逆流捻転世界線ツイスト・タイミング 前編
「やりましたね、希さん、それが『世界線』ですよ!」
女神たる少女の声だ。
「ここは……?」
周囲に目を配ると、白い地面と青い空間だけが見えた。
ここはそうだ、俺が初めて転生する時に女神と会った場所だ。
異世界への移動中は、ここに連れてこられるのだろうか。
自分がどこにいるのかもよくわからない。
「あっ。」
視線を上にあげると少女がいた。
「ありがとうございます、希さん。」
やはり女神は空中に浮いている。
「『偽善世界線』の回収、及び、『概念悪』の殲滅……、こちらの要求は全て満たしてくれました。」
「そうなのか?」
「ええ。」
「実は……。」
心の内を話そうか。
「教会に行った後、いきなりここに連れてきただろ?」
「はい!」
「だから、ここがどこかよくわからないんだが。」
「そうですね……。」
空中で足を組んで、顎に手をやる。
考えているジェスチャーなのだろうか。
女神も気分が高揚しているのか、言葉の端から活力が見えるようだ。
「現状の把握……、それから話していきましょうか。」
「そうしてくれると助かる。」
慈愛に満ちた笑顔を向けられる。
「ここは最初に私と出会った場所、とでも言いましょうか。希さんが転生するときも、ここに来ていたんですよ。」
「やはりそうか。」
「気づいていたんですね。そして、すでに別の世界線へと移動しています。」
なかなかに忙しい神だ。
「結局、あの世界での『概念悪』は、『根拠のない差別』だった……、と言うことでいいのか?」
「えっ……。」
女神の顔が険しくなる。
「……そこまで見抜いていたんですか?」
「……どういう意味だ……。」
互いに顔を合わせながら沈黙が訪れる。
10……、20……、30秒は流れたか。
こちらから訊いてみるか。
「最初は確かに、人族の迫害……、それがあの世界線の『概念悪』だと考えていた。」
「ふむふむ。」
わざとらしいリアクションだ。
「……ただ、獣人達は過酷な労働環境でも耐え抜いて、適応していた。人間では体を壊してしまうような環境でも……だ。だから本来、互いの国家があれば、獣人と人族の立場は逆なんじゃないかと考えた、ここまではいいかな?」
「ええ、わかりますよ。」
「転生する前に聞いただろ、『概念悪』とは何か……と。それを含んで考えたんだ。」
少し間を置く。
「世界を堕落させているものと聞いても、よくわからなかった。だから、解釈を変えたんだ。」
「それは、どのように?」
「それは、世界の歪んでいる場所はどこか……、そう考えたとき、ひとつ引っかかった。」
「それが獣人と人族の関係ですか。」
「そうだ。人口も多く、個体で見ても獣人のほうが少なくとも『身体能力』では勝っているように見えた。俺があの世界線に行かなくても、暴動くらいは起こせるはずなんだ。」
「でも起きなかったと?」
「ああ。だから、根拠のない差別があの世界を堕落させているのか、もしくは……。」
「獣人の『卑屈な感情』が『概念悪』なのではないかと考えていた。」
「なるほど。」
少女は以前の笑みを取り戻した。
「ただ、教会で取った物が『世界線』というのは誤算だった。」
「どうして、それが『世界線』だとわかるんですか?」
「ここに連れてこられた、それが証明だ。」
女神は驚いているようだった。
「あなたは本当に……、言外での証明が得意ですね……。」
感心しているというよりも、呆れているような気がする。
やれやれ、といった感じの笑みだ。
「そういうあんたも、話がしやすいように、さっきは質問攻めしてくれてたんだろ?」
「ハハハッ……。」
「というわけで、これを渡す。」
「はい、確かに受け取りました!」
すると、右手に握られていた結晶がひとりでに女神の傍らまで移動した。
女神の隣で、『それ』も空中に浮いている。
「しかし、希さん、驚異的な速度でひとつの世界線を救いましたね。」
「そうか?」
「ええ、貴方が転生してからおおよそ3週間程度ですよ。速すぎます。」
「他の人たちは大体どれくらいの時間がかかるんだ?」
「それは……秘密です!」
「えぇ……。」
「今の希さんに言うと、絶対に調子に乗るので言いません!絶ッ対に!!!」
よくわかってらっしゃる。
世界を救うとか、そういう単語にロマンを感じないわけがない。
ただ惜しむらくはイデとゴアに別れの話をする時間がなかったことだ。
「ひとつ聞いてもいいか?」
「何でしょう。」
「『概念悪』と『世界線』、それらがなくなった異世界はどうなるんだ?」
「どう、と言われましても。そのまま世界は続きますよ。今回の世界線でいえば、獣人達は人族と平等な立場を手に入れて、生活が豊かになるでしょう。ただ、貴方を知っている人たちは、少し不安に思うかもしれませんが。」
やはりそうなってしまうのか。
「あの『世界線』の知識でいうならば、獣人ギルドの創設をした後、旅に出たと思われるんじゃないでしょうか?」
そんなもんか。
「獣人達が人族と同じ立場を手に入れたのですから、恐らく、希さんの代理人が獣人の中から出てくるはずです。」
「どうしてそう言い切れるんだ?」
「それはあなたが『概念悪』をなくしたから。もしも『概念悪』がいまだにあの世界線にあるのなら、獣人達は人族に支配されるはずですから。理由はいくらでも用意できます。人族の技術が獣人より一歩先を行っているから、獣人の本能だから、などですね。」
「獣人達が支配されていた原因が『概念悪』で、それを取り除いたから少なくとも、『迫害』されることはない……と?」
「つまり、あの国はもうすでに俺がいなくてもあのままだと?」
「そうですね……、少なくとも、転生前よりは酷くならないはずです。」
「そうか。」
それを聞いて安堵した。
俺がいなくなったためにギルドの解体が行われ、獣人達が再び支配された……、なんてことになったら、それはそれで気分がよくない。
きっと大丈夫。
彼らなら、彼女らなら。
「と言うことは今後は『世界線』の回収と『概念悪』の殲滅だけを考えていればいいのか?」
「そういうことです。あなたがいなくなった後の世界は独立して動き出します。そして、それは転生前の世界以上に歪むことはありません。」
女神は口元で人差し指を立て、右目を閉じている。
この話はここだけですよ、とでも言いたそうだ。
「希さんなら、ここまで言えばわかるんじゃないですか?」
なんだ、女神も言外にいろんなことを説明するじゃないか。
俺もなんだか肩の荷が下りた気がする。
連日の緊張で知らないうちに体に負荷をかけてしまっていたのかもしれない。
もういいか、この白い地面に座ってしまおう。
片腕で体を支えながら、女神を見上げる。
「さて、希さん、そろそろ次の説明に入りますよ。」
「わかった。」
「と言ってもですね、その前に少し話ておくことがあります。まず、今回からは世界線に転生したらすぐに私と話はできなくなります。」
「これまた急だな。」
「前回は初回でしたから、転生後も街に入るまでは案内しましたが、今回からはそれがありませんので。そしてこれが重要なんですが……。」
女神が大きく息を吸う。
「今回から、異世界の言語を自力で習得していただきます。」
「え?」
「前回は翻訳機能をつけておきましたが、どうも調子がよくないんです。ですので、あなたが転生した後に言語を学ぶしかないです。」
なんということだ。
「ん?『今回から』ということは……。」
「そうです。転生するたびにその世界の言語を学んでいただきます。」
おいおい、冗談だろう。
言語の壁がなかったから話や交渉、宿をとったりすることができたんだ。
それを自力でしろと言うのか。
それもみんなが話をしている中で、学びながらだと。
「(アルファベットを知らないのに、英語圏に旅行に行くようなもんだぞ……。)」
そう、文字も読めない、というより知らない。
話をすることもできない。
それならばこちらも聞いておくことがある。
「ええと……、そういうことならわかったけど、世界線を救うのに期間とかはないのか?」
「はい。こちらからの期限はありません。」
「そうか……。」
「それとですね。」
「まだ何かあるのか!?」
「はい。世界線の説明なんですが、あれも今回から無くなります。」
「えぇ……。」
「と言うのもですね、もともと説明はないんですよ。以前の世界線は、ホラ、転生前に言いませんでしたか?すこし変わり者の神が作った世界だと。」
そんなことを言っていた様な気もする。
「これは前回が特例だったために説明できたんです。もともと、説明はないものなんです。」
「そういうことか……。」
変わり者の神の、ヘンな所に救われていたのだろうか。
「ということは、世界線の移動と雑談くらいしかできないのか?」
「そうなっちゃいますね。ハハ……。」
女神も苦笑している。
向こうも突然、条件を変更したことに負い目を感じているのだろうか。
「でも、意外でした。」
「え?」
「もっと悪態をついたり、別の条件を付けたり、そういった転生者も少なくないのです。」
「へぇ。」
「一番最悪なのは、あれですよ。転生したら世界を救わずにのほほんと暮らすタイプです。言い合いになって条件を飲まなかったら、そういうことをする転生者もいるんです。」
「……もし俺がしたらどうなるんだ?」
「……魂ごと砕きましょうかね。」
冷徹な笑顔も浮かべられるのか。
「……だから、希さんには感謝しています。」
「……そろそろ転生の時間です。それでは、希さん、行ってらっしゃい。特に私からすることはありませんが、常にあなたの傍に。」
「わかった。いつでもいいぞ。」
「はい。それでは……。」
大きく息を吸い、右手を振り上げ、女神は宣言した。
「我によって選ばれし者よ、逆流捻転世界線ツイスト・タイミングに顕現せよ!」
体が光に包まれる。
すると、地面から真っ白に輝く五枚の花弁のようなものが出てき、俺の体を包んだ。
「(光だ……。)」
「(眩しい……。)」
「(あれは……。)」
目の前に一人の男と少女がいる。
仲良く何か話をしている。
「(というより、いつ地面につくんだろうか。)」
体の調子も何かおかしい。
そう、何かが。
「(転生に失敗とかあるのか?)」
女神のすることに間違いはあるのか?
それとも、これがこの世界線ではよくおこる現象なのだろうか。
「(それがわからないし、女神と話をすることもできない以上、このまま『世界線』を探すしかないか。)」
それからは少しずつだがこの世界について知っていくことになる。
まず、俺の体は転生する時のように、少し空中に浮いている。
体の周りを覆う、青い空間もそのままある。
そして、体が空中にあるのだからと、試してみた結果、俺の体は浮くことを発見した。
10メートルくらいまでは浮くことができた。
それ以上は少し怖くなったのでやめた。
体を動かすわけでもないのに空中に浮くことができる。
不思議な気分だ。
感覚としては水中で息継ぎのために水面に浮上するのに似ている。
「(さて……、この近くに国や町、集落はあるのだろうか。)」
辺りは真っ暗だ。
2メートルくらい先もよく見えない。
「(暗闇を歩くのはありなのか?)」
太陽が昇るまで待つ……、という手もありなのかな。
以前の世界線は近くに国があったために、探索をほとんど行う必要がなかった。
今回はある意味で、自力だけで世界に干渉しなくてはならない。
「(ゴア……、しっかりやってるかな。)」
「(いかんいかん、感傷に浸る時間はない。)」
探索していると目が慣れるはずだ。
最初は不気味かもしれないが、行こう。
歩き出すんだ、暗闇へ。
「(と言っても、足は地面についてないんですけどね。)」
よし、冗談を考えるくらいには余裕ができた。
行くか。
暗闇を手探りで探る。
……重言かな。
しかし、こうも体が浮いていると勝手が違う。
何があるかもわからない場所、様子のおかしい体、これが異世界か。
足元に注意しながら、片腕を前に構えながら探索することにした。
これなら暗闇で地面を見れる。
そして、前に大きな木などがあれば、腕で確認することができる。
「(少し不安だが、体が宙に浮いていることだし胡坐で移動するか。)」
座ったまま浮いて移動なんて、夢のようだな。
「(そのおかげか足も疲れない。)」
意外と探索しやすい世界線なのかもしれない。
「(ん?なんだ、これは……。)」
何か腕にぶつかった。
しかし、前を向いてもこれまで来た道のように、眼前には闇が広がるばかりであった。
「大木か何かか……?」
よくよく考えると周りに生き物も見えないので、自分で話をすることにした。
独り言でもないよりかはましだろう。
「どうなってやがる。」
「前にものがあって見えていないだけなのか、何か透明なものがあるのか……。」
飛び越えてみようか。
3メートルも上に行けば様子が変わるかもしれない。
「(ん?)」
しかしどれほど上に行こうと、左右で場所を変えても目の前に何かがある。
一体どういうことだろうか。
そしてこの時、俺はこの世界にきてからの違和感に気付いた。
何かがおかしい。
何かが。
「(この暗闇で探索し始めてから、もう20分は経った気がする。)」
普通、5分もいれば目が慣れるはずだ。
未だに目が慣れない。
足元に何があるのかすらわからない。
「(そして俺はさっき、太陽が昇るまで待つかと考えていたが……。この世界線には太陽にあたるものがないのではないか?とすると……。)」
「(目の前に広がるこれは……、闇ではない?!)」
様々な憶測が脳内で飛び交う。
「(今考えられるのは、これくらいか。)」
「……戻ろう。」
情報も知識も足りない。
目の前に何があるかもわからないのが現状なのだ。
もと居た場所に戻ろう。
「(そろそろ元の場所に戻ってもおかしくなさそうだが。)」
すると、目の前の闇が晴れる場所に出た。
転生時の場所に戻ってきたようだ。
先ほど見た男女もまだここにいる。
少し休んでから、次は別の方向に探索してみようか。
体は空中に浮いているが、横になってもそのままなのだろうか。
「(あ、そのままっぽい。)」
宙に浮いたまま眠る。
目をつぶっても、脳がいろいろと考える。
何せこの世界にきてから、目の前の男女くらいしか目にしていないのだ。
後は、あの闇のような、『何か』か。
「(それに……。)」
獣人達のことが離れない。
意識して考えないようにしてはいるものの、頭に引っかかりを感じる。
「(きっとうまくしてる……、そう考えるしかないか。)」
結局、よく眠ることはできず体育座りで二人組の男女を眺める。
なんだか懐かしい。
もとの世界でも休日には公園で親子や恋人同士がイチャイチャしていたなぁ。
そんなことを考えてはいるが、頭はよく働いていない。
つまり、ただぼーっとしているのだ。
「(さっき行った場所には何があったんだろう。大きな木にしては隙間が無さすぎだ。)」
「(隙間がない……、そう、まるで壁が目の前にあるような……。)」
大きな木でも目の前を覆うような形にはならない。
「(これ以上の情報を得るには、何か明かりが必要だろう。)」
目前にあるのは大きな石板か、植物か、はたまた両者でもない何かか。
とにかくこれ以上考えても、全ては憶測にすぎない。
別の方向を探索しよう。
「(幸い、先ほどの探索では生き物は見当たらなかった。この辺りに生き物はいないのかもしれない。)」
少なくとも動物はいないだろう。
辺りが静かすぎる。
再び闇の中へ。
「(相変わらず誰もいないな。)」
「(ん?)」
しばらく歩くとやはり腕に何か感触が。
そしてやはりと言うか、3メートル四方を調べても『何か』が行く手を阻む。
「(もしかして、ここは何かの建物の中か?)」
大きな家の中に閉じ込められているようなものか?
どうせ生き物もいない、ここでしばらく考えよう。
偽善世界線だっけか、ではまず何をしたっけ。
「(まず、宿を取ったな。)」
「(あ、その前に言葉が通じるか確認したっけ……。)」
そういえばこの世界で唯一合った男女二人組。
あの人たちに接触しようか。
「(そうするにしても……。)」
女神の行っていたことを思い出す。
『今回から、異世界の言語を自力で習得していただきます。』
話をするにしてもどうすればいいかわからない。
わからないまま接触するしかないか。
というわけで、三度、元の場所に戻る。
男女二人組はまだいた。
近くまで移動し、背を向けるようにして座る。
眼を閉じて思考を整える。
「(いいか……相手の言葉はよくわからない。だから、丁寧に聞き取ろう。)」
立ち上がり、振り返る。
「あ、あのー……。」
しかし言葉は出なかった。
目の前にいる二人組、それは希と女神だった。
「(一体どういうことだ?!)」