逆流捻転世界線ツイスト・タイミング 後編
「……ステータスオープン。」
何も起きない。
確認済みの事項を繰り返してしまう。
絶対的な数字が見えることはついになかった。
女神の手助けなしではこれほどまでに己は無力なのか。
繰り返す時から抜け出せない、ここから逃げ出せない。
「……手詰まり……、か。」
潔白の翁がつぶやく。
「心が絶望で満ちるとき、人はあまりに脆い。」
「……まさか、希さんがこれで終わるはずはありません。」
「ほう。どうしてそう言い切れるのかな、ラスエルくん。」
「……彼は以前の世界線を、驚異的なスピードで救出したんです。世界線の回収も終えて、ね。」
「ほう……。」
繰り返したが、違う意味のこもった息ですね。
……少し揺さぶりも入れておきましょうか。
「あなたたちの好きな前例ってやつですよ。」
「確かにその他の者共は『全能』の肩書に傷をつけないようにと、必死だな。」
「それ故にふさわしくない……。」
「おっと、『口は禍の元』だぞ、ラスエルくん……。」
「一体どこの『世界線』から引っ張ってきたんですか……、その言葉。」
ハァッ。
ため息が出そうになる。
感心よりも諦念が勝るとはこのことでしょうね。
希さん、早く世界を救ってください。
暗雲立ち込める瘴気の中、俺は考えていた。
これまでのことを。
「(何か……、そう、何かが引っかかるんだよな。)」
「(この世界では、人や物に干渉する際に条件がある。)」
それは人々に見られていない、ということ。
「(そして、太陽に当たるものがない。)」
もう、この世界線にきて7週間目だろうか。
一度も明かりを目にしていない気がする。
外の暗闇は今も渦巻いているように見えた。
そう、『闇』と表現しているが、一定の暗さが広がっているわけではない。
白い、霞でも舞っているように見える。
「(何か……、そう、何か手がかりを見つけなければ。)」
「(そうだ、世界に問おう。)」
その場に胡坐をかき、座り込む。
目をつぶり、両手を合わせる。
問おう。
世界に。
なぜ、時間が逆流している?
なぜ物に干渉できない……?
なぜ、なぜ、なぜ……。
なぜ、同じ物事を繰り返す?
それは世界が……。
『間違っている』と感じたから。
「ア八ッ……、ハァ、ハァ……。」
瞑想で考えすぎた。
考えてみれば、瞑想は脳内物質が出ることもあったはずだ。
つまり、これは脳内麻薬のバッドトリップ。
俺は異世界歩き。
……冗談を考えるくらいには回復したようだ。
「時間は絶対的なものではない?」
思考を反芻する。
「もしかして、そういうことなのか?」
「この世界の時間が繰り返しているのではなくて、この世界には……。」
「時間そのものがないのかっ?!」
独り言は続く。
「そもそも時間とは何だ?」
「今は……、そうだな、地球をモデルにしよう。」
わかりづらい概念をわかりにくい世界で考えても仕方ないからな。
「確か、地球は太陽の周りを回っていたはずだ。」
ここで何かが引っかかる。
「(何だろうか……、『一日』という単位はどういう定義だ?)」
「地球が太陽の周りを回って……、地球自体も回っていたはずだ。」
「地球が太陽の周りを一周するのを一年とする……、でいいのかな。」
「だとすると、『一日』は地球の自転で一回転するのにかかる時間のことだ。」
後何か、生前で時間に関する知識はあっただろうか。
「(……。)」
「(!!)」
「相対性理論……っ!」
とは言えどうしたものか。
言葉は知っていても、意味はよく知らない。
光時計がどうとか。
光速は一定とか。
「(こんなことなら高校物理を勉強しておくんだったな……。)」
死んで、別世界で必要になる知識と予想できる人がいるだろうか?
俺はまだ13だぞ。
「(しょうがない、一応、相対性理論の方向で考えてみよう。)」
「確かぁ……、汽車に乗っている人が出てきた気がする。」
「汽車に乗っている人と、それを外から見てる人がいた。」
「そういう思考実験だった気がする。」
「なんかこう……、見る人が動いているかどうかで結果が変わる……みたいな。」
何だろう、思考に靄がかかっているようだ。
生前の記憶を思い出せ。
『いいか希、車の中でボールを投げるんだ。それをお前は外から見ている。』
『うん!』
『車はある方向に向かって走り、真上にボールを投げる。さて、違和感を感じないか?』
『え……?』
『車に乗っているオレからは、ボールが真上に移動して落ちてきただけだ。だが……。』
『……お前から見たらどうかな……?』
気が付くと目の前に、幻影が現れだした。
どうやら眠ってしまったらしい。
「(もう三週間たったのか……?)」
しかし、周りの風景は想像を絶するものだった。
俺が『闇』と表現したもの……それと白い煙。
それらの動きが明らかに加速している。
先ほど見た自身と少女の幻影も、信じられない速度で街へと移動した。
「(どういうことだ……?)」
加速する時の中に取り残されて少年はどうする。
夢の記憶を反芻する。
『オレからみたら……、移動しただけだ。だが……。』
『……お前から見たらどうかな……?』
「そうか。そういうことか!」
思い出した。
相対性理論、それをものすごくざっくり表現するとこうだ。
光速は一定不変。
そして、移動している人の一秒は静止している人の一秒よりも『速い』。
しかし、この世界線には『光』に当たるものがない。
つまり……。
「この世界線には時間が無かったんだ!」
とはいえ、何かがおかしい。
相対性理論を間違えて適用した気がする。
しかし、これで行くしかなさそうだ。
「つまり……俺か?」
「この俺の周りを包む空間と、外の世界では時間軸が違う。」
そして、周りの景色が加速し始めた、ということは……。
「静止しているのは俺だった……。」
つまり、この俺を包んでいる膜が俺を固定している。
この座標に。
「(ということは……。)」
完全に外界から外され、固定化された存在。
「(熱振動すらしていないということだ。つまり、この膜は……。)」
「(絶対零度?!)」
絶対零度、原子の振動が止まる温度だ。
この『膜』が何でできているかは知らないが、そんなことがあり得るのだろうか。
「(ファンタジーな世界に迷い込んだみたいだな。)」
移動はできるが、膜自体は固定されているのだろうか。
都合がよすぎる。
ならば、この膜を使おう。
とりあえず、手あたり次第物にぶつかった。
膜に変化は見られない。
「(そういえば、地に足をつけていなかったな。)」
体が浮くからと、すっかりこの世界の移動方式に慣れてしまった。
本来は地に足をつけて歩くものだ。
地面に足をつけ、歩く。
一歩、二歩、三歩、その時だ。
「えっ……?」
突然膜にひびが入り、砕け散った。
空からは朝日が降り注ぎ、俺は見たこともない場所にいた。
温かい。
『闇』も、もう、見えない。
「それでは、希さん、頼みますよ!」
女神の声だ。
振り向くと、少しだけ顔が見え、姿が消えた。
「どういうことだ……。」
しかし、ここはどこだろうか。
町中の様だが。
しばらく散策すると見たことある建物があった。
そう、最初の三週間、監視した自身の幻影が入っていった館である。
「どうかしたのか……あんた?」
「え?」
「この街に来るのは初めてか?」
「あそこが俺の家なんだ、茶でも出そう。」
「……。」
見知らぬ男と茶会をした。
毒があるかどうかは知らないが、普通に菓子はうまかった。
空を見上げると陽光が差している。
「(光だ……本当に光だ。)」
実に12週間ぶりの日光を浴びた。
見知らぬ男と会話ができたことで精神的回復も期待できそうだ。
なんせ、この世界にきて初めての会話だったのだから。
「(孤独は死よりも恐ろしい事なのだろうか。)」
雨上がりの空は蒼く、微かに埃っぽいにおいがした。
そして俺は倒れた。
「……気が付いたか。」
眼を開けるとそこには例の男がいた。
「茶を飲んだ後に、家の前で倒れてたので驚いたぞ。」
出モドリかよ。
と言うよりも、言葉は通じるのか。
「すいません、介抱してくれてありがとう。」
「きにするな。この街では助け合うのが習わしだ。」
感謝を述べて、俺はある所に向かった。
そう、初めてこの世界に来たあの場所だ。
街のはずれ、草原が広がるばかりのこの場所だ。
「(……そろそろか。)」
背後で足音がする。
「ほう、もう時の逆流を止めたのか。」
振り返るとそこには俺がいるようにみえた。
「……お前は誰だ。」
「異なことを聴く。」
「私は、そうだな……。」
右手でこちらを指す。
「お前だよ。」
「……誰かを指差すのに便利だから人差し指って呼ぶと思っていないか。」
「君の世界ではそういう区分のはずだが……。」
「失礼だと言っているんだ。」
口に疑問を含んだ顔だ。
「……空気を吸ったのは疑問を含んだからではないぞ。」
「質問に答えてもらおう。」
「それにはついてはもう答えた。」
「……その右手に持っているものは何だ。」
「これか?」
「この世界の……。」
「『世界線』だよ。」
俺がこの世界に来た最初の目的。
「何故、お前がそれを持っている。」
「これまた異なことだ。」
「君はすでにこの世界に来て、見ていたはずだ。」
「私が『世界線』を渡すところを。」
一体どういうことだ。
「(俺が見ていた幻影……、あれは俺自身ではなく、コイツだった?)」
「動揺が見て取れるな。」
「当然だ。同じ姿なのに声が違う。変装する気があるのかないのかはっきりしろ。」
「ふっ、その態度もいつまで続くのだろうか。」
「まあいい。じきにここに少女が来る。」
「その時に『世界線』を渡せばいいだけのことだ。」
「待てよ。」
そうはいかない。
「どうしたというのかね?」
「『世界線』の回収は『俺』が頼まれたんだ。」
「その世界線を譲ってもらえないか。」
「……断る、と言ったら?」
そんなもの、答えは決まっている。
世界を救うという大義名分、自分の姿に変装している不安要素、排除する理由はいくらでもある。
「……奪うしかなくなる、な。」
視線をそらし、空を見上げる。
青く、青く、限りなく蒼い……。
「ただ、な。」
「俺は戦いたいわけじゃないんだ。」
「見ろよ、この空の色を。」
「太陽の光を。」
向こうさんも驚いている。
相手も手荒い歓迎を覚悟していたのだろうか。
「だから、穏便に済ませたい。」
「その『世界線』、譲ってくれないか?」
すると相手は微笑んで。
「……嫌だよ。」
「何故だ。」
「そっちの言ってることがほとんど理解できないんだ。」
「僕がここに来たのは簡単さ。」
「これをもって、ここに来る。」
「それだけさ。」
「……そうか。」
「それがお前の『素顔』か。」
気が付くと太陽は傾いていた。
夕暮れ時の平原にあるのは二人の影だけだった。
生ぬるい風が吹き、風はせせらぎを奏でる。
「……君はさ……。」
「ん?」
「仮に苦しんでる孤児がいたとして、その子がもう殺してくれって言ったらそうするかい?」
何を言っている。
「そいつのためなら殺すべきなのかもな。」
「でも……。」
「多分、殺さない。」
「へぇ。」
「なんで?」
微笑はそのままに、氷の視線を感じた。
相手は大きく息を吸う。
「……今吸ったのは疑問か。」
「そういうこと。」
「……不可逆だからだ。」
「え?」
「生きていてもつらいかもしれない、もう絶望しかないかもしれない。それでも……。」
「生きている限り、変化することができるからだ。」
「君は死んだら、それから先は何もないと考えているのかい?」
「今は、そうだ。」
「それに……。」
現世での記憶がよぎる。
「人は、結局死ぬ。」
「結果が同じなら、人はその過程を変えることしかできない。」
「生きている限り。」
黄昏時の草原で言の葉が舞う。
「……楽観主義と現実主義の混合……それが君の思考かい?」
「そうかもしれない。」
「結局、人は法や倫理で縛っても、殺人は起きるんだ。」
「なら、殺してくれよ。僕を。」
「君は別世界から来た存在なんだろ?」
「お前……、どこまで知っている。」
「最初に言っただろ、僕は君だ。」
「何だと……。」
「僕は異都望。」
「この『逆流捻転世界線』の『概念悪』さ。」
「……。」
すると突然相手の体から色が抜け落ちた。
髪は白色、肌も病的に白い。
瞳は赤く染まり、その眼光は太陽を思わせた。
相手を殺めずに済ませたい『俺』、俺に殺されたい『僕』。
「もはや言葉に意味はない。君が行動で証明するしかない。」
「僕を殺して、自分が希だということを証明するしか道はない。」
「それができないのなら……。」
「この世界は終わる。」
白髪が太陽に照らされ輝いている。
「なぜだ……。」
「なぜ、別の道を考えない。」
「何言っているんだ?」
「生きてる限り、何か変化が起きるはずだろ、なぜ殺されたいんだ。」
「結局、最後はみな死ぬんだ。さっきの孤児の例えと一緒だ。」
変えられるのは過程だ。
「……そうかもね。君は僕と一緒に、その、別の道を、模索をしてくれるのかい?」
「……。」
「そうさ。もう時間がない。君も知っているはずだ。女神はもうじきここに来る。」
「しかし……。」
「そう、女神はここに来る。最後に残ったノゾミと『世界線』を迎えに……、ね。だから、結果は同じ。変えられるのは過程だけ、孤児と同じさ。」
二人向かい合い、言葉を失う。
『言外の証明』を相手に行われてはもはや疑う余地はない。
こいつは俺だ。
恐らく、繰り返す時間から抜け出せなかった俺だ。
「お前は誰だ……。」
「何度も聞くなよ。僕は君さ。」
「そういうことか。」
「どうしたのさ。」
「お前の言っていることが、ようやくわかった気がする。」
「その言葉に意味はあるのかい?」
「……。」
流れるのは沈黙と風だけだ。
「なに、君が病むことはない。この世界の『悪』を滅ぼすんだから。人も、神も、君をたたえるだろう。」
「しかし……。」
「言っただろ……、もう言葉に意味はない。」
「今から君がする行動が、僕への言葉だ。」
「……。」
両手を首に持っていく。
僕は微笑んでいる。
「そうだ、道具は使うな。君はその手で、この世の悪を滅ぼすんだ。」
「……悪いな。」
「え?」
辺りには誰もいない。
この同一の存在を除いて。
片手を相手の後頭部に当て、口づけを交わす。
「……君、何やってるの?」
「いいから黙れ。」
「え?」
「殺されたいんだろ?!」
僕の体が発光していく。
そして、次第に姿が朧気に消えていく。
「そうか、同一存在だから、取り込めるということか……。」
「『個』としてのお前は消える……、だが、俺と共に生きろ。」
僕は驚いていた。
「……どうしてここまでのことを?」
言ってくれるぜ。
「……お前は誰だ?」
苦悶を含んだ笑みを僕に向ける。
「ははっ!最高だよ。まさかここでも『言外の証明』とはね。」
僕は笑った。
「僕は君だよ。殺してくれたお礼に『世界線』は好きにすると言い。」
こうして、夕暮れと共に僕は消え、『世界線』と一人だけが残った。
そうさ。
最初から気づいていた。
「(転生したときも、後ろからついてきていたのも、全部……。)」
全部君だったんだろう?
「希さん……?」
女神がついたのはそれからしばらくしてだった。