幕間:彼女達①
更新遅れ気味でごめんね。
『ブンカッテニカンガエテクレール』みたいな秘密道具が欲しいね。22世紀に期待。
《ミッシェル・K・ラングフォード》
「平民出身の者が『英霊樹の杖』を手にするなど、前代未聞だッ!!」
机を叩きながら唾を吐き怒鳴る教師を見て、私は腑が煮えくりかえりそうだった。
マルティネス先生に連れられて私は職員会議室に出席していた。『緊急会議』と銘打って行われるのは、やはりと言うべきか、王国大輪祭最終日の表彰式でのアベルの処遇についてであった。
ここ『イメリス王国』の象徴でもある樹齢千年を優に超える神樹--それが『英霊樹』。世界に一本しか現存しない絶滅危惧種であり、王国認定遺産の一つ。
絶滅危惧種となったのは、英霊樹のもつ特異な材質が理由だった。その性質とは、『異常な程の魔力伝導率の高さ』。魔法使いにとって、魔法の杖は武器であり相棒であり貴重品であり、何よりの生命線だ。杖が無ければ例えどれだけ魔力と魔法の知識に溢れた使い手であっても、炎の一つも出せはしない。
まだ法整備や文化保護の決まりもない昔、英霊樹の乱獲が起こり、種子に至るまで売却され消費され、世界から消えていった。
それほどまでに英霊樹とは歴史的に貴重なものであり、王国大輪祭と共催される魔術大会の優勝者に贈られる『英霊樹の杖』は、過去への戒めと未来ある魔法使いの祝福を讃える、一年に一本しか作られないまさに由緒正しき杖なのだ。
「あの杖はイメリス王国の魔法使い達の歴史そのものだッ! 血筋も家柄も凡百な者に与えていいものではない!」
「その通りだ!」
「そもそもどうして決勝戦で、しかもよりによってシモンズ家の令嬢を敗退になどさせたのですか、マルティネス先生!?」
「えぇえ!? 私ですか!?」
「貴女以外に誰が居るんですか!?」
私の隣に座るマルティネス先生は思わず席を立って驚く。四方に長方形になるように置かれた机の向かい側に座る一部の教師陣--所謂『貴族派』と呼ばれる教師達--に睨まれ、自分が突然矢面に立たされたことに気付き、あたふたと慌てる。
「あ〜えーっと、見るからにシモンズ選手は杖を折られて戦意を喪失していたので、ベルナルド選手の勝ちになるんじゃないかなぁ〜? と判断しまして……ですね……」
「何だその曖昧な判断基準は!?」
「戦意だの何だの言うのなら、血だらけになるまで傷を負っていた彼の方を負けにするべきだろう!?」
「そもそも素手で戦っている時点でおかしいのだ!」
「いや、そ、それはそうなんですけど……! でも、一応戦いの前に両者に確認は取っていまして、ですね……」
しどろもどろになりながら反論するマルティネス先生に助け舟を出すべく、私は怒りで微かに震える拳を抑えながら口を開いた。
「……試合の結果は審判を一任されたマルティネス先生の決定が最優先。それはどの試合においても同じ事。それを今更覆そうとすることこそ、正当とは言い難いと私は考えます」
「………ッ!」
「そ、そうです! ラングフォード先生の言う通りですよ! 私は審判として間違ったことはやってません!」
マルティネス先生が私の言葉に賛同するように叫ぶ。心なしか僅かに私の陰に隠れるように身を寄せていた。
『貴族派』と私が机と空間を間に睨み合う形になる。『貴族派』の一人が私を指差しながら叫んだ。
「……ラングフォード先生、貴女は彼が表彰式の台に立つことの意味が分かっていらっしゃらないようだ! 平民出身の彼が杖を受け取り五千人の生徒達の頂点に立ってしまったら、貴族の方々の面子は丸潰れだ!」
「……魔術大会は貴族の面子を立てる場ではありません。若き魔法使い達の一番を決める純粋な祭典の一つです」
「それはあくまで世間一般的な話だ! 魔術大会は単なる魔法使いの武闘会などではない! ……ラングフォード先生。『はみ出し者』の貴女が彼に肩入れするなどしたら、貴女のキャリアもどうなるか分かりませんよ?」
「……」
『はみ出し者』、か。成る程、私はそんな風に呼ばれていたのか。
……まあそれも当然だろうと思う。
私だって分かっている。魔術大会が只のイベント行事の一つでないことなど、嫌という程分かっている。
赴任して数年、この学校で何度も聞いてきたし、見てきたのだから。
貴族達による派閥争い、トーナメント表の操作、取引、果ては賄賂や脅迫に至るまで。『純粋な祭典』の裏側にあるどす黒い物を、嫌という程。
そんな不正の数々を、私は見逃す事など出来なかった。出来うる限りの対策と努力はしたが、私個人で出来ることなど簡単に一蹴された。濁流に呑まれる小さな堤防のように、私がやって来たことは大きな流れの中で揉み消された。
結局、私は『はみ出し者』として貴族派の目の敵にされただけだった。無力な私が救えた者など、数える程も居ない。
恐らく、今回の件でもそういったことがあったのだろう。アベルの様子が変わったタイミングと決勝戦でのアベルとシモンズの会話を考えれば、シモンズとクロイツェルの間に何かがあったのだ。
それを私は把握し切ることは出来なかった。いや、例え事情を理解していたとしても、私に何が出来ただろうか。教師だけでなく、生徒やその家族にも『貴族派』が大多数を占めるこの学校で、私の抵抗はどれ程意味があっただろう。
それでも。
『ベルナルド。何があった』
『何にもないですよ。先生』
見た事もない表情で私に嘘をついた男の子。
『もし俺の装備を盗もうとしている奴等を見つけても、見逃してやって欲しいんです』
自分の物を盗む者達すらも想いやれる優しい心を持つ男の子。
『俺の『魔法』は、俺の恩人が鍛えてくれたものだ。俺の恩人と一緒に作り上げたものだ。かけがえのない宝物だ。』
かつて誰もが否定し、私自身すら諦めたものを。あの特訓を。あの時間を。作り上げた物を。宝物だと言ってくれた男の子。
『夢を追って努力してる人の邪魔をしていい理由にはッ! ならねえだろうがよッ!!!』
身分も立場もしがらみも苦悩も、あの子は知っている。知っていて尚、誰かの為に立ち向かった男の子。
ああ、その通りだアベル。
貴様は誰かの為に動いた。ならば、私は。
貴様の為に、私の出来ることをしよう。
言葉を出さない私を見てほくそ笑んでいた貴族派の教師を見据えて、私は言葉を放つ。
「『はみ出し者』でも結構。キャリアを失うなど、どうでもいいことだ」
私が吐き捨てるようにそう言うと、貴族派の教師は笑みを凍らせ呆然とする。
「アベル・ベルナルドはその身とその魔法で己の価値を証明しました。彼の勝ち取ったものが下らない面子を理由に取り上げられるなど、私は自らの教師人生を賭けてでも許すわけにはいきません。………絶対に、許すわけにはいかない……!」
「……なっ」
「アベルは自らの手であの『竜斬り』のブレイディアをも倒しました。彼の魔法使いとしての素質に疑問を挟む余地はないはずです」
私は知らず知らずの内に拳を握り締めていた。私の口が紡ぐ言葉にも力が入るのが分かる。私らしくない。そう思ったが、心は止まることなく一層感情的になる。
「ここは……『魔術学校』は……。魔法使いを育成する学校。我々学校側が今アベルの優勝を取り消しなどしたら、我々は王国中の全ての魔法使いから嗤われることになるでしょう。"権力に媚を売った名前だけの魔術学校だ"、と。」
「--ッ!! 口が過ぎるぞ! ラングフォード先生!!」
「あわわ……」
私の言葉に貴族派の教師達が椅子を跳ね飛ばして立ち上がる。中には杖を握り締めている者もいた。
マルティネス先生が口に手を当てながら冷や汗を流して視線を彷徨わせる。私も杖をいつでも出せるようにして小さく魔法陣を展開する。
ピキ、と。
カップの中の熱い紅茶が一瞬にして凍りついた。
「まあまあ、皆様方。一旦落ち着きましょう」
一触即発の空気で、暢気な声が聞こえた。
「り、理事長……」
「紅茶でも飲んで……ありゃ、凍ってますねぇ」
声の主は黒いスーツの下に花柄のシャツ、常時ハットを被っている年配の男性。魔術学校の理事長を務める男だった。
理事長は凍った紅茶の入ったカップを眺める。飲めないことを悟ると残念そうに机に置いた。
そして指を組み重々しく語り始める。
「……この魔術学校は、多くの貴族の方々に寄附金を頂いています。それによって生徒達により良い環境を与えると同時に、我々も様々な恩恵を受けている。それは確か。……その魔術学校の顔とも言うべき魔術大会優勝者が何処の馬の骨かも知れぬ平民出の少年だと云うことは、貴族の面子を汚すことになるかもしれませんねぇ」
「な……!?」
「そ、そうですよ理事長!」
私が思わず立ち上がりかけると、理事長は視線で私の動きを制した。
「しかしですねぇ。渦中の少年……アベル・ベルナルド君は特待生としてこれまで結果を出してきました。そして今年、その特待生を維持するために大会に参加し、これまた輝かしい成果を出しました。勉学においても、魔法においても、彼は優秀と言わざるを得ない」
「う……」
貴族派の教師達も唸るだけで、反論も出来ない。いつの間にか誰もが席に静かに座っていた。
「このような生徒を蔑ろにすれば、魔術学校の品位に関わる重大な問題になってしまいます。それこそ、先程ミッシェル先生が仰ったように、魔術学校に良くない感情を抱く人間も増えてしまうでしょう。……理事長として、それは是非とも回避したいですねぇ」
伸びた口調と緩やかな雰囲気。しかし、その瞳には教育者としての熱意が湛えていた。
「我々は魔法使いを育てる者です。若き芽を摘むような行為を、我々教育者がしてはなりません。してはならないのです。ベルナルド君にはこれまでの優勝者と何ら変わらず、『英霊樹の杖』を贈呈致します。これは理事長としての決定事項です」
鶴の一声とはこの事だろう。
私も貴族派の教師達も含め、もう誰も口を開くことは出来なかった。
静まりかえった会議室で、私は小さく安堵の息をついた。
「理事長先生」
「おやミッシェル先生……どうかしましたか?」
「先程はありがとうございました」
夕暮れの廊下で私は理事長に話しかけ、頭を下げる。
理事長はハットを少し上げ頭を掻く。
「私はただ学校のためを思ってしたことですよ。感謝されるような事はしていませんねぇ」
「……そう、ですか」
「ミッシェル先生。珍しく感情的になっていましたねぇ」
「う……」
私はばつが悪くなり視線を下げる。
そんな私を見て理事長は愉快そうに笑った。
「ふはは、杖を取り出した時は心臓が止まるかと思いましたよ。冷静沈着で優秀な貴女らしくもない」
「私が優秀、ですか……」
「ええ、優秀だと思いますよ私は。ただまだ、未熟です」
未熟。そう言われて私は小さくなってしまう。
そんな私を理事長は目を細めながら見つめてくる。
「よろしいのではないですかな。未熟とはつまり成長の余地があるということ。貴女はまだまだ若い。これからですよ。これから」
「……はい」
会議で助けられたばかりか、慰められてしまった。立派な教育者への道程はまだまだ長いようだと、私は痛感する。魔法と剣術ばかりに打ち込んできた私が人を指南する側に成れるだろうかと不安になる。
そんな私の不安を見透かしたように理事長は言う。
「アベル・ベルナルド君、ですか。以前までは頭でっかちの魔法使いという印象だけでしたが……。よく育てましたな、ミッシェル先生」
「……いえ、私が"育てた"のではありませんよ。アベル……あの子が"成長"したのです。私はその手伝いをしたに過ぎませんよ」
窓の向こうに沈む夕陽を眺めながら私はそう返事をする。脳裏には目を逸らしながら、泣き言を言いながら私の特訓について来たアベルの顔が映った。
その顔を思い出しながら、私は小さく笑みをこぼす。
すると、それを見て理事長は口をぽかんと開けて驚いたと思えば、合点が行ったように笑い出した。
「ほ? ……ほうほう。ふ、ふふ、ふはははは!」
「……? な、何です?」
「ああいや、ふふ、やはり面白いと思いましてな」
「?」
……理事長のよく分からない話についていけず、私は首を傾げるしかない。
私は一つ咳払いをして居住まいを正す。
理事長に話し掛けたのは、何も感謝を伝えるためだけではなかった。
「理事長先生。アベルの特待生の是非についてなのですが……」
「あぁ、その事ですか。勿論彼にはそのまま特待生として学校に居てもらいます。大会優勝者がすぐに退学になどなってしまったら元も子もないですからな」
「そうですか……!」
よかった……。
私は胸を撫で下ろし安堵の息をつく。これで目下最大の問題は解決出来た。
だが、それだけでは不十分だ。
シモンズ家との軋轢が生まれてしまった以上、アベルには何か後ろ盾が必要だ。本当ならば、私がそれを担ってやりたいところだったが、私では力不足は否めない。
そこで私は二つ目の話を理事長に持ちかける。
「そこで理事長先生、お話があるのですが」
「……聞きましょう」
「確か、『王宮魔法騎士団』への推薦枠がまだ埋まっていなかったはずです」
「ええ」
「『二名』ほど、私が推薦したい者がいるのですが--」
話を終え、ミッシェル先生は夕暮れが照らす廊下を歩き去っていく。
行き先は渦中の少年の場所、医務室だろう。
私はハットを少し上げ頭を掻く。窓に薄く映る私の顔は、何とも愉快そうに崩れていた。
(気付いていますかな?ミッシェル先生。いいや、貴女は気付いていないのでしょう。公正と公平を信条に、貴族平民関係無くどんな生徒にも分け隔てなく接する貴女が……『アベル』に『あの子』ですか)
--ミッシェル先生。それは『特別扱い』と、云うのではないのかな。
それに貴女はいつ気付くのか、或いはすでに薄々気付いているのか。
「……いやはや全く、これだから教育者は辞められない」
新たに見つけたこの芽にいつ花が咲くのか、私は楽しみに待っていようと思う。




