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きみのため  作者: 甘楽
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「だからね、一日だけ、ちょっとだけでいいの。

 ぱっと来て、ちゃちゃっと祓っちゃってよ」


 電話の向こうでは、友人がたばこの煙を吐き出す音がする。

 相手は数十キロメートル先にいるはずなのに、その音だけで強烈なたばこ臭が鼻をつくような気持ちになる。

 ヘビースモーカーな幼馴染、メイは私の声が聞こえているはずなのに、何も応えない。

 どうせ面倒くさいとか、そういうことを思っているのだろう。


「あのさぁ、田島ちゃん」


 かすれた声がやっと受話器から聞こえる。

 気だるそうな声から、夕方だというのに寝起きであることが分かる。


「かれこれ三十年くらい言ってるけど、アタシは祓い屋や霊媒師じゃなくて、霊視したりさせたりできるだけ。

 悪霊の相手は門外漢」


 気だるそうにメイは言う。

 彼女は自分が霊体を見ることが出来るだけではなく、他人に見せることが出来る。

 他人の霊力を増幅させるらしい。

 詳しい理由や原理は分からないけど。


「別に何もいないならそれでいいの。

 あなたテレビで有名だし、そんな人が一言『心配ない』と言ってくれればミヤちゃんも安心すると思うの」


 他の霊媒師と組んで有名な政治家の行方不明となった娘を霊視し、湖の底から彼女を発見した功績で彼女は一躍有名になった。

 小学生の時のクラスメイトが得意げな顔で「彼女は昔から不思議な子だった」と特集で話すのを私は見た。

 まだメイが幼く、力がコントロールできない頃、彼女の力により幽霊を見るようになってしまったその子たちは、彼女を化け物と呼び追い立て、そのうち恐れるあまり彼女をいないものとして扱うようになったというのに。

 そんな中、一度幽霊を見てみたい私は彼女と一緒にいたのに、なぜか一度も不思議なものを見ることがなかった。

 それが皮肉にも三十年以上に及ぶ友情を育むこととなる。


「でも田島ちゃんがいたら、見えるものも見えなくなるからなぁ」

「なんでだろうね」


 どうやら私がいると、メイ自身も幽霊を見ることが出来なくなるようだ。

 おそらく私たちは正反対の性質を持っているのだろう。

 私としては一度でいいから見てみたいのに。


「アンタは幽霊見たいって言うけど、実際心の底じゃ、そんなモンいないって信じ込んでんのよ。

 そんなモンいない、いるはずない。

 だから逆にそんなに見たがるの」

「そんなことないけどなぁ。

 私、本当に見たいのに」

「アンタにも見える幽霊なら、もはやアタシが何しても無駄なレベルでやべー奴だわ」

「えへへ」

「何一つ褒めてないのに、なんで照れてんだか」


 呆れたメイが、電話の向こうでたばこの煙を吐く。

 しばらく、彼女が思案するように黙り込む。

 そして


「ま、他ならぬアンタの頼みだからね。

 行くだけ行くよ。

 でもさっきも言ったけど、アタシは見るしかできないからね。

 その後でどうするか相談しよう」


 流石メイ!

 私は電話を持ちながら万歳をする。


「わーい、ありがとうメイ!

 愛してる!」

「ハイハイ、アタシも愛してるよ。

 報酬は前にアンタが作ってくれたレアチーズケーキで勘弁しちゃる」

「うんうん、作る作る。

 おっきなホールで持って行くよ!」


 メイはブルーベリーが好きだったから、ブルーベリーのレアチーズケーキにしてあげよう。


「あ、そうだ。田島ちゃん」

「どしたの?」


 レシピを頭の中に思い浮かべているとメイが真面目な声で私を呼ぶ。


「さっきも言ったけど、アンタがいると見えるものも見えないの。

 だから、アタシが行く日は、アンタどっか行ってなさいよ」






「ちぇ、せっかくメイと会えると思ったのに」


 病院備え付けのシャワーの蛇口を捻りながら、私は唇を尖らす。

 テレビに出るようになってからは、めっきり会う機会が減ってしまった友人。

 本当は目立つことは嫌いなのに。

 引っ込んでいたら、誰も救えないとメイはあえて身体を張るようになった。

 冷たい素振りで優しい子。

 大好きな親友。


「私だって、見えるかもしれないのに。

 見えなくても、なんかできるかもしれないのに」


 ユニットバスから出て洗面台の前に行く。

 水蒸気で曇った鏡を拭う。

 見慣れた自分の姿が目に入る。

 「アンタの髪や肌が綺麗なのは、悩みやストレスがないからだ」とメイに言われたのは、確か中学校の頃だったか。

 あの頃はまさかこんなにも腐れ縁が続くとは思わなかった。


 メイが綺麗だと言った髪の毛を鏡ごしになぞってみる。


「久しぶりに、会えると思ったのになぁ」


 残念だ。

 彼女が所望していたチーズケーキを持って行くときには、うんといっぱいお喋りしよう。

 あの斜に構えた感じで業界の裏側を明け透けに喋って愚痴るメイを思い浮かべると、それだけでおかしくて笑いそうになる。


「よーし。

 こうなったら特大チーズケーキを作って、メイを驚かせ……」


 その時だった。


 何かに後ろから押されたような感触がして、視界がふっと暗転する。


 すぐ目の前でパギっと板をへし折ったような音がする。

 それと同時に、私の顔が、割れる。


「えっ」


 正確には、鏡に映った私の顔が。


 鏡が、上下に真っ二つに割れる。

 私の顔が目の前にある。


 自分が頭から鏡に突っ込んだと気付いたのは、額に異様な冷たさを感じたから。

 そして、幾つものガラスの欠片が刺さった痛み。

 冷たさは熱さに変わる。

 何かが、私の頭を掴んで鏡に叩きつけたのだ。


 声を上げるより先に、髪の毛を後ろから掴まれ、鏡から引き離される。

 ぷちぷちと、毛根から束になって髪の毛が引き抜かれる音がした。


「ひっ……ぁ……」


 私自身の顔で半分以上失った鏡に映ったのは、顔の上半分にガラスの破片が突き刺さった私の顔だ。

 輪郭を伝い、赤い涙のように幾筋も垂れていく。


 その私の後ろにいるのは。


 これは、何?


 人、だったもの。

 顔の半分が擦り下ろされたように皮が剥がれ、目玉や筋が見えている。

 鼻だった場所は骨がひしゃげて赤い穴が開いている。


 赤い肉と血管。血に濡れた骨。

 私を後ろから掴んでいる指からは骨がはみ出て頭皮に刺さる。

 

 私よりも少し大きいその肉塊は、信じられないくらいの力で再度私の頭を勢い付けて押し出す。


「ぐっ」

 

 鼻が押しつぶされる。

 血の味が喉一杯に広がる。

 

 もう一度。


 左目に鋭い痛みが走る。

 途端に左側の視界がなくなる。


 もう一度。


 ガシャン、ガシャンと激しい痛みと共にガラスが床に散らばる音がする。


 なんで。

 私が。

 どうして。


 あなた、誰?



「ぐっ」


 最後に、先程よりも強い衝撃が顔全体にぶち当たる。

 そのまま、私の頭を掴む肉塊は、ほとんど鏡の残っていない鏡に、私の顔を押し当てて捻る。

 わずかに残った鏡の破片が、私の頬を割いて入り込む。


 肉塊は、ふいに私の頭から手を放す。

 事故で痛めた脚は踏ん張ることが出来ず、力を失った私の身体は床に崩れ落ちる。

 身体に散らばったガラスの欠片が突き刺さる。

 しかし、もう痛みすら感じなかった。

 なにも、感じない。


 床のガラスは肉塊を写す。

 それは私に背を向けてシャワー室からずるずると骨の出た脚を引きずって出ていく。


(制服……)


 擦り切れた衣服は、私の子供が来年入学する高校指定のものだった。


(ごめん、お母さん、戻れない)


 制服をあてて、照れ臭そうに「どう?」と聞いてきた我が子の顔を思い出す。


(ごめんね)


 薄れていく意識の中で、メイが言っていた言葉を思い出す。

 私にも見えるような霊ならば、何をしても無理だと言っていた。


(あぁ、どうしよう)


 床に私自身の血が広がっていく。

 辛うじて見える右目は鏡に映った私を写す。

 メイが褒めてくれた髪は無残に引き抜かれて散らばり、肌は切り刻まれて赤い肉がはみ出ている。


 届かないのは分かっている。

 それでも最期に友人に伝えたかった。 


(お願い、メイ

 に げ て)


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