魔法使いです。卒業です。後編
\雪だーー!/(EDF並感)
更新遅れて申し訳ない。職業柄乗り物に乗ってるんですけども、先週は雪でてんやわんやのてんてこ舞いでした。ぜんぶ雪のせいなんです。雪でテンション上がるのは小学生までだから、ホントね。でも一面銀世界だとやっぱりちょっとテンション上がっちゃう俺はマジ少年の心を忘れない日本男子。
今回はちょっと長いです。それでも良い感じに締められたんじゃないかなあと自画自賛してます。鼻が伸びてます。誰か折ってください。
あと今回は『◇◆◇◆』で視点の移動があります。ご了承ください。新しいことを試してみたかったんです。
どうか楽しんでいってください。
それではどうぞ。
透き通る蒼と寒々しくも清々しい空気の満ちる晴天の日。
俺の魔術学校卒業式が行われたのはそんな日であった。
『ーー旅の始まりとは、希望だけが満ちている訳ではありません。未来への不安。どこに辿り着くのかという恐れ。自分自身の未熟さ。そして、歩いてきた道を振り返り、後悔の念に苛まれることもあるでしょう』
俺は壇上で餞の言葉を綴る魔術学校理事長の送辞を聞きながら、静かに講堂の座席に座っていた。
教え子達の晴れ舞台だというのに、花柄のシャツにハットを被り壇上に上がったあのじいさん。魔術大会表彰式の時に確か一度話したような気がする。あの時は超弩級の緊張感が俺を襲ってたのであんま覚えてないけど。
『それでも、君達が弛まぬ努力と共に歩んできたこの学校での道程は、君達を決して裏切りはしません。いつ何時も君達のそばに寄り添い、孤独を歩む君達を励ましてくれるでしょう。家族のように、ときに親友のように。この学校で過ごした時間を思い出しながら未来へと羽ばたいていってください。……君達の旅の行く末が幸多きものであることを祈ります』
そう言って、理事長は軽くハットを掲げる。
講堂の中を卒業生たちの拍手と歓声が埋め尽くした。俺もつられて手を叩いた。
これまでも多くの生徒たちを見送ってきたのだろう、小慣れたような、貫禄のある振る舞いだと感じた。
あれがダンディーなナイスミドルってやつなのか……。あんなじいさんに俺もなりたいですね。ヒゲ生やせば何とかなるか? いやならないな。多分。何よりも人生経験が圧倒的に足りないからね。
『次代を担う魔法使いの諸君、卒業おめでとう』
そして、理事長は餞の言葉を締め括る。
それと同時に卒業生全員が頭に被っていた四角帽子を上空へと投げる。
数百を超える黒い帽子の群れが飛び上がり講堂の中が歓声と喜悦に包まれた。
それはまるで旧き友との別れと、新たなる出発を報せる鐘の音のように思えた。
そんな中で俺だけが、四角帽子を手に持ったまま何もない講堂の空間をただ見つめていた。
ーー今はまだ『さよなら』は言えなかった。
飛び跳ねながら友人と抱き合う学友の人垣の間をすり抜けて、俺は幸せそうな喧騒の満ちる講堂を後にした。
俺は愛用のローブに着替え、見慣れた第二屋外訓練場に佇む。
講堂からは距離が離れているため、ここでは卒業生の大歓声も鈴虫の鳴き声のように僅かに聞こえる程度だ。
妙な懐かしさすら覚える訓練場。荒涼な風景だがせめて記憶には留めておこうと、俺は首を動かし周囲を見渡す。
「あ……来た」
半周ほど見回した所で、俺は見覚えのある綺麗な金髪を捉えた。
ミッシェル先生だ。
予想よりも早かったな。なんだかんだ人気の高いミッシェル先生のことだし、他の生徒たちの引き止めを食らって遅くなるかもと思っていたんだけど……。
それともそれらを断って俺との約束を優先してくれたのだろうか……なんて。
俺は都合の良い想像を自嘲気味に頭から振り捨てる。
「ど、どうも先生。早かったです、ね……」
挨拶の途中で気付いた。
ミッシェル先生の纏う空気がまるで違うことに。
涼しげな目元に穏やかな表情でこちらに歩んでくるミッシェル先生。
しかしその表情とは裏腹に、先生の雰囲気は喉元に刃を当てがわれているような鋭利な殺気を放っていた。
よく見れば、先生の腰には一本の剣が差してある。
煌びやかな金色の剣は永年先生と連れ添った相棒なのだろう、高貴な装飾には傷や綻びがいくつも見え、それらがかえって勇猛な威厳さを放っていた。
いつもの黒スーツには似合わないそのアンバランスさがより一層異質さを際立たせていた。
「すまない。待たせたか?」
「…………いいえ。今、来たところです」
「杖は持って来ているか?」
「……此処に」
聞かれるがままに、俺はローブの前をほんの少し開いて腰に差す杖を見せる。
ミッシェル先生は満足そうに頷くと、杖を取り出して魔法陣を描く。
淡く光るそれは『転移魔法』の陣だ。
魔法が発動すると景色が一瞬揺らぎ、次の瞬間には全てが変わっていた。
見渡せば、周りは天を穿つ大樹に囲まれ、踝の位置まで伸びる短い草の生える開けた場所に立っていた。
木々の隙間から記憶に新しい景色が見える。
そこでようやく合点がいった。
ここはかつて『飛行魔法』の訓練をしたあの断崖絶壁の上だ。
そして今俺が立っているのは、そこからほんの少し歩いた所にあった森の中という訳だ。
そこまで確認を終えてから……。
俺は恐る恐る、ミッシェル先生に今日の目的を聞いてみる。……とは言っても、半ば予測は出来ていたが。
「ミッシェル先生。これから何が始まるんです?」
「……言っていなかったか?『最終訓練』だ。アベル、貴様のな」
「言ってないし聞いてないっすねぇ……まあそんなことだろうなぁとは思いましたけども」
やっぱりなぁ。俺の予想は見事正解でしたとさ。正解者へのご褒美ってことでここはひとつ訓練など中断して二人でピクニックにでも行きませんか先生?
なんか嫌な予感がするんですよ。ええ。主に貴女の腰に差してある金色の剣のせいで。
「先生……『最終訓練』ってまさか……」
「私との一対一の真剣勝負だ」
「ああやっぱり……」
俺は視線を遠い空の果てへと逃がし、現実からの軽い逃避を試す。空の果てには俺と先生が仲睦まじくピクニックをする様子が見えた、気がした。いやただの幻覚ですわ。
視線を戻せばミッシェル先生の槍よりも真っ直ぐな青の瞳とぶつかる。雰囲気は先程と変わらず鋭いまま。現実は非情です。ほげー。助けてエリーゼ。
「アベル、どうする? やるか、やらないのか。貴様が決めてくれ」
「……いや、やりますよそりゃ。先生のーー……」
「待て。今回ばかりはよく考え、"覚悟"をして決断してくれ。貴様自身の意思で」
「……?」
「そして可能ならば……その上で了承して貰いたい。それが私からの願いだ」
俺の台詞を止めて、先生は真剣な表情のままそう念押ししてくる。
やはり今日のミッシェル先生はいつもと様子が違うようだ。
よく分からないが……それでも俺の返答は変わらない。
俺は杖を取り出し、右手に構える。
二、三度振り心地を確かめてから、俺はもう一度先生に答えを返す。
「やります」
ミッシェル先生は僅かに目を見開き、それからゆっくりと腰の剣に手を掛ける。
白魚のような指が黄金色をした剣を鞘から抜剣し地面と垂直に構える。
金属の刀身が太陽光を浴びて照り返し、煌々と明滅する。
俺は息を呑んで一連の所作を呆然と眺めていた。彼女の姿は演目の中の一場面のように洗練され、研ぎ澄まされ、絵画のように美しかった。
「ありがとうアベル。さあ、始めよう」
その言葉と同時に、俺は杖をミッシェル先生に向けながら魔法陣を描く。
階級、初級魔法。その数、四つ。それらを同時展開。
俺が最初の魔法を発動させる瞬間。
ミッシェル先生が地面を蹴って駆け出す瞬間。
俺と先生との『最終訓練』が始まった。
◇◆◇◆
「『溶岩の弩』ッ!!」
アベルが魔法名を叫び、魔法が発動する。
十数本の燃え盛る石の矢が私に向かって飛翔する。
これは『火炎』と『大地』、二つの属性魔法を組み合わせて繰り出す高等技術ーー『混合魔法』の一つだ。
たとえ初級魔法同士の『混合魔法』であっても、一朝一夕の鍛錬で身につくような生易しい代物ではない。
今のように、寸分の狂い無く滑らかに発動することが出来たのは、アベルの積み重ねてきた弛まぬ努力あってこそだろう。
教え子の確かな成長を目の当たりにして、私の心はどうしようもなく落ち着きを失くす。
ましてや私の訓練がその教え子の成長の一端を担うことが出来たのではないかと思えば、私の心中の喜色も一入深くなるというものだ。
教師として、そして一人の魔法使いとして、こんなにも喜ばしい事は無い。
「剣技ーー『月影華』」
私は十年来の友人となる我が愛刀に魔力を通し、全力の剣技を放つ。
円状に迸る魔力の斬撃が私の身体を護るように現れ、溶岩の群体を一つ残らず迎撃する。
「…………!」
アベルの発動した魔法と直に触れ合って、喜びの感情は霧散し私はハッと気付く。
そしてアベルのどこか私に敬意を払っているような表情を見て確信を得た。
今の魔法は、アベル・ベルナルドという魔法使いの"全力"ではない。
溶岩の矢はそれぞれが私の身体を掠るような軌道を描いていた。
ーー私に怪我をさせないように。
初級魔法ということを考慮しても威力そのものが脆弱なものだった。
ーー私に万一の事態が起きないように。
なにより私に注ぐその表情は眼前に相対している"相手"に向けるものではなかった。
ーー私に勝利することなど初めから考えていないように。
「先刻の言葉だけでは伝え切れなかったか……」
「『水刃の大鎌』!」
私の呟きは、アベルの新たな魔法の詠唱によって掻き消される。
唱えたのは『水生』と『風力』の『混合魔法』。
創り出した真空波に水を乗せ、魔の水刃を飛ばすものだ。
それを見て私は、剣を正中線に構え魔力を込める。
凝縮された魔力が高音と閃光を発しながら刀身を金色に輝かせる。
「『黄金華』」
「……え?」
一閃。
水刃は空中で弾け飛び、力無く少雨となって地面に降り注ぎ、乾いた草叢を濡らした。
一歩の踏み込みで、十メートル程度離れていたアベルとの距離を一気に詰める。
私の剣技はアベルの斜め後ろに屹立する大木を捉えていた。
大木はスライムを斬るよりも容易く横薙ぎに刈られ、僅かに間を置いた後、メキメキと轟音を立てて地面に倒れる。
尻餅をつき、こちらを呆然と見上げるアベル。
アベルの今の表情には畏れが混在し、数秒後恐怖へと変遷する。
それを見て、私の心にチクリとした痛みが走った。
それでも、その痛みを押し殺し、私は眼下の教え子に剣の切っ先を向けて殺気を放つ。
今だけならば、『鬼教官』と揶揄されても構わなかった。
「アベル……訓練の前に念押ししたはずだ。"真剣勝負"だと」
疑いようもなく本気の殺気を受け動けないままでいるアベルに、私は氷よりも冷徹で針よりも刺々しい視線を向けたまま言葉を重ねた。
「全力を出せ。迷いを捨てろ。死ぬ気で闘え。……手心を加えるのは今が最後だ。貴様の限界の限界まで、足掻き、踠いて、食らいつけ。そしてーー私を超えてみろ」
今この場において、私が欲するのはただ一つ。
師、弟子、教師、生徒、それらの垣根を超えた純粋な闘争だ。
「もし弛んだ"覚悟"ならば……斬る」
「ーーーーっ」
アベルは息を呑むように口を一文字に引き結んだ。
そうして私の言葉を聞き届けたアベルは杖を握り直して立ち上がる。
……嗚呼、そうだ。その目が見たかった。
「すみません。もう一度、お願いします……!」
「……ああ」
私は黄金の剣を垂直に立てて構える。
アベルは杖を真っ直ぐに前方へと差し向け、僅かに腰を落とした。
アベルのやや深紫色の混じる闇夜を思わせる漆黒の瞳が私の姿を捉え、毅然として睨め付ける。
その目には先ほどまでの間の抜けた甘さは無く、戦場に赴く騎士の如く鮮やかな"勇気"が見えた。
アベルが魔法を繰り出し、私が剣技をもって魔法を斬り伏せる。
アベルは時に搦め手を用いて私の虚を衝き、あるいは地形を利用して剣の間合いに入らないように立ち回る。
高い集中力と"知恵"を駆使し、私に全力で食らいつくアベル。
そんな彼を追い詰めながら、私は。
(すまない、アベル)
心の中で己の我侭の非礼を詫びていた。
『最終訓練』と称したこの真剣勝負。
目の前の初めての教え子へ、最後の仕上げをしたいという思いに嘘偽りは無い。
だが、それ以外にも一つだけ、確かめたいことがあったのだ。
私自身も把握できない胸の奥の何か。
言葉には出来ないこの感情の名を知りたかった。
そして不器用な私には、剣を交えることでしか、その導き方を知らなかった。
だから、これは貴様の優しさに甘えた私の我侭なのだ。
「『氷の棘』ッ……!!」
アベルが息を切らし、ローブに付いた土埃も気にかけることなく荒々しく魔法を唱える。
叫喚と共に空間に描かれた魔法陣から鋭利な氷塊が出現する。
射出された数本の氷の棘が私の元へ直進する、訳ではなく。
私の足元の草原を凄まじい速度で螺旋を描いて穿つ。
地面が爆破し打ち上げられた草混じりの土が薄い煙となって視界を塞いだ。
(煙幕……!)
私は一瞬で風の魔法を発動させ、白く濁る大気を晴らした。
そして眼前のアベルを捉えーー。
「…………!?」
忽然と姿を消したアベル。
だが、研ぎ澄まされた私の感覚が背後に忍び寄る存在を察知していた。
「後ろか……!」
一瞬の間に背後へと振り返ると、短く揃った黒髪が視界に映る。
アベルはローブをはためかせ、魔法の杖を翳して肉薄する。
奇襲をかけたつもりだったのだろう。不用意に接近したアベルは、私の間合いに入ってしまっていた。
しかし私には既に、剣技を繰り出し迎撃する体勢が完成していた。
アベルの周りに展開中の魔法陣は見当たらない。
今から魔法を構築したところで間に合う道理は無かった。
(終わりだな…………よく戦った)
心中でアベルの健闘を讃える。
だが……結局のところ、私が欲していた答えは得られなかった。
残念ではあるが、この子の"知恵"と"勇気"は確かに感じられた。
それで充分だろう。
それが最上の収穫なのだ。
私はアベルの持つ杖に狙いを定める。
寸分の狂いなく杖のみを弾くように、私は剣技を繰り出す。
『最終訓練』はこれで終わりだ、そう考えながら。
「『黄金華』……っ!?」
ガキン、と。
身体の左側から横薙ぎに振り抜こうとした相棒の剣が、私の意思に逆らうようにその動きを停止させた。
剣技『黄金華』は始点で静止し、私の肉体と、脳が思い描いた動作とに大きなズレが生じる。
私は瞳を滑らせ剣の切っ先を見遣る。
何が起こったのか、それを確かめる為に。
そこには。
まるで奈落の底から伸びる亡霊の手のように。
地面から天へと登る氷柱が剣の刀身を握り締めていた。
その起源は、先刻地面へと突き刺さり煙幕を張って役目を果たしたはずの『氷の棘』の残骸。
その氷の骸の下に、淡く光る一つの魔法陣が描かれ、輝きを放ちながら氷の柱を維持していた。
魔法の上に異なる魔法陣を描く高等技術ーー『連鎖魔法』。
衝撃の刹那を終えた後、私が前方に視線を戻すと、アベルが猛然と進撃してきていた。
その周囲には、既に同時展開された魔法陣が三つ、輝きを放ち主人の命令を今か今かと待ち構えている。
『"知恵"と"勇気"を確かに感じられた』?
それは訂正しなければならない。
この子は私の想像を超えていた。
満身創痍の中で、アベルは"知恵"をもって機会を探し、見つけ出した。
そして私の間合いに入ったのは考え無しの行動などではなく、私の意識を逸らし賭けにも似たその機会を成功に導くため。
変わり者で、臆病で、どこか間の抜けた私の教え子は。
黄金の"勇気"を湛えた双眸と、計算し尽くした"知恵"を従えて、魔法の杖を振りかざしていた。
私の青い瞳と、アベルの漆黒の瞳がぶつかる。
その目だ。
普段は定まらずフラフラと何処かへ逃避を試みるその目。
だが、覚悟を決め、一歩前に進む時。
ただ愚直に困難へと突き進むその目が。
私の心を強く揺さぶる。
ああそうか……私は、この子にーー。
◇◆◇◆
全てが想像の通りに運んだ。
これが今の俺の全力全開。
知恵も勇気も魔法も体力も、全てを賭けて作り出した勝利への棋譜。
やっと、やっと。
俺はこの人に、恩師である貴女に。
隣に立ってもいいですかって、言えるようになれたかな……それはわからないけど。
(勝った……!)
瞬きも許さない瞬間の狭間で、ミッシェル先生が穏やかに微笑んだ、気がした。
王手まであと一手に迫ったこの瀬戸際。
ミッシェル先生が剣を手離す瞬間と、俺が魔法を発動させる瞬間が重なり合う。
持ち主を失った先生の金色の剣が、所在なさげに氷に支えられて空中に留まる。
「『雷の…』……」
俺が最後の魔法を唱える。
コンマ数秒後に雷の渦がミッシェル先生を包み、勝負は決するはずだった。
しかし、ミッシェル先生は華麗な一回転を踏み込み、目と鼻の先にまで近付いていた俺の腕を掴む。
身体が浮遊する感覚が俺を襲う。
『飛行魔法』を使う時の感覚と似てるな……なんて、そんな下らないことをぼんやりと考えながら。
その勢いを殺さず、俺は地面へと叩きつけられーー。
俺の意識が飛んだ。
目を開ける。
突き抜けるような蒼穹を何物にも縛られず漂う浮雲がぽつぽつと泳いでいる。
その雲を横切るように二、三羽の鳥が通過するのが見えた。
僅かに身動ぐと背中に鈍い痛みが走った。
どうやら俺は今、仰向けになっているらしい。
ぼーっと今の状況を大まかに掴む。
すると、綺麗な金髪が視界に入る。
金色のそれらは太陽に照らされ神秘的な光沢を放っていた。
「ん。起きたか?」
「……先生……おはよう、ございます?」
「ああ、おはよう」
太陽光が遮られ俺の顔に影が落ちる。
覗き込むように俺を見下ろすのは、当然ながらミッシェル先生だ。
……? なんか体勢がおかしくない?
先生と俺の顔の向きが逆さまだ。これはどういう……。
そこまで考えて、俺はハッと現状に気付き急速で起き上がろうとする。
だがその前にミッシェル先生に手で額を抑えられてしまい、俺は立ち上がることは叶わなかった。
「頭を打ったかもしれん。このままだ、アベル」
「……いや、あのちょっとこの体勢は……あの……」
この体勢、この状況。
これはあれだ。俗に言う『膝枕』というやつだ。
後頭部に柔らかな温もりを感じる。ここが天国か?
ミッシェル先生が額に当てた手を動かして俺の髪を梳いてくる。あー……癒される……。
いや待て。あの、ちょっと待ってください。この状況は俺の夢の一つだったからまあ嬉しいことは超嬉しいんですけども。
それよりも羞恥の感情が凄いです。どんくらい凄いかっていうと顔がマジファイアーボール並みに熱くなってるぐらい。つまりヤバイくらいにヤバイ。ヤバヤバイ。
何だか先生は俺の髪を梳かすことを気に入ったご様子で、ゆっくり何度も俺の髪を撫でてくる。
えー……これ先生が満足するまで続く感じです?
その前に俺が恥ずかしさで爆死しそうなんですがね、あの先生聞いてます?
……俺は恥ずかしさを紛らわすために、目を泳がせながら話しかける。
「俺、負けたんです、よね……」
「そうだな」
「『最終訓練』の結果は……不合格ですか?」
「いいや。文句無しの合格だよ」
俺は驚きのまま先生を見上げる。
先生の視線は斜め左の方に向かっていた。俺はその視線の先を追う。
そこには氷柱に掴まれ空中で静止状態の一振りの剣があった。
ミッシェル先生のものだ。
「私は最後の最後、剣を手離さざるを得なかった。私をそこまで追い詰めた貴様を、一体誰が不合格になど出来ようか」
「………」
「……不満か?」
「少し……」
「何故だ?」
「全力で戦って、全部使い切って、それでも俺は勝てませんでした。それで合格っていうのは……なんかちょっと、こう……」
言い淀む俺を見下ろして、ミッシェル先生は僅かに目を細める。
……面白いものを見たかのような、そんな表情だ。多分。
「……プライドが許さないというやつか?」
「……う……いやそういう訳じゃ」
「アベル。貴様もやはり男の子だな」
ミッシェル先生は口角を上げて微かな笑顔を浮かべる。
内面を見透かされた気分のした俺は、目を逸らしてその視線から逃れる。
「も、もう大丈夫です」
俺は先生の膝から起き上がり、草叢に足をついて立ち上がる。
ミッシェル先生は未だ正座のままでいた。
「ふむ。ならばこうしよう」
ミッシェル先生はゆっくりと立ち上がり、軽く足の埃を払う。
「『宿題』だアベル。期間はこれからの長い人生全て」
「ス、スケールがでかいですね……」
「ああ。だがそのくらい時間を掛けなければならないものだ」
「一体、どんな……」
俺は先生を見遣る。
木漏れ日に照らされ、光の中にいる先生の姿が。
俺にはこの世界のどんな宝石よりも綺麗で、どんな絵画よりも美麗に見えた。
「私を超え、世界に並み居る魔法使い達を超えて……そしていつか……この国一番の魔法使いになれ。アベル・ベルナルド」
ーー私は、貴様なら成れると信じている。
そう言う先生の目は信頼、確信、愛顧、そういった様々な感情の篭ったものだった。
普段なら。そんな大きな感情を向けられた俺は、肯定も否定も曖昧な返しをしただろう。
だけど今日この瞬間だけは。それはしてはいけない気がして。
俺は万感の思いでその視線を真っ直ぐに受け止める。
そして。
「はい。必ず……!」
俺には珍しく、本当に珍しく、強い言葉で肯定を返したのだ。
俺はこの日のことを生涯忘れることはないだろう。
この先俺は、この時の事を何度も思い出す。
そして何度も確信するのだ。
あの時、勇気を振り絞って良かったと。
だって俺がこう返事をしたから、ミッシェル先生は。
少し驚いたように目を見開いて、それから。
今まで見たことの無い、大輪の花が咲くような笑顔を浮かべてくれたのだから。
◇◆◇◆
「はい。必ず……!」
アベルの初めて聞いたその力強い肯定の返答は、私の心をまた揺れ動かす。
もう理解できる。
これは『恋心』だ。
この目の前の男の子に、私は生まれて初めての恋をしている。
思い返せば、私の訓練を初めて肯定してくれたのも、私の全力に応えてくれたのも、私の言葉に真剣に向き合ってくれたのも、私を惹きつける要因だったのかもしれない。
だがそれ以上に私は、ゆっくりと踠きながら、何度も転びながら、けれど立ち上がり前に進もうとするこの子の姿にどうしようもなく思慕を抱いてしまったのだ。
…………けれど。
私はこの熱量を持った淡い想いを言葉にして伝えることはない。
……言葉にしてはいけなかった。
アベル・ベルナルドという、才気あふれる若き魔法使いの出立を、他でもない教師の私が引き留めてはいけないのだ。
この学び舎から飛び立ち、広い世界へと目指すこの子の旅路を妨げてはいけない。
この子はきっと偉大な魔法使いになる。
そう確信できる。私はそう信じている。
だからーー。
私は一歩、アベルの元へと近付くと、アベルが少し強張ったように固まる。
何かと思ったが、過去を振り返り得心がゆく。
そういえばこれまで私は半ば無意識にアベルを抱き締めていたのだった。
……今考えてみれば少々小恥ずかしいな。
だが今日は、私の意思で、私の決断で、想いを伝えよう。
この子の旅立ちを邪魔しないよう、せめてもの、想いを。
私はアベルの前髪をできるだけ優しく掬い上げる。
そして、想い人の額に口付けを落とした。
心の底からの親愛と祝福を込めた、そんなキスを。
「本日をもって私からの全ての訓練を修了とする。これからは、貴様自身で歩んでいくんだ」
だからーー今は『さよなら』を言おう。
再び巡り会う為に。
「卒業おめでとう。アベル」
今回で第一章完結とします。後はエピローグ+二章に繋がるプロローグぽいものを投稿する予定です。
二章の構想はある程度出来てるのでそんなに期間は空かないと思います。気長にお待ちください。




