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VRマヤ人VS俺

作者: もり

2年ほど前に書いたものですので、ちょっと古いです。


 近ごろ、やたらと新惑星発見だの、地球外に生命がどうのだの、さらには素粒子がどうのだと世間が騒がしい。

 だけど今さら何言ってんだ? って感じ。

 新惑星も素粒子も、太古の昔からそこにあったんだから。

 それも現代人は忘れてしまっているだけで、古代人はちゃんと知っていた。

 だからピラミッドは寸分の狂いもなく造られたし、ピリ・レイスの地図には南極大陸の海岸線だって描かれているし、マリ共和国のドゴン族に古くから伝わる神話にはシリウスの連星についてだって語られているんだ。


 要するに、宇宙人はいる。

 いや、正確には「地球近くにもいた」と言うべきか。

 遥か昔、移住先を探してやって来た宇宙人は、母星に近い星を見つけたのだ。

 だがその星――地球上には邪魔な存在が闊歩していた。

 それが恐竜だ。


 宇宙人は考えた。

 この邪魔な生物を絶滅させるにはどうすればいいのか。

 核のようなものを使用すれば簡単に一掃できるが、それでは他の生物も――自分たちまでもが生きるに難しくなってしまう。

 では、どうするか。


 宇宙船の中で考えた宇宙人たちは話し合い、すぐに方法は決まった。

 気候変動を起こせばいいのだと。

 地軸を少しばかり傾ければ簡単である。

 方法はできるだけ自然にということで、小惑星を隕石として地球にぶつければいいのだ。

 宇宙人たちは半ば面白半分に、その辺の宇宙空間に浮遊していた小惑星を地球へと向けた。

 恐竜の絶滅は簡単だったが、誤算もあった。

 思ったより地軸が傾きすぎ、超氷河期が訪れたのだ。

「もっとちゃんと計算しないからー」とか、「え? 俺のせいかよ」とか、「いやいや、これもある意味ありでしょう」などと宇宙人たちは話し合い、しばらくは地球の観察を続けた。


 その間、氷河期を生き延びた生物たちは進化していく。

 宇宙人にとって地球はかなり面白い実験場だった。

 氷河期の中、必死に生き延びようとする種族にたまに遺伝子操作を行い、進化を助ける。

 そして誕生したのが人類だ。

 これも何度かの失敗を繰り返し、知能を得たサル――主に人間の観察を続けた。


 しかし、一部の宇宙人は特に人間に肩入れして、知識や技術を与えたりもしたらしい。

 やがて絶滅していく種、さらに進化していく種の中で、ついに人間は地球上の生物の頂点に立った。

 やはり、どんなに大きな体も、鋭い爪や牙も、知恵には勝てないのだ。

 人間は氷河期を乗り越え、洞窟に隠れることをやめ、太陽の下、集団で暮らし始めた。


 ただし、当然の如く争いは起こる。

 雄ライオンがメスの群れを得るために、サルの群れがボスを決めるように。

 また縄張り争いをする。

 実に動物的行動だった。

 中には宇宙人たちへ少しでも近づきたいと憧れ、空の向こうにはきっと理想郷があるのだと、高い高い塔を建て始めた。

 そのことに気付いた宇宙人は呆れた。

 なぜなら、地球には雷がある。

 まだ避雷針の知識を持たない彼らの塔は、きっと近いうちに雷を受けることになるだろうと。


 そして、その通りになった。

 それを神の――宇宙人の怒りだと右往左往する人間たちを、憐れみを込めて宇宙人たちは見守っていたらしい。

 人間にも様々な性格の者がいるように、宇宙人にも様々な考えの者がいる。

 その事件をきっかけに、人間の知恵とは所詮こんなものかと地球から去っていった者もいたらしい。

 あまりにも一人の人間に肩入れしすぎて上司から怒られ、謹慎処分を受けたりする者もいたとか。

 酷い話では、戦争を始めた人間同士の間に宇宙人が入り、肩入れしていた部族の敵方に小さな核爆弾を打ち込んだらしい。

 それはもう大事件だ。


 一夜にして、核爆弾が落ちた周辺は塵と化し、その周囲さえも放射能によって生物たちは息絶えた。

 ただ地球全体を破壊するようなものではなかったことだけが幸いだったが。

 核の影響はカッパドキアや、モヘンジョダロから出土した融解した遺物からもわかる。

 まあ、頭の固い科学者たちは宇宙人の存在自体を否定しているし、いわゆるオーパーツも現代人の作為的なものだと信じて疑わない。


 馬鹿だよな。

 もしアレクサンドリア図書館が現存していれば、ほとんど古代の謎は解けたというのに。

 他にも戦争で失った資料はたくさんある。

 話は逸れたが、この事件をきっかけに宇宙人たちは反省し、もう地球への干渉はやめようと別の惑星へ旅立っていったってわけだ。

 と言いつつ、物好きな宇宙人はたまに気になって遊びに飛来していたようだけど。


 それで、ここまで偉そうに語ってる俺は何なんだって話だが、俺はいわゆる超能力者だ。

 はい、きた。

 こいつ、やばいって思っただろ?

 そもそも何一人で語ってるんだってことだ。

 でも、別に俺は一人でぶつぶつ呟いているわけじゃない。

 傍から見れば、イヤホンして電車に乗ってる普通の男子大学生だ。

 残念ながらイケメンではない。ただしフツメンくらいには思っている。

 だからどうか、この声が聞こえる人はビビらないでほしい。


  声・聞こえていますか。


 俺は今までに何度も話しかけている。

 誰にってわけじゃない。

 ただこの声が届く人がいないかと思っているだけだ。

 これだけ電車に人がいれば、大学の大講義室で講義を受けていれば、盆と正月に開催される聖地に行けば、一人くらいは俺の声を受け止めて返してくれる人がいるんじゃないかって期待してしまう。


 たぶん、このまま本当に声を出してしまえば、きっと俺は〝電波〟ってやつに分類されるんだろうな。

 でも別になんとか星からかぼちゃの馬車に乗ってきたわけでも、なんとかランドの王子でもない。

 ただの善良な一般超能力者だ。

 超能力と言ってしまえば、頭の固い科学者はすぐに否定するだろう。


 だけど素粒子だって言えばどうだ?

 現在、素粒子の研究はどんどん進んでいるから、いくつかの謎は頑張ればいつか解明されるだろう。

 だけど、全ては無理だろうな。

 だって、世の中には絶対なんてことはないんだから。

 いつか絶対、地球は滅びるとも言えないし、滅びないとも言えない。

 人類も然り。

 地球上で生きていくことは難しくても、近い将来には宇宙へと生活場所を変えていくことによって生き延びるかもしれない。

 たまに宇宙人は未来の地球人だなんて説もあるが、それを俺は否定もできない。


 ただ俺は願う。

 この孤独を分かち合える人がいればと。

 もちろん俺にだって家族もいれば友達もいる。

 好きなマンガの話で盛り上がれば、課題の多さに盛り下がったり、家に帰って家族とご飯を食べて、生意気な妹のどうでもいいおしゃべりを聞かされたりしている。

 毎日は何だかんだで充実していると言っていい。


 だが時折、夢を見る。――この地球の記憶を。

 よく地球は生きているって表現する人がいるけど、その通りで、しかも地球は夢も見るのだ。

 その夢に俺の夢が同調してしまう。

 楽しい夢もあれば、とある種が絶滅していく瞬間、人間同士の醜い争い、新しい命の誕生。

 それらを地球は全て記憶し、俺のような者に寝物語のように見せる。

 それなのに俺は、見ることしかできない。感じることしかできないんだ。


 もっと力があれば――超能力者として、たとえば時空を超えることができれば、何かもっとできたのに。

 いわゆる念動力なるものが使えれば、もっと世間の役に立つことができたかもしれない。

 要するに俺は、地球の記憶を見ても、ただ涙を流すことしかできない役立たずだ。

 俺の超能力は世間一般ではテレパシーとか念話とか呼ばれるものだけど、世間が言うほどに人の考えが読めたって何もいいことはない。

 むしろ知らなかったほうがいいことのほうが多い。


 俺のこの念話は一方通行だ。

 いつも誰かの思考――人間に限らないが――が流れ込んでくるだけで、俺の思考は誰にも伝わらない。

 政治家が「秘書がやったことです。申し訳ございませんでした」と頭を下げながら、心の中では舌を出して笑っていることがわかっても何もできない。

 俺のことが好きなのかなって感じていた女子が、実は俺の友達が好きで、少しでも近づきたいからって理由で俺と仲良くしていると知った時の微妙な気持ち。


 テレビに出て、「あなたの考えていることがわかります」なんて言ったって、手品だインチキだって叩かれるに決まっている。

 数十年前なら俺だって、天才超能力少年として一世を風靡し、もてはやされただろうになあ。

 今なら間違いなくSNSなどで、「嘘つき野郎」とか「目立ちたがりのキモ野郎」とかリツイされまくるだろう。

 そんなこんなで、俺、仲間募集中。求ム、孤独な超能力者(テレパシーが使える人)。


 えーっと。感情が先走りすぎて、取りとめもない話になってしまったので整理しよう。

 まず俺は超能力者だ。

 能力はテレパシー。

 たぶん、一番ポピュラーで多い能力なんじゃないかと思ってる。……まあ、同類に出会ったことは一度もないが。

 他には瞬間移動とか、時空移動――これは瞬間移動の亜種かなと思うが、念動力なんてものもあるはずだ。


 なぜ、〝あるはず〟といった曖昧な表現をするかというと、やはり出会ったことがないからだ。

 それでも昔から超能力の一種として言われているのだから、あるはずなんだ。

 直接出会ったことはないが、俺の中に入り込む記憶の中には実際にいたとある。


 さて、ではいよいよ本題に入ろう。

 さっきから俺は簡単に超能力と言っているが、では超能力とは何か?

 答えは簡単。――素粒子だ。

 今現在、素粒子と呼ばれるものは、十七種類あるが、本当にそれだけだと思うか?

 光子や数年前に話題になったヒッグス粒子やニュートリノなんてものもある。

 宇宙は数多の素粒子で構成されていて、俺たち有機物だって無機物だって、突き詰めれば素粒子だ。

 そして素粒子は物質を通り抜けたり、瞬間移動と呼ぶにふさわしい運動をする。


 要するに、素粒子レベルで考えれば、超能力はあり得るってことだ。というか、あるんだよ。

 ただ、まだ人類は素粒子研究の入り口に立ったにすぎない。

 だからこそ、タイムマシンは存在しないし、どこでにでも行けるドアだって存在しない。

 これらの研究は、専門家に任せればいいと思う。

 俺にとって素粒子は、未知なるものでもなく、空気と同じような感覚で、わざわざ研究しようと思わなかったのだから、俺の専攻は人類文化学だ。


 特に勉強しているのは中南米。

 人類誕生の地と言われるアフリカも気にはなったんだが、言語の壁が厚そうなのでひとまずは英語とポルトガル語でどうにかなりそうな中南米にした。

 と偉そうなことを言っているが、英語もポルトガル語もカタコトで旅行者レベルだ。

 毎日必死に勉強している俺よりも、スマホだか何だかのアプリで翻訳してもらったほうが早いっていう悲しい現実がある。

 最近の人類の進化は目覚ましいよ。


 あー、また話が逸れている気がする。

 俺の専攻はどうでもよくて、俺の超能力――テレパシーと素粒子の関係だ。

 要するに、人類がまだ発見していない素粒子の中に――俺が勝手に名付けるなら〝思念〟という素粒子が存在する。

 よく〝思念体〟なんて言葉を耳にするかもしれないが、あれがいわゆる〝幽霊〟の正体だ。

 幽霊の正体は素粒子でした。――って、科学者たちも霊能力者たちも怒りそうだけど事実だ。


 俺たちは光を感じることはできるが、光子を直接目で見ることはできない。

 素粒子ってまあ、そんなものだよな。

 バカ高い機械を使えば見えたり測定できたりするようだが、そのあたりは専門家に任せるとして。

 ただ俺たちは光の存在を知っているから、光子の存在を信じている。

 それと同じように、俺たちはその存在を知っているのに、明確な正体を知らないものがあるのはわかるだろうか?

 それが〝心〟だ。


 体を動かすのは脳からの信号だってことは誰でも知っているだろう。

 針の先が指に刺されば、痛みを感じる神経が慌てて脳に信号を送り、また脳からの信号が指先の筋肉を動かして針から遠ざける。

 これは簡単だ。

 しかし、感情はどうなんだ?

 楽しいと感じれば、脳は笑うように信号を送り、悲しいと感じれば、脳は涙を流すように信号を送る。

 他にも怒り、苦しみ、恨み、喜びなんて感情がある。

 その感情を、人は〝心〟と呼ぶけれど、では心は脳の中にあるのか?


 英語で〝Heart〟って単語には〝心臓〟とともに〝心〟とも訳される。

 要するに悲しいと〝胸が痛み〟嬉しいと〝胸が躍る〟。

 これは脳が信号を送り鼓動が早くなるからだけじゃない。

 そもそもなぜ脳が信号を送るんだ? ってことだ。

 心の臓器と書くのも、単に体の中心になる臓器だからではなく、心臓は素粒子の〝思念〟が数多く集まっているからだ。

 悲しみに体が張り裂けそうになるのは、悲しみの思念が心臓から体中に送られ、そこから飛び出していくからだ。


 そう。素粒子が物質を通り抜けるように、〝思念〟も物質を通り抜け、瞬間移動もする。

 悲しみ、恨みが強いほど、思念の素粒子は消えることなくその場にとどまり続け、いわゆる〝幽霊〟となったりする。

 勘のいい人は――視える体質の人は見てしまう。

 テレビに出ている大半の霊能力者は偽物だと思うが、たまに本物もいると思う。


 実際に画面を通してくっきりと見えていたものが、消えて――成仏していくのを小さい頃に目撃したことがあるからだ。

 だから俺は、他にもこの〝思念〟をはっきりと感じられる人がいると信じている。

 ちなみによく言われる〝第六感〟だの、〝虫の知らせ〟だのも、〝思念〟が原因だ。

 俺は素粒子そのものに興味はない。

 ただ、素粒子である〝思念〟が見せる、人類の歴史には興味がある。


 その中でもエジプトやギリシャ、ローマを選ばなかったのはよくわからない。

 きっとあの文明のほうが、人類の歴史を知るにはわかりやすかったと思う。

 ただなぜか俺は中南米を選んだ。

 これもまた第六感ってやつで、理由はわからない。

 だけどまあ、面白くやってる。ただ気軽に現地に調査に行くってことができないのは残念だけど。


 ああ、今日も一人語りで通学を終えてしまった。

 俺ってマジでただの〝電波〟なんじゃと思う今日この頃。

 街中に溢れる〝思念〟もただの幻聴で、たまに見える〝幽霊〟もただの幻覚。

 今、俺の目の前を歩いているお姉さんが、俺のことをストーカーか何かだって考えて怯えているのもただの俺の妄想。

 そうだったら、どれだけいいか。


 あ、お姉さんが走り出した。

 大丈夫。俺は追ったりしないから。勘違いですよ。自意識過剰ですよ。

 でも日頃から警戒心を持つのはいいことだと思う。


「――ただいま」

「おかえり、比呂。ご飯はまだでしょう?」

「うん。でもそんなに食欲ないから、ご飯は少しでいい」

「そうなの? 何か食べてきたの?」

「いや、そこは体調を心配するとかさあ。まあ、研究室でおやつ食ってきたからだけど」

「でしょう? お母さんはちゃんとわかってるんだから」

「へいへい」


 普段の俺はできる限り思念をシャットアウトするようにしているので、めったに人の考えを知ることはない。

 たまにすげえ強い念は入り込んできて嫌な気分になるけど。

 それとは別に、母親って人種はなぜこうも子供のことをわかっているのかと疑問に思う。

 そのくせ、ずけずけと入り込んできて、言ってほしくないことを言ってくる。


 ご飯を食べてソファで寝ころんだまま、テレビを適当に見ていたら、部活を終えた妹の咲良が帰ってきた。

 そして有無を言わさず、チャンネルを変える。

 おい!

 まあ、特に見たかった番組でもないからいいけど、どうにも咲良はこの家で暴君だ。

 父さんなんて下僕と化している。


 風呂でも入りたいところだが、いつの間にか一番風呂は咲良というルールができてしまったため、俺は自分の部屋に戻った。

 勉強机の前に座ってノーパソを開いたものの、課題をやる気にもなれず、結局はベッドに転がってスマホをいじる。

 ゲームにはまったく興味がないので、スマホのゲームも始めてはすぐに放置でアンインストールするばかり。

 よっぽどネットニュースを見るほうが暇つぶしになるんだが、ゼミではゲーム好きもけっこういて、スマホだけでなく家庭用ゲーム機ってやつの話題も事欠かない。

 最近ではバーチャルリアリティ――家庭用VRゲームも発売されたとかって。


 すげえな。

 人間は五感の中でも特に視覚と聴覚に支配されているらしいから、簡単に作り物の――ゲームの中に入り込んでしまえるわけだ。

 昔は多くの人が俺のように〝思念〟を感じることができたようで、宇宙人との交信もできたらしい。

 だが、先にも言ったように宇宙人は去っていき、実験場としての役割もなくなった今、宇宙人と交信することもなくなった人類は第六感である〝思念〟が退化していった。

 だからそのうち、第五感の嗅覚や触覚、味覚も衰えていくんだろうな。

 現代人はもうすでに味覚が退化しているらしいが。


「終末時計かー」


 スマホ画面から〝終末時計〟の文字を見つけて、つい声に出してしまった。

 普段は色々と考えても口にしないようにしているせいか、一人で部屋にいるとつい独り言を呟いてしまうんだよな。

 そろそろ〝電波〟認定されてもしかたないかもしれない。


 それにしても、終末時計とやらが米ソの冷戦時以来、久しぶりに三分を切ったとかって世間は騒いでいるが、こんなものはまやかしでしかないと思う。

 人類は有史以来時間という概念は持っていたが、きちんと時計として時間を管理し始めたのは記録に残るだけで紀元前二千年前に遡る。

 日時計だ。

 人類はなぜ時間を管理しようとするのだろうか。

 それは時間には限りがあると知っているからだ。


(そういや、古代マヤ人は人類の終末を予言して、姿を消したんだっけな……)


 何気なく俺はそんなことを考えながら、眠りについた。

 風呂には入らずに。


   * * *


『見つけた! やっと、やっと見つけた……!』


 夢の中、聞いたことのない女の声がする。

 何を見つけたのかよくわからないが、俺が今見ている夢はマヤ遺跡だ。

 寝る前に考えてたからな、なんて冷静に考えている俺の意識は高い場所にある。

 場所はたぶん……パレンケ遺跡か?


 いや、正確には〝遺跡〟じゃない。

 今現在、マヤ人たちが住んでいるようだ。

 これは俺の推測にしかすぎないが、素粒子の中には瞬間移動や物質を通り抜けるものがあるように、時間さえも――過去、現在、未来と行き来できるものがあるのだと思う。


 かの有名なアインシュタインが小難しく語っていたが、要するに光の速さを超えれば時間さえも超えることができると。

 タイムマシンなるものの完成だ。

 昔からよく、人間が想像できるものは全て可能になる、なんて言われているが、あれは想像しているものを可能にしているんじゃない。


 人類の奥深く、今は使われていない脳のどこかの部分に眠った記憶が、想像という形で表れているにすぎない。

 その記憶とは要するに、まだ宇宙人と交流を持っていた時代の記憶だ。

 宇宙人はタイムワープしてこの地球にやって来たんだから、その記憶があってもおかしくはない。

 さらには未だに地球人が宇宙人を――知的生命体を発見できないでいるのも、地道にピコンピコンと探索機を宇宙へと向けているからだ。

 あれじゃ何万年経っても、我らが始祖である宇宙人には出会えないだろう。

 いや、始祖という言い方は少々語弊があるかもしれない。


 どこかの聖書に〝神は自分に似た人類を創造した〟ってあるように、彼らは地球にいた類人猿に自分たちの遺伝子を加えて――要するに遺伝子操作によって人類を誕生させたんだ。

 だからタイムワープだけでなく、どっかの星の戦争なんて映画のシーン、あれは遺伝子の記憶であり、大げさに言えば、我々人類の故郷の話だろう。

 だからこそ、心揺さぶられるものがあり、ヒットしたんだと思う。


 それでだ。

 俺がマヤ文明をはじめとした中南米の文明に興味を抱いたのは、一番に彼らの思念が強く感じられたからだ。

 すげえ安易な考えではあるが、過去の思念があればそこから文明の謎を解くのも簡単で、上手くいけば世紀の大発見なんてして、どこかの雑誌の表紙に取り上げられたり、一躍時の人となれたりして、なんて邪な気持ちからだとはっきり言おう。


 ただし、某オカルト系雑誌は遠慮したい。

 途端に眉唾ものになってしまいそうだから。

 どうやら思念というのは意識してシャットアウトしている昼間より、無防備な寝ている時のほうが感じやすいようだ。

 当たり前といえばそうだが、意識していてもマヤ人の思念なんて、そうそう受け取れるものじゃない。

 現地に行けばまた違うかもしれないが、何せ資金もないし、治安に不安がある。


 基本的に俺はビビりだ。

 だから、これだって確信が持てるまでは、さらには助手とかって立場でなく、自分が代表として発掘作業をできるようになるまでは、世紀の大発見もお預けである。

 だって、手柄を横取りなんてされたくないし。


 ずいぶん話が逸れてしまったが、俺が夢で見ているのは、実際にマヤ人が生活している現場だ。

 正直に言うなら「すごい」の一言。

 わかってはいたが、マヤ人たちの文明はかなり高度だ。

 確かにテレビもラジオもない。ついでに言うなら電気もなく、洗濯機や車もない。


 一見、不便そうに思えるが、まったくもってそうは感じない。

 実際には耕運機もチェーンソーもないので、森を開墾するには手作業に近いものがあるが、なぜか彼らは易々と斧や鍬を扱っている。

 普通の斧や鍬に見えるのに、何か仕掛けがあるのか?

 ちなみに彼らは生きていくために食物を育て、交易を行うために道を切り開いている。

 これだけだと、歴史学者たちが唱えている説と何ら変わりはない。


 ただし、徹底的に違うと言えるのは、前回の夢で気付いたことだが、彼らは現代人と違って〝思念〟を自由に操れるのだ。

 要するに、テレパシーと言われるものを誰もが操れるので、遠くの人間と会話もできる。

 〝死〟は彼らにとって現世との永遠の別れではなく、正確にはただ〝肉体〟との別れなのだ。

 だから彼らは死を恐れない。


 もちろん素粒子である〝思念〟もいつかは消え果てる。

 だが、半永久的に存在することだって可能じゃないのか。

 これはたぶん条件が重なればってことだけど。

 そしてその条件をマヤ人たちは知っている。

 そのせいか、マヤ人の思念は今もうようよと遺跡の辺りをさまよっている。

 たぶん視える人が視れば、幽霊がいっぱい! なんてことになるだろう。


 しかし、今現在あの地に住んでいる人たちは、視えたからといって騒いだりしない。

 祖先の霊として、丁重に崇めているだけだ。

 日本の落ち武者のように恨みや未練を残して死んだわけではないので悪霊――邪悪な思念体となっていることもない。


 ここで疑問なのは、マヤ文明では生贄の儀が行われていたのに、なぜ誰も恨みに思っていないのかってことだ。

 科学者だか考古学者たちは、彼らは生贄に選ばれることは名誉とされており、麻酔もなく神官たちに四肢を押さえられ、鋭く磨いた黒曜石で心臓を取り出されたとか。


 実は正解だったりする。

 色々な文献で知ってはいたが、初めて俺が夢で見た時は目を覚ました瞬間、トイレに駆け込み吐いた。

 だが人間、ありがたいことに慣れる。

 何度か見るうちに、次第に平気になっていき、次には細部を観察するようになった。


 彼らは生贄に選ばれたことを栄誉と喜び、胸に黒曜石を突きたてられた時には痛みに悶え苦しむが、すぐに意識を飛ばし――思念となって肉体から抜け出す。

 そして解体される? 自分を嬉しそうに見下ろしているのだ。

 すげえよ、マヤ人。


『ねえ、ちょっと! さっきから話しかけてるのに、無視しないでよ!』


 ああ、また頭の中で声がする。

 ずっと無視していたのに、何度も話しかけてくる。

 こういうのはあれだ。たぶん、その辺を漂っている思念体――いわゆる浮遊霊だ。

 応えたら懐かれるので、無視するに限る。


『失礼ね! 誰が浮遊霊よ! 私はしっかり生きているわよ!』


 はいはい。幽霊っていうのは、いつまでたっても自分の死を受け入れられないんだよな。

 それで生きている人間に必死にアプローチして、勘のいいやつが気付いてしまう。

 心霊現象っていうのは、そういうことだ。


『だから違うって! 私は本当に生きているの! というか、正確に言えば今の私は未来の私なの! 思念で時間を超えてきたって言えば、わかりやすい?』


 おっと、これは新しい。

 彼女の言うことが真実なら、俺の説が実証されるな。


『ちょっと。わかっていると思うけど、その考え、だだ洩れだから!』


 だよなあ。

 ということは、それっぽく思わせるために俺の考え――思念を読み取って、嘘を言っている可能性もあるわけだ。


『いいわ。信じないなら、信じさせてみせるわ、ホトトギス』

『どこの秀吉だよ!』

『あ、やっと応えてくれた!』

『うわ、しまった……。最悪。これで俺は憑りつかれてしまう……』

『ふっふーん。まあ、後悔はさせないわよ。何度も言うけど、私は幽霊ではないから。未来から思念を飛ばしているだけだけど、今現在の私も存在しているから、はっきり言えば生霊?』

『怖えよ!』

『まあまあ、そう身構えないで。今、あなたはマヤ文明の中にいるわよね?』

『うわ! 俺の夢を覗いていて、なお話しかけてくる。ストーカーか!』

『そうね。やっと、私の声――思念をきちんと受け取ってくれる人を見つけたんだもの。逃がさないわよー』


 ああ、最悪だ。

 この手の思念はそのうち自分が神だとか何だとか言い出すんだよ。

 そう思ったけど、残念。しっかり相手に伝わってたよ。


『失礼ね! 私は別に神だとは思っていないわよ! ただ、神を倒してほしいだけ』

『はい、終了。やめやめ。なんだ、その中二病的発言は。むしろ自分が神だって思っててくれたほうが楽だよ。もう、お前は神! それでいいだろ?』

『よくないわよ! 今ある現実――あなたたちにとっての未来。この世界を変えるために、ずっとずっと探していたんだから。私たちの世界を変えてくれる救世主を』

『はい、救世主キター。俺、そういうの興味ないから。他をあたってください』

『他なんていないわよ。あなたほどの好条件はいないんだから! まず私の思念が読み取れる。これが一番大事。そして、次にマヤ文明に造詣が深い。これだけでどれだけ助かるか。ねえ、なぜマヤ人は突然文明を捨てて姿を消したと思うの? さっきも疑問に思ってたじゃない。どうして、あの生贄の人たちは喜んでいるのかって』

『……ひょっとして、その謎は未来ではもうわかっていて、それを教える条件に従えとかってことじゃねえだろうな? そんなもんは必要ねえよ。謎は自分で解くから面白いんだ』

『ブッブー! 違いまーす。事はそんな単純なものではないの。問題はマヤ文明の〝ロングカウントカレンダー〟の〝第六の太陽の時代〟についてなんだから』

『マジか……』


 つい真面目に答えてしまったのは、この女がとんでもない言葉を口にしたからだ。

 マヤ文明は高度な天文学を用いて――これもまあ、宇宙人から学んだことが大きいが、日常生活――宗教的儀式なども行っていた。

 その中で〝ロングカウントカレンダー〟というのは、二万五千六百四十年を時のサイクルとしている。

 それを五つに分けると、あの有名なマヤの終末予言――2012年の12月21日に人類の滅亡が始まるとかどうとかってやつだ。


 だが今現在、2017年になっても人類は地球上に存在する。

 それはロングカウントカレンダーを五つに分けた〝第五の太陽の時代〟が終わり、〝第六の太陽の時代〟が始まったからだろう。


 要するに新しい時代の幕開けだ。

 マヤ人の考えでは時は過去から未来へと流れるのではなく、サイクルする――歴史は繰り返されると考えられていた。

 ということはだ、〝第六の太陽の時代〟っていうのは、やっぱりまた宇宙人との交流が始まったってことか? なんて考えていたりもした。


『はい、一人空想に耽るのはけっこうだけど、私の話を聞いてもらっていいですかー? 私、全部あなたの思念読んでるからねー』

『うるせえよ、ストーカー!』

『はいはい、照れない、照れない。さてと、そろそろ私の存在を認めてくれてそうなので、本題に入るけど、終末時計って知ってるよね?』

『……知ってるが?』

『あれはマヤ人が考えたものよ』

『何言ってるんだ? あれはどっかの科学誌が委員会を設けて決めてるもんだろ? お遊びみたいなもんだよ』

『お遊びに違いはないけど、決めているのは現代人ではないの』

『ふーん。それで、マヤ人ってわけか。消えたマヤ人は実はどこかで生き延びていたってか?』

『正解』

『冗談だよ! いや、子孫はそりゃいるけど、マヤ人が今も生きてるわけねえだろうが!』

『肉体はね』

『……おい』


 すげえオカルトチックな話になってきたけど、馬鹿馬鹿しいと片づけることはできない。

 なぜなら思念としてなら、半永久的に存在することができるかもしれないって言ったばかりだ。

 千年以上前の思念が残っていてもなんらおかしくない。

 だってほら、日本でも「源平合戦の落ち武者の霊が!」なんてやってるだろ?

 でもそれより古い霊の話をあまり聞かないのは、やはり思念という素粒子が消滅してしまうからだと思う。

 それに「イタコ」とか「エクソシスト」とかって存在が実際にいるように、俺のような特異体質の人間は思念に憑りつかれたり、払ったりなんてしている。


『要するに、マヤ人の思念が現代人に憑りついているのか?』

『ブッブー! 惜しい! 残念ながら違うわ。だって、マヤ人はわざわざ憑りつくなんて原始的なことをしなくても、自分の思念を自在に操る術を知っていたんだもの』

『マジか……。って、ひょっとしてだけど、あの生贄にされてたやつらって、いわゆる死後の世界――肉体を捨てたあとに思念として半永久的に生きることができたのか? 選ばれたやつらってことか?』

『正解。彼らは太陽への恵みを得られるようにって原始的な、何の根拠もなく心臓を捧げたのではないの。正しくは宇宙にいる宇宙人たちへコンタクトを取るために、肉体を捨てたのよ。素粒子である思念でなら、宇宙空間にだっていけるからね。そして、宇宙人に地球の天候を操作してくれるようお願いしたの』

『それって要するに、その時代にはまだ宇宙人がその辺の宇宙空間にいたってことだよな?』

『そうね。この惑星――地球で色々な実験を行っていた宇宙人は新しい惑星へと旅立っていったけど、暇つぶしに時々この地球にやってくる宇宙人もいたのよ。その頃にはユーラシア大陸ではもう宇宙人の存在は神話としてしか残っていなくて、自分たちを特別に崇拝していたマヤ人たちを特に可愛がったのね』


 それで原始的な生活を送りながらも、高度な天文学の知識と石造建築などの技術を持っていたのか。

 すげえ納得。


『じゃあさ、あの有名なパレンケの石棺のレリーフも本当に宇宙船だったり?』


 いつの間にか俺はわくわくしながら訊いていた。

 子供のころから実は超古代文明とかオーパーツとかの類が好きで、特にコロンビアで発見されたジェット機のような黄金細工や、パレンケの石棺のレリーフには心躍ったんだよな。

 大人になるにつれ、俺の思念を感じる力は強くなり、古代に宇宙人は地球に飛来していたと知ることができてからは、あれは本物だと確信している。

 そうか。特に中南米に宇宙人の痕跡が多いのも納得できた。


『夢を持っているようだけど、違うわよ』

『なんてこった……』


 俺の長年の夢を、この女はあっさり否定しやがった。

 というか、そもそもこいつは誰だ?


『あ、そうね。私ってば自己紹介をしていなかったわ。私は少し先の未来からやってきた未来人……とでも言うのかしらね? 名前は〝マヤ〟よ』

『何の冗談だ? 本名くらい名乗れよ』

『ぜっったい言われると思ったけど、本名なのよ。よろしくね、〝ヒロ〟君』

『何で知ってるんだよ!?』

『それはもちろん、私があなたの思念を読み取れるからよ。だからヒロが小学校五年生までおねしょをしていたことも知っているわよ』

『言うなよ! そこは知ってても黙ってろよ! デリカシーのねえ女だな! しかも呼び捨てすんな!』

『あら、失礼。いつまでも引きずっているようじゃ、一人前の男になれないわよ。そこは笑い飛ばすくらいの度量がないと。それに今の私はあなたより年上だから。まあ、私のことも呼び捨てでかまわないわよ』

『未来人で年上とか、絶対俺のほうが年上だろ!?』

『まあまあ、細かいことは気にしない』


 なんだろう、このイライラは。

 って、もちろん理由は明白だけどな!

 何で夢の中でまでイライラしなきゃいけねえんだ。

 そう思っていると、マヤがまた俺の考えを読んで話しかけてきた。


『あのね、確かに今は夢の中だけど、現実でもあるから。昼間はほら、ヒロって思念をできるだけシャットアウトしているでしょ? だから、私の思念が届かなかったの。もう一つ言うなら、ヒロはけっこう自分の思念を受け止めてくれないかって探していたみたいだけど、それ、かなり確率低いから』

『夢がねえ』

『だって、現代は思念ってほとんど一方通行状態だから』

『一方通行?』

『そう。思念にも種類があって……簡単に言うなら送思念と受思念。古代人はバランスよくどちらの思念も体内で生成していたんだけど、いつの間にか送思念――自分の気持ちを発散させるだけの思念しか生成できなくなった人が増えたの。これって、ちょっとした現代病だと思っているわ。自分の気持ちばかりを押し付ける自分勝手な人が増えたんだってね。私やヒロのように送受どちらの思念も生成できる人間はほとんどゼロに近いのよ』

『ふーん……』


 気乗りしない返事をしながらも、悪い気はしなかった。

 救世主なんて御大層なもんになるつもりはないが、ちょっとばかりの優越感とでもいうか……って、結局、マヤは何が言いたいんだ?


『ああ、ごめん。すっかり話が逸れてしまったわ。それに、さっき否定したことも、全てを否定したわけじゃないの。パレンケの石棺のレリーフについて否定したのよ』

『じゃあ、やっぱり夢ある宇宙船っていう説はないのか……。今ではすっかり定着している地下、地上、天上世界を表したってことだよな?』


 あのレリーフは横から見れば、あたかも宇宙船を操縦するパカル王に見えるが、学者が言うには縦に見るそうだ。

 下から解説すると、彼らの神話に登場する〝地の怪物〟がパカル王を呑み込もうとしながらも、パカル王は十字架にしがみついているように見える。

 この十字架は〝生命の樹〟と呼ばれるトウモロコシで、双頭の蛇が巻き付いており、一番上に農耕の神である〝ククルカン〟が天上世界から見守っているという感じか?

 実に納得できる解説であり、おもしろくない。夢がない。


『がっかりしているけど、私は宇宙船じゃないって言っているだけで、それが=現状の説って言っているわけじゃないわよ』

『どういうことだよ?』

『ああ、やっと本題に入れる……。要するに、パカル王は〝第六の太陽の時代〟をプレイしているの』

『……は?』


 プレイって何だ?

 あれか? 思念体になって、王のプレッシャーからも逃れられて、「イエーイ!」って、人生――思念体生で太陽の時代をエンジョイしているのか?

 浅黒く日焼けしたパカル王がビーチで白い歯をきらりとさせながら、女の子に声をかけているチャラ男な図をイメージしてしまった。


『全然違うわよ! いえ、ちょっと面白いけど』

『だよなー』


 さすがに、俺もそれはないわーと思っていると、マヤの大きな大きなため息が聞こえた。

 何で俺はこんなふうに呆れられないといけないんだ?


『マヤ、お前の説明が悪い。ちゃんとしろよ』

『人のせいにしないでよ。ヒロが色々と思考を――思念をあちこち飛ばすから、話がまとまらないんじゃない。とにかく、今度はちゃんと聞いて』

『おう、任せろ』

『……』


 心の中で俺がどんと胸を叩いてみせれば、無言が返ってきた。

 なんだよ、信用ならないってか?

 マヤは再び大きくため息を吐く。信じてねえな。


『本当はここまで事態が悪くなる前に――〝第五の太陽の時代〟が終わる前までには、誰かに助けを求めたかったんだけどね。そのほうがまだ受思念を持つ人も多かったし。ただ話が荒唐無稽すぎて、私の話を聞いてくれる人がいても、信じてくれなかったの。思念という存在を知っていてなおね』

『余計なことはもう考えねえから、その荒唐無稽な話をしろよ』

『……ありがとう。今、この時代ならきっと受け入れやすいし、理解されると思うの。だって、バーチャルリアリティのゲーム機が市販されるようになった時代だもの』

『は? バーチャルリアリティ?』

『そう。VRってやつね。それがマヤの時代からあったって言ったら、驚く?』


 とんでもない発言に、俺は一瞬固まった。

 眠っている俺にとっては金縛り状態だ。

 やばい。マジ憑かれてるよ、俺。


『現実逃避しないでよ。私は幽霊じゃないし、肉体は動くでしょう?』

『仕方ないだろ!? どれだけ驚いたと思ってんだ! VRだぞ!? 二十一世紀の叡智を集め技術だぞ!? しかもまだ完ぺきとは言い難いそれを、マヤ時代からあったなんて……マジか。宇宙人か……』

『正解。さっきヒロが考えていたように、ベネズエラの黄金細工はジェット機で間違いないわよ。学者の中にはナマズの一種じゃないかって言ってる人もいるけどね。そしてナスカの地上絵は元は滑走路だったのよ。そのうち遊び心で、変わった動物を模したりもしたの。それらは全て、宇宙人が関わっているわ。それはやっぱり、驕ることなく自分たちの生活様式を守り通した彼ら――オルメカ人をはじめとした中南米の人たちをとりわけ可愛がっていたから、交流を続けたのよ。そして特に、マヤ人を可愛がったの。先ほども言ったけど、最初に目をかけていたユーラシア大陸はすでに宇宙人の存在を忘れ、新たな神を崇めていたからね』


 脳内に響くマヤの声は飄々としているようで、どことなく寂しそうだ。

 未来人だというマヤはたぶん日本人なんだろうけど、マヤ人が栄えていた頃、日本は飛鳥時代くらいで、仏教伝来、大陸信仰が強かったからな。


 だけど縄文時代って現代人が呼んでいる時代、とても原始的な生活をしていたと思われていたが、それも青森県の三内丸山遺跡の発見で大きく変わった。

 あれって、石造建設でないだけで、生活様式はある意味マヤのそれとそんなに変わらないんじゃないか?

 そして誰でも知っている〝遮光器土偶〟は、サングラスをかけて宇宙服を着た宇宙人だって説があるくらい、変わった形をしている。


 青森近辺には、木々で覆いつくされ山にしか見えなくなってしまったピラミッドが眠っているとか、謎のストーンサークルとか、UFO目撃例だって多数ある。

 ああ、それにイタコで有名な恐山も青森だ。

 今さらだけど、すげえ青森に興味湧いてきた。

 次の夏休み、マジで行こう。


『もしもーし! やっぱり自分の世界に入ってしまったじゃない』

『あ、わりぃ』

『まあ、いいけど。今の考えもほぼ正しいと思うし、青森に行くのもいいんじゃないかと思うわ。だけどその前に、パレンケに行ってね』

『簡単に言うなよ! メキシコだぞ? 確かに観光地化されてるから、そこまで治安が悪いとも言えないけど、日本人の俺からしたら十分だよ。もっとこう……色々と海外を経験してだな……』

『……ヒロってパスポート持ってる?』

『ない』

『ええ!? 今どき、高校生でも持ってるんじゃないの!? まあ、私たちの時代はパスポートとかって無意味なものだけど』

『ちょっと待て。どういうことだ?』

『だから言ってるじゃない。あなたに世界を救ってほしいって。私が生きる世界はもう崩壊寸前なの。最初はどこから始まったのか……どこがどの国と戦争しているのかわからないくらいの状態よ』

『まさかとは思うが……核は使われたのか?』

『幸いにしてまだよ。でも時間の問題だと思う。どこかが使えば最後、保有している国だけでなく、保有を明言していない国だって使うでしょうからね。そうなれば地球という惑星の終わりよ』


 マヤの言葉に、俺はじっとりと汗をかいていた。

 毎日、聞きたくなくても耳に入ってくるニュースは、マヤの語る未来を暗示している。

 マジで、これは夢じゃないのか。

 そんな現実逃避をしている俺に、マヤが驚くことを問いかけてくる。


『だけどね、これが誰かにとってのゲームだとしたらどう思う?』

『おい……。実はこの世界はVRゲームの中――架空世界だなんて言わないよな? どこかにプレイヤーがいてコマンド操作して、俺は――俺たちはただのモブだとかって馬鹿なこと……』

『……』

『おい!』


 問いかけておいて返事しないとか。

 俺が声を――思念を荒げると、びくっとした気配がした。

 そしてようやく、マヤは暗い声で答える。


『一番重要なことを答えると、この世界は現実よ。ちゃんと宇宙に太陽系の第三惑星として地球は存在しているわ。そして私たち人間もちゃんといる』

『そうか……』

『だけどね、先ほどヒロが言った通り、この世界にはプレイヤーがいて七十億以上のプレイキャラの中から好きなキャラを選んでゲームを進めていく。どこかの王子として生まれたキャラを選んで君主政治を行ってもいいし、貧民窟で生まれたキャラを選んで成り上がっていく――サクセスストーリーを楽しんでもいいわ。例えば政治が上手くいかなくてクーデターを起こされてしまえば、バッドエンド。成り上がる途中で犯罪に手を染め、捕まってもバッドエンド。そうなれば、また新しいキャラを――人間を選んでゲームを始めればいいのよ』

『……なんだよ、それ。俺たち人間はただのキャラかよ。だとしても、俺には感情がある。他の人間だって、自我があるだろ? それをどうやって操作するんだよ?』

『答えは簡単。素粒子よ』

『思念か? だけど、どうやって? テレパシーで操るのか? 右向け、左向け、歩け。って?』


 信じたくない話だが、信じざるを得ない話なのはわかってる。

 それでも俺は、無駄な抵抗をしていた。

 正直、これ以上聞きたくない。このまま起きて、この思念をシャットアウトしてしまいたい。

 何も知らずに、今まで通り生きていたいんだ。

 だが俺は何かに強制されているように目が覚めることもなく、マヤ人の生活を夢に見ながら、マヤの声を聞いている。


『あなたが今見ているマヤ人は普通の人たちよ。思念で遠くの人と会話できたりするだけ。マヤ人の中でも王や神官たちは死者の――肉体を失った者たちとも会話ができる。だからこそ特権階級にいるのね。生贄の者たちは、その素質が――肉体を失ってなお宇宙空間へと旅立つことができるだけの思念を生成できるからと選ばれたの。それって名誉なことよね。王たちと同じ力があるとみなされたんだから』

『それで?』

『生贄は太陽ではなく、宇宙人を崇拝する儀式だったのよ。生贄として捧げられた者たちは宇宙へと飛び、宇宙人たちに王をはじめとして、自分たちがいかに畏敬の念を抱いているかを伝えたんだから。それも度々ね。そうなれば宇宙人だって、マヤ人たちにさらに親しみを持つわ。自分たちをここまで敬ってくれているんだもの。それで、とっておきの秘術を授けたのよ』

『……それがVRだっていうのか?』

『正解。――と言いたいところだけど、ちょっと違うわ。先ほどの私の説明は大きく省いたもの。今現在、ヒロたちが言うバーチャルリアリティっていうのは、人間が技術を駆使して架空の世界を作り上げた仮想現実よね? でも私たちにとって、ここは本物の世界よ。仮想でもなんでもない。ただし、マヤ人たちにとっては、もうこの世界は架空のものなの。だって、自分たちのリアル――肉体が存在しない世界なんだもの。現代人のVRが、脳が見せる仮想現実であるように、マヤ人にとっては、思念が見る仮想世界ってことだから』

『あー、もう! すげえわかりにくいけど、ぼんやりとはわかった。わかったことにする! だけど、俺の質問には答えてくれてないだろ? どうやってマヤ人が現実に存在する人間をキャラとしてプレイすることができるんだよ?』


 頭の中は混乱の真っ最中だが、それでも一番重要なのは、どうやってマヤ人たちが人間を操っているかだ。

 もし思念でそんなことが可能なら、俺たちだって可能ってことになる。


『残念ながら、それは無理よ。さっきも言った通り、それは宇宙人たちが特別にマヤ人たちに授けた秘術だから。秘術は三つあるの』

『三つ?』

『ええ。一つは現実に存在する人間の人格を乗っ取る技術。もちろん生まれたての赤ん坊のほうが、それは容易いわ。だけど高等プレイヤーほど、難易度の高いゲームをしたがるように、成人した人間を乗っ取ることもする。よくあるじゃない? ある日を境に、人が変わったようになるって話。それがそうね。わかりやすく言えば東西冷戦を終わらせたソビエト連邦の最初で最後の大統領などがそうかもね。あれで終末時計はかなり時間を巻き戻したじゃない?』

『確かにそうだけど……。じゃあ二つ目は?』

『二つ目は、一つ目と共通するんだけど、多くの人たちを操る技術よ』

『多くの人たち? 集団洗脳ってことか?』

『そうよ。人格までを集団で乗っ取るなんてことは無理なんだけど、ちょっとだけ意識を変える――マインドコントロールをすることは可能なの。ヒロの時代でちょっと前にあったでしょ? 史上最悪の大統領選って呼ばれた選挙でなぜか選ばれてしまった大統領が。あれで終末時計はまた時間が進んでしまったわ』

『ああ……』


 確かに、すげえ納得。

 あの大統領が誕生した時、世界中が驚いたんだよな。

 って、待てよ?


『なあ、ひょっとしてだけど、イギリスがEUを離脱したのって……』

『推測通りよ。プレイヤーは何人もいるから、私たちが気付かないところでも、たくさんの自我を失くした人たちがいると思うわ。でも、昔に比べてプレイヤーは減ったの』

『ひょっとして、飽きたってことか? 俺たちだって、よっぽどのマニアじゃない限り、みんなある程度でゲームに飽きてやめるもんな』

『それについては正解でもあり、不正解でもあるわ』

『どっちだよ?』

『だから、どっちもよ。実際、ゲームに飽きて、思念体として宇宙に旅立っていったマヤ人たちもいるわ。でも素粒子としての思念が消失してしまったプレイヤーもいるから。これが本当のゲームオーバーね』

『なるほど、そういうことか……』


 だんだんわかってきた。

 そして、マヤが俺に救世主になれって言う理由も、方法も。


『三つ目の技術っていうのが、素粒子の――思念を半永久的に存在させるための技術なんだな?』

『その通りよ』


 俺の問いかけに肯定しながらも、マヤの声には驚きが含まれていた。

 これでも一応、中南米での文明研究について有名な名門大学に通ってんだよ。


『んで、何にでもトラブルはつきもので、その半永久的に思念を存在させるための技術が上手く機能せずに、消失したってことか』

『ええ。パカル王がその一人よ』

『ちょっと待てよ。さっきパカル王はプレイしてるって言ってなかったか?』

『あら、違うわよ。それはレリーフの話。しかもあれはイメージ図とでも言うのかな? 実際に学者たちが解説しているように〝地の怪物〟と〝ククルカン〟で間違いはないのよ。〝地の怪物〟とは、地上に肉体とともに思念を縛り付けようとする力であって、肉体が滅んだ思念を呑み込もうとする怪物のこと。〝ククルカン〟は言うまでもなく、宇宙人を抽象化したものね。だから、パカル王は死後に〝地の怪物〟から逃れて〝ククルカン〟から得た力で、死してなお、現実世界――彼らにとってのVRで遊ぼうとしている図なのよ。だから頭に何かたいそうなものを接続しているでしょう?』

『あれ、変な髪型だと思ってたけど、そう言われればそうだな……』


 何度も眺めたレリーフは、すぐに頭の中に思い浮かべることができる。

 だけど実際、石棺の中にはそんな機械はなかったはずだ。あれば大発見で世界中が大騒ぎだろう。

 そもそも中南米の文明には鉄などがない。


『だからイメージだって言ってるじゃない。彼らは何度も実際の宇宙船を見て、その装置も目にしているから憧れているのよ。それで機械のところは抽象的なの。って、もう! また話が逸れてしまったけれど、パカル王は肉体を保存したまま思念体になろうとして失敗したのよね。王の権威を示すために翡翠の仮面を作って顔を覆ったわ。だけど大きすぎたのよ。それで仮面は――翡翠は時の経過で割れてしまい、思念の消失を招いてしまったのよ』

『え? じゃあ、ひょっとして翡翠が関係あるのか? 思念と?』

『そうよ。なぜマヤで翡翠が重宝されていたと思うの? 肉体を失っても思念を存この世界に――彼らにとっての架空世界で維持するための媒体になるからよ。それが壊れてしまったパカル王の思念はとうに消失してしまったわ。さらに言えば、権威を示すために大きな翡翠を用いていた王侯貴族たちもね』

『……てことは、今現在この俺たちの世界をVRゲームとして遊んでるやつら――マヤ人たちの媒体になっている翡翠がどこかにあるってことだな』

『そうよ』

『じゃあ、その翡翠を俺たちが壊せば、やつらはゲームオーバーってことだ。で、どうやって壊すんだ? そもそも、その翡翠ってのはどこにあるんだ?』

『そんなの簡単よ。ピラミッドの奥深くに眠っている翡翠を持ち出して叩き割ればいいだけ』

『お前、バカなの? 翡翠を壊すのは簡単だよ。だが、そのピラミッドの奥深くに眠っている翡翠をどうやって持ち出すんだ? 盗掘か? いや、その前にどこのピラミッドだよ。観光地化されたピラミッドならほとんど調査済みだろうし、警備も厳しい。まだ発見されてないものなら、ジャングルへ探検か? うん、無理。俺はもう寝る。なかなか楽しい話をありがとう。じゃあな』

『ちょっと!』


 シャットアウトしたくても眠っている俺には無理で、とにかくひたすら無視することにした。

 救世主になんてなるつもりはないし、どっかのヒーローに任せればいいんだ。

 超能力を世界平和のために使っているアメコミのようなやつはきっと、世界中を探せばどこかにいるだろ?

 やがて諦めたのか、ぎゃんぎゃん喚いていた声はしなくなり、ようやく俺は夢も見なくなって本当の眠りにつくことができた。


 ――と思ったのに。


『おはよう、ヒロ』

『何で、まだいるんだよ……』

『もちろんあなたが起きるのを待っていたのよ。だって、睡眠はとっても大切だものね。健康第一!』

『あ、そう』


 目が覚めた俺に、いきなり挨拶してきたのはマヤの声。

 夢なのに、夢じゃなかった!

 くそ。なんでシャットアウトできねんだ?


『答えは簡単。一度私の思念を受けちゃったから、ラインができたのよ。ブロック不可能』

『マジかよ……』


 布団からもぞもぞと起き出しながらぼやかずにはいられない。

 今さら頭の中を覗くなって怒る気にもなれない。

 ただ声に出さないようにだけしなければ、俺マジやばい人認定。

 特にこの家の壁は薄いから、隣の部屋の咲良に何を言われるか……。


 いや、まあ電話してたって言えばいいのか。

 って、そういうことじゃなくて!

 もういいや。とにかく無視しよう。


『無駄ですよー。協力してくれるまで、ずうっとずうっと憑いてるから』

「やっぱり、ただの悪霊じゃねえか!」


 おおっと。つい大声を出してしまった。

 ああ、どうかもう咲良が出かけていますように。

 そう思いながら一階に下りると、咲良はいなかったが母さんがいた。

 そして訝しげに俺を見てくる。


「ねえ、比呂。誰かとケンカでもしたの?」

「え? 何で?」

「だって、部屋で怒鳴ってたでしょ? 何か困ったことがあったら、ちゃんと相談するのよ?」

「わかってるって! 別にケンカしてたんじゃなくて、ちょっと驚いただけだから。バ、バイトのやつが一人いきなり辞めたって聞いたからさ」

「そうなの? いきなりなんて無責任ねえ……」

「あ、うん……」


 母さんは心配性で大学生になっても未だに俺がイジメられたりしていないか、訊いてくる。

 咲良なんて、はっきり「うっとうしい!」と反抗しているが、それは俺にはできない。

 妹よ、生意気にもほどがあるだろう。

 思春期って大変だなあ。


 結局、母さんのワイドショーネタを聞きながら、朝ごはんを食べてシャワーを浴びると、俺は大学へ向かった。

 大学のゼミの誰かに昨夜の話をしても信じてもらえないだろうなあ。

 今も俺の頭の中に、未来人が話しかけてきているなんて言ったら、きっと友達なくす。


『――というわけで、さっきからうるさいんだよ!』

『あら、失礼。でも言ったじゃない。協力してくれるまでずっと憑いてるって』

『あのなあ……。じゃあ、具体的な案を示せよ。例えば、俺がメキシコまで行ったとして、そこからどうするんだ?』

『やっと協力してくれる気になったのね!』

『ちげえよ。現実的な実行方法を示せって言ってんだよ。結論はそれからだ』


 まだ誰もやるとは言ってないのに、たったそれだけでずっと頭の中で響いていた恨み節な低い声が弾んだものに変わった。

 ああ、めんどくせえ。


『訂正しておくけど、今すぐメキシコに行ってとは言わないわ』

『そうなのか?』

『ええ。まずしてほしいのは、協力者にコンタクトを取るってこと』

『協力者!? そんなやつがいるのかよ! もっとそれを早く言えよ~』

『だって、ヒロがちゃんと話を聞いてくれないからじゃない。逸れてばっかりで。だからこんなに時間がかかって――』

『おい、さっそく話が逸れてるぞ』

『え? ああ、えっと。それで……協力者ね。まずは協力者にコンタクトを取って、昨夜私が説明したことを伝えて、協力を要請してほしいの』

『ああ、なるほど。俺が説明して協力をお願いするんだな。よし。って、おい! できるか!』

『知ってる! それ、ノリツッコミってやつね! 古典的なお笑いの方法よね』

『うるせえよ! 改めて解説するな! って、そうじゃなくてだな……』


 もう嫌だ。疲れた。何なんだ、この女。

 俺は大きくため息を吐いて電車を降り、乗り換えホームに向かう。

 その間、マヤはなぜか黙っていたけど、また電車に乗ったらしゃべり始めた。


『でね、その協力者なんだけど、超能力者なの』

『は? 思念が……要するに、受思念が生成できるってことか?』

『違うわよ。それだったら、どれだけ簡単か。彼はね、思念は操れないの。操れるのは体内の細胞。自分の細胞を素粒子化できるってわけ。もちろん素粒子化した細胞は再生できるから、元の人間に戻れるのよ』

『マジかよ……』

『ええ、マジよ。そして細胞を素粒子化できるってことは何ができると思う?』

『……瞬間移動とか?』

『ピンポーン! ただ移動距離はある程度決まっているみたいで、五十キロ圏内くらいかな? 詳しくは彼に訊いてみないとわからないけどね。だから彼に私の言葉を伝えてほしいんだけど……どう? やれそうな気がしてきたでしょ?』

『まあ……』


 そんな夢のような力があるなんて、マジ羨ましい。

 俺みたいにあくせく働いて貯金して、いつか南米に! なんてしなくても……って、待てよ。

 移動範囲は五十キロ圏内だとしたら、海外旅行は無理か。

 ただ閉ざされたピラミッドの奥深くには入り込めるってことで、確かに可能性が見えてきた。

 問題はマヤの――俺の話を聞いてくれるかなんだよな。聞いてくれても、信じてくれなきゃ意味がない。


『そこは大丈夫よ。彼だって不思議な力の持ち主なんだもの。原理はわかっていないから、今はただ単に自分が瞬間移動ができるって認識だろうけど。ちなみに彼は鍛えればタイムトリップもできるんじゃないかって思ってるわ』


 おいおい。本格的に羨ましいんだけど。

 俺の力と交換してくれねえかな。


『それは無理よ。生まれ持った体質だから』

『知ってるよ!』


 いちいち突っ込んでくるなよ。俺の脳内独り言に。


『んで、そいつが誰で、どこに住んでいるかわかんねんだけど。どうやって俺の話を聞いてもらうんだ? いきなり話しかけても、まず不審者だろう』

『えっと……彼はこの次の駅から歩いて十分ほどにあるマンションに一人で住んでいるわ。ご両親は亡くなられて、一応は遺産で暮らしているってことになっているから、働いていないの。大好きなゲーム三昧みたいね』

『ニートかよ!』

『まあ、ありていに言うなら。でもね、彼はちょっと苦労しているのよ。三年前にご両親を突然の交通事故で亡くされてね……。彼自身も同乗していて、どうやらその時に力を自覚したみたいなんだけど、他に兄弟も付き合いのある親戚もいなかったみたいで二十歳で天涯孤独の身となったの』

『成人してて幸いだったな』

『それから、マンションのローンは保険で相殺されたものの、相続税はしっかりかかるみたいで……ご両親の死亡保険のおかげでどうにか払い、残った貯金は五百万円くらい。それでも毎年税金はかかるし国民保険や年金もかかるわ。無職なのに大変よねえ』

『まあ、国民の義務だからな……。ひょっとして、その事故でどこか怪我をして……体が不自由なのか?』

『いいえ、全然』

『働けよ!』


 同情して損した。何だ、そいつは。

 貯金が五百万もあって、マンションだって持ってるなんて、羨ましすぎだろ?

 普通に働けば、それなりに生活できるはずで……って、ちょっと待て。


『なあ、三年間無職で税金とか払っても、まあ五百万もあれば生活はできると思う。だけどさ、将来を考えればまだ……二十三歳? でさ。無職で貯金を減らすのって怖いよな?』

『そうみたいね。だから彼は貯金には手をつけていないみたい』

『じゃあ、何に手をつけてんだよ?』

『それはもちろん、他人様のお金』

「泥棒かよ!」


 また大声を出してしまって、慌てて周囲を見回す。

 うわー、恥ずかしすぎる!

 スマホ操作しているふりしてたから、ゲームか何かに興奮したせいだと思ってくれればいいけど、心なし周囲から人が離れていく。

 耳まで真っ赤になって、俺はちょうど開いた扉から電車を降りた。


『彼の所へ行ってくれる気になったのね!?』

『は? お前、バカ? 今、たった今、お前のせいで恥かいたから電車にいられなくなったんだよ!』


 降りた駅がちょうどマヤが言っていたニートの住むマンションの最寄り駅だったせいで、変な誤解を与えたようだ。

 くそ! 何だよ、他人様のお金って。

 瞬間移動とかってできたら、銀行の金庫に行くのに――なんて、子供の頃には考えたことはあるけど、まさか実行しているやつがいるとはな。


『違うわよ。銀行の金庫のお金になんて手をつけたらすぐにばれるじゃない? 透明人間になれるわけでもなし、防犯カメラにも映っちゃうじゃない。だから彼が狙うのは、悪いことをしている人間の財布からばれない程度のお札を抜くのよ。犯行時間は夜中。彼らが眠っている時に、財布をこっそり開いてたくさん入っていれば抜くって感じ? ちなみになんと! 彼は自分が触れた物まで素粒子化できるから、お札も持って帰ることができるの。すごいわよね? というわけで、翡翠も同じようにピラミッドから持って出られるわよ』


 良い人間の金だろうが、悪いやつの金だろうが、結局は盗みに変わりない。

 どう説明されようと納得できないのに、なぜ電車が来ない!

 イライラしていると、構内アナウンスが流れた。

 なんでも急病人が出たとかで、次の電車が遅れているらしい。

 あー、もう! 恥ずかしくてもさっきの電車に乗っときゃよかった。

 他の客たちも口々に文句を言い始めて、さらには徐々に人がホームに増えてきた。

 事故じゃないんだから、そんなに遅れないはずなのに、電車は来ない。


『ほら、いい機会じゃない。一度会うだけ会ってみたら?』

『なんだ、そのお見合いおばさんみたいな言い方。嫌に決まってんだろ』

『そう……。じゃあ、あなたがそうやって電車を待っている間にも、終末時計は動いて人類滅亡へのカウントダウンは始まっているけどいいんだ。私は未来人だって言ったけど、遠い未来じゃないのよ。私が生きる時代にはヒロだって生きてる。もちろん、ヒロの大切な人たちだってね。……戦争に巻き込まれていなければ、だけど』

『脅迫かよ!?』

『いいえ、これは事実よ。終末時計はマヤ人たちの意思。古代に飛来した宇宙人の一人が使った核爆弾のせいで、宇宙人たちは地球を離れることになったわ。それから文明は停滞した。そこに物好きな宇宙人グループが再び飛来して、文明の未発達だったアメリカ大陸に降り立ったことで、オルメカ人を代表する彼らは劇的に文明を開化させたの。だから宇宙人への崇拝はとても深く大きく、そして宇宙人を地球から離れることになった核爆弾をとてもとても忌み嫌っているの。だからこそ、あの忌まわしき世界大戦が終わってから、人類への警告を込めて終末時計なるものを設置したのよ』

『だが、あの終末時計が大きく巻き戻った時があっただろ? あの改革だって、マヤ人のプレイヤーの仕業だって言っていたじゃないか。そのプレイヤーがいるなら――』

『もういないわよ。だって、人類の愚かさに呆れて、宇宙へと――大好きな宇宙人の許へと飛んでいったもの。今、残っているプレイヤーのほとんどは、ゲームの……〝荒らし〟よ』

『なんだよ、それ……』

『まあ、どこの世界にも歪な思考を持った者はいるってこと。そして私の生きる世界では、彼らプレイヤーたちはもういないの。地球が滅びるのも時間の問題だから。それで翡翠が壊れてしまう前に脱出したの』

『……その、マヤの生きる時代の終末時計は何時なんだ?』

『23時59分58秒』

『……』


 俺は言葉を失った。

 次に言うべきことが見つからない。

 今さらマヤが嘘を吐いているとは思えない。

 そして怖くて聞けないことがある。

 マヤは……いったい何年先の未来から来たんだ?

 その質問を飲み込んで、俺は改札に向かった。

 マヤの喜ぶ声がするが、それを無視して改札を出ると、目的のマンションへ案内してもらいながら歩いた。


 マンションはオートロック式ではあったが、最新式のコンシェルジュとかがいるようなものではなく、ちょうど買い物帰りらしき住人の後についてエレベーターまで行くと、しれっと指示された九階のボタンを押した。

 ただでさえエレベーター内の沈黙って気まずいのに、侵入しているせいか余計に緊張する。

 しかも俺のほうを警戒していないか? ひょっとしてばれてる?


『大丈夫よ。一緒に乗っているおば様は、ただ単に痴漢されないか警戒しているだけだから』

『するか!』


 確かに彼女いない歴年齢だけど、そこまで飢えてねえよ。

 これでも文学部在籍なんだ。毎日、女子大生に囲まれてるんだ。ってか、女子は怖い。

 妹の咲良を見て育ったせいか、女子という生き物が家の外と中では違うということもわかっていた。

 だがゼミの女子たちを見ていると、つくづくそう思う。

 まあ、要するに俺は女子から見て〝男〟と認識されていないんだろうな。


『あらあら、まあまあ』

『お前はどこのおばはんだよ!』


 勝手に脳内を覗いて、気の毒そうに呟いてんじゃねえよ。

 そうこうしているうちに、自意識過剰なおばさんはエレベーターを降り、俺一人になった。

 ふと見れば、エレベーター内の掲示板に〝痴漢に注意!〟とあって、最近マンション内で頻発しているとある。

 このどこからどう見ても爽やか大学生をつかまえて、なぜ痴漢だと思うんだ。


『あら、犯罪者は犯罪者の恰好をしていないのよ。常識じゃない。そしてその通りだし。不法侵入者さん』

『誰のせいだよ!』


 マヤの腹立つ言い様に文句を言いつつ、エレベーターを降りる。

 それから903号室を見つけて、チャイムを押した。

 部屋の中で軽い音が響くが、応答はない。

 ニートってことは家にいるかと思ったが留守……ってこともないだろうな。

 いきなり玄関チャイムが鳴らされれば警戒するに決まってる。

 あれか、近所づきあいはしない派か。

 でも俺の予想だと、チャイムを鳴らせばこちらの映像とともに音声は室内に伝わるはずだから、まあいっちょやるか。


『何を?』

『お前を見習って、脅迫だよ』

『うわ! ヒロが犯罪者レベルアップした』

『うるせえ、黙ってろ。誰のせいだよ』


 本当は俺だって気が進まねえんだ。

 だがやるしかない。マヤが妄想に憑りつかれたただの悪霊ならいいのに。

 そんな支離滅裂なことを考えながら、マヤの苦情も無視してもう一度チャイムを鳴らす。

 そして息を吸って――。


「藤野さーん! いるのはわかってるんですよー。あなた、無職なのに銀行残高減らさずどうやって生活しているんですかー? 株取引か何かなら、ちゃんと収入申請してくださいよー。それとも人には言えないようなことで生活費稼いでいるんですかねー? 例えば――」

「どちら様ですか?」


 お、反応した。

 そりゃ、そうだよな。玄関先でこんなこと大声で言われたくないよな。


『すごい! ヒロ、見直した!』

『いいから黙ってろ』


 脳内でまたきゃっきゃと騒ぐマヤの声がうるさくて、インターホンの声が聞こえねえ。

 しかも、考えがうまくまとまらねんだよ。


「えっと……税務署の者ですって言えばいいかもだけど、嘘なのはすぐばれるからな。本当のこと言えば、俺はお前が……瞬間移動とでも言えばいいのか、それができるって知ってるってこと」

「……」

「別に脅そうとか考えてねえから。ちょっと大切な話があって、それを聞いてもらいたいだけ」

「……じゃあ、どうぞ」

「おい、玄関先で話せる話じゃねんだよ。出て来いよ、ニート」

「……」


 自分でも乱暴だとは思ったけど、やっぱりそうだったみたいで、インターホンを切られてしまった。

 ああ、失敗。ニートって打たれ弱いんだっけ?

 そう思っていたら、ガチャガチャとドア鍵を開ける音が聞こえた。

 マジか。やった!

 そう思ったのに、二重ロック用の金具を止めたままわずかな隙間から出てきた顔に俺は絶句した。


「あの、どちら様ですか?」

「はい?」

「あ、いや、すみません。ここって、藤野晶さんのおうちですよね?」

「……そうですが?」


 女って聞いてねえしー!

 晶って紛らわしすぎるだろー!


『え? 男か女って、そんなに重要?』

『重要に決まってるだろ! 俺は女の子相手に脅迫したんだぞ!? 勢い余って、ドア蹴りそうになったんだぞ!』

『うわ、サイテー』

『そもそも、お前が「彼」って呼んでんのがいけねんだろうが!』

『そうだっけ?』


「あの、そちらこそ、どちら様ですか?」

「え? あ、ごめん。名乗ってなかったですね。俺は神戸比呂って言います。えっと、やっぱりここでは話しにくいんですけど……」


 暗に入れてくれって言うと、すげえ不審がる思考ががんがん飛んできた。

 そりゃ、そうだ。

 いきなりやって来た男を部屋に招き入れるって、どんだけチャレンジャーなんだって普通なら突っ込みたいけど、ここは頼まなければならない。

 カフェとかでできる話でもないしな。


「怪しいのはわかってるし、入れてほしいってのも、どれだけ無謀なお願いかはわかるんですけど、ほら……身の危険を感じたら、瞬間移動で逃げてくれていいし」

「……」

「あ、今、『何で知ってるんだ?』って思ったでしょ? それに『知られた今、どうやって言い逃れしようか』って。俺も同じ超能力者だって言えば、少しは安心する? わけないか……」

「……何の力ですか?」

「ああ、テレパシーって言えばいいのかな? だから君の考えがわかる」

「どうして私なんですか? 何の話をするつもりなんですか?」

「うーん。言っても信じないと思うけど、簡単に言うなら地球滅亡を救うため?」

「あっ、待って待って! わかってるって!」


 やっぱり怪しいと思われたようで、ドアを閉めようとした彼女の思考を読んで急いで足で防ぐ。

 痛え。でも、ここは我慢だ。

 そして本当はしたくなかった騒ぎを起こす。


「俺だって信じられないし、信じたくないし! でも君の協力が必要なんだよ! とりあえず話だけ聞いてくれたら、君が実のおじいさんの財布から金を盗んでることも言わない! その金で買ったVRゲーム機が思いのほか面白くなかったって、放置してるよね!?」


 大声で俺がとんでもないことを口走ったからか、彼女は動きを止めた。

 こんな脅迫はしたくなかったんだよ。

 彼女の思念はごちゃごちゃしていて、混乱ぶりがすげえわかる。


「ゲームだと思わないか? これは世界を救うためのVRゲーム。すげえリアルを体感できると思うよ」

「……足、外してくれませんか?」

「え?」

「一度ドアを閉めないと、開けられませんから。……信じられませんか?」

「いやいや、信じられる! だって君は嘘を言ってないから!」

「……」


 慌てて俺が足を抜くと、ドアが閉められてガチャリと音がした。

 一瞬、閉められたらとも思ったけど、伝わる思念はドアを開けようというもの。


「どうぞ」

「……お邪魔します」


『やったね! ヒロ、でかした!』

『うるせえ。ここからが本番だろう。お前だって、彼女の思念が読めるだろ? どれだけ俺が疑われているか……。不法侵入に脅迫。このままいけば盗掘に貴重な出土品の破壊。最悪だ』


 いつの間にか俺は世界を救うためにやる気になっている。

 そのことに気付いて愕然として、いきなり立ち止まった。

 そんな俺を不審そうに藤野さんが振り返る。

 藤野さんは俺より年上だが、そうは思えないほど童顔だと思う。ちょっと可愛い。

 それに女子高生って言われても驚かない。

 そしてニートってイメージと違って、マンションの室内はとても綺麗で片付いていた。

 たぶん3LDKくらい?


 リビングに通されて、ダイニング側の椅子を勧められ遠慮なく座ると、彼女は向かいに座った。

 ダイニングテーブルは四人用で、きっとご両親が生きていた頃のままのインテリアなんじゃないかって何となく思う。

 リビング側には大きなテレビがあって、ソファもある。

 テレビ台の下には何台かのゲーム機。その隣の棚にもゲーム機があって……写真立てが二つ。

 家族三人で映った写真と、ご両親二人の写真。


「――説明してください。いったいどういうことかを。それから、なぜ私なんですか?」

「あーうん。たぶん信じられないと思うけど、最後まで聞いてほしいんだ……」


 そこからは俺も昨夜聞いたばかりのことを説明した。

 素粒子云々ってのは、話をややこしくするのでそこは省く。

 ただ思念というものが存在し、その力で俺は人の心を――思念を視たり読んだりすることができる能力を持っていること。

 そのために、未来人と名乗るマヤが夢の中で話しかけてきて、今も俺の傍に憑りついていること。

 途中、途中でマヤの補足説明を加えて話し終わるまで、彼女はじっと黙って聞いてくれていた。


「――というわけで、信じられないと思うんだけど……協力してほしいっていうか……」

「宇宙人だの、VRマヤ人だの、終末時計だのと、普通は信じられませんよね」

「あ、うん……」

「だけど、嘘だとは言い切れません」

「……え?」


 聞き間違いかと思った俺は、いきなり立ち上がった彼女に驚いて、思わずびくりとしてしまった。

 ちょっとカッコ悪い。


「何か飲み物を淹れますね。コーヒー、紅茶、あとは炭酸とどれがいいですか?」

「こ、コーヒーでお願いします」

「わかりました」


 予想外の問いかけに、俺がおどおどと答えると、彼女は準備を始めた。

 ひょっとしてドリップからしてくれるのか。

 少なくとも今すぐ追い出されることはないようだ。それどころか、飲み物を出してくれるってことは、歓迎とまではいかないでも認めてはくれたのかな?

 彼女の心はとても凪いでいて、さっきと違って思念が飛んでこないのでよくわからない。


『うーん、確かに。ヒロの抵抗っぷりも相当だったけど、ここまで簡単に受け入れられるのも拍子抜けって言うか、何か違う……』

『贅沢言うなよ。普通は俺の反応だと思うぞ。ただ、彼女はほら、色々あって悟り開いているのかも』

『まあ、俗世間と関係を絶ったあたり、そうとも言えるわね』


 脳内で俺とマヤが会話している間に、彼女はコーヒーのセットをするとキッチンから――というか部屋から出ていった。

 まさか逃げられて警察に通報とか……と一瞬考えたけど、すぐに彼女は戻ってきた。

 だが、その腕には何冊かの本が抱えられている。

 どさっと置かれた少し分厚い本は、コンビニなどでよく売られている本がほとんどだった。

 そのタイトルはあれだ。「超古代文明!」「古代ミステリー」「オーパーツの謎」などなど。


「ひょっとして、藤野さんって、そういう系が好きだったりする……?」

「はい。大好きです。昔はただ単に夢があるなって程度だったんですけど、自分がこの……瞬間移動の力を手に入れてからは、けっこう本気で信じるようになりました。超能力についてもかなり調べたんですが、どれもこれも曖昧だったりインチキだったりで」

「……で、俺がインチキとは思わないの?」

「……」

「――えっ!?」


 俺は慌てて自分を見下ろした。

 なぜなら彼女が思念で「チャック、開いてますよ」って言ってきたからだ。

 顔に熱が集まるのを感じながらズボンを確認したが、ちゃんとチャックは閉まっている。

 あれ?


「今ので疑いが晴れました」

「試したのかよ」

「ええ」


 くそー。やられた。

 色々な意味で恥ずかしいが、彼女が楽しそうに笑ったから、まあいいかと思う。

 今まで、無感情ってほどに淡々としていたけど、笑顔は彼女の印象をぱっと変える。


『惚れちゃダメよ。色恋沙汰はミッション達成のための障害にしかならないから』

『うるせえよ!』


 彼女がコーヒーの用意をしてくれている間に、マヤが脳内で警告してくる。

 ミッション云々は別として、恋愛とか面倒だし。


『知ってる! それって、草食系男子って言うんでしょ?』


 どうでもいいことを嬉しそうに訊いてくるマヤを無視して、目の前にコーヒーとクッキーを皿にのせて出してくれた彼女に礼を言う。

 すると彼女は俺と目を合わせることなく、俺の背後に視線をさまよわせている。


「あの……マヤさん? にどうしても訊きたいことがあるんですけど……いいですか?」

「あ、ああ。もちろん。訊いてみるよ」


 照れてるのか? なんて思った俺は自意識過剰でした。すみません。

 マヤを探していたんだな。

 くそ、マヤの嘲笑がいつも以上に大きく脳内に響く。


「ずっと疑問だったんですけど、マヤ人たちはたくさんの都市を造っておきながら、なぜ捨てたんですか? 戦争や疫病が原因だって説もありますけど、どうにも納得できないんですよね」


『ああ、それはね。宇宙人と交渉のできる思念の生成者――王や神官たちがこぞって肉体を捨て、翡翠を媒介として半永久的な命を――思念体を手に入れたからよ。指導者がいなくなった彼らはどうすればいいのかわからなくて、他の都市へ移住したり、思念体になれないとわかっていながら殉教したりしたの』


「――だそうだ」

「なるほど……。では、一時期世間を賑わしていた人類滅亡のマヤカレンダー。先ほども〝第五の太陽の時代〟が終わって〝第六の太陽の時代〟が始まったって聞きましたが、マヤさんの時代――未来ではもう地球は滅亡しようとしているんですよね? 歴史は繰り返すって言いますし、マヤカレンダーの概念でもそうなっているようですが、地球がなくなったら歴史も何もないと思いますけど……?」


『よく、人類は戦争を繰り返して進化してきたっていうけれど、あながち間違いではないと思うわ。確かにマヤカレンダーでは〝第六の太陽の時代〟に突入しているけれど、これは地球上ではいわゆるロスタイムのようなものなの。あの有名な〝クワウティトラン年代記〟が2012年12月21日前後で記載が終わっているのは、もう地球では必要ないからよ。要するに〝第六の太陽の時代〟っていうのは、宇宙時代の始まりなの。実際、この時代でもそうだと思うけど宇宙ステーションが開発されているわよね? 私たちの時代はもっと進んでいる。ほんの短期間で進んだの。それはとある科学者がプレイヤーによってプレイされているキャラだからだけど、そこに選ばれた人たち――世界の要人たちはもうすでに地球脱出の準備をしているわ。あとは乗り込んで出発すればいいだけ。食料も十分、酸素生成装置も万全、実験を繰り返した結果、宇宙での生殖行為も可能。さあ、あとは脱出ついでに核爆弾のスイッチを押せば完了。地球とおさらばよ』


 俺はマヤの説明を伝えながらも驚くばかりで、最後には絶句してしまった。

 最近よく聞く〝人類脱出計画〟だの〝他惑星移住計画〟だのが本当に進行していたことにはそこまで驚かなかったけど、脱出する人類は全員じゃない。――そんな当たり前のことに誰も何も疑問に思っていないことが怖かった。

 俺たちはもうすでにマインドコントロールされているのかもしれない。


「あの、神戸さん?」

「へ? あ、ああ……ごめん――」


 途中で口をつぐんでしまった俺に、彼女が先を促すように声をかけてくる。

 それでようやく我に返った俺は、マヤの言葉通りのことを伝えた。

 だけど、彼女はそこまで驚いたわけではないらしく、普通に受け止めていた。


「なあ、藤野さんは驚かないのか? こんな自分勝手な途方もないことを聞かされて」

「腹は立ちますけど、仕方ないかなって思います。社会的強者って本当に自分勝手な人ばかりですから。今さらですよ」

「……藤野さんは強いな」

「いいえ。強くはないです。でも、さっきも言いましたけど、腹は立ってます。かなり。だから、協力します」

「マジか……」

「はい。というわけで、私たちは仲間ってことですね。なので、私の名前――藤野さんじゃなくて、晶って呼んでください」

「あ、うん。じゃあ、俺のことは比呂で。よろしくな」


 正直なところ、こんなに簡単に協力を得られるとは思っていなかった。

 脳内でファンファーレを鳴らしているうるさいマヤを無視して、そこからは改めて自己紹介。

 俺は大学四年だけど、院へ進むつもりなので就職活動はしていないこと。

 言いにくくはあったけど、家族構成も教えた。

 すると彼女は、盗みに関して話してくれた。


 彼女は――晶は、誰かれかまわず盗んでいるわけではなく、父方の祖父からしか盗っていないらしい。

 何でも身寄りのなかった晶のお母さんとの結婚を、お父さんは大反対されて、二人は駆け落ち結婚したんだそうだ。

 お父さんと大口の取引先のお嬢さんとの婚約が破談になったことで、おじいさんは大激怒。

 それから二人はおじいさんの妨害を受けながらもどうにか暮らし、やがて晶を授かった時に、それまでのお父さんの勤勉さを気に入ってくれた町工場の社長が正社員にしてくれ、やっと落ち着いたとか。

 お母さんも内職やパートで懸命に働き、ようやく念願のマイホームを中古だが手に入れたたったの二年後、ご両親は事故に巻き込まれて亡くなってしまった。


 その不幸な事故でお父さんは即死、お母さんは生死の境をさまよい、晶も入院。

 その間に事故の知らせを受けたおじいさんは、さっさとお父さんの遺体を引き取り、勝手に葬儀までしてしまったらしい。

 だが、お母さんが亡くなった時には、弁護士から一通の手紙が届いただけ。

 要約すれば、お父さんが亡くなったのはお母さんのせいであり、その娘である晶を孫とは認めない。

 当然、財産などももらえると思うなと。

 どこの昼ドラだって話だったが、俺は黙って聞いているしかなかった。


「そもそも、あの人は悪いことをいっぱいして会社を大きくして、もちろん脱税もしていて、現金を庭にある祠の下に隠しているです。それは、お父さんが酔っていた時にぽろりと漏らしたことがあって……この力が使えるようになって、確かめたので間違いありません」

「すげえな……」

「お金の亡者ですね。祠の裏に簡単には見つけられない地下への階段があって、中には金塊やお金の束がいっぱいありましたから」

「マジか……」

「酔ったお父さんが笑いながら教えてくれたのは、特に税務署から目をつけられて監査が厳しかった頃の話です。あの人からお父さんはどこかに捨てて来いって、お金がいっぱい入った鞄を渡されたんだって。困ったお父さんは適当に電車に乗って、見知らぬ土地の竹やぶに捨てたそうなんです。それが発見されて、あの時はニュースになって焦ったよって……」


 懐かしむように言う晶の目にはうっすら涙が浮かんでいる。

 慰めたほうがいいんだろうけど、俺はそのニュースを知っていただけに何とも言えない気持ちになってしまった。

 あれを捨てたの、晶のお父さんだったのか……。


「事故の時、私だけが車外で発見されたのは、衝撃で放り出されたせいだと警察も病院の人も思っていました。私が倒れていた場所とかはおかしかったけど、それ以外には考えられないからと。私もそう信じていましたし、本音を言うなら両親と一緒に死んでしまいたかった。でもお父さんのお葬式を勝手にされて、遺骨まで奪われて……どうにか取り返したいって強く願っていたある夜、いきなり知らない部屋にいることに気付いたんです。目の前にはすごく簡素な祭壇があって、若い頃のお父さんの写真が立てかけられていました。それで隣に置いてあるお骨を見つけた私は、無意識に手に取ったんです。その瞬間、自分の部屋に戻っていました」

「それで、瞬間移動ができるって気付いたんだ?」

「はい。その時はよくわからなかったけど……わりと飲み込みは早いほうなので」

「確かに」


 そうじゃなきゃ、VRマヤ人だの終末時計だのをこんなに短時間で信じないよな。

 納得して頷くと、マヤは脳内で笑っていた。


「――冷静になると、このままだとお父さんの遺骨がなくなったことがすぐにばれてしまうと気付いたんです。それで急いで中身だけ抜いて、骨壺袋だけ戻して……幸い騒ぎにはなっていなかったので、次の日に紙粘土を買ってきてそれっぽく適当に練って乾燥させたものを元の骨壺に入れて、また夜中に戻したんです」

「じゃあ……その、おじいさんが大切にしているだろう先祖代々の墓には、紙粘土が入ってるってことか?」

「はい」


 不謹慎かもしれないけど、晶のドヤ顔がおかしくて、つい噴き出してしまった。

 すると晶も笑い、マヤは大ウケしている。


「それ以来、自在に操れるようになった瞬間移動の力で、ちょくちょくあの人の家に移動しては、財布から数枚抜き出すってことを繰り返しました。慣れてくると、全身でなく手だけを移動するということもできるようになったんです。自分の右手首から先が消えているのはちょっと不気味ですけどね……。もちろん本当はいけないことだってわかってます。でも、あの人がお母さんのことをどれだけ悪く言ったか、どうしても忘れられない。それで何か仕返しがしてやりたくて……。いっそのことあの金塊とお札を全部盗ってしまおうかとも思ったんですけど……」

「うん、置く場所にも困るしな。――って、そうじゃなくて。ここは、今すぐやめるべきだって言うべきなのかもしれないけど、ずっとぬくぬく育ってきた俺が言えることじゃない気もして……。ごめん、何て言えばいいかわからねえ」

「いえ、いいんです。聞いてくれただけで、なんだかすっきりしました。私、ちょっと自棄になっていたっていうか、友達も最初は心配してくれたのに、私は自分の殻に閉じこもってしまって……。だから、今度の……ミッションが終わったら、ちゃんと働きます」

「うん、そうだな。それでいいと思うよ。金も慰謝料だと思ってもらっとけよ。誰が気付かなくても、俺たちはこれから世界を救うんだ。それからまた、新しい時代――俺たちの、地球の時代を始めようぜ」

「はい!」


『ちょっと、かっこよく締めたところ悪いけど、ひとまずヒロはパスポート取得しなよ。それにアキラは持ってるの?』


「あ、そうだった。……なあ、晶はパスポート持ってる?」

「……いえ」

「うん。じゃあ、世界を救うために、まずはパスポート申請から始めようか」


 そう言った俺の脳内に、盛大なマヤのため息が聞こえた。

 なんか態度偉そうになってねえ?

 俺たちは協力してやってるのに。まあ、自分たちのためでもあるけど。


 それからは、マヤに壊すべき翡翠が眠る場所を聞いて地図と照らし合わせ、そこを基準に旅行会社に手配をお願いした。

 いや、ほら。二人とも海外旅行は初めてだからさ。

 ツアーでもないから、かなり料金は高く、俺の今までバイトで貯めた金を使い果たさなければならなかったが、元々の目的はマヤ文明の遺跡を巡るためだったんだから惜しくはない。


 問題は両親だった。

 教授の随行でもなく、いきなりメキシコに旅行に行くって言ったもんだから最初は反対された。

 母さんが大反対だったのは、晶と二人きりってのがまずかったのかも。

 心配性な上に、いきなり女の子と二人で海外旅行って、息子を持つ母親としては複雑らしい。

 でも俺の専攻を知っているし、最終的には説得できた。

 ただ、父さんは後で俺にこっそりお小遣いをくれた上に、「避妊はしろよ」といらないアドバイスまでくれた。

 違うから! 俺、世界を救いにいくから!


 そしていよいよ、出発の日。

 俺たちはすげえ緊張して真新しいパスポートを鞄に入れて、出国ゲートをくぐった。


「私、飛行機は高校の修学旅行以来です」

「俺も。沖縄だったんだよな……」

「私は北海道でした」


 二人ともドキドキしながら飛行機に乗り込み、離陸を待つ。

 メキシコシティまでの直行便だから楽だけど時間はかかり、俺も晶もいつの間にか眠っていたらしい。

 脳内にマヤの声が聞こえて目を覚ますと、ベルトを締めてくれってアナウンスが流れていた。

 そしてまたドキドキの入国審査を終え、それからたどたどしい英語でどうにかモンテアルバン遺跡の近くの街――オアハカ行きの飛行機に乗り換える。

 夕方に日本を発ったのに、まだその日の昼過ぎって変な感じだな。


 時差ぼけってこういうのか?

 とにかく、無事に飛行機に乗って一時間。

 空港から市内までの個人タクシーチケットを買って、どうにかオアハカの街のホテルに到着できた。


「疲れたー。あれだけ寝たのに、今夜も寝れる気がする」

「うん。私も疲れた。でも比呂君のほうが大変だったでしょ? ごめんね、英語もできなくて……」

「いや、あんま自慢できることじゃないけど、相手が言ってることは実は思念で読み取ってるから。あとは伝えたいことを英語にするだけだから、かなり楽」

「ああ、なるほど。思念だと言葉の壁がないんだ」

「そうなんだよ。だから俺、密かにバベルの塔の伝説にある神の怒りを買って言葉が分かれたってのは、人間が思念を読み取る力を失ったことじゃないかなって思うんだ」

「それって、かなり面白いかも! ああ、やっぱり古代文明ってロマンがあるよね! 本当はね、人知れず世界を救うっていうのもロマンだなって思うんだけど、メキシコの遺跡を見ることができるのが楽しみで仕方ないんです」

「俺も実はそう。すげえ楽しみ」


『はい、浮かれてるとこ悪いけど、ここからは気を引き締めていってよ』


 チェックインして、二人で部屋に向かいながら、初めての海外に興奮して会話する。

 そこに水を差すようにマヤの声がした。

 いや、浮かれてるのも確かなんだけど、このあと予約したツインの部屋に入るのに緊張を紛らわしてるんだよ。

 最初はシングル二つと思ったんだけど、観光地だけあってかシングルは少なく、しかも割高。

 治安の面も考えて、相談してずっと二人一部屋の予約をしたんだよな。

 いや、変な気を起こす気はないし、妹の咲良だと思えば……って、年上だけど!


『だーかーらー。それが浮かれてるっていうの。私たちは敵の本拠地に来てるのよ? その自覚を持ってね』

『そりゃそうだけど……。相手は思念だろ? 攻撃することもできなければ、逃げることだってできないだろ?』

『あっまーい!』

『マジ――』


「比呂君、この部屋みたいです」

「あ、うん。じゃあ……」

「はい……」


 マヤに応えかけて、ベルボーイが部屋のドアを開けてくれた。

 晶に先に入るように促して、後に続く。

 緊張しながらもガイドブックに書いてあった金額のチップを渡し、二人きりになって微妙な沈黙が漂った。

 そこに、マヤの声が響く。


『だーかーらー。付き合いたてのカップルみたいにならないでよ! ほら、今日の晩御飯はルームサービスにして、アキラにお風呂か何か勧めなさいよ。私とヒロは作戦タイム』

『あのな、それならどうして出発前に言わなかったんだよ』

『そんなの簡単。ビビッてやっぱりやめるって言われたら困るからよ』

「はあ!?」


 思わず声に出してしまって、晶がびくりとした。

 いや、ここで晶をさらに驚かすわけにはいかないよな。

 とりあえずマヤから話を聞いてからにしよう。


「ごめん、マヤが変なこというからさ。その……とりあえず晩飯はルームサービスでいいかな? あと、風呂は――ってシャワーになるけど、先に入ってくれていいから。どうする?」

「えっと……では遠慮なく先に入らせてもらいます。あの、さっぱりしたいので今から入っていいですか?」

「もちろん。じゃあ、ロビーで本でも読んでるから、ここネット繋がるし、終わったら連絡してくれるかな? でも鍵は持って出るから、チャイムが鳴ってもドアは開けないようにな」

「……わかりました。すみません、色々と」

「いや、気にしないで。んじゃ……」


 テーブルの上にあるネット回線へのアクセスコードをパパッと入力してから部屋を出る。

 それからほっと息を吐いて、エレベーターに向かった。


『それで、俺たちにどういう危険があるんだ?』

『正直に言って、わからないわ』

『は? なんだよ、それ』

『わからないからこそ、怖いのよ。彼らは今、世界の主要人物たちをプレイしているけれど、自分たちの翡翠が見つけられないためにわずかな思念を操って、考古学者たちが発掘しないようにわざと意識を逸らしているわ。そこにいきなり翡翠を盗掘する者が現れたら……自棄になって強引にその辺にいる警察官の意識を操作して銃で撃ってくるかもしれない』

『マジかよ……。で、でも翡翠を壊してしまえば、思念は消えるんだろ?』

『すぐには無理よ。かなり古い思念だけど、それでもおそらく二、三時間は存在すると思うわ。思念が――素粒子が二、三時間あればどこまで飛べると思う?』

『宇宙の果てまで?』


 エレベーターで一階に下りると、ラウンジでコーヒーを頼み、持って来た本を開いた。

 もちろん読むふりで、マヤとの会話を続ける。


『それは言いすぎだとしても、他のプレイヤーたちに警告することはできるわよね。だからこそ、最初にモンテアルバン遺跡を選んだの。あそこの天体観測所の地下奥深くに、土に埋もれた石室があって翡翠が三つ眠っているわ。その彼ら三人が一番イカレているから』

『うわー。すげえ素敵なお言葉』

『茶化さないで。だから、明日のモンテアルバンは下見で終わらせて、空港に向かうの』

『翡翠はどうするんだよ』

『空港に戻って離陸寸前に、アキラに腕だけ瞬間移動してもらって奪うの。五十キロ圏内だから、アキラもできるはずよ』

『そこであのドロップ缶か……』


 メキシコシティに着いた時、乗り換えのほんのわずかの時間に、マヤがどうしても買えと言ったのは、日本でもよくあるような缶に入ったアメ――ドロップだった。

 それを持って飛行機に乗れと言われ、当然のごとく金属探知機に引っかかったが、空港職員はそのドロップ缶を確認すると、笑ってそのまま飛行機に乗せてくれた。

 あれは一種の実験か。


『でも、翡翠を移すとして、どうして金属探知機に引っかかるドロップ缶にしたんだ?』

『もちろん鉄――スチール製だからよ』

『鉄? ひょっとして、マヤ文明が……他のアメリカ文明もだけど、なぜあれだけ高度な文明でありながらも鉄器を持たなかったのって……』

『正解。鉄で翡翠を包んでしまえば、思念は翡翠を見失ってしまうのよ。そうなると媒介として使えないから、プレイヤーたちはさぞかし混乱するでしょうね。その混乱が吉と出るか、凶とでるかはわからないわ。すでに世界に放出されている思念はそのままだから、必死に翡翠を探そうとするはずよ』

『だからこそ、できるだけ早く現場から離れるわけか……。ドロップ缶は俺と晶で一つずつ買ったし、振った音からけっこうスペースは余ってるっぽいから未開封のまま翡翠を隠すことはできるな。媒介の翡翠って確か、おはじきより少し大きいくらいなんだよな?』

『ええ。ただ何事にも絶対はないから……。メキシコシティからビジャエルモサの街へ飛行機で移動する間にばれないといいけど、どちらにしろ他のプレイヤーたちに警告はいくわね。だから次のパレンケ遺跡では気をつけて行動しないといけないわ。目的の〝葉の十字の神殿〟には近づかないで、あくまでも普通の観光客のふりをするの。次のメリダの街まではバスでの長距離移動で金属探知機の難関はないから、もう一つのドロップ缶の中身を出しておけば、五つは入るわよね』

『それで最後に、メリダからウシュマル遺跡に向かって、〝魔法使いの家〟と呼ばれるピラミッドの地下の翡翠を取り出し、全部を破壊すればいいのか……』

『〝魔法使いの家〟の翡翠は一つ。あのプレイヤーは傲慢にも審判のようなことをやっていてね、終末時計も彼の采配なの。プレイヤーたちは終末時計を進める者と戻す者に分かれて競ってたりもしたわ。ただもうそんなプレイヤーたちは飽きていなくなってしまったの』

『そうか……』


 俺はもう、そう答えることしかできなかった。

 ちょうどコーヒーを飲み終わったところで、晶から連絡が入った。

 そこで、立ち上がって部屋に戻る。

 これはもうありのままを告げるほうがいいだろう。

 部屋に戻ると、晶が申し訳なそうに笑って、迎えてくれた。

 何だかほっとするな。


『惚れちゃダメよ』

『ねえよ!』


 これが一種の〝吊り橋効果〟なのは自覚しているから大丈夫だ。

 とりあえずルームサービスを頼み、晩飯を食べながら全てを晶に打ち明けた。

 晶はちょっとだけ顔をひきつらせたが、すぐに息を吐いて気持ちを落ち着けたようだ。

 やっぱり、晶は強いよ。


「あの、ずっと疑問だったんですけど……どうしてマヤさんはそんなに詳しいんですか? タイムトリップして過去の文明を見てきたにしても、残った翡翠がどこにあるかまでわかるなんて……」


 話を終えると、晶は遠慮がちに口を開いた。

 その内容が怖いとか、やっぱりやめるとかじゃなく、その疑問が浮かんだことに、元々探求心の強い人間なんだろうなって感じた。

 一緒に色んな古代文明の謎を解いていったら面白いだろうな。


『いいじゃない。このミッションをクリアしたら、一緒に謎解きすれば』

『話を逸らすなよ。それで、確かに俺も疑問だな、それは。はっきり言って、この土地は予想以上に過去の思念が残ってる。空港に降り立ってからずっと、シャットアウトしても漏れ入ってくるくらいだ。こんな雑然とした中で、よくピンポイントでプレイヤーの媒介を見つけられたな』

『まあ、私も普通になら見つけられなかったと思う。ただね、視たのよ。彼らが自分たちの翡翠を持ち出す現場を。これから数年後に、新たな発掘調査が今回の三か所の遺跡で始まるわ。政府や考古学者たちがまだ謎が残っていても調査しない一番の理由は、資金がないからでしょ? そして、彼らプレイヤーたちが操作しているキャラは多額の資金もあれば、メキシコ政府に圧力をかけるだけの力もある。その発掘調査で掘り出されたのが、今回挙げた翡翠なの。視ているだけで、すごい力が秘められているのがわかったわ。しかもそれほどに大切な物なのに、なぜか発掘者たちは木箱に収め、プレイヤーたち自らが現場にやって来て翡翠を手にすると、革袋に入れて肌身離さず持ち歩くようになったの』


 マヤの言う時間がないっていうのは、それも含めての時間か。

 プレイヤーたちが身に着けてしまえば、いくら晶の力があってもなかなか盗み取ることはできなかっただろうから。

 そのことを晶に伝えると、納得するとともに、自分もタイムトリップができればと惜しんでいた。

 そうすれば、古代文明の謎を直接見ることができるのに、と。

 鍛えればできるかも――ということを言わなかったのは、意地悪ではなく心配だったからだ。

 もし戦争の真っただ中にうっかり生身の体で移動してしまったらとか、心配し始めるときりがない。

 俺はただ笑って「そうだな」と答えただけ。


 それから、俺がシャワーを浴びるって時になって、ちょっとしたひと悶着があった。

 晶が同じように部屋の外で待っているって言うんだ。

 確かに晶にとっては落ち着かないかもしれないが、女性が一人で部屋の外に出るのはいくら旅行会社が用意してくれたホテルとはいえ不安だからやめてくれとお願いした。

 晶は言葉も話せないんだから。

 そりゃ、いざとなったら瞬間移動で逃げればいいんだろうけど、やっぱり心配だった。

 結局は晶が折れてくれ、俺は全ての着替えを持ってバスルームに入った。


『もー、やっと落ち着いたのね。ほんと、付き合いたてのカップルみたいで、見てるこっちがむず痒いわー』

『うるせえ』


 あまり時間をかけず、ささっとシャワーを浴びて、まだ少し早いが寝るかということで、二人ともベッドに横になって電気を消した。

 それなのに、――いや、当然と言うべきか眠れない。

 ホテルの外から聞こえてくる賑やかな音、車の走る音、夜の鳥が鳴く声。

 空気までもが異国であることを教えてくれて、明日からのこともあって、興奮しているらしい。

 まあ、飛行機で寝たってのもあるけど。

 隣で何度も寝返りを打つ晶もまた眠れていないのだとわかる。


「なあ、もう寝た?」

「いえ、まだです。なんだか興奮して眠れなくて」

「だよなー。明日からのこと考えると緊張もしているしな。寝なきゃ、寝なきゃって思うほど目が冴えてくる。こんなことなら飛行機の中で、頑張って起きておくんだった」

「私も明日、時差ボケで失敗したらどうしようって思うと不安で不安で……」

「……ごめんな、こんなことに巻き込んで。晶のほうが大変だもんな。俺は通訳するだけ」

「いいえ。私は、声をかけてくれてよかったって、本当に思っています。比呂君とマヤさんがいなければ、私はずっとあのまま部屋に引き籠っていただろうし……。今、すごく生きてるって感じがするんです。って、くさいですね」

「いや、全然。俺もさ、ずっとしたかったはずの勉強をしているはずなのに、なんだかだんだん面倒になってきていてさ。現地にも行かず、文献だの資料だのばっか読みふけって何してるんだろうって……。それでも、こうして強制イベントがなければ、バイトして、大学行って、いつかは大発見してやるって日本で悶々と思ったままだったんだろうなって。だから今回のことは、誰にも知られることはないだろうけど、それでも一歩前に進むきっかけになったっていうか……。上手く言えねえな」


 俺の言葉にくすくすと笑う晶の軽い声が聞こえる。

 ほんの二週間ほど前、出会ったばかりの彼女は可愛かったけど能面みたいな顔をしていて、感情が見えなかった。

 それがこうして笑い声だけで楽しんでるってわかるようになったんだから、すげえ進歩だよ。

 そう思っているうちに、晶は俺の大学生活のことを知りたがって、取りとめもない話を続けた。

 やがてどちらから寝てしまったのかはわからないが……俺だと思うが、気がつけば朝になっていた。


『おはよー! ヒロ、朝だよー!』


 元気過ぎるマヤの声が脳内に響く。

 朝からそれはマジでやめろ。

 ごそごそと布団から出て、足を床につけ、はあっと深くため息を吐くと、その気配でか晶も起きたようだった。


『さあ、決戦の日がやってまいりました! 大丈夫! 絶対上手くいくから、がんばろー!』

『お前……昨日は、絶対なんてないって言ってただろうが……』

『え? そうだっけ? 細かいことは気にしない。男なら、どんと構えておかないと!』

『……』


 もうマヤの言葉は無視して、朝の支度に取りかかる。

 朝食もルームサービスでとって、それからモンテアルバン行きのバスに乗るために、ホテルをチェックアウトした。

 緊張していた俺と晶は、バスの中でも口数が少なく、微妙な空気が漂っていたけど、目的のモンテアルバン遺跡に到着した時には、ミッションも忘れて大興奮だった。

 そうだ。計画でいけば勝負はオアハカからメキシコシティへの機内だ。

 それまでは素直に観光を楽しめばいい。


 とはいえ、問題の天体観測所を前にした時はドキドキした。

 ここは予想通りたくさんの思念が渦巻いているけど、どれもこれも一般のマヤ人たちのもので、ただふわふわと目的もなく漂っているような感じだ。

 シャーマンが未だに存在するのも納得。

 本当なら彼らに当時の生活様式とか聞くと楽しいんだろうけど、今回ばかりは間違いなくプレイヤーに犯人特定されてしまうから諦める。


 そして、一般観光客のふりをしてバスでオアハカに戻り、搭乗手続きをする。

 ドロップ缶が金属探知機に引っかかった時は緊張したけど、封も開けていない缶を見ると、職員はまた笑いながら返してくれた。

 無事に飛行機に乗り込み、シートベルトを締め、晶はドロップ缶を掴むと膝の上に両手を置いて、さりげなく上着で隠す。

 見ているだけで何もできない自分がもどかしい。――いや、マヤからの場所の指示は伝えるけども。

 晶は集中するようにふうっと細く長い息を吐き出すと、目を閉じた。


『ヒロ、石室の中に晶の手が見えた。もっと前……そう、そこで下。そのまま床に手をつけて右……少しだけ手前に引いて。そう、そこ! あとは少しずつ手前に下げれば二つあるわ!』


 マヤの興奮した声を聞きながら、何気なく話しかけているようにみせかけ、言葉通り正確に晶に伝える。

 日本語でよかった。周囲に日本人らしい人も見当たらないし、これがツアーだったらそうはいかなかったよな。

 マヤの息を呑む音が聞こえ、いよいよかと俺も余計な考えを捨て、晶を見守っていると、パッと目を開けた。と同時に、カランとドロップ缶の甲高い音がした。


「やりました! 三つ、ちゃんと掴んで入れることができました! これで合ってるんですよね!?」

「ああ、マヤが歓喜の声を上げてる。間違いない。……ありがとう」

「いいえ、いいえ。これは私のためでも、みんなのためでもありますから」


 上着の下からそっと出したドロップ缶を、俺も晶も黙ったまま見つめた。

 この中に、VRマヤ人が入っているんだ。……いや、ちょっと違うか。

 脳内では喜びから一転、マヤが不安そうに『プレイヤーたち三人が焦り始めて、必死になってる』と呟いたが、それは晶に伝えなかった。

 やがて飛行機は着陸し、晶はドロップ缶を強く握り締め緊張していたが、あっさりとゲートを通過することができた。

 拍子抜けだ。


 国内線だからと言えばそれまでだが、行きの時はもう少ししっかりしてたよな?

 あれか。職員によって違うのか。適当だな。

 さすが陽気な太陽の国。

 次はビジャエルモサ行きだが、それほど待たずして機内に乗り込むことができた。

 これもまた同じようにあっさり通過。


 空港からはパレンケの街までバスで約二時間。そこから乗り合いバンで遺跡まで行く。

 遺跡ではただただ圧倒され、興奮した。

 だが翡翠が地中に眠る〝葉の十字神殿〟には近づくこともせず、パレンケの町に戻ると、土産物屋を覗いたり、観光客用のレストランでご飯を食べたりと、旅自体を楽しんだ。


 そして夜の九時前。

 いよいよ最後の地となるウシュマル遺跡へ行くために、パレンケからメリダ行きの夜行バスに乗った。

 メリダの町からウシュマル遺跡へはバスで一時間余りかかるらしいが、本数は多い。

 俺は座席に座ると、鞄からドロップ缶を取り出して封を開けた。


「どれか食べてみる?」


 缶を振って出てきたいくつかのドロップはどれもこれも原色で怪しげだ。

 晶はくすくす笑いながら、パッションピンクのドロップを摘まみ上げた。


「では、遠慮なくいただきます」

「うん」


 ぱくりと口にドロップを入れた晶を見守っていると、すぐに顔をしかめた。

 予想通りの反応だ。


「まずい?」

「……甘すぎる」

「ああ……」


 そう答えながら俺もカラフルな青色のドロップを口に入れた。

 うわ。これぞ海外製お菓子って感じだな。


「よくこっちの子たちはこれをうまそうに食べるよな……」

「うん。本当に。文化ってすごいよね」


 どうでもいいことをしみじみと言いながら、俺は残ったドロップをティッシュにくるんでポケットに突っ込んだ。

 あとで忘れないように捨てないとな。


 そうこうしているうちに、いよいよバスが出発した。

 俺はきっちりと蓋をしたドロップ缶を渡すと、晶は真剣な顔で頷いて受け取る。

 それからは同じ要領だった。

 直接〝葉の十字神殿〟は見ていないが、何枚もの写真で確認したから大丈夫だと晶は言っていた。

 その通りだったらしく、俺は小声でマヤの指示を伝える。

 やがてカランカランとドロップ缶が音を立てた。

 成功だ。

 予想外に簡単にいったことに驚きながらも、俺たちは喜び、ひとしきり成功を讃え合ったあとは、安堵からか、ハードスケジュールからか、すぐに眠りに落ちた。


 眠って無防備になっている俺の脳内が騒がしい。

 はじめはマヤが騒いでいるのかと思ったが、どうやらこの辺りの土地の思念が自分たちの主であるプレイヤーたちの翡翠を探し出そうと必死になっているようだ。

 やばい。見つかったら殺される。


「――君、比呂君」

「え?」

「大丈夫? うなされていたみたいだけど……」


 俺は目覚めてしばらくは状況が掴めなかった。

 だが次第に頭がはっきりしてくると、隣で心配そうに窺う晶に気付く。


「ごめん、うるさかった?」

「ううん。そこまで大きい声じゃなかったから、大丈夫だよ」

「そっか……」


 ほっと息を吐きながら外を見ると、太陽が昇るまえの静謐なまでの空気が感じられた。

 山の向こうはもう白く輝き始めている。

 他の乗客はまだ寝ているのか、気を使っているのか、車内もとても静かだった。ついでにマヤも。


「もうすぐだね」

「うん、これで最後だ」


 はじめに身構えていたようなことにはならなかった。

 しかし、マヤが言っていたように絶対なんてないし、最後まで気を抜くことはできない。


 午前五時を回った頃、バスは目的のメリダの街に到着した。

 ここからウシュマルまではそれほど時間がかからないが、まだ朝も早いことから開園時間を考えて、のんびりとカフェで朝食をとる。

 時間になり、ウシュマル遺跡行きのバスに乗ると、二人とも会話はしなかった。

 マヤもやけに静かだ。


「ねえ、比呂君……」

「朝からすげえ観光客だな……っていうか、現地の人がやたら多い」

「うん……」


 開園後すぐにも関わらず、遺跡は大勢の現地住人らしき人たちでいっぱいだった。

 普通に見えるが、その目をよく見れば、どこかぼんやりとしているようだ。

 さらには遺跡ではなく、俺たち観光客をじっと見ている。

 きっと俺たちは、やつらのゲームに発生したバグみたいなものなんだろう。

 予想外の不良個所を探して修正しようと、やつらは必死なんだ。

 そんな現地の人たちの不気味さに、俺たちだけでなく他の観光客たちもざわついていた。


 それでもみんなせっかく来たのだからと思ったのか、遺跡見学を楽しむことにしたらしい。

 俺たちも何気ないふりでしっかりと見て回り、そして遺跡のメインゲートを出て入口にあるホテルに入った。

 これは予定外だが、あまりにも遺跡周辺には目がありすぎるからだ。

 そこのレストランで少し早い昼食を食べながら、これからのことを相談する。


「バス停のある大きな道路まで出ましょう。そこで人目がない時を狙って、一瞬でやりますから」

「うーん……確かに、この周囲は人目がありすぎるしな。じゃあ、道路の脇に入って、すぐに缶のふたを開けられるようにして、俺は金槌を構えて待ってるよ」

「……はい」


 金槌を構えて待つっていう間抜けな図に二人とも笑った。

 そのお陰で緊迫していた空気が和む。

 翡翠を壊すには、金槌で叩き割るのが一番早いだろうってことで、実はパレンケの町で買っておいた。

 店員は「何で観光客が金槌を?」って顔をしていたので、「スーツケースが開けられないから叩き壊すんだ」と訊かれてもないのに告げて、納得させてたんだよな。


『マヤ、いいか?』

『……ええ、大丈夫よ』


 レストランを出て大通りを歩き、人影がないところで物陰に隠れて座り込む。

 そこでドロップ缶を二つ、いつでも蓋を開けられる状態にして待機し、俺は金槌を握ってマヤに声をかけた。

 あれほどうるさかったマヤがどんどん静かになっていくのは気になったが、おそらく最後のミッションに緊張しているのだろう。

 そして、晶に合図すると、驚くことに晶の両手首から先が消えた。


 うん。すげえ怖い。

 でもそれを口にすることはできず、集中する晶にマヤの指示を与える。

 そして――。


「比呂君!」

「――ああ!」


 突然もとに戻った晶の右手の中から翡翠が現れる。

 それを平たい石の上に置いた瞬間、俺は勢いよく金槌を振り落とした。

 パリンと小気味よい音がして翡翠が割れる。

 そこからは無我夢中でドロップ缶から翡翠を振り出し、次々と金槌で割っていく。

 周囲の空気がざわりと蠢く気配がしていたが、気を取られてはダメだ。


 時間にして一分にも満たなかったと思う。だけど、すげえ長い時間をかけて翡翠を壊したような気分だったが、どうにか無事に九つの翡翠を割ることができた。


『マヤ、どうだ!? これで大丈夫なんだろ!?』


 意気揚々と話しかけたのに返事はない。

 思わず俺は立ち上がって、視えもしないのに周囲を見回した。


「マヤ?」

「どうしたの、比呂君?」

「マヤの反応がないんだ」

「え……」


 わけがわからないでいるうちに、ようやくマヤの声が脳内に響いた。

 ほっとしたのも束の間、ノイズが酷い。


『ヒ、ロ……』

『マヤか!? どうしたんだ、お前!? 大丈夫なのか!?』

『うん……だい、じょ、ぶ。これで……地球は……大丈夫。ありが、と、ヒロ……アキラ……』

『マヤ!? おい! マヤ!』


 それからはどんなに話しかけても、マヤからの返答はなかった。

 俺はただ呆然としてしまっていたが、気がつけばバス停に立っていた。

 どうやら晶が導いてくれていたらしい。


「大丈夫?」

「……うん。いや、大丈夫じゃないかも。よくわからねえ……」

「そうだよね。私もよくわからない。でも、夢じゃなかったのは確かだよ? 翡翠はかけらでも持ち出さないほうがいいって、文化遺産か何かだと思われたらややこしいからって、マヤさんに注意された通り置いてきたけど、これ……」


 そう言って晶が見せてくれたのは小さな小さな翡翠のかけら。

 それは二つあって、そのうちの一つを渡された。


「これがあれば、夢じゃないって思えるでしょ? 私たちがやったことが本当に世界を救ったのかどうかはわからないけど、わからなくていいけど、私にとっては無駄じゃなかったよ。ありがとう、比呂君」

「いや、……俺のほうこそ、ありがとう。なんかごめん。情けないな、俺」

「そんなことないよ。マヤさんはとても大きな存在だから。それは声を聞けない私にとってもだから」

「ああ……」


 晶の慰めの言葉に、俺はだんだん心が軽くなってきていた。

 たぶん、マヤのことを過去形で言わないでいてくれることも大きい。

 二人とも口にはしないけど、マヤはもういない。

 俺がこの手で叩き壊してしまったんだ。


 おはじきより少し大きいくらい翡翠には、顔の彫刻が施されていたことだけはかすかにわかった。

 そのどれかに女性のものがあったのかもしれない。

 もっとちゃんと見ておけばよかったなと思って、それは危険だったからこれでよかったのかとも思う。


 ただマヤは言っていた。

 翡翠を壊しても数時間はまだ思念として存在していると。

 その通りで、ここの大気は恐ろしいほどにざわついている。

 だけどさっきの現地の人たちが集団で俺たちを襲ってくるようなこともなく、一見して平和だ。

 だからひょっとして、まだこの近くにマヤがいるなら、伝えることができるだろうか。


『ありがとう、マヤ。何だかんだで楽しかったよ。お前のお陰で俺は夢見た地に来ることができた。うだうだ言ってないで、一歩踏み出すことができた。きっと晶もそうだ。だから、マヤ……本当にありがとう!』


 そう空に――宇宙に向かって思念を飛ばすと、やっと来たバスに乗り込んだ。

 メリダに帰ったら、このままカンクンに向かう。

 最初はそのつもりはなかったんだが、旅行会社の人があまりに強く薦めてきたので、予定に組み込んでしまった。

 世界屈指のリゾート地。

 新婚旅行でもないのに、恋人同士でもないのに、男女二人で何をするんだって話だけど、世界を救ったんだ。

 思いっきり遊んでやる!


 カンクン滞在は二日だったけど、かなり楽しむことができた。

 そして日本に降り立った俺たちはほっとしながら、それぞれ家路についた。

 家族は――というより、母さんが俺の無事を泣きそうなほどに喜んで、迎えてくれる。

 妹の咲良はそんな母さんに引いていた。

 だけどまあ、久しぶりの我が家は本当に落ち着く。

 そのままソファに座ろうとしたら、咲良に病原菌のように言われてシャワーを浴びることになった。

 やっぱり落ち着かねえな、暴君が君臨する我が家は。


 首にタオルをひっかけたままリビングに戻ると、ちょうどニュース番組がテレビから流れていた。

 そういや、向こうにいる間は全然ニュース見てなかったと思い、ソファにようやく腰を下ろしてキャスターの声に耳を傾ける。

 すると、相変わらずどうでもいいことばかりをさも大事のように番組は伝えていた。


 別にいいじゃねえか。政治家が闇献金を貰おうが、芸能人が離婚しようが、世界は滅ばねえよ。

 呆れて部屋に戻ろうとリビングを出ようとした時、速報が入ってきた。

 あの危ない国の指導者が数日前から体調を崩し、緊急入院したらしいと。

 ……まさかだよな。


 自分の部屋に入り、ベッドに横になってから、ようやく今度こそ落ち着くことができた。

 大きく息を吐いて、吸って、もう一度大きく息を吐く。


 よし、俺の家だ、部屋だ。間違いない。

 色々あったけど、どうにか無事に帰ってくることができた。

 ちゃんと思念をシャットアウトしているから、脳内も静かだ。

 と、そこで思い出したことに慌てて起き上がると、急いで一階に下りて適当に放っていた上着を取り上げた。


 ティッシュにくるんだままのドロップを取り出して捨てると、もう一つ、チャック付きのポケットからあれを取り出した。

 母さんに怒られずにすんだことにもほっとするが、これを――翡翠のかけらをなくしていなかったことに、さらにほっとする。

 小さな小さなかけらを握り締めて部屋に戻り、またベッドに横たわった。

 それから改めて目の前にかざし、じっくりと眺めながら、脳内が賑やかだった頃を寂しさとともに思い出す。

 が――。


『いやーん! ヒロ、久しぶりー! おかえりー! ミッション成功おめでとう!』

「はあ!?」


 シャットアウトしたはずの脳内にいきなり響いたのは、マヤの声。

 思わず大声を出すと、隣の部屋から咲良に「うるさい!」と文句を言われた。

 いや、うるさいのお前だろ。って、そうじゃなくて。


『マヤ、何でいるんだよ!?』

『あら、失礼。今も寂しがっていたし、あの時もあんなに嘆いていたから、喜んでくれると思ったのに。「ありがとう、マヤ」だなんて、それほどでもあるわよ』

『ばっ、お前……まさか、騙したのか!?』

『何を? 勝手に私が消えたと勘違いしたのは、そっちじゃない。これでも私は大変だったのよ』 

『大変だった? やっぱり何か異変があったのか?』


 マヤに文句を言っていた俺だけど、本音では喜んでいる自分がいる。

 本当に未来人だったんだ。

 だけど、マヤの言葉に急に不安になった。

 俺たちがのんびりカンクンで遊んでいる間に何があったんだ?


『いいのよ、二人とも本当に頑張ってくれたんだから。リゾート万歳! なのに、二人の間は進展しなかったのね』

『おい、ふざけるなよ。何があったんだ?』

『うーん。まあ、今さらだから言うけど、やっぱり媒介を隠されたプレイヤーたちが必死になって大変だったの。その思念から二人が見つからないように、どうにか意識を逸らしていたんだけど……』

『それで?』

『翡翠が壊されたあとが大変だったの。なぜなら、もう守るべきものが地球上にないんだもの。残された数時間で宇宙へと旅立っていってくれるだろうと予想していたんだけど……。一体だけね、自棄を起こしたプレイヤーがまだ開発途中の核のボタンを押そうとしてねえ。もちろん周囲も止めるし、私も強引に彼の中に入ってプレイヤーと主導権を争って、どうにかこうにか抑えることができたわ。ただ、キャラとして動いていた彼は精神が病んでしまって……治ればいいんだけど……』

『マジか……』


 さっきのニュースって、まさかな?

 俺と晶がビーチで遊んでいる間に、そんな地球滅亡の危機が迫っていたなんて。


『やっぱり、ありがとう、だよ。マヤ』

『あら、嬉しい』


 改めて礼を言うと、マヤは茶化すように答えていたけど、その声音で照れているのがわかった。

 もう声一つで心の機微がわかるくらいにはマヤの声を聞いているからな。


 そして、終末時計を支配していたプレイヤーは特に操作していた人間もおらず、残りの七人のキャラ――人間については、しばらくは記憶混濁で苦しむだろうが、やがては本来の人格を取り戻すだろうということだった。


 これから世界がどんなふうに動き出すかはまだわからない。

 歴史は繰り返すとも言われるけど、人間は学ぶことだってできるんだ。

 誰かに操られることのない人生を、しっかりと進んでいけばいい。


『かっこいいこと考えているとこ悪いんだけど、一つ言い忘れてたわ』

『……何だよ?』

『今の私の生きる世界、何だかんだでこの世界と変わらないわ。それでも何とか委員会の決定で、終末時計は23時55分に戻ったの。まあ、相変わらずテロは起こるし、株価は安定しないし、芸能人は離婚を繰り返しているけど、それでもみんな必死に生きている。どうにか平和な世界にしようと頑張っているわ』

『そうか……』


 ちょっと浸ってた俺に突っ込みを入れるマヤには相変わらず腹が立つけど、話してくれた内容は安堵するものだった。

 いや、せめてテロだけでもマヤの生きる時代までにもっとなくすことができればいいな。

 とりあえず俺にできることはすげえ少ないけど、次の選挙には友達を誘って絶対に行こう。


『うん、よろしくね』

『ああ』

『というわけで、これからもちょくちょく脳内にお邪魔するから、覚悟しておいてね!』

「二度と来るな!」


 この数週間で他人に頭の中を覗かれることがどれだけ恥ずかしいか、つくづく実感した俺に、マヤはとどめの一言を残して去っていった。

 苛立つ俺の耳に咲良の怒る声、脳内にマヤの高笑いが聞こえる。


 くそ! シャットアウトだけじゃだめだ。

 どうにかして回路切断方法を考えなければ。

 そのためには素粒子について本気で勉強するべきかと、俺は悩みながら眠りに落ちていった。




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