魔法使いです。別れと出会いの季節です。
時系列がちょっとバラバラです。視点変更有り。
今回は補完というか、バックグラウンド的な、アレです。
時は少し戻り、俺が故郷を離れて王都へと向かう日のことだ。
「もう行くの?」
俺が自分の部屋で荷物の整理をしていると、妹のエリーゼが部屋の前に立ってそう聞いてきた。
「おう、そろそろな。馬車も待たせてるし」
俺は今一度旅行鞄の中身を確認しつつ、エリーゼに返事をする。
エリーゼはというとムッとしたような、何か言いたそうなそんな複雑な表情のまま壁に寄りかかっていた。
「え、なに、どうしたん?」
「……兄ちゃんが入る騎士団って王都にあるんだっけ?」
その表情の真意を知るべく投げかけた俺の質問を、エリーゼは物の見事にスルーして、別の問いを重ねてくる。
俺は薄く嘆息しながらも律儀に妹の質問に答えてあげた。
「まあそうだな。最初はどうにかこの家から通えないかと考えてみたんだが、ちょっと難しい」
「ふーん……」
エリーゼがくるくると自分の黒髪を指に巻き付ける。
ん……? エリーゼがこういう仕草をする時は、大体が寂しさを感じた時だということを俺は長年のお兄ちゃん生によって熟知していた。
ふふ、全く愛い奴め。
「成る程。つまりお兄ちゃんが居なくなって寂しいのかエリーゼちゃんは?」
「は?」
俺が片目でウィンクしながら聞くと、汚物か何かを見るかのような視線を向けてきた。
おっとぉアベル選手選択を間違えた感ありますねえ。どうしましょうかこの空気。
兄妹の涙のお別れシーンが苦い思い出に変わってしまいそうです。
俺が視線を彷徨わせながら突破口を見つけようとしていると、エリーゼがふと目を伏せた。
俺はそれを見て、一つ息を吐き纏めた荷物を持ってエリーゼに近付いた。
空いた右手で妹の柔らかな黒髪に触れて、たおやかに撫でる。
十数年連れ添った小さな妹の成長を手の平から感じ取る。
俺の今までの人生で最も長い時間を過ごした相手。
目の前で嫌そうな顔を浮かべながらも、それでも俺の手を払いのけようとはしない、俺の大切な家族の髪を優しく梳かした。
確かめるように。忘れないように。
「外国に行くって訳でもないんだ。いつでも会えるよエリーゼ」
「…………」
「あっちに行ったら手紙書くからさ」
「……別に。読まないし……」
「いや読んでよぉ……」
最後までツンツンしてんなこいつ……。お兄ちゃん君のデレた姿も見てみたいんですけど……。
「週一」
「……え、なにが?」
「週に一回は手紙書いて送ること。そうしたら読んであげる」
…………。
俺は苦笑しながら、妹の提案した最大限の譲歩にありがたく乗せてもらうことにした。
「……はは、ちゃんと返事返してくれるか?」
「仕方ないし、やってあげる」
「おう。なら兄ちゃん頑張って手紙書くよ」
妹の頭から手を離し、俺は荷物を持って玄関へと向かう。
顔を伏せた妹の目尻から僅かに光る水滴が見えた気がしたが……気のせいだということにした。
「またなエリーゼ」
「……またね兄ちゃん」
きっとすぐに、また会える。
そんな確信を覚えて、俺は王都へと向かう。
ーー騎士に成る為に。
恐らく、感動的な場面になるはずだったんだろう。
…………俺が騎士団に入団する際に必要な書類を家に忘れなければ。
すごすごと家に忘れ物を取りに来る俺を見て、エリーゼは心底白けた目をしていた気がしたが……気のせいだと思うことにした。
◇◆◇◆
(ルーナ視点)
魔術大会の後、私が卒業後の進路について考えていた時の事でした。
「王宮魔法騎士団への推薦枠が一つ残っているのだが、応募してみる気はないかクロイツェル? 確か貴様の希望する進路は『騎士』だったはずだ。」
氷の目をした教師。
刀より鋭い言葉を使う先生。
鬼教官……。
そんな数多くの異名で呼ばれ生徒から畏怖の念を送られる、あのミッシェル先生から呼び出された私。
恐る恐る教員室に赴くやいなや、開口一番に示されたのは『騎士団推薦』の話題でした。
私にとってそれは、思いもよらず飛び込んできた一筋の光のように見えて。
二つ返事で引き受けようと心は命じていましたが、私には少し気掛かりなことがありました。
王宮魔法騎士団と言えば、文字通り王宮を中心に活動する騎士団のことであり、様々な魔法のエキスパート集団でもあります。
そんな所に入って、もし私の正体……つまり私が『人間の姿をして生活する魔族の末裔』であることが知られてしまったら……。
そんな事を思うと、快く返答するのはとても難しい事でした。
「……どうなんだ? クロイツェル」
「ふぇっ」
ミッシェル先生の凍てつくような視線と声により、一瞬で周囲の気温が下がったような感覚になり、私はつい情けない声を上げてしまいました。
あわあわと、どう答えを出したものか慌てふためく私を見て、ミッシェル先生はハッとした表情を浮かべ自身のおでこに手を当てました。
「やはり急に改善は出来ないか……。いや、すまない、答えを急かした訳ではないんだ。そうだな……一つずつゆっくり話していこう」
初めの方は小さな呟きでよく聞き取れませんでしたが、そう言ってからミッシェル先生は、幾分か先程とは穏やかな雰囲気を出しながら詳しい説明をしてくれました。
魔術大会の結果だけでは推薦の基準を満たしてはいなかったものの、私の普段の授業や成績などを総合的に判断すれば推薦は十分現実的な話だという。
加えて今年から、貴族や上流階級出身の者が団員の殆どを占めていた王宮魔法騎士団が抜本的な変革を始めようという動きがあり、平民の出自である騎士志望者を積極的に採用する傾向にあると説明を受ける。
「世論や時代の動きに合わせたということもあるだろうが……それでもやはり、最後の一押しをしたのは"彼"の影響が大きいだろう」
「アベルさん、ですか……」
「知っていたか。……いや、知っていて当然か」
勿論知っている。
今やこの学校で彼の名前を知らない者は居ないだろう。
アベル・ベルナルド。
平民出身の謎多き魔法使い。去年までは大会に影も形も見せなかった真のダークホース。
力も精度も格上である『火炎の竜斬り』を戦略と技術を駆使して打ち破り、決勝戦ではあの悪名高き『シモンズ家』の杖を叩き折るという、まさに恐れを知らない所業を為した男の子。
杖を折られたということは、貴族としての矜持も、魔法使いの家系としての尊厳も地に落とされたと言っても過言では無い。
はっきり言ってあの後どんな報復が待っているのかと、私は不安で仕方がなかったのですが、今のところ特に目立った出来事はありません。
同じ平民出身という共通点はあっても、私とは比べ物にならないような人だ。
戦いの中で見せていたあの凛々しい表情も、傷も痛みも恐れず勇敢に立ち向かうあの熱を持った魂も……全て私の心を惹いて止まない。
彼こそが、私が目指した騎士の姿に最も近しい存在であることは明白なのです。
普段の生活で見せる孤高と勤勉を体現したかのような立ち振る舞いは私の憧れそのもので、けれど安らかに眠りに落ちている時のあどけない姿はすごく庇護欲を掻き立ててきてもう……っ!
レイ・シモンズさんに陥れられ、笑い物にされ、立場や身分というどうしたって変えられない理不尽な格差を見せつけられ……。
失意の底に居た私の心を、己が行動によって救い出してくれたあの人。あの、えっと、救い出してくれたと言っても、私が勝手に思っているだけなのですけど……それでもっ、私は彼の姿と意思とその魔法に、勇気を貰ったんです。
だからこそ、こんなにも早くもう一度立ち上がってみようと思うことが出来た訳でーーーー。
「ーークロイツェル? お、おい……どうしたんだクロイツェル……?」
「……はっ! い、いいえっ、何でもないです……!」
「突然黙り込んだと思ったら、ニヤニヤとし始めたのでどうしたのかと……」
あのミッシェル先生が微かに困惑したような表情を浮かべて私を見ていた。
ま、マズイです……このままだと私が変な子扱いされてしまいそうな気がします。
気をしっかり保たなければなりません。騎士を目指す者として、信念を芯に常に冷静であらねばなりません。
私は居住まいを正して、ミッシェル先生に向き合いました。
「ミッシェル先生。推薦の話、承りました。しかし答えを決める為、時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「……勿論構わない。だが、出来るだけ早くに返答を貰いたい。貴様以外にも騎士団に入団したいと願う者は多くいるからな。そういった生徒達にも機会が与えられるならばそれに越した事はない……」
「…………先生。私たち生徒のことをよく見てくれているのですね……」
「ん……? 当然だろう」
ちらりと視線を移動させ先生の机を見る。
そこには私の他にも何十枚もの用紙が置かれ、それら全てに詳細な情報と赤色のペンで書き込まれた先生の手書き文字が至る所にあるのが見て取れた。
私が見ているのに気付いたのだろう、先生は紙の束を集めて棚の中へと仕舞った。
「こら。余りじろりと他人の情報を盗み見るものじゃない」
「あ……ごめんなさい……」
「ふふ……いや、目のつく場所に不用意に広げていた私にも責任がある。すまないな。……それにしても貴様は素直な心を持っている」
「……え?」
「自分の非に対して素直に謝ることが出来るというのは本来難しいことではない。難しいことではないはずなのに、それを簡単に出来る者は意外と少ないものだ。……貴様の素直さは、誇るべき美点だ。それをどうか忘れないで欲しい」
「は、はい……」
澄んだ蒼穹の瞳を真っ直ぐに私に注ぎながら言った後に、行っていいぞ、とミッシェル先生は私から視線を外した。
私は会釈をしながら考えて……えっと、多分、褒められたの、かな? 無表情だったけど。
今目の前で座る黒スーツの先生が、生徒たちから鬼教官なんて言われているなんて私は信じられませんでした。
もっと早く知っていれば、もっともっと仲良くなれたのかなあ、なんて。ほんの少し後悔も覚えました。
私はちょっと苦笑を浮かべてからもう一度一礼して、教員室の扉へと向かいます。
「あ、そういえば先生」
「ん?」
その途中で、私はふと気になったことがあり足を止めて振り返ります。
「『推薦枠が一つ残っている』ということは、もう既に埋まっている枠があるんですよね? それは一体誰なんですか?」
「……伝えても特に問題は無いか……。さっき話題にも出た彼だ。推薦枠のもう一人はアベルだよ」
「先生、私推薦受けますっ」
こうして、私は憧れの人と共に王宮魔法騎士団の騎士になったのです。
多分、あの時の私の頭には……魔族のマの字も浮かんではいなかったでしょう。




