希望の光
イデの喫茶店に行くことになった。
様々な施設を回る前、前日に話は聞いていた。
「もう揃ったのか?」
「ええ、……獣人にとっては悲願のギルド設立ですから。イデが特別に張り切っているというわけではないはずです。」
大きな耳を白い衣で隠している。
「なるほど、獣人の望み、ひいては大願でもあると。」
「はい。設立が成功すれば、途方もない数の獣人が来てくれるのではないでしょうか。」
「いろいろとありました。……いろいろと……。」
夕焼けに照らされて、少し寂しそうな笑みを浮かべていた。
「希さん。」
「なんだ?」
「これは獣人達の『希望』でもあります。ですので、これ以上は……。」
「ああ、わかった。」
いままでも外では大きな声でギルドについては話をしなかった。
設立目前で人に見つかって、設立が失敗に終わるとすべての獣人が絶望するのだろう。
「良かったら、また、手を取ってくれませんか……。」
「ああ……。」
そこからは二人とも黙って帰った。
イデの店につくと、何やら騒がしい。
普段見慣れない者たちがいる。
人族だ。
扉を開け、奥の椅子に座る。
「イデ、この騒ぎは何だ?」
「どうやら、ギルドの設立に気付かれたようです。」
「えっ!どうするんだ?」
振り返ってみると、店の入り口に白い衣を着た人族がニ、三、いる。
やれ獣人が人に歯向かうのか、だの、室内で衣を脱ぐな、だのと、のたうち回っている。
「幸いまだ人数が少ないです。今日中に書類を書いて、明日出しに行こうと思います。そこで希さん、奥で書類をまとめてくれませんか?」
「条件がある。」
イデの耳が動く。
「……なんでしょう?」
「……ゴアもつけてくれ。」
「わかりました。さあ、行きましょう。書類はもう置いてありますので。」
後ろから押される。
結構温かい。
背を押されながら、後ろ向きに言う。
「……なあ、イデ。」
「はい。」
「あいつらは放っておいて大丈夫なのか?」
「恐らくですが、今日は大丈夫です。明日はわからないかもしれません。」
「なるほど。」
「私の命にかえてでも、守ります。」
「……。」
何も言えなかった。
「黙ったまま、歩くとそこは暗闇であった。」
扉が閉まり、また薄暗い場所でゴアが言った。
「……あまり悲観しないでください、のぞみさん。」
「悪い。」
「謝らないでください。あなたは私たちの指導者なのだから。」
「そうか……そうだな。」
歩いていく。
もう夕方でほとんどの獣人達は帰ったようだ。
端のほうで一人だけが残って作業をしているようだった。
「ゴア、机はどこにある?」
「わかりません。ですが、イデがここに書類があると言っていたので、どこかにあるはずです。」
「まいったなぁ。」
「わっ!」
「え」
「ひゃっ!」
突然の叫び声。
振り返ると白い半月型の円が。
「……その声はザックか?」
「そうだ。よく気付いたな、アンちゃん。」
「外の様子は知っているのか?」
「ああ、さっきイデのネェちゃんが青ざめて書類を持ってきてた。大方、人族に漏れたんだろう。」
「その通りです。」
「よく分かるな。」
「わしにはこの耳があるからな。で、その書類に用があるんじゃないのか?」
「ああ、そうなんだが、どこに置いてあるかわからないんだ。」
「外が騒がしく、時間がありませんでしたから。」
「ああ、わしが知ってるよ。ついて来い。」
「いいのか?」
「ああ、アンちゃんだしな。」
焦げ臭いような、苦いような煙を吸いながら奥に進む。
ザックは背丈は小さいように見える。
1メートル50センチくらいか……?
しかし、この部屋の内部が見えているのか歩みに迷いがない。
しばらく鉄を流す筒に沿って歩くと、三段重ねのタルがあった。
「ちょっと下がってな。フンッ。」
タルを除けるとそこには空き部屋が。
「ここだ。イデのネーちゃんの時もわしが明けたんだ。」
「こんな作りなのか。」
確かに机と書類だけがある。
「灯りは何とかなりそうか?」
「ああ、わしはまだ残ってるからな。今よりかは明るくなるはずだ。」
そして、ザックはしばらくすると機械を操作し、熱した鉄であろう物質を叩いていた。
なるほど。
確かに明るい。
熱した鉄からでる赤い光線が部屋中を覆うようだ。
「ゴア、書類に何を書けばいいか教えてくれ。」
「はい。」
そこからは地獄の様だった。
書けない文字をゴアに書いてもらう。
そして、ゴアがすべての書類に下書きをした後、俺が書く。
明かりのためとはいえ、そんな設備はない。
故にザックが作業をしている鉄からの光線を光源にするしかない。
しかし、表向きは獣人の店のため、換気する装置もない。
よって、部屋はかなりの高温となり、肌が露出している顔が特に熱く感じられる。
それでも何とか作業を終えた。
しかしここで問題があった。
最後に判が必要だった。
しかし、ここにそんなものはない。
「どうしましょう……。」
歯を喰いしばりそうな勢いだ。
しかし、ここまできたのだ。
ゴアも引けない。
意地でも判を押す策を考える。
しかし、何も出ない。
日ごろの疲労が出た。
そして部屋のこの高温である。
ここまでか、そんなとき。
「……なあ、要は俺が判を押したのがわかって、俺以外が押せない判ならいいんだろう?」
「……はい、デスが……。」
「邪魔するなよ?」
席を立ち、ザックの横に立つ。
「にいちゃんあぶねぇぞ。作業中だ。」
「……聞こえてたんだろ。」
耳がいいのは知ってるぞ。
「……ああ、どうするつもりだ?」
「……約束だからな。叩いた鉄を伸ばす機械はあるか?」
「それならこっちだ。」
「ここでは一応、叩いた鉄の保存もする。結構規模のでかい作業場だ。だから、鉄の形をインゴットにして保存するんだが、たまに少し余るんだ。そういった鉄は冷えて固まった後、薄く延ばしておいておく。それをするのがここだ。」
それは部屋の最深部。
どうしても音の出る作業なので苦肉の策として部屋の最奥においてある。
「ここに鉄をおいて、棒を回すと、これが閉まる。これも鉄でできてるから、鉄を伸ばすことができるんだ。」
「なるほど。」
「とはいえどうするんだ?ゴアのネーちゃんも見てるぞ。」
何も言わずに部屋の入り口から見ている。
「こうするんだよ。ふんっ。」
金属部分の角に手を打つ。
「希さんっ?!」
「何やってんだよっ?!血が出てるぞ!」
二人とも驚く。
「……いいんだよ、これで。部屋が暗くてよく見えないし、足りねえぇな……。」
「足りないって、何がだよ?!」
「……。」
「おい?」
「……血だっ!」
再び打ち付ける。
一度目で抉れた皮膚がさらに裂け、鮮血が滴る。
「希さん何をっ?!早く止めないとっ!」
「ゴア、紙を持ってこい。」
「しかし!」
「紙を持って来いって言ってんだろうがぁっ!!!」
「ひっ!」
それでもゴアは動かなかったので、睨みつける。
「立て、ゴア!獣人(お前ら)は言っただろう!俺を信用すると!」
「なら行け!イデ達もここを守ってるんだ。無駄にはできない!」
判を押すのも自分でやらねばならない。
通常ならば、少し派手に見えるがこの傷では命に別状はない。
しかし、希とゴアは一日中歩き回った後に書類をまとめた。
この、灼熱の文字通りの鉄火場で。
故に浴びている。
ゴアも希も。
ザックが叩いていた物質の熱、灯りを。
一日の疲労とこの過酷な環境で肉体は限界に近い。
そして、どこか眠気も感じていた。
故に体も高温になり、いつもよりも心拍が速い。
それ故、それ故に、希の右手からは血が止まらない。
はやく判をおし、処置をしなければ病気にもなりうる。
そう、本来ここは人族に見つからないように明かりも設備も少ない。
人通りも少ない。
掃除が行き届いているわけでもない。
「(感染症を引き起こす前に判を押さないと……。)」
「希さん……ッ!」
走っていった。
ゴアはすぐに戻ってきた。
この部屋自体が狭いのもある。
「これの、ここです!」
紙の右下に大き目の円が見える。
「ここに押してください!」
「おう!」
右手を契約書に伸ばす。
そのとき、悪寒が走る。
気付くと希は倒れていた。
「……。」
「……!」
「(何言ってるかわからねぇ……。頭が……。)」
すると様子を察したのか、ゴアが右手を持ち、左手で契約書を眼前に差し出した。
そう、この契約書、魔法により人族以外が判を押すと、獣人は魔力の反動を受ける。
だから、満身創痍ながらも希が押すしかない。
「契約書の二、三……枚…………目……?」
もはや視界も霧がかかってきた。
それでもゴアは契約書を顔に打ち付けるように見せる。
「もう……体が……。」
眼を開けていられない。
ここですべては終わる。
その時だ。
そう言えば、なんでこの世界に来たんだっけ……?
……神?そう、神だ。
そうそう、みんな白い布を着てたっけ。
ピュイの実とかいうのも食べた。
何でだろう?
なんでってそりゃ、『異世界』だもの。
現世の常識なんて欠片もない。
そういえば、目的を失ったこともあったっけ。
『己の無力さを感じる。
世界を救うだのなんだの言っても、一個人ではないか。
俺に何ができる……。』ってさ。
そうだよ。
……そこからどうやってここまで来たんだ・・・?
………………。
…………。
……ッ!
熱い。
熱量を感じる。
血液の抜けた体に一塊の熱……!
結晶化された熱さ、熱さ、熱さ!
熱さ、そのものをっ!
水分も感じる、……!!!
傷に沁みる!
体のどこだ……傷……傷つけた右手……。
……涙?
滝のように涙を流すゴアだ。
そうだ、ゴアだっ!
脳裏に焼き付く記憶。
『……今日は何か召し上がりましたか……?』
『……出過ぎた真似ですが、よければこの後、食事に行きませんか?』
「……それでは、私は『漆黒漬けの木の葉や木』を一つ。」
思考の根源に近づいていく。
……。
『……あなたが知りたいことは何なんですか……?』
閃光が走り、体の中で爆発した。
体中に熱が集まる。
彼女こそが、この世界の灯りだ。
体中に熱が伝わる。
そうだ。彼女だ。
右手から伝ってくる。
この世界が堕落しているのは……。
涙を流してるんだ、傷に沁みてる。
この奴隷制度だ!
契約書以前に気遣ってくれている。
この世界の悪……。
俺の喪失を嘆いてくれている!
ならば世に出すものは……。
彼女の名は……。
希望の光




