I'm Scapegoat.
どうか許してください、この罪は私には重すぎるのです。今日、私は命を絶ちます。
だからどうか、あなたが代わりにこの罪を背負ってください。
致死量の毒をさらさらと口へ運び、水差しから直接水を飲み込んで、私は椅子へ倒れ込むようにして座った。徐々に毒が体を侵し始め、頭が痺れていく感覚を味わっていた。
目を閉じると思い出すのは博士の言葉。走馬灯として脳裏を駆け巡る博士との日々の中にこそ、この世界が酷く醜くなってしまった理由が垣間見えていた。
異常な気候変動、火山活動の活発化、生態系の破壊による絶滅の危惧に晒される生物、逆に異常発生し他の生物の絶滅を加速させる生物。無数の奇形の胎児がへその緒を引き摺りながら母親を求め彷徨い這う姿はこの世の地獄としか言いようがない。
それらを元に戻すための機械は完成目前だが、私はもう耐えられない。だからこうしてネオンに照らされた培養器が立ち並ぶ部屋で自らの死を選んだ。やがて私が完全に息絶えた後には“あの子”がこの部屋を訪れ、ひとりぼっちになってしまったと嘆くのだろう。心苦しいが、“あの子”なら、私が遺した機械も造り上げてくれる筈だ。
願わくば“あいつ”に出会うことなく、正常に戻った世界で何も知らないまま天寿を全うしてほしい。私の自分勝手な思いだが、どうか。
大きく深呼吸をして、頭の中のスクリーンに映し出される思い出のシーンを眺めていた。
ふと気が付いた時にはもう、私はこの研究室に居て、隣には険しい顔をした博士がじぃ、と私を見つめていた。私はその目がまるで断頭台に上がる罪人を見つめているように見えて、とても恐ろしかったのを覚えている。だが博士は次の瞬間ふっ、と笑って「おはよう」と私に囁いた。
それから、私と博士の短い共同生活が始まった。
博士がなぜ博士なのかは当時の私には分からなかった。博士は理由を語りたがらなかったし、研究室に他人が訪れることもなかった訳で、第三者から話を聞くこともできなかったから、私は博士が機械を弄る様子から辞書を引いて見付けた“博士”という呼び名を使っていた。
博士は私に色々なことを教えてくれた。この研究室のこと、入っていい部屋と入ってはいけない部屋、道具の使い方。文字の読み書きを教えてもらってからは研究室の高い壁に貼ってある新聞の切り抜きや、本棚から床にまで溢れ出す大量の蔵書から知識を蓄積していったが、それでも最初の内は博士に質問して答えてもらっていた。
博士は私に構っている時以外は機械に向かっていることが多かった。しかし進捗状況は素人の私が見ても遅いと思っていたし、博士は設計図通りに造っているにも関わらず時折苦悶の表情を浮かべ頭を抱えて震えていた。私が肩を抱くと博士は顔を上げ、何とも言えない表情で私に礼を言った。
博士はとてもミステリアスで、世界を救う機械を造り上げるという目的以外は何も知ることはできなかった。素性も、何を考えているのかも、なぜ博士が機械を造るのかも、機械の設計図がいつからあるのかも。でもそれは博士が死んで私が仕事を受け継ぐようになってから、自然と理解していった。
博士の仕事は思った以上にキツいものだった。毎日毎日数十時間をじっと座りながら過ごし、拭うことのできない罪悪感に胸を苛まれながらそれでも機械を造り続けなければならなかった。機械の設計図はかなり高度なもので、研究室に置いてあるどの専門書にもないような技術が使われていたが、博士と同じように私もそれをしっかり理解していたし、造ろうと思えばすぐにでも造れるものだった。しかし、手が動かない。そのことによって胸の内に潜む罪悪感は更に大きく膨らみ、明日の私の手を止める。
永遠に続くかと思われる苦行を私は甘んじて受け入れなければならなかった。外の世界の全てに、私以上の苦痛を与えているのは紛れもなく“私”なのだから。
孤独は私を食い潰そうといついかなる時も側に付き纏う。だから私も“あの子”をこの部屋に閉じ込めたのだ。博士と同じように。
喉の奥が腫れ上がり、呼吸が段々と難しくなっていくのを感じる。ああ、博士もこんな苦痛を感じながら死んでいったんだな。私は死の間際でようやく博士の全てを知った。博士も私と同じように、“あの子”の心配をしながら死んだのだろう。
教えることはもうないだろうか。設計図はちゃんといつもの場所に置いてあるだろうか。外の世界の現況を語る新聞の切り抜きが見れるくらい背が高くなっただろうか。
あの部屋の鍵はどこに置いておいただろうか。もしも“あの子”が見付けてしまったら固く閉じた錠を開き、出来損ないの“あいつ”に出会って、要らぬ情報を、聞きたくもなかった真実を語られてしまう。過去の私がそうしたようにがっくりと肩を落とし、“私”が犯した罪を知って、また“あの子”を部屋に閉じ込めてしまうかもしれない。
けれども私はそれを止めることはできない。もう私は“私”の罪に心を砕かれてしまった。
可哀想な“Scapegoat"、どうか気付かないで。"私"が死ぬ理由を、“あなた”に罪を継がせる愚かさを。
私は最期の力を振り絞り、培養器の中に浮かぶ胎児と、ガラスに反射する“博士”の顔を見て眠るように意識を失った。
いつか必ず……