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「なんで? さっきまで、誰もいなかったのに!」
「こいつは霊力を高める効果があるんだ。
そして、悪霊はこいつを嫌う」
メイは口から離したたばこを摘んでミヤと僕に見せる。
だから、先程から調子が悪いのか。
感覚などとうにないはずだったから、おかしいとは思ったんだ。
そっちには納得がいったが、納得いかないのはミヤの言葉だ。
今の僕は生前と同じ格好をしているはずなのに。
僕は彼女が不安がらないように、無理に笑って見せる。
「だ、誰って、ミヤ。
酷いな、僕だよ。
相川だ」
「あ、相川、君?」
まるで口に馴染まない名前のように、怯えたようにミヤが言う。
本当に覚えていない?
そんなはずはない。
僕はずっとミヤの傍で、彼女を見ていたんだから。
「アンタの学校の、自殺したガキだな。
わざと車に轢かれて自殺したようだ。
アイツが田島ちゃんを、アンタの周りに人間を殺して回っていたんだ」
随分な言い様に、僕はむっとなる。
そんなんじゃない。
しかしミヤはメイの言葉で僕に恐怖を覚えたようで、さらに距離を取ろうと後ずさる。
「ど、どうして!
どうしてそんな酷いことするの!
私があなたに、何かした!?」
「ち、ちがう!
君は何も悪くない! 悪いのはアイツらだ!
だから、僕が殺してあげたんだ」
「何、言ってるの?」
彼女はメイの言葉を信じ切って、まるで僕を悪霊のように見る。
確かに僕は、既に生きてはいない。
だけど、それでも彼女のためにここまでやったんだ。
僕は、悪霊なんかじゃない。
僕は彼女を怖がらせないように、必死で彼女に説明する。
「僕、君の家に行ったときに、君の父さんが君を殴るのを見てしまったんだ。
その数日後に君が足を折ったって聞いて、絶対にあの男がやったんだって気付いた。
だから入院した君を守るために、一緒の病院に運ばれるように怪我をしようって思ったんだ。
なのに、ちょっと間違えて、さ」
運転手にも分かるようにゆっくり道路に出たのに、よそ見していた運転手はブレーキも踏まず僕を轢きやがった。
僕の死は、考えたこともない程にあっけなかったが、決して無駄ではなかった。
「そんな」
彼女は手を口に当てる。
僕の行動の心を痛めたのだろうか。
やはり彼女は優しい。
「名前すら知らない男にストーカーされてたって訳だ。
悪霊にゃ理屈や話は通じないって言おうと思ったが、こいつぁ死ぬ前から頭がイカれてるパターンか」
メイの方は変わらず僕の方を睨みつけている。
彼女に僕の気持など分かるまい。
別に構わない。
ミヤさえ分かってくれれば、僕はそれでいいんだ。
「こんな姿になっちゃったけど、君を守るためなら全然平気だよ。
生きていたら、こんなに効率よく誰かを殺すことなんてできなかったもの」
そう言って、少し後悔した。
優しいミヤは、「殺す」という言葉でびくりと身を震わせる。
「どうして、どうして、神田君たちまで、殺したの?」
彼女の口からアイツの名前が出てくるのが腹立たしい。
しかしそれも彼女がアイツの本性を知らないからだろう。
彼女には酷だが、彼女のためにも伝えるべきだ。
「看護婦の曽根は、ミヤの父親から金を貰って君が虐待されていたことを隠そうとしていたんだ。
それで院長と言い合いになったけど、結局あの女は院長を誘惑してミヤの虐待を隠ぺいした。
田島は曽根と院長が言い争っていたのを聞いて、ミヤの虐待を知り、それを神田に言いやがった。
そして神田は、そのことを面白おかしく友達に拡散しようとしてたんだ」
「嘘!」
ミヤは否定するように首を振る。
「嘘よ! 神田君は私に優しかった!
お見舞いだって来てくれて、私の事を守るって言ってくれた!」
「そんなの口だけに決まってるだろ!
アイツは君というステータスが欲しかっただけで、君の事を好きだったわけじゃない!」
「嘘! 嘘!」
まるで駄々っ子のようにミヤは言う。
「信じられるわけないじゃない!
そもそも、貴方、誰なのよ!」
あぁ、まただ。
そんなはずないのに。
「ぼ、ぼ、僕の事、覚えていないの?」
ずきずきと心が痛む。
どうして。
「いじめられていた僕に、君は普通に接してくれた。
僕に優しくしてくれたじゃないか!
だから僕は、ずっと君の事を見てた。
こんなことになる前も、なってからも、ずっと、ずっと!」
あんなに一緒にいたのに。
僕はずっと君を見ていたのに。
君も僕に笑いかけてくれたのに。
あの時、僕らの心は通じ合っていたはずだ。
必死に訴えるが、ミヤは混乱したように僕を信じられないという目で見る。
だが、彼女に僕の気持ちは通じるはずだ。
僕は彼女が胸元に持っているかんざしを指差す。
「そ、そ、それだって!」
僕が贈ったかんざし。
それこそ、僕が君を大切に思っている証拠だ。
ミヤは怪訝そうに銀色のかんざしを見る。
「これ……?」
「そう、それが証拠だ」
「このかんざしは修学旅行で行ったお寺で見て、良いなって思ったけど買わずに後悔してたら、次の日に鞄の中に入ってたの。
きっと神様が見てくれてたんだって。
だから、私、これを「お守り」にして……」
「そんなわけないだろ!
君がそのかんざしを気に入ったように見ていたから、後で僕が買って鞄に入れておいたんだよ」
「……え」
彼女は、先程まで唯一の頼りのようにして持っていたかんざしに目を落とす。
そしてその一瞬後、まるでゴキブリでも見たかのような顔に変わる。
「ひっ!
いや、いやぁぁぁぁああ!!!」
そして僕に向かってそれを投げつける。
「いや! いや!
気持ち悪い!」
カン、カランと細いかんざしは僕の方に転がる。
「気持ち、悪い?」
ミヤ。
なんて、言ったの?
「なんなの!?
家にまで来たって!
ずっと見てたって、何?
あんなものまで!
わたし、ずっとアレ、持ってて!!
気持ち悪い!!!」
ミヤは頭を押させて泣き叫ぶ。
「あんなもの」?
「気持ち悪い」?
気持ち悪い
気持ち悪い
気持ち悪い
アイツ、気持ち悪ぃよな
うわ、キモ。こっち来んなよ
あんた、何考えてるか分からないよ。気持ち悪い子だね
お前さ、嫌われてるの気付いてないのかよ、気持ち悪ぃな
キモいから喋んな
気持ち悪い
キモイ
気持ち悪い
気持ち悪ぃんだよ
キモッ!
・
・
・
嘘だ。
ミヤが、そんなことを言うわけが無い。
一度僕の血がしみ込んだハンカチだって、君は笑顔で受け取ってくれた。
そうだろ?
「み、ミ、ミヤ……?」
僕は歩を進める。
しかし、ミヤは後ずさり、いやいやと首を振る。
「呼ばないで!
貴方なんて知らないって、言ってるじゃない!」
どうして。
どうして、僕を拒絶するんだ。
僕は、こんな姿にまでなって、君を守っているのに。
僕は目の前に投げ捨てられたかんざしを拾う。
感覚がないはずなのに、ひどく冷たく感じた。
「どうして、そんなこと、言うんだ」
かんざしを持った指の肉がボロりと落ちる。
車で引き摺られて僕の身体はボロボロになった。
ミヤの前だから生前の姿でいたが、それももう持ちそうにない。
顔の肉が剥がれる。
「ひっ!」
彼女の目に、僕はどう映っているのだろうか。
恐怖と嫌悪に歪んだ彼女の顔を見れば分かるが、僕はそれを信じたくなかった。
「どうして、そんな顔をするんだ」
ぼろ、ぼろ。
溶けるように肉が剥がれていく僕の姿から、彼女は顔を背ける。
「来ないで!! 人殺し!」
ミヤの叫び声に僕はかっとなる。
手に持ったかんざしに力が入る。
僕の手を離れたかんざしはミヤ目がけて飛んでいく。
しかしそれは、ミヤを庇うように立ちふさがったメイの左首を貫いて壁に当たる。
「ぐ!」
頸動脈を破られたメイは、目を見開く。
横目でミヤの無事を確認すると、手で首を押さえて膝をつく。
心臓の動きと共に指の隙間から血液があふれる。
「逃、げ……」
最期の力でメイはミヤに告げる。
しかし彼女の血を半身に浴びたミヤは、顔を引きつらせて力なく座り込む。
可哀そうに。
人が死ぬ瞬間を見るのは、初めてなんだろう。
僕は君のために、何人も殺したというのに。
「いや、いや、いやぁあああ!
来ないで来ないで!!
お願い、許して!!」
僕が歩を進めるたびに、彼女はずりずりと尻をつけたまま後ずさる。
「誰か、誰か!
お願い、助けて!」
既に絶命したメイの血を引きずって、彼女はついに病室の壁まで僕に追い詰められる。
もはや僕の身体も死後の状態になっているだろう。
体の肉が剥げ、目玉と骨と内臓がはみ出している。
彼女の叫びに答えられるのは、僕だけだ。
僕は再度、かんざしを拾う。
「だれか、誰か!
神田君、助けて!!」
「アイツの名前を呼ぶな!!」
僕は手に持ったかんざしでミヤの喉を突く。
「かっ!
かんざしを引き抜くと、彼女の血があふれ出す。
手で喉元を抑えながら、彼女は僕を見上げる。
声帯を傷つけられた彼女は、何かを言おうとパクパクと口を開けるが、もはや声にはなっていない。
憎悪。
嫌悪。
恐怖。
苦痛。
血と涙に染まった彼女の顔は、僕の心をひどく傷つけた。
僕がここまでしているのに、彼女は何も分かっていない。
田島やメイ、神田の事ばかりだ。
未だにアイツらを信じている。
僕じゃなくて。
僕じゃない。
君は僕を見てくれない。
だったら、
「そんな目で僕を見るな!」
僕は見上げているミヤの左目をかんざしで突く。
「っっ!!」
彼女は声にならない悲鳴を上げる。
顔を伏せ僕から逃げようと這って動く。
「僕から逃げるな!!」
僕は足を何度もかんざしで突く。
ミヤの白い足に幾つもの穴が穿たれて、赤い血があふれ出す。
「僕の名前を呼べよ!」
彼女の顔を。
彼女の頭を。
彼女の腕を。
彼女の脚を。
「僕を、拒絶するな!」
彼女の肩を。
彼女の腹を。
彼女の胸を。
何度も、何度も、僕はかんざしで突く。
「僕を、僕を、思い出せよ!」
疲れなんてほとんど感じない身のはずなのに、ひどく、疲れた気がする。
最後にミヤの胸からかんざしを抜いた時、僕はどうすれば僕の願いが叶うのか、思いついた。
彼女の身体はもう動かない。
しかしまだ、辛うじて息はあるようだ。
僕は彼女の傍にゆっくりしゃがみ込む。
可哀そうなミヤ。
彼女は何が幸せなのか、分からなくなっているだけだ。
僕は彼女の頬を撫でる。
「君は、優しいから。
僕以外にも優しいから。
たくさんの人が君の中にいるんだよね。
僕のことを思い出せなくても、仕方ないよね」
ミヤは何も答えない。
「だから、君の父親や曽根や神田みたいのにいい様にされるんだ。
でもそれは君が悪いんじゃない。
君の優しさがそうさせてしまうんだ」
田島がメイを使って、僕とミヤの間を引き離そうとしたときは怒りに満ちた。
またあの女が余計なことをしやかった、と。
神田に虐待の事を告げたのみならず、ミヤを守ろうとする僕の邪魔までするなんて許せなかった。
だから殺した。
だが、この状況だからこそ、まだミヤを守る方法がある。
僕が死んだときもそうだった。
僕はどんな形でだって、何度だって、君を守ろう。
僕は死にゆくミヤに、身を寄せる。
「良いことを思いついたよ、ミヤ。
もっと早く、こうするべきだったんだ」
病室が、病院全体が、心地の良い闇に包まれるのを感じながら、僕は優しくミヤを抱きしめた。