03.好きなもの
からん、とグラスの中で氷が崩れる音がした。一通り話終えて一息つく俺の正面で、中田は興味深そうに頷いていた。
「結局、その見山さんのインターンの結果はどうなったんだ。」
「エントリーシートの提出期限はまだ先だから、結果は出てないよ。」
そうか、と頷く中田。俺は店員さんを呼び、お冷やを二人分頼んだ。まだ先といっても、来週中に期限がくるはずだ。見山と会って話をしてから、今日で約十日が経つが、特に連絡は来ていない。こちらから連絡するのでは意味がないので、特に気にせず日々を過ごしていた。
「初めの頃のインターンの選考は辛かったな。俺なんて一つも受からなかったし。心が折れたわ。」
中田は笑いながらそう言って、手元のハイボールを煽る。中田は俺同様、就活を早めに始めた側の学生だ。就活が解禁になる三月に対し、その一年前の六月からインターンを調べ始めている。理系学生の中では、六月からインターンを意識する学生は多くはない。しかし、俺と中田が所属していた研究室では、例年その六月から就活を始める先輩が多かったため、自然とインターンを探して申し込むようになっていった。真面目だけど不器用な中田は、同期の中でもインターンの選考で連戦連敗が続き、就活がうまくいかないのではないかと周囲から心配されていた。だが、冬季インターンの辺りからコツを掴んだのか、選考で連勝が続くようになり、就活本番では誰よりも早く内定を勝ち取った。
「あんまり飲みすぎるとこの前みたいになるぞ。」
俺がそう言うと中田は眉をハの字にしてグラスを机の上においた。
「本当に反省してます。」
「また妹に怒られるぞ。」
俺が笑いながら追い討ちをかけると、中田は真顔になった。ちょうどタイミングよく店員さんがお冷やを持ってくると、中田は即座にそれを飲んだ。
「あれから半年経つのに、家族に会うとお酒のことで毎回釘を刺されるんだよな。何度も同じ話を掘り返されるから辛い。妹が警察にカバンを取りに行った時の話とか、居酒屋で俺が妹に説教されたときの話とか。」
中田は遠い目をしている。走馬灯のように家族に話を掘り返された時のことを思い出しているんだろうか。何にせよ、半年前に泥酔して記憶とカバンを無くしてから、中田の酒を飲む量は減ったようにみえる。流石に懲りたのだろう。中田の家族が毎回釘を刺すのも、また同じ過ちを繰り返させないようにするためだと思うが。
「酒は飲んでも飲まれるな、だな。」
「本当にその通りだ。」
明日も休みなので、そこまで慌てて帰る必要はないが、男二人で夜を明かすほどの話題もない。お互いにポツポツと思い出したかのようにいくつか話をし、解散になった。
見山から連絡が来たのは、ちょうど家に着いた頃だった。
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化粧室を出て、説明会の会場へ向かう。会場の入り口付近では、様々な物を渡された。会場内の地図に、アンケート用紙、どこかの企業のボールペン。驚くことに、化粧品の試供品のようなものまで渡された。一通り受け取ってみるだけでも、渡された物のあちらこちらに、様々な企業の名前が並んでいた。会場内の地図を見てみると、今回説明会に参加しようと思ったきっかけである、インターンを募集していた食品会社の名前を見つけた。
山岡さんと話をして五日が経った。とりあえず、インターンに必要なエントリーシートを書こうと思ったが、なかなかすぐに書けるものではない。それどころか、何をどう書けばいいかすら分からない。ネットを調べればそれらしい文章はいくつか出てくるが、どれもしっくりはこなかった。なんとか完成させてみるも、読み返してみて本当にこれで良いかが判断できなかった。悩んだ挙げ句、私が思い付いたのは、説明会に参加することだった。私のイメージでは三月以降に説明会が開始されるとばかり思い込んでいたが、実際のところは違った。一月の今でもインターンを募集している会社向けの説明会が開催されていた。今回私が申し込んだのは、冬季インターンシップ向けの説明会で、比較的小規模な物だった。説明会というと、合同企業説明会、東京ビッグサイト、参加する企業は約百社、と何とも参加したくないイメージが満載だった。しかし、今回参加する説明会は、場所は山手線沿いの駅で、参加する企業は約二十社なので気持ち的にとても参加しやすい。
地図の他にタイムスケジュールの紙があり、その紙を見たところ、十時から十七時の間で合計五回のタームに分かれているようだった。学生はその五回の中で話を聞きたい企業のブースに行くらしい。途中で帰ってしまっても構わないし、一度出てまた参加するのも問題無いようだ。会場に着いた今の時刻は午後、すなわち第三タームからの参加になる。そのため、説明を聞けるのは三社だ。午前中はどうしても外せない用事があったので、やむを得ず午後からの参加にしたのだった。元々の目的としては、狙いを定めていた食品会社の説明を聞くということだったので、一番最初はそこに行くことにした。二番目は、もう一社インターンの候補の会社があったのでそこに行く。三番目はどうしよう、すぐには思いつかないので帰るか、良さそうな会社があったらそこを見に行くことにした。
食品会社のブースへ行くと、椅子が一列辺り五席、四列分並んでいた。正面にスクリーンと説明をする人用の机が置いてあり、社員の方と思われる人たちが四人いた。ブースの左右は白いパーテーションで区切られている程度なので、隣のブースの声も聞こえそうだ。座席は半分ほど埋まっており、驚いたことに一番前の席にも学生が座っていた。そんなに前に座らなくても、と思いつつ、私は一番後ろの席に座った。開始時間まではあと五分ある。すると、前にいた学生がこちらを振り返った。
「これ、どうぞ。」
何かと思えば、ここのブースの会社のパンフレットのようだった。びっくりして損した気分になった。受け取ったパンフレットを一枚とって後ろに回す。表紙はシンプルな二色展開で、中のページも白を基調に見やすい形になっている。会社の歴史、会社が主としている仕事の内容、それが具体的には何をする仕事なのかの説明等、が書いてある。中でも目を引いたのは、お菓子の説明のページだった。見知ったお菓子の写真がずらりと並んでいる。このお菓子、ここの会社の物だったんだ、と思っている時に声が聞こえた。
「それでは時間になりましたので、始めさせていただきたいと思います。」
前に立つ社員の人が開始の声掛けをすると共に、入社三年目の斉藤です、と自己紹介を始めた。思っていたより若い人のようだ。話の内容を聞いていると、会社の概要や業務内容等、さっきのパンフレットに書いてあった内容を話しているように思えた。周りの学生はメモを取っている。前方に映し出されたスライドを眺めながら、話を聞く。会社の人数はこれくらいなんだとか、説明している社員の人の日常的な時間割とか、勤務地はこんなところがあるとか。できれば東京で働きたいなと思いつつ、営業になると全国転勤のようだ。そういえば、私がインターンで申し込む枠は事務系、と大きな括りだが、実際は何をしたいのだろう。インターンでは営業をイメージして書いたが、本当に営業がやりたいのだろうか。そんなこんなで話を聞いていると、既に最後の質問のコーナーになっていた。すると、前方の学生がすっと手を挙げた。説明していた社員に、前方の方どうぞ、と言われ、学生が立ち上がる。
「貴重なお話、ありがとうございました。一つお聞きしたいのですが、差し支えなければ、斉藤さんが学生の頃に御社を志望された理由を教えていただけないでしょうか。」
そういった質問もしていいのか、と呆気にとられていると、説明していた社員の人が良い笑顔で答え始めた。
「私が就活をしていたのは三年以上前なので、はっきりとは覚えていないです。でも、確実に言えるのは、このお菓子が好きでうちの会社を志望しました。」
そう言うとポケットからお菓子を取り出した。社員の人がそれを振ると、中からカラカラとした音が聞こえた。よくお店で見かける、ナッツがチョコでコーティングされたお菓子だ。そこから社員の人は、そのお菓子に対する思いを話し始めた。このお菓子が小さいころから好きだとか、このお菓子はこう作られているとか。再び呆気に取られていると、その社員の人は残念そうに話を切り上げた。
「まだまだ話せるのですが、時間が無いのでこれくらいにします。このお菓子の仕事に就きたくて、弊社に入社しました。もしも具体的に志望理由を聞きたければ、このタームの後に聞きに来てください。」
「分かりました。ありがとうございました。」
社員の人と学生とそんなやり取りをして、次の質問へと移っていき、このブースでの話は終了となった。次のブースに移らないといけないため、手元のパンフレットやノートを詰めながら、ぼんやりと考えていた。ここの社員さんは、好きなお菓子があって、この会社に入ったと言っていた。あれだけ熱く思いを語っていたから、そこに嘘はないように思える。私の好きなものは何だろう。しかも、それを仕事にしたいほどに好きなもの。
ぼんやりと考えてみても、少し真剣に考えてみても、答えは出ずに、次のブースでの説明が始まった。