千年に渡る物語
穏やかな月明かりが地上を見守る、無風の静夜であった。
ガラス張りの天井から月の光が差し込むその空間は、月光を吸収して花弁を青く輝かせる夜灯蘭が一面に咲き誇る美しい庭園であり、中央で一人の淑女が佇んでいた。
此処は宮殿の離れにある格式高い古びた離宮の一つである『夜灯蘭の庭園』。
「月を見ておるのか、黒曜石の魔女よ」
カン、と磨き抜かれた石の床に壮年の男が持つ絢爛な長杖が突き立つ。
『黒曜石の魔女』と呼ばれた女性は夜天の星々を映していた瞳を、その言葉の主へと向ける。
優雅に一礼をすると、彼女の長くきめ細かな金髪が月光に照らされる。
「ええ。今宵は星も月もよく見えますから。こんばんは。ベンデルク国王陛下。……老婆心ながら、王宮内とは云えどこんな夜更けに御一人で出歩くのは無用心ですよ」
「老婆とはお前も愉快なことを言う。王が宮中を散歩するのに誰の許しが必要なのだ。要らぬ世話を焼かずとも余の近くには優秀な魔法騎士が待機しておる。それに黒曜石の魔女ともあろう御仁が、宮殿内に狼藉者の侵入を許す筈もあるまい。そうであろう? フロディアルタよ」
「陛下は私を買い被り過ぎです。私は人よりも長く生きているだけのお節介なお目付け役に過ぎないのですから。どれほどの備えが有ろうとも、闇を畏れることを忘れてはなりません」
「ふん……」
一人は煌びやかな服装に王冠をかぶる壮年の男で、イメリス王国の国王ベンデルク・ヴェーダ。
一人は漆黒のドレスに身を包む黄金の髪の美女で、『黒曜石の魔女』フロディアルタ。
外見からの情報だけではベンデルクの方が地位も年齢も遥か上のように見えるが、フロディアルタはまるで夜更かしをしている幼な子を咎めるような口ぶりだった。
その口調が気に入らなかったのか、ベンデルクは皮肉交じりに返答した。
フロディアルタは少し困ったような表情を浮かべた後に、再び翻って夜空に目を遣る。
「『継承せよ。知を広げよ。我々は星を繋ぐ賢者である。』……かつて我等が賢王はそう仰いました」
そして、思い出話でもするかのように穏やかに語り始めた。
「人間種と、森人種。流れる時も、与えられた魔力も異なる相容れない二つの種族。まるで付かず離れず永久に寄り添うことのない天の星々のようだと。ですが我々は同じ星に生まれ、同じ歴史を紡いでいる。知識と魔法で命を守り、星を繋ぐ。それこそが『星繋ぎの八賢者』の使命であると」
「美しい物語ですな。貴方方の理想と慈愛が王国の、ひいては人類魔法史の礎となったのだ」
「理想と慈愛……そうですね。我等はそう望んでいました」
「もうよい。古臭い昔話を聞きに来たのではないわ。先日、あれが王立魔術学校を卒業した。『紋章の継承者』となった者は、王国の守護者として、王位継承者として、その責務を果たさなければならない。…………本来ならばな」
半ばうんざりとした刺々しい口調でベンデルクは彼女の緩慢で退屈な言葉を遮る。
フロディアルタは国王の方へ振り返り、一歩王に近付きながら胸に手を当てて懇願する。
「陛下。どうか御再考を。彼女はまだ幼く、未熟です。もう暫しの猶予を与えては頂けないでしょうか?」
「もう既に与えた。慈悲も時間も、自由もな。これ以上は待てん。これは王家の威信に関わる重大な問題だ。一日でも早く解決する必要がある。」
ベンデルクは戯言を払うように手を振り、淡々と話し続けた。
「あれには『魔王の遺品』を収集する旅に出てもらう。旅が終わった後、儀式を執り行う」
「あれではなく彼女です。旅には多くの危険が伴います。無事に旅を終えたとしても儀式には相応の代償があることは陛下もよくご存知でしょう?それに、もしもかの魔王が復活するようなことがあれば──」
「これは王国の意思決定と同義であるぞ。助言も説教も求めてはおらん。…………分を弁えよ」
感情を露わに、ほんの少し声を荒げて抗議の意思を示すフロディアルタを国王は絢爛な長杖を突き立てて制す。
フロディアルタは一歩退き、口を噤んで押し黙る。
「かの魔王の復活は今より百五十年以上先の話。『千年封樹』の力は魔導の時代が始まって八世紀以上に渡り枝一つ枯れ落ちてはいない。魔王の封印は一千年間は盤石。それは他でもない八賢者たちの言葉であっただろうが。今はそれよりも不穏な動きを見せつつある北の魔国と周辺国の対処が最優先であることはお前も承知しているであろう」
「………」
「王国の平和を守るには、『勇者』が必要なのだ。正統な継承者がな」
ベンデルクは用は済んだとばかりに身を翻し、彼女に背を向けて『庭園』を立ち去る。
「八賢者が残した千年に渡る物語は、余ではなくかの魔王──『愚王』に抗うことを強いられる未来の子孫に話してやれば好い。それがお前の役目であろう? 王家に仕えるエルフの魔女よ」
去り際に、こちらを一瞥してベンデルクはそう吐き捨てた。
フロディアルタは月明かりの中、寂しげに目を伏せる。
フロディアルタ・ヴィーナス。
エルフの中でも希少な古き森の血族――『古代森人種族』の生き残り。
王国に残った『星繋ぎの八賢者』の最後の一人。
彼女はたった一人、星を見上げながら亡き友の言葉を追憶した。
「いつか、自らの運命と相対する日が必ず来る。」
夜明けはまだ訪れない。




