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きみのため  作者: 甘楽
3/8

(つっっまんねぇ女)


 俺は阿白河病院の白い廊下を歩きながら先程のミヤの顔を思い出し、唾を吐きたくなる気持ちをぐっとこらえる。

 確かに顔立ちは整っているが、如何せん暗すぎる。

 特にあの長い黒髪。昔のホラー映画かよ。


「『進捗は八割方完了』、と」


 俺はスマホを取り出して友人の倉田にメッセージを送る。

 勿論ミヤの事だ。

 実際は八割以上ってとこだろう。

 あと一押しすれば、完全に俺のものだ。


 彼女が俺に惚れているのは知っているが、向こうの性格が軟弱すぎる。

 あれは、急いで押したら気後れして距離を置くタイプだ。

 だから少しずつアプローチして、反応を見る。

 できれば彼女からこちらに近寄ってくるのがベスト。


(っはー、めんどくさ。

 あんな女のどこが良いんだか)


 それでも学年のみならず、我が学園で一位二位を争う競争率の高い女だ。

 顔もスタイルも良い。

 俺のタイプとは真逆なのが辛いところだ。


(くだらねー女と付き合って自分の価値を落とすくらいなら、ミヤを手に入れて価値を上げる方が賢いってもんだ)


 あの女の事だ。

 どうせ浮気の一つや二つくらいなら何も言わないだろ。


 スマホが震える。

 倉田からの返信だろう。


「ぷはっ」


 『上手くいったら俺にも貸して』とのクズな返信に、思わず吹き出す。

 咳払いでごまかして、ポケットにスマホを押し込んだ時だった。


「神田君」

「んあ?」


 後ろから少し高めの声を掛けられる。

 肩越しに振り向いた俺の視線の先にいたのは、先程までミヤの病室にいた田島だ。

 左足にギブスを嵌めた彼女は杖を突きながら俺に近寄ってくる。

 パート帰りに自転車に追突された、と話していたかな。

 怪我を思わせない笑顔の田島に、俺もにこやかに返事をする。


「田島さん、足大丈夫なの? 無理して歩いちゃだめだよ」

「あら、ご心配ありがと」


 栗色の髪の毛を軽くまとめて薄化粧、しかも病院着という出で立ちなのに、彼女からは生気があふれ出ている。

 じぶんのことを「おばちゃん」と称するが、それに違和感を覚えるほどに華がある。

 歳は随分上だが、俺はミヤよりもこういう女の方が断然タイプだ。


「ね、ジュース奢るから、おばちゃんの話に付き合ってよ」


 願ったりかなったりだ。

 女としてタイプなだけじゃなく、こういう人間とは話しているだけで楽しい。


「マジで?

 付き合っちゃう付き合っちゃう」


 俺は彼女と並んでゆっくりロビーの方に向かった。





「へ、虐待?」

「しっ!」


 迂闊に出てきた俺の言葉を止めるように、田島が指先を俺の唇に近づける。

 良い匂いがした。

 連日の事故の後片づけに追われているのか、ロビーには俺たち以外職員すらいない。

 きっとそれが分かっていたから、田島は俺をここに誘ったのだろう。

 でもできればもっと楽しい話が良かった。


「ミヤちゃん、友達もあまりいないし、もうご家族もいないでしょ?

 でも神田君はミヤちゃんと親しいみたいだし、イイ感じみたいだから。

 ミヤちゃんのために、知っておいてほしいの」

「ミヤ、虐待されて足を骨折したのか」


 眉をしかめて辛そうに言ってみた。

 実際可哀そうだとは思うけど、それ以上にどうでもよかったし面倒くせぇって思っていたけど。


「看護師の曽根さんって覚えてる?」

「前に自殺しちゃった美人さんでしょ?」


 初めてミヤの見舞いに来た時に、ちょうど彼女の検査をしていた看護師だ。

 まだ二〇代前後で若いが、田島のように活力があり色っぽい女だった。

 田島は神妙そうに頷く。


「院長先生と曽根さんが言い争っているのを聞いちゃったの。

 虐待って分かったら警察に報告しなきゃいけないんだけど、それをするかしないかでもめていたみたい。

 私もすぐに離れちゃったから詳しくは聞いていないんだけどね。

 だから、ミヤちゃんの支えになってほしいの」


 はぁ、そういうこと。

 友達以上恋人未満という停滞状態を、困難というスパイスで味付けしようってことね。

 そりゃ本当に好き合ってりゃアリかもしれないけど、そういうわけじゃないしなぁ。

 なんてことはおくびも見せず、俺はいつも以上に真剣な顔をして見せる。


「大丈夫だよ、田島さん。

 言ったろ?

 俺がミヤを守るって」

「まぁ。

 神田君みたいな男の子にそんな風に言ってもらえるなんて、ミヤちゃんは幸せだわ」


 田島は自分の事のように幸せそうに笑う。

 うーん。

 この人がもう少し若くて既婚者じゃなかったらマジで手を出していたかも。

 でも流石にオバさんと付き合ってるのがばれたら、俺の価値は駄々下がりだ。


「この事、ミヤちゃんには内緒ね。

 勿論他の人にも」


 田島がしーっと自分の唇に人差し指をあてる。

 俺はそんな田島が立ち上がるのを助けるように手を伸ばして


「勿論。

 ミヤが傷つくところなんて、見たくないから」


 彼女の柔らかい手を取った。





 阿白河病院の入り口を過ぎて田島の視線が消えたところで、俺はスマホを取り出す。


 そして『新情報!』と倉田に短くメッセージを入れる。

 なんて書こうか少し迷って『ミヤが虐待児だった』そう打ち込んで、一旦消す。

 あんまりおもしろくないし、伝わらなそうだ。

 俺は少し考えて、『俺の彼女(仮)が殺人犯かも』と打ち込み直した。

 きっと倉田はどういうことかと返信で聞いてくるだろう。

 そうしたら、『ミヤの死んだ親父ってミヤを虐待してたんだって。アイツが事故に見せかけて殺したとか、有り得るくね?』と返してやろう。


(あれ、これって本当に有り得る話じゃないか)


 書きながら俺は思った。

 ミヤは彼女の周りで起こった死に異常なまでに怯えていた。

 そりゃ怖いとは思うけど、事故とか自殺だったらある意味仕方ないのに。

 彼女の態度は悲しみよりも、恐怖に近い気がした。


(確かミヤの親父は、二階の喫煙室の窓から落ちたんだよな)


 喫煙室だからそりゃ臭いだろうし、窓は開けたくなるだろうけど、そこから落ちるってどういう状況だ?

 もし自分を虐待している父親が無防備に窓際で外を見ていたら……?


(マジでミヤの奴、親父を殺っちゃったんじゃね?)


 自分の推理に確信をもって、俺はスマホの画面を見る。

 倉田に送信しようと画面に触れようとする。


「え?」


 その画面の真ん中が水滴で見えなくなる。

 雨かと思って拭おうとしたら、それが指の後を引きずって伸びる。


「うわっ」


 指を見ると、粘着性のある赤い液体が付いていた。

 鼻血かと思って鼻を拭うが、そこには何もついていない。


 じゃあ、どこから?

 いや待て、その前に。


(何で、こんな真昼間なのに、誰もいないんだ……?)


 指先の赤黒い液体から目を上げるが、病院から出た通りには誰もいない。

 目の前の道路にも、車一台通っていない。

 この病院に入ってくるときは、途切れることのない喧噪の中を縫ってくるほどだったのに。


 急に空気が、世界が変わったかのように感じる。

 息を吸うと肺が重たい。


(なんだよ、コレ)


 今は耳が痛くなるくらいの、静寂。


 そこに一つの音が鳴る。

 水滴が地面を弾く音だ。

 本能で、それが自分の指についているモノと同じだと確信する。


 そのうちの一つが、スマホの画面をまた赤く染める。


「……の……、め」

「っ!」


 真後ろから、くぐもった声が聞こえる。

 反射的に振り向く。


「ひっ」


 目だ。


 鼻先ほどの距離に、目。

 瞼がはがれて剥き出しになった白い目に、長い前髪が赤い液体の糸を引いてへばりついている。


 ソレが、人間に一部だと理解できずに、俺は動きを止める。

 ソレは、人間だ。

 俺と同じくらいの背丈の、人間。

 いや、違う。


 人間ではない。

 人間だったもの、だ。



 思わず一歩後ずさる。

 身を引いて気付いた。


 目だけじゃない。

 ソイツは顔も、体も、何かですり下ろされたように、皮がめくれ上がり、赤い肉が露わになっている。

 擦り切れた喉が藻掻くような音を立てている。

 骨がむき出しになった足を引きずって、ソイツは俺の方にずり、と近寄る。


 辺り一面に、腐った魚のような臭いが充満している。



 これは、駄目だ。

 駄目だ。


 見てはいけない。

 聞いてはいけない。

 理解してはいけない。


 ソイツは、俺の方に手を伸ばす。

 その指先は半分以上欠け、中から白い骨が突き出している。



「うわぁああああああああっ!」 


 触られてはいけない。

 ここにいてはいけない。


 俺は半狂乱で声を上げる。


 先程までの思考も何もかもを放棄して、俺は全力でソイツとは逆方向に走り出す。


「ぐがっ!」


 踏みしめたはずのコンクリートが、ずるりと滑る。

 バケツで水を撒いたように、どろりとした血液が俺の足元まであふれている。

 それに触れたくなくて引っ込めた腕が仇となり、わき腹からコンクリートの道路に落ちる。


 ……道路?



 一瞬、カメラのフラッシュに当てられたかのように、強烈な光が走る。

 それから、頭を殴るように響く断続的なクラクション音。


「え?」


 クラクションの音の方を振り向く。

 銀色の、鉄の塊。

 地面をタイヤが強くこする音がした。


 さっきまでいなかった歩道の歩行者たちが、俺の方に人差し指を向けて何かを叫んでいる。



 逃げろ

 危ない

 轢かれるぞ



 大きな銀色の塊は、既に俺の眼前に迫っていた。

 そして、見上げていた青い空を覆い隠す。

 

 それが俺の身体にめり込んできた時はじめて、その鉄の塊が近所でよく見る引っ越し業者のトラックだと気付いた。





(あいつ、俺は知っている)

(知ってるけど)


 薄れていく意識の中で、俺はさっきのヤツの事を考えた。

 自分の血の海に溺れている俺は、きっとさっきのヤツと同じような姿になっているだろう。

 それを確かめる術は、もうないが。


 だけど、本当に、アイツは。


(なんで、俺を……?)



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