精神漏洩世界線エトラウム
「これで二つ目の『世界線』の回収も完了……っと。」
異都が持っていた『世界線』を回収し、女神は笑った。
いつものように、また、青い空間に包まれ移動を開始した。
「……いつまでも黙っていないで、何か言ってくださいよ。」
「……。」
「黙ってこちらを睨まれてもどうしようもありません。」
「……知っていたのか?」
「何をですか?」
「この世界線には異都望がいたこと……。」
「ええ、知っていましたよ。」
少年は立ち上がり、犬歯を剥き出しにした。
「なら、なぜ!」
「なら、なぜここに俺を呼んだ!」
「世界線を回収して頂くためですよ。」
吸い込まれそうな瞳。
「最初にあなたには説明したはずです。」
「わかってるよ!」
「そんなことっっっ!」
「……教えてあげましょうか。」
この時少年は気が付いた。
今まで見ていた女神たる少女、その瞳には光など宿っていないことを。
「あなたが異都望を取り込んでから、どうして取り乱しているのか……を。」
「お前に何がわかる!」
「わかりますよ。」
「あなたがしたことは、『概念悪』を殲滅することではなかった。」
「……。」
語られる真実には黙るしかない。
人は真実に対しては無力だ。
「現世では感じることのなかったほどの違和感、それは異なる次元の同一存在を取り込んだからです。」
一体何を言っているのかわからない。
わからないよ。
「希さん、あなた、現世では様々な交友関係があったそうですね……。」
「同年代の人と比べても、どうやら一歩引いた視点を持っていたようで……。」
「人の様々な側面を見てきた……いや、知ってしまったというべきでしょう。」
『時計が鳴っている。』
『仕切りに時計が鳴っている。』
『……もう朝か……。』
「おはよう!」
「ああ、おはよう。」
「今日も今日で、眠そうだね。」
「ああ、学校に行っても特に何もないからな。」
「……何か部活すればいいのに。」
「あいにく様、年が上と言うだけで威張る先輩はお断りなんで。」
「なんていうか、希っぽい答えね……。」
こいつは誰だっけ?
「(ああ、だるい。)」
「(朝起きて学校に行く、これが義務教育の弊害か。)」
「(ん?)」
教室内が騒がしい。
人に囲まれている机がある。
「君、名前なんて言うの?」
「この時期にこっちにくるなんて珍しいね。」
男女問わず質問攻めにされている。
「おい、こっちは眠たいんだ。隣の席で騒ぐのはやめてくれ。」
「なんだよ希、少しくらいいいだろ。」
「今何時だと思ってるんだ。そろそろ読書の時間だろ。」
ああ、こいつか。
赤髪と言うだけでいじめの対象になっていた。
いや、憧れでもあった。
蔑みと羨望、それが『普通』の人が抱く感情だったらしい。
「……君は?」
「希、……眠いからこの時間は放っておいてくれないか。」
「……分かった。」
「(さて、保健室に行くか……。)」
「おはよう!」
「……おはよう。」
「どこに行くの?次は音楽の授業じゃないの?」
「……保健室。」
「どうしたの?」
「眠いんだよ。」
「ああ、それじゃあ……。」
「うるさい。」
「え……。」
「放っておいてくれないか。」
それからだった。
どこに行くにしてもこいつはついてくるようになった。
俺が起きている間は。
それでも、俺は習慣化していることをやめなかった。
それからは表情も柔らかくなったアイツは人々に溶け込んでいた。
いじめの対象の時に、裏でいろいろしていた奴らとも。
隣の席の女子は頬を染めながらこちらをチラチラ見てくるし、取り巻きっぽい男どもは熱視線を送ってくる……か。
そして帰宅する。
コンビニでカフェオレとたい焼き。
変化があるとすれば、放課後の買い食いに赤髪の少女が一緒に来るようになったことだった。
俺は、別に彼女を救ったと思っているわけではない。
大勢がいじめをしているときも、協力はしなかった。
ただ、それだけだ。
ただ、隣にいるこいつが俺に視線を送っていることは理解していた。
知っていた。
取り巻きと化していたいじめっ子たちの視線も。
その価値観と行動の反転が俺にはたまらなく気怠かった。
最初から蔑みも、羨望もなかった。
では、なぜ少女は俺に会いに来るのだろうか?
「どうしたの、また何か考え事?」
「さあな。」
夕暮れの土手で川を眺めている。
風が彼女の髪を空に靡かせ、陽光は煌めきを与えている。
「……たい焼き、食うか。」
「いいの?」
「ああ。」
甘味を手に取りながら微笑んで、眼を細めながら少女は言った。
「……ようやく君から話をしてくれたね。」
「どういう意味だ。」
二人並んで食すはたい焼き、飲むはカフェオレ。
「……初めて会ったときのこと、覚えてる?」
「さあな。」
本当は覚えている。
『……あの時、君だけだった気がする。』
『君だけが……。』
『時計が鳴ってますよ。』
気が付くと、もう別の世界線に移動していた。




