魔法使いは魔法を使わない。
控え室に戻ると、ミッシェル先生が残っていた。きっと片付けでもしていたのだろう。先生は戻って来た俺に気付くと、驚いたように目を少し見開いた。
「……ベルナルド? 忘れ物でもした……」
先生は言葉を途中で切ると、真剣な表情でこちらを見据える。
「ベルナルド。何があった」
……すごいな。一発で看破された。
「何にもないですよ。先生」
「…………」
俺は目線を逸らしながら見え見えの嘘を吐く。きっと先程の出来事を話せば、ミッシェル先生は有無も言わず協力してくれるだろう。だが俺は少し考えて、言うのをやめた。
『己の行動、己の言葉を誰かの責任にしてはいけない』。カリオストロの言葉が頭をよぎる。
その通りだ。あの子の為でも、ミッシェル先生の為でもなく、俺は今、徹頭徹尾自分の為に動いている。そうでなければならない。
レイ・シモンズを許せないという怒りが、今の俺を突き動かす原動力だ。
「俺優勝します。必ず」
「……!」
似合わない俺の宣言に、ミッシェル先生は驚いたようだ。
……"蛮勇"ではなく"義勇"のために動けという先生の教えに背く俺を、貴女は怒るでしょうか。それとも悲しむでしょうか。
誹りも非難も、後で幾らでも受けます。
だから今だけは、俺の我侭を許してください。
「だから先生、一つだけ俺の頼みを聞いてくれませんか?」
貴族も、平民も、関係無い。
俺は奴を一発ぶん殴らなきゃ気が済まない。
王国大輪祭 六日目。
魔術学校最強の剣士であるカリオストロを降した俺にとって、他の選手は脅威ではなかった。
俺はBブロックを勝ち進み、シモンズもまたAブロックを勝ち進み、遂に決勝戦が始まる。
『さぁ! 六日間に渡って行われてきた魔術大会も、いよいよ最後の瞬間が近付いて参りました!』
闘技場の上で立会いの女性教師が拡声した声で試合の前口上をしている。
『今年は何とも波乱に満ちた大会でありました! 片や大貴族のご令嬢、片や平民出身の長男坊! 五千人の生徒の頂点に立ち、王国大輪祭七日目の表彰式で「英霊樹の杖」を勝ち取るのは果たしてどちらなのでしょうか!? それでは両者、入場していただきましょう!』
入場の合図だ。俺は悠然と足を踏み出し闘技場に向かう。
『Aブロック、シモンズ家がご令嬢、去年は最上級生に混じり好成績を収めました稀代の魔法使いーーレイ・シモンズ選手!!』
向かいの入口からシモンズが優雅に歩を進めるのが見えた。
『そしてBブロック、あの「火炎の竜斬り」カリオストロ選手を退け、並み居る優勝候補を打ち倒してきた今大会台風の目! 波乱の魔法使いーーアベル・ベルナルド選……えぇ!?』
立会いの教師が俺の格好を見て驚いたような声を上げた。
それも無理はない。
何故なら今の俺は、戦闘用ローブも、剣も、杖も身につけておらず、簡素な私服のみ纏っていたのだから。
立会いの教師は困惑したように俺に声をかける。
『あのぅ……ベルナルド選手? 装備はどうしました?』
「スミマセン。失くしました」
『えぇ〜〜なんで失くしちゃうんです……?』
「……くふっ」
目前から吹き出したような笑い声が聞こえた。俺はシモンズの方を向くと、奴も嘲るような笑みを浮かべながらこちらを見返してきた。
「足でも生えて逃げ出したのではないですか? きっと持ち主に似たのでしょうね」
(よくもぬけぬけと言えるもんだ。)
その面の皮の厚さだけは賞賛に値するよ。
時は一日前に遡る。
控え室でミッシェル先生と対面する俺はある予測を打ち明けた。
「盗まれるかもしれないだと?」
「はい」
俺の言葉を繰り返し、怪訝そうにするミッシェル先生。
「確証はありません。けど、多分俺の装備一式、盗まれる可能性が高いです」
「…………」
ミッシェル先生がじっとこちらを見つめてくる。試しているような、見定めているような、そんな視線だった。
俺の予測は、亜麻色の髪の女の子がされたように、俺の杖もしくは装備全てが盗まれるかもしれないということだった。他ならぬシモンズに。
これを洗いざらい言うつもりなどない。
言ってしまえば、聡明なミッシェル先生はある程度の事情を察してしまうだろう。俺がどういう感情を抱き、これから俺が何をしようとしているのかも。
きっと先生に頼れば上手く事を運ぶことは可能だろう。不正を暴き、白日の下に晒しシモンズを決勝から引き摺り下ろすことも出来るかもしれない。
だが、それでは意味がない。
奴のプライドを、その伸びきった鼻をへし折るには、それでは不十分だ。シモンズの捻じ曲がった根性を鑑みるにそんなものでは響かない。
それに、俺がやろうとしていることは、大貴族シモンズ家に真っ向から喧嘩を売る行為だ。その我侭に、ミッシェル先生を巻き込む訳にはいかない。それは絶対条件だった。
どう説明しようか、俺が足りない頭をフル稼働させながら迷っていると、ミッシェル先生は視線の鋭さを収めるとこう言う。
「分かった。信じよう」
「……!」
余りに簡単に承諾したので、かえって俺の方が焦ってしまう。
「あの、俺が言うのもなんですけど、いいんですか? そんな簡単に……」
「勿論、他の人間ならこうはいかないさ。だが私は貴様の人となりを知っているつもりだし、貴様の表情から冗談を言っているわけではないことも解る。今は、私には言えない事情があるんだな?」
「ま、まあ、そうなんすけど……」
「ならば無理に聞こうとはしない。……大会が終わったら洗いざらい吐いてもらうがな」
怖いですミッシェル先生。
「それで、『頼み』というのはつまり、貴様の装備が盗まれるのを防いでほしいということだな?」
「いえ、違うんです」
「違うのか?」
ミッシェル先生は首をかしげる。俺は我ながら馬鹿な頼みだなあと思いつつも、先生にそれを告げた。
「もし俺の装備を盗もうとしている奴等を見つけても、見逃してやって欲しいんです」
「……何故だ? 理由が解らない」
「……きっとそいつらも本心からやりたくてやってる訳じゃないだろうから……」
廊下ですれ違ったシモンズの取り巻き連中の会話を思い出す。あの会話から察するに、彼女たちもシモンズに命令されて女の子の剣を盗み、シモンズに渡したのだろう。
確証は無いが、きっとそうだ。
シモンズの性格からして、盗むという行為をシモンズ自身が行うとは考え難い。
「先生からいただいた物です。後で絶対に取り返します。だから今は俺の頼みを聞いてください」
俺はミッシェル先生に頭を下げる。
ミッシェル先生はそんな俺を数秒ばかり見つめると、諦めたように一つ息を吐いた。
「……やはり貴様は、どこか変わっている」
「……スミマセン」
「何を謝る。私は褒めたつもりだよ」
--そんな部分も含めて、貴様なのだろう?
ミッシェル先生はそう言ってほんの少しはにかんだ笑顔を見せてくれた。
そして今日。
準決勝が終わった後で控え室から俺が一度出ていくと、予測通り、控え室にあったはずの俺の装備一式は影も形もなくなっていた。
予め大会前に使用する武器や防具の申請を出し、許可が下りた物のみ使用することが出来るというルールがある。
不正防止や危険物の検査などをするためだ。そのため、事前登録していない道具は試合では使うことが出来ない。シモンズはそれを狙ったのだろう。
そして、杖の無い魔法使いなど、魔法の知識を持った一般人以下の非力な人間のようなものだ。
棄権するのなら願ったり、例え無理を通して出場しても俺に勝ち目など無い、そう考えているのだろう。
まあ普通に、というかどう考えてもそうだな。
眼前のシモンズは、心の底から愉快そうに微笑みながら、話しかけてくる。
「さて、そんな身軽な状態で闘技場までやって来て、一体どうなさるのですか? もしや手品でもなさるおつもりでしょうか? 大道芸人志望ならば、ここではなく広場に向かった方がよろしいのでは? あなたにはよくお似合いですよ♬」
「…………」
「武器も無いのに、どうしておめおめとここに立っていられるのでしょうか。私には到底理解出来ませんわ。恥を晒すだけだとその惨めな脳味噌では判断出来ないのでしょうか?」
「…………」
「あぁ、それとも、敵前逃亡をしたと噂されるのが嫌で、取り敢えずここにやって来たというところでしょうか? なんとご立派なことでしょう。ふふ、あなたの勇姿に観客席の皆様も大きな拍手を送ることでしょう。さあやる事はもうありませんよ? 今直ぐ棄権の宣言をしておうちにお帰りになったらいかが--」
「何言ってんだお前、馬鹿か。」
「--でしょう………はっ?」
ピタリと、シモンズの言葉が止まり、その笑顔が凍る。
「闘いに来たから、此処に居るんだろうが」
俺はシモンズを真っ直ぐ見据えながら、言葉を放つ。
視線の先で、シモンズはわなわなと震えると瞼の下をひくつかせながら言う。
「……ば……馬鹿……? こンのクソ平民がッ……! 一体誰に向かって言ってると--」
「手前に言ってんだよ。レイ・シモンズ」
「……ッ!」
いよいよシモンズは射殺さんばかりに鋭い目つきでこちらを睨んでくる。
普段の俺ならば、目を逸らすか、面倒事は嫌だと逃げ出すかというところだった。
だが、今だけは違う。
俺はシモンズの視線を真っ向から受け、睨み返した。
奴と出逢って、というより絡まれ始めてから幾分か時が経ったが、まともに目と目が合うのはこれが初めてだった。
「さっき『どうしておめおめとここに立っているのか?』って聞いたな。んなもん簡単だよ」
俺は視線を一瞬たりともブレさせず、奴に届くように敢然と言い放つ。
「俺は、お前が、大嫌いなんだよ。お前が表彰台に立って喜んでる姿を想像するだけで、死ぬ程気持ち悪くて吐きそうになるんだ。だから、お前の優勝を邪魔しに来た。それだけだよ」
「なっ……!?」
俺の言葉にシモンズの杖を持つ手に力が入る。最高級品の魔法の杖がミシリと軋む。
「この……小物が……!!」
「手前もだろ」
一触即発の空気が満ちる。
立会いの教師が慌てたように右往左往する。
『あ〜え〜と、あの、流石に武器も防具も無い状態で闘わせるわけには、ですね……』
「よろしいのでは? 本人がやると言ってるのですから」
『ええ〜いや、そのぅ、ベルナルド選手! 本当に良いんですね!?』
「ああ。魔法なんか使うまでもねえよ」
『〜〜っ! そ、それでは! 決勝戦、開始!!』
「串刺しになりなさいッ!」
シモンズが魔法陣を描き、魔法を唱える。
俺は拳を握り締め、身体の中の魔力を練り上げ拳に集中させた。
俺は今から、本当に馬鹿げた事をやる。
「『氷の槍』ッ!!」
シモンズが中級氷雪魔法を発動する。一本の巨大な氷の槍が真っ直ぐ飛来してくる。避けなければ間違いなく、腹を貫通し死に至るだろう。シモンズもそれを分かっていて、俺が左右どちらかに避けることを想定し、次の魔法を準備していた。
俺はその全てを理解した上で。
その場から一歩も動かず。
拳を振り下ろし、氷の槍を魔力を籠めた右の拳で打ち砕いた。
ガシャァン!!とガラスが割れたような破裂音と共に氷の槍が砕け散る。
砕け散った氷の破片がその勢いのまま、俺に襲いかかり、身体中を無数の氷が突き刺した。
「は?」
シモンズは未知のものを見た時のような顔で、口をポカンと開けていた。
ボタボタと血が流れる。身体中を激痛が襲う。痛みで気絶してしまいそうだった。
それでも、俺はその全てを押し退けて、一歩前に進む。
シモンズの居る場所まで、あと九歩。
血だらけになった俺をシモンズが信じられないものを見るかのように叫び声を上げた。
「あ、あなた……! 頭おかしいんじゃないのッ!?」
俺はそれを無視して、奴に声をかける。
「中級魔法でこの程度かよ……こんなもんでカリオストロに勝とうと思ってたのかお前……?だとしたら……」
一歩進む。あと八歩。
「驕りが過ぎるぞ……? レイ・シモンズ」
一歩進む。あと七歩。
「ッ……くっ! 『炎の波』!」
シモンズは悔しそうに歯をくいしばると、火炎魔法を発動する。押し寄せる炎の波を前に、俺は服を脱いで盾にし、炎をある程度防いだ。
だが、衣服程度で炎を完全に防げるわけも無く、押し寄せた炎の波が俺の皮膚を焼いた。
激痛と高熱に耐えながら、俺はまた一歩進む。
あと六歩。
「……人は生まれた時から上と下がある。それを覆すのは、物凄く大変だ。少なくとも、俺なら挑むより逃げる方を選ぶね」
「…………な、何言ってるの?」
貴族に生まれた方が、平民に生まれた方よりも幸せだ。
金持ちの方が、貧乏よりも幸せだ。
才能が有る方が、才能が無い方よりも幸せだ。
美貌を持ってる方が、不細工よりも幸せだ。
それが当たり前で、どちらに付けるかは、運としか言いようがない。そんな理不尽もある。
一歩前に進む。あと五歩。
「……逃げて、隠れて、諦めて、妬んで、恨んで、目を逸らし続けて……そんなことを続けてた……ずっと……」
特待生制度がどうとか、退学とか、平民だとか、そんなことを言われた時。俺は心の奥底では、『あぁ、こんなもんか』と半ば諦めていた。世の理不尽に見切りをつけて、あまり傷が深くならないようにしていた。
最初から希望を持たなければ、絶望をすることもないから。
シモンズは杖を構えたまま、訳が分からないという顔をしている。ふん、お前に分かって貰いたくて言ってる訳じゃねえよ。
俺はただ、この試合を観てくれているあの人に、この試合を観てるかどうか分からないあの子に、俺なりに伝えたいだけだ。
「……でもある人が言ってくれたんだよ。俺は『良い魔法使いになれる』って。こんな俺に『信じている』って、『よく頑張った』って言ってくれた……」
その期待と信頼は、非力な俺には重い物だったけれど。
それが在ったから、俺はここまで頑張ることが出来たんだと思う。
勉強は、モテたいっていう不純な動機で、
イケメンを見ると無条件に呪い始める最低な人間性で、
自分の意志で何かを決めるのが苦手で、
人と目を合わせるのが苦手で、
人と上手く喋ることも出来ない、そんな俺が。
「さっき使うまでもないって言ったの、訂正するわ……俺の『魔法』は、俺の恩人が鍛えてくれたものだ。俺の恩人と一緒に作り上げたものだ。かけがえのない宝物だ。」
やっと胸張って誇れるものが出来たんだ。
「--俺の『魔法』は、お前には高価過ぎる。」
シモンズが殺意に満ちた目で睨みつけてくる。奴の居る場所まで、あと四歩まで近付いていた。
シモンズは下がりも、横にも移動しない。
奴にとって俺は丸腰のただの的だ。そんなものから逃げ出したなど、奴のプライドが許さないのだろう。
「お前は何を積み重ねてきた?」
シモンズが魔力を魔法陣に込めている。あれは中級魔法の魔法陣だが、魔力の量からして恐らく最大級のものだろう。
それでも、俺は足を踏み出した。あと三歩。
「貴族のご令嬢でも、シモンズ家の力でもない。今此処に立っている『お前』は、誰かの努力を踏み躙れるほどのものを積み重ねてきたのか?」
いいや、コイツは積み重ねてきていない。コイツの魔法を直に受けて改めて分かった。
ならばあの子はどうだろうか。
埃まみれの空き部屋で剣を抱いていた彼女は、どうだっただろう。
平民でありながら何かを志して剣を握り、家族の為に涙を飲んで栄光を捨てる決断をした彼女は。
そんなこと、問うまでもない。
「ク、クソ平民が舐めたこと言ってんじゃないわよッ!『炎の流星』ッ!!』
虚空に現れた魔法陣から炎の流星群が降り注ぐ。
ドドドドドッ!という轟音と共に辺りは土煙に包まれた。
「はぁっ……はぁっ……」
魔力を大量に使い、シモンズは疲労感に襲われ視線を地面に下げる。
周囲は静まり返り、聞こえるのは息切れの音だけだった。
シモンズが勝利を確信した瞬間に。
「お前が……どれだけ偉かろうが……どれだけ人より恵まれた奴だろうがよ……」
眼前に黒い影が映った。衣服はボロボロに破れ、額からは血を流し、息も絶え絶えになりながら、それでも影は立ち続けている。
あと一歩。
「あ……」
シモンズは思わず後退りし、震えた手で杖を握っていた。
俺はその様子を見下ろしながら、拳を握り魔力を籠める。
「夢を追って努力してる人の邪魔をしていい理由にはッ! ならねえだろうがよッ!!!」
そして、シモンズの顔面目掛けて拳を振り下ろそうと--した時。
頭の片隅に、ミッシェル先生の表情が浮かんだ。
俺が殴れば、優しいあの人はきっと悲しむだろう。と、そう思った。
「おおおおおおおおぉぉぉぉ!!」
俺は拳を振り下ろす。
バキン、と何かが砕ける音がした。
「……ミッシェル先生に感謝しろよ」
俺の拳は奴の杖を砕いていた。
正真正銘最後の力だった。
どれだけ魔力で身体能力を向上しても、元が貧弱な俺には、このぐらいが限界だった。
俺は気力だけで立ち続ける。どうしても、コイツを優勝させる訳にはいかなかった。
そして--。
『試合終了! レイ選手、戦闘不能と判断し、勝者アベル選手!!』
試合終了の声を聞いて、俺の意識は途絶えた。
シリアスはこの話で終了です。
次からはシリアルになります。




