魔法使いです。ギガントオーガを倒します。
「グオアアアァァッ!!」
ギガントオーガが訓練場の中で雄叫びを上げる。ビリビリと大気が震えるような感覚に陥り、俺も、レオルすらも動きが止まってしまう。
「なぜギガントオーガが……? あんな怪物訓練用の檻に入れた覚えがないぞ……!」
ニナさんが訝しむようにギガントオーガを見て呟く。そしてキッ、とレオルを厳しい視線で射抜いた。
「レオルゥ……?」
「ま、待て! 俺じゃないぞ! B級指定モンスターなんて冗談でも入れるものか!」
巻き舌気味に名前を呼びながら肉食獣を思わせる眼光を前に、レオルは必死に身の潔白を唱えた。
「ニナ。犯人探しは後だ。今は他にやるべき事がある」
「ちっ! それもそうか。私は見習い騎士どもを誘導する。ミッシェル、エリーゼちゃんを頼めるか?」
「ああ」
「くそ、武器を持って来ておけば良かった……。おいレオル! 何ボサッとしてんだ、お前も動くんだよッ! お前はギガントオーガの足止めだ、さっさとしろ!」
「わ、わかった!」
ニナさんが檄を飛ばし、レオルが慌てて剣を振り抜きギガントオーガに相対する。
ギガントオーガの獰猛な瞳に見据えられ、俺は身がすくむ思いがした。レオルの手も震えているところからコイツも同じ思いを抱いているのだろう。
だが、ギガントオーガの目を見て俺は一つ不可解なものに気付いた。
それはギガントオーガの左の眼球に浮かぶ小さな魔法陣の存在だ。しかもそれは魔術学校で知識としては知っていても、馴染みの薄い代物。
(あれは、『隷属』の紋章……?)
昔、奴隷制度が違法行為として扱われていなかった時代に主人が奴隷に刻んだとされる魔法。その特性上、魔法というよりは一種の呪いと言った方がいいかもしれない。
だが、『隷属』の魔法はみすぼらしい小さな子供一人に掛けるのでさえ、多大な労力と魔力と繊細さが要求される魔法だ。生物の行動をある程度支配できるような魔法なのだから当然といえば当然だ。
しかし今俺の目の前にいるコイツは、B級指定モンスター『ギガントオーガ』。
王宮魔法騎士が二、三人揃って初めて無事に討伐可能となる強力なモンスターである。
見た限りでは外傷も無くその姿は活力に満ち満ちている。弱っている様子は一切見えない。
そんな怪物に無傷で『隷属』の魔法を掛けることが出来るなんて一体何者なんだ……?
「グオオオオォォッ!!」
「ああくそっ! やるしかねえか!」
レオルがギガントオーガに向かって駆け出し、魔力を剣に込める。
やがて刀身に青白い光が灯り剣自体が輝きを放つ。
あれがレオルの『剣技』か……。言っちゃ悪いが大分お粗末な出来栄えだ。あれで本当にギガントオーガにダメージを与えられるのかよ……。
「グルオオウッ!」
「うおっ!?」
『剣技』が届く前にギガントオーガが訓練場の地面を力強く踏み抜いた。
轟音と共に地面に罅が入り思わず足が浮かび上がるほどの振動が訓練場に広がった。
堪らず、レオルは膝をついた。剣の青白い光も消えてしまっている。
……いやアイツ全然ダメじゃねーか!
「もうちょっと時間稼ぎぐらいしてくれっての! 『氷の槍』ッ!!」
俺が中級氷雪魔法を唱えギガントオーガに放つ。透明な巨大な氷柱の投げ槍が飛来する。
狙いはヤツの目だ。
硬い皮膚に俺の魔法が通じるか分からなかった為、どの生物においても急所の一つである眼球を狙った。
これで倒せずとも少し猶予は作れるはず……そう思った矢先。
「ルオオォッ!!」
ギガントオーガの青く色づく右腕が飛翔する氷の槍を打ち落とした。
パラパラと氷の破片が空中に飛散する。
流石はB級指定モンスターだ。俺の魔法如き屁でもないってか。ちょっとムカつくなオイ。
「まだッ!」
俺は杖を振るって雹のシャワーと化した氷雪魔法を再び操り、空中で大小様々な多数の氷の棘を創り出す。
「『氷の棘』ッ!」
そして四方からギガントオーガ目掛けて大量の棘を発射した。
ギガントオーガの二本の腕では防ぎ切ることは到底不可能な数の暴力だ。
思惑通り、棘はギガントオーガの肌を突き刺し青き大鬼の身体が氷のサボテンとなる。
しかし。
「……硬すぎない?」
ポロポロと棘が地面に落ちる。
俺の氷の棘は、多少の浅い傷は付けられたものの、目に見えるダメージはほぼゼロだった。
まるで鉄に氷を叩きつけているような無力感に襲われる。
……くそっ!
俺はもう一度魔法陣を描く。今度はもっと魔力を込めて、ヤツの装甲をぶち抜ける威力を持ったものを。
ギガントオーガが散々魔法をぶつけてきた小さな俺に顔を向け、眉間に皺を寄せるようにこちらを睨んできた。
(……よし。ダメージは与えられなかったが、ヤツの注意をこっちに向けることは出来た。避難誘導が終われば、後はニナさんとミッシェル先生が加勢に来てくるはず。二人が来てくれるのなら、ヤツは倒せる!)
そう考えて、俺が魔法陣を描くスピードを上げると。
ギガントオーガの左目の紋章が妖しく光り、ギガントオーガが不自然にそっぽを向きあらぬ方向へ走り出した。
「……はっ?」
鈍重な足音を響かせながら向かう先には。
エリーゼとミッシェル先生がいた。
混乱のせいで動転し足を挫いたのだろうか。エリーゼが足を引きずり、ミッシェル先生がエリーゼを支えながら出口へと向かっている最中だった。
重く鈍い走りだとしても、その足幅は人の数倍である。
あっという間に二人の近くまで走り寄るとギガントオーガはその剛腕を振り上げ、二人に鉄槌を喰らわそうとーー!
「それはダメだ。」
俺は目を見開き狙いを定め、魔法を発動する。
中級火炎魔法『火炎連弾』。
魔法陣が紅い閃光を放ち、五つ六つの巨大な火炎の豪球が繰り出される。
それらは寸分も違わず今振り抜かれようとしているギガントオーガの右腕に着弾する。
一つだけならば大きなダメージにはならない。
ならばどうするか? 単純な話だ。
数を増やせばいい。
同じ場所に攻撃を集中させれば、ヤツの鉄の装甲も撃ち抜ける。
屋根から滴る雨の雫がやがて軒下の石を穿つように。
例え小さな力だとしても、集まればきっと、鉄をも砕く槍になる。
ギガントオーガの右腕の上腕部分に全ての火球が着弾した。
それらは炎を炎で喰らう爆発となる。
「グオアアアアァァッ!?」
硬さを誇るご自慢の腕が焼かれ、ギガントオーガが苦悶と驚愕の声を上げた。
上体のバランスを崩したギガントオーガは轟音と土煙を出しながら崩れ落ちた。
「エリーゼ! 先生! 大丈夫ですか!?」
俺は全速力で二人の下に走り寄る。
まず何よりもエリーゼの手を取り怪我がないか確認した。
……あぁ大丈夫だ。足も挫いてはいるがそこまで重症というわけでもなさそうだ。
よかった……。
「……兄ちゃん……だ、大丈夫だってば、もう」
「あ、悪い。つい勢いで」
ほっと胸を撫で下ろし、妹の手を放す。
「別に、放せなんて、言ってないけど……」
エリーゼが目を逸らしながらぽつりと呟いた。
……あれそうなの? てっきりいつもみたいに「いつまで触ってんの?」みたいな意味かと思ったのに。
「ありがとうアベル。助かった」
「いえ当然のことをしただけで……先生も怪我とか、大丈夫ですか?」
「ん。問題ない。お前のお陰だ」
ミッシェル先生が淡く微笑んでくれる。
さっきまでの勢いはどっかに消えて、俺は目を泳がせながらうんともすんとも言えない返事を返すしかない。
先生みたいな美人に笑顔を向けられるのはなんというかめちゃくちゃ嬉しいんだけど……いつまで経っても慣れない……。
「……ふはは! よくやったなアベルくん! でかしたぞ!」
「……………あん?」
後ろの方から何の役にも立たなかった男の声が聞こえてきた。
ちっ。
せっかく良い雰囲気だったのに……お前のせいであのままキスシーンまで行く可能性が微粒子レベルから今ゼロになったぞこのボケ。木偶の坊。一から修行し直せバカ。
「うっせぇよこの…………あ」
ウザったいレオルの顔を見て文句の一個や二十個言ってやろうと思い振り返ると。
今まさにギガントオーガが立ち上がる瞬間だった。
(嘘だろオイ? 腕とは言え重症の火傷を負ってるんだぞ!? 気絶して当然の筈なのに……!)
そこまで考えて、ギガントオーガの左目の紋章が光を放っているのを視認し合点が行く。
ギガントオーガ本体は既に気を失っている。
今コイツは、何者かによって操られているのだ。『隷属』の紋章の強制力によって。
「グゥガ、ガァアアァア……!!」
苦しそうに雄叫びを上げてギガントオーガが向かってくる。
マズイ。マズイ。マズイ!
今から先程の威力の魔法を繰り出すのは不可能だ。魔法を繰り出す前に攻撃が来る。
レオルの方を視界の端で見る。口を開けてギガントオーガの方をただ見ている。剣に手を当ててもいない。コイツはあてにならない。
ならば、せめて。
せめてエリーゼとミッシェル先生だけでも逃がさなくてはならない。
俺は風力魔法を発動させようと魔法陣を描こうとする。
その前に。
「貴様の剣、借りるぞ」
背後から、勢い良く剣を抜いた時のような鉄の滑る音が聞こえた。
「アベル。援護を」
俺の顔のすぐ横を金色の髪が通り過ぎた。
放たれた言葉は酷く短く、端的だ。それでも俺は全てを理解してあの人の背中に答える。
「了解です!」
風力魔法を中断、代わりに初級大地魔法の魔法陣を展開し発動する。
「『土の弾丸』ッ!」
訓練場の地面から発射される土の塊は高速のままギガントオーガの左腕へと向かう。
右腕は火傷によって振り上げることもままならないだろう。攻撃を繰り出すなら左腕だ。
だから、攻撃が開始される前に、元を叩き封じる。
左腕に土の弾丸が決まる。ダメージは大したものではない。だがその重量と速度によって、腕は勢い良く身体の外側へと弾かれる。
そしてもう一つの仕事だ。
「『土の架橋』!」
大地が隆起し一本の道が空へと持ち上がる。
ミッシェル先生は全て解っていたかのように迷い無くその道を突き進んだ。
そしてギガントオーガとミッシェル先生の目線が揃った。
「剣技『黄金華』」
煌々とミッシェル先生の刀身に黄金の光が走る。明かりのような薄暗いものでない。
凝縮された洗練された魔力が溢れ出すように、閃光となって光り輝く。
先程のレオルのそれとは比べ物にならない。カリオストロの『火炎斬』すらも、超えているかもしれない。
それ程までに美しく、眩い一刀だった。
袈裟懸けに斬られたギガントオーガが今度こそ地に伏した。
「……これは」
「『隷属』の紋章です。しかも気を失った者を無理矢理行動させるほどに強い呪い……」
真っ二つとなったギガントオーガを俺とミッシェル先生とニナさんが囲む。俺たちは皆一様にその左目に描かれた紋章を見ていた。
レオルは見習い騎士たちの世話を任されている。任されているというよりは厄介払いされたと言った方がいいかもしれないが。
「うーん、ギガントオーガを操るほどの使い手ね……王都の騎士団にはそりゃそのくらいの実力者はいるが、そいつらがこんなことを仕出かすとは思えないしな……」
ニナさんが腰に手を当てながら唸る。
それはそうだろう。訓練場にB級指定モンスターを紛れ込ませるなど、流石に悪戯の範疇を超えている。
これは明らかな『攻撃』だ。
(そもそもコイツはどうやってここに入って来たんだ?)
まさか王都の道を堂々と闊歩してきたなんてことは無いだろうし。王都の中にある訓練場にモンスターが普通にやって来たなど騎士団全員が首を切るハメになるような大失態だ。というかそんなことを許した騎士団とか解散していい。
つまり、コイツは別の方法でやって来た訳で。
「……成る程な」
俺が訓練用のモンスターを入れておく檻の中を改めると、その疑問は解決した。
檻の中に描かれた一つの魔法陣。
『転移魔法』だ。
しかも行き来できる通常のものではなく、ここの魔法陣が出口となっている一方通行型の転移魔法。
「『転移魔法』か」
「……マジかよぉ〜。これ絶対私の責任になるじゃんかよ〜」
「こればかりは諦めるしかないな、ニナ」
「ミッシェルぅ〜……」
頭を抱えてミッシェル先生に泣きたくニナさん。
監督責任とかそんなんかな多分。
実際にモンスターが現れてしまった以上処罰は免れないだろうなぁ。ご愁傷様ですニナさん。
「と、取り敢えず、これ消しときますか?」
「ん。そうだな頼めるか? アベル」
「はい」
「よろしくアベルくんー……はあぁ……」
証拠としては重要なものではあるが、またモンスターを転送されてはたまったものではない。
被害を抑えるためにも、早期に魔法を消す方が得策だろう。
俺は杖を取り出し魔法陣を解き始めた。
ーーあらあら。もうやられちゃった。街中に五個くらい設置しておいたけど、流石は王国の中枢ってところかしらね。大した被害も出せずに全滅か……。
ーーまぁB級じゃ所詮こんなものね。少しは楽しめたからよしとしましょう。
ーーそれにしても、ギガントオーガを一撃で倒すなんて凄いわね。
ーーそれに、あの魔法使いの男の子。未熟だしまだまだ弱いけれど。戦いぶりは悪くなかった。今後に期待ってところかしら♬
ーーふふ、次も楽しませてね、人間。
ーーこれはまだまだ、序章の序章なのだから……。
「ミッシェル」
「ああ。見られていたな」
「……?」
ニナさんとミッシェル先生がよく分からないことを話している。
女性の密談というやつなのかしら。こういうのは聞かず、聞き流すが紳士たるものの在り方ですよね。でもめっちゃ気になります。
「……この気持ち悪い感じ。なるほどな」
「転移魔法の犯人は、『魔族』か」
………え、何で分かるのん?
これが女の勘ってやつなのか……?
いや多分違うと思うな、うん。
そうこうしてる内に、俺は転移魔法の魔法陣を解き終わったのだった。
アベルが倒すとは言ってない。




