした。


「外れで悪かったね。ご注文の花器だよ」


 荷物を式台において風呂敷を広げると不機嫌であった婆さんの顔がいっそう険しくなった。


「なんだいこれは? 無鉄砲にかけた洒落かい」

「洒落もくそもあるかい。婆さん御所望の花器だよ」


 値段は分からないが風呂敷の中身は備前の瓢箪花瓶で赤と茶の具合が良い。明るすぎれば花より目立つが暗すぎても生えが悪い。そういう微妙な色合いの花器である。これで満足できないというのなら他所に当たってもらうほかない。


「なにを聞いてきたのか知らないけどねぇ。あたしが求めてるのはカキだよ」

「はぁ? 花器なら目の前にあるだろう。婆さん耄碌もうろくして花器がなにか分からなくなってるんじゃないかい」

「だれがほうけてるって!」

「婆さんさね! せっかく花器を届けてやったっていうのに訳の分からないこと言いやがって」


 婆さんにつかみかかろうとしたときだった。襟首をぐっと引っ張られて後ろにさがらされた。かっとなってふりかえるとさっきのまごまごしていた坊ちゃんだった。こうして真横に立たれると坊ちゃんの背が高いのが分かった。


「落ち着いてください。君もおがんさんも」


 一発引っぱたいてやろうかと腰をひねるとおがん婆さんがいきなり借りてきた猫のような甘い声を上げた。


「これはお坊ちゃん。いらしてたのですか。恥ずかしいところをお見せしちゃってねー。どうも無鉄砲は小さいころから知ってるせいで孫のように好きなこと言っちゃうんですよ」


 おほほと愛想笑いをしながら婆さんはこっちに小さな声で言った。


「なんであんたが坊ちゃんと一緒なんだい?」

「知るかい。あの坊ちゃんがあんたの玄関口でまごついていたから一緒になっただけだよ」

「ならよかったよ。早く物持って帰んな」


 婆さんはさっと風呂敷を結びなおすとこっちに押し付けるように手渡してきた。こちらの慌ただしさなど気にしないのか。大らかな性格なのか坊ちゃんのほうは手土産を婆さんに渡している。


「暖かくなって母もおがんさんからお花の指導を受けたいと言っております」

「それはありがたいこと。でも、最近は腰の調子が悪くてなかなかご指導には回っておりませんの」


 こちらと話していたのが嘘のようなおがん婆さんの豹変にあきれながら、つったていると坊ちゃんが風呂敷を指さした。


「それでも新しい花器をお探しになるくらいだから、お花への御研鑽はまだお続けなのでしょう」

「いや、それがねぇ」


 ひどく言いにくそうにおがん婆さんは押し黙ると少し考え込んでから開けっ放しになっていた玄関をぴしゃっと閉じると坊ちゃんに言った。


「あたしがそこの無鉄砲の店に頼んだのはそれじゃないんですよ。カキはカキでも花を入れる方じゃなくって鉄砲のほうの火器が欲しかったんですよ」


 婆さんはそう言って鉄砲を撃つ真似をした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 明治は江戸っ子の薩長土肥への反発は確かに。すごかったのではと思います。もう子孫は東京人になり果てていると思いますが。 [一言] そういえばかの文豪はお札になったときに「生涯、経済的に余裕が…
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