プロローグ 私の秘密
お待たせしました。
再開します。
小鳥の囀りが起きがけの私の耳を優しく揺らす。
ゆっくりと瞼を持ち上げるが今さっきまで暗闇に慣れきっていた私にとって、穏やかな朝の陽射しは目を焼かれるような眩しさであった。
私は無言の悲鳴を上げ、朝の陽光から隠れるように掛け布団の下に潜りこむ。
二、三回ほど瞳を開閉する作業を繰り返すことで、ぼやけた私の視界はようやく元の精巧さを取り戻したようだ。
恐る恐る顔を外界へと覗かせると、そこは言うまでもなく見慣れた私の部屋である。
窓から伸びる白色光が空中を泳ぐ無数の塵の群れを照らしていた。
「くぁぁ……」
私は恥ずかしげもなく口を大きく開けて一つ欠伸をする。
公の場では嘲笑の一つも買いそうなその行為を咎める者などこの場には居ないわけだが、両親(特にお母さん)からの叱責が遠く後ろの方から聴こえたような気がしたので、私は慌てて開いた口を手の平で覆い隠す。
ベッドの上からぐるりと部屋を見渡す。
魔術学校指定の魔道書が山積する勉強机、ぬいぐるみや人形の隣に立て掛けられた両手剣に、幼い頃父にねだって手に入れた王宮魔法騎士団の甲冑のレプリカが静かに部屋の角で眠る。
一般的な"女の子らしい部屋"とはかけ離れているという自覚はあるが、私にとっては世界で一番過ごしやすい場所であることに変わりはない。
そして私がこの場所が世界で一番お気に入りであることの理由がこれだ。
いや……うーん、これだ、と言っても一つという訳ではないんですけどね、えへへ。
勉強机の上や木棚に所狭しと置かれた写真立て。そして壁に整然と貼られた木製のフォトフレーム。
それら全てが私と私の家族の写真だ。
父に抱きかかえられている幼い頃の私や、入学式の私と両親、私が産まれる前の若き頃の両親のものもある。
種類として最も多いのが、私と父のツーショットであることは……恥ずかしいので誰にも教えたことがない。もちろん父にも。
全ての写真が優劣も差異も無く、私の宝物です。
宝を愛でるような気分で写真を見回すと、ふと時計が視界に映った。
短針と長針は「学校に向かって」と急かすように規則正しく回り続けている。
そろそろ準備を始めないとね。
僅かにベッドを軋ませ、私は寝間着から着替える為に衣装箪笥へと向かう。
途中、部屋に置いていた縦長の姿見を見て私は着替えよりも先にしなければいけないことに気付いた。
「うわぁっと……危ない危ない……」
頭髪の間からピンと立つフサフサとした亜麻色の『狼人族の耳』に、尾骨からするりと伸びる僅かに白みを帯びた『尻尾』、そして狼特有の瞳の中心にある『黒い虹彩』。
私は髪の乱れを直すように垂直に立つ狼耳をトントン、と撫でるように叩く。
するすると耳と尻尾は小さくなり、やがて見る影もなくなる。
黒い瞳孔も消えて元の亜麻色の瞳に戻る。
……よかった。私自身、狼の時の瞳はなにか恐怖を感じてしまう。自分の目なのに。
姿見の前でくるくると右に左に回り、尻尾の先っちょが出ていないかを確認する。
「大丈夫そうですね」
私は衣装箪笥から魔術学校の制服を取り出し、今生の別れとなるこの服に万感の思いを込めて着替えた。大げさかな?
入念に寝癖が無いかチェックする。
何と言っても今日は卒業式なのだから、無様な格好で出る訳にはいかない。
「ルーナ、朝ご飯出来たわよー?」
「はーい今いきまーす」
階下からお母さんの呼ぶ声が聞こえ、私は間延びした返事をする。
(結局……誰にも秘密は打ち明けられなかったなぁ……でも仕方がないか……)
私はルーナ・クロイツェル。
私には友人にも語ることのできない秘密がある。
人に変化し、完全な狼に戻ることも、その中間の獣人のようにも成れる幻術を操る私たち一族ーーークロイツェル一族。
又の名を『幻狼人族』。
(私は、魔族なんだから。)
パタン、と私は自室の扉を閉めた。




