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街行く人間から私が罵声を浴びる事、これはすでに理解をし納得している。私の容姿が主な原因だ。それでは彼女がクラスメートから罵声を浴びる事はどうだろうか、と考えた時に、それは私の想像のつかない世界の事なんだと悟った。
「君はちゃんと人間の容姿をしている。周囲から嫌がられる理由なんて無いように思えるんだが」
「勝手な事言わないでよ!」
「じゃあどうして」
「私がキモいからじゃないの!」
「そんなことない、君はちゃんと人間の姿をしている」
「みんなそうなの!みんな人間なの!あんたは何なの?さっきからバカにしてんの?こっちだって好きでいじめられてんじゃないの!理由なんてわかんないよ!」
彼女は癇癪を起こして急に立ち上がったかと思えばそのままどこかに行ってしまった。帰る場所があるのであればいいのだが、と思い、それからベンチに座ってしばらく黙って考える事にした。
同族嫌悪、という言葉を思い出した。同じ種族の事を嫌うという事だと学んだがまさにこれが当てはまりそうだ。しかしそもそも“同族”のいない自分には理解出来なくて当然だ。
彼女のそれがただの同族嫌悪ではないと言えるのが“いじめ”であるという事だ。例えば彼女と同族嫌悪の関係にある誰かとの間のみで起こるのであればそれは喧嘩である。しかし彼女ははっきりと「いじめだ」と言い、また「自分は一人だ」とも言っていた。なぜ彼女はいじめられている中で、“味方”がいないのだろうか。答えは私の過去の経験の中でもすでに出てきたが、“影響力のある人間には逆らえず、弱いはみ出し者には容赦なく襲い掛かれる団結力の強い他力本願な集団”の形成が若い世代の中でもすでに行われているという証拠だろう。きっと本当に敵対関係にあるのは彼女と誰か一人くらいで、残りの野次馬はその二人のプレーヤーを天秤にかけて有利な方へついているだけに違いない。あぁ、当然実際の諸事情は分からない。しかしこれは私の過去の経験に基づいたものでもある。同族の中で行われるというのは、私のケースよりも残酷に思える。
彼女は家に帰っただろうか。また別の公園にいるだろうか。私はそんな事を考えながら業務に戻った。
それからまた一年後の事である。私の生殖器が子孫を残す為の準備を完了させた。私は見た目が人間とも動物とも異なるだけであり地球上に生を受けた生物である。遺伝子を後世に繋ぐ権利はあるはずだ。と、声高々に言いたいものの肝心の相手には巡り会えていない。ここまでくると同族の仲間に逢える事には期待も出来ないと思うかもしれないが、その事実すら無視して遺伝子を残したいという欲求が高まっているのである。思い返すと私には母も父もいなかった。なのでどうやって生まれて来たのかを知る術もなかった。他の生物を見ると子孫を残すためにオスとメスが交尾をしているので、私の場合も同じように相手が必要なものだと思っているが、そう考えた時に果たして私がオスなのかメスなのかも分かっていなかった。勝手に戸籍上、男という文字に丸を打ってきたが、決して誰かに言われたわけじゃない。私の生殖器も、人間や他の生物のそれとはまるで違う。同じような手段を取れるとも思えない形をしている。使い方も分からない。
人間の世界では恋愛と言うものがあるらしい。他の生物は、子孫繁栄への影響で相手を選ぶのが主だが、人間はもっと多岐に渡る項目で相手を選ぶようだ。声色、容姿、優しさ、逞しさ、この辺りは生物らしいが、趣味が何かとか歌の上手い下手、お酒の席でのノリの良さなども大いに影響してくるらしい。
それほどの多項目を埋め、品定めをして選んだ相手との遺伝子を後世に残せるなんてなんて羨ましいんだ、と何度も思った事がある。そしてとうとうあわよくば“人間との間に子孫を残す”という所まで考えだし、人間の生殖の実態やそれに至るまでの手順等々を調べ始めた。今思えばあの時が繁殖期のピークだったのかもしれない。
ところが、ところがである。
私の予想に反して、人間の世間では恋愛や子孫繁栄などの活動が決して盛んではなかったのである。未来を担う子供の数が少なく、若い成人の繁殖欲が弱いというのである。これだけ相手になりうる同族がいるにも関わらず、である。
生涯孤独の運命である私からしたら全く贅沢な話だ。どうしてだ、と思い理由を探っているとそこでもまた驚かされた。
「一人の方が気楽」
「恋愛にメリットがない」
「面倒くさい」
まったく呆れた話だ。まるで本質を見失っている。そもそも生物としての目的は恋愛することでは無くあくまで子孫を残す事のはずだ。そうしなければ種族が衰退していってしまう。そうしてこれまで多くの生物がその生態系を守ってきた。にも関わらず人間はどうやらそれを見失ってしまっている。今ではアニメやゲームの技術が進み、画面の向こう側の世界のキャラクターと恋愛したり、中には結婚したりする者もいるという。それでどうだというのだ。個人レベルの幸せは満たすことが出来たとしよう。それで最期を迎えた時に何を後世に残せるというのだ。これは決して大それた話ではない。私はこんなにも子孫を残し繁栄させたいと思っているのに相手が全くおらず、相手に溢れ返る人間は子孫を残す事に無頓着。なんて不公平なんだ。
彼らは間違っている。キャラクターに恋をして満たされるのも、一人の時間を充実させたいのも、恋愛にメリットがないと偉そうに言ってしまうのも、全て間違っている。それはただ現実の面倒事から目を背けているだけだ。そしてそれと合わせて来たる幸せさえもみすみす逃しているのだ。
現実の人間より画面の向こうのキャラクターの方が素敵なのではない。現実の人間の素敵な面を見る前にそれと共存する悪い部分で自らの脆い心に傷がつかないように、無防備で無欲で無機質なキャラクターに自分の理想を都合よく投影しただけの自慰行為に過ぎないのだ。
他人といる時間よりも自分の時間を重要視しているんじゃない。他人と長く一緒にいる事で、気に入られようと被った自作の不必要な仮面で息苦しくなり、それでも外す事が怖いからと抑えた我慢が爆発した風圧で仮面が剥がれるのを恐れているのだ。
恋愛にメリットが無いのではない。それに気付けない馬鹿なのだ。
頭でっかちな人間が必死に練り上げた机上の理論でその身を武装しそれらしい言い訳を並べ立てる。
中身の無い人間が写真写りがいいように衣装と化粧でその身を武装し承認欲求を振り回す。
本来の性質や基本の生態にまで中指を立て、目を凝らし隙間を見付けてはすり抜け、何処に向かっているのかも分かっていないまま一目散に逃げ、辿り着いた先に道が無くなると都合よく神様を頼る。まったく自分勝手な生き物だ。
こうして私の不満が募りピークに達した時だった。私の生殖器に空いた穴から卵のような物が飛び出した。痛みなどは無く、至極自然に飛び出した。そしてそれと同時に、溜まっていた不満の感情がすーっと引いた。
私はその卵を持って市営球場脇の用具入れまで帰った。
ずいぶんと心が穏やかになった。なぜさっきはあれほどまで頭に血が上っていたのか自分でもわからないくらいだ。
私は、人間に直接聞いたわけでもなく、雑誌やテレビの情報のみで人間の生態を分かった気になっていた。もちろん全部ではなく、経験から導いた事柄だってある。しかし私は所詮、この世間でははみ出た存在であり異物である。その異物が人間と混じり合え、解り合えると思っていた事さえ烏滸がましいのだ。
私には私の生い立ちや生態があるように、人間には人間の考え方や生態がある。それは私がとやかく言う事ではないし、ましてやコントロール出来ることではないのだ。
私は卵を抱きかかえながらそんな考えを巡らせ、世間の変な視線を浴びながら買ったバナナを頬張った。中身の白い部分はいつまでも不味かった。