15.ココ・エルシャール
「お嬢様、おかえりなさいませ」
屋敷に戻ったココにエルシャール家の執事が声をかける。
「ただいま戻りました…お父様の様子はどうですか?」
「…当主様は日に日にやつれておいででございます」
ココが尋ねると執事は悲痛な面持ちで答えた。自分の気持ちを探られないように無表情でココは無表情で頷く。
「そうですか…私はお父様の部屋にまいります」
「かしこまりました」
エルシャール家の屋敷は二階建てで、一階は食堂と応接間以外使用人の部屋となっており、二階はエルシャールの者の部屋や当主室がある。ココの父親の部屋は二階に上がった一番奥に位置してた。
足早に階段を上っていたココは目の前に現れた人物を見て思わず足を止めた。今最も会いたくない相手が階段の上に立っていた。
「戻ったのか、ココ」
「…お兄様」
ココは自分の中にある感情という感情を瞬間的に全て消した。そんなココを兄であるデルト・エルシャールが侮蔑の笑みを浮かべながら見つめる。
「父上が危篤だと言うのにお前と来たら…次期当主様は自由で羨ましい限りだ」
「……………」
ココは無表情のまま何も答えない。デルトはこちらを死んだ魚のような目で見つめるココに対してスッと目を細めた。
「お前のような戦うことしか能がない女はエルシャール家には相応しくない。父上も早まったことを…もうあの時は既にご病気で正常な判断を下せなかったと見える」
デルトの嫌味を聞き流しながら、目的地の行くこと以外何も考えずにココはゆっくりと階段を上がっていく。
「母上がご存命ならば何の役にも立たないお前が次期当主になることを止めてくれただろうに。まさかお前が母上を殺したのではないだろうな?」
ココの身体がピクリと反応し、階段を上っていた足が止まる。
ココの母親は三年前に病気でこの世をさった。はやり病であり、元々身体が弱いこともあって、いろいろと手を尽くしたが救うことはできなかった。
ココが殺したわけがないとわかっていながら、あえて挑発するようにデルトは言った。母親の話をされ、一瞬激情に駆られたが、何とか押さえ込み、デルトの脇を抜け父親の部屋へと足を進める。
なにも反応を示さない妹にデルトはふんっ、と鼻を鳴らすと、より一層蔑みの色を濃くしてココを睨みつけた。
「覚えとけ、ココ。俺はお前が次期当主など許さない。屋敷の者も誰一人お前のことを認めていない。お前のようなクズが次期当主になどなったら四大貴族であるエルシャール家はおしまいだ」
聞き流そうとしてもやっぱり耳に入ってしまう実兄の言葉を聞きながら、ココは血が滲むほど唇を噛み締め、父親の部屋へと入っていった。
「ふぅー…」
ココは扉を閉めると大きく息を吐きながら目を瞑り自分の心を鎮める。冷静さを取り戻したココは部屋の端にある大きなベッドに近づいた。
「お父様…」
ココの視線の先には壮年の男性がベッドに横になっていた。かつてその精強な肉体を存分に発揮し’エルシャールの鬼’と呼ばれていたのが嘘のように、腕はか細く、顔はシワだらけになっていた。今は寝ているようだが、その寝息は弱々しく、いつ止まってしまってもおかしくないようである。あまりの父親の変貌っぷりにココはいたたまれない気持ちでいっぱいになり思わず目を逸らした。すると換気のためなのか窓が開いており、そこに鳥がとまっているのが目に入る。見たことのない鳥だったが、こちらを見るその目が、何となく自分を守ってくれた彼に似ていて、ざわついていたココの心を落ち着かせてくれた。
ココはベッドの近くに置かれた椅子に腰掛けると、父親の手に自分の手を添える。
「お父様…もう少しの辛抱です。お薬の材料をやっと得ることができました。これから薬師の元へ行ってまいります」
答えることのない父親にそう告げると、ココは立ち上がり、部屋を後にした。
ココの父親の病名は瘴気免疫不全症候群。魔力を使うとその副産物として瘴気が生じ、その瘴気により魔物が生み出されるのだが、この瘴気は人体に悪影響を及ぼす。基本的には異常な瘴気の発生がない限り、人が持つ免疫によって生活に支障はきたさないのだが、ココの父親はその免疫が著しく低くなってしまう病気にかかっていた。
この病気には特効薬があり、数種類の薬草と【瘴気分解】のスキルを持つ魔物のコアが必要であった。【瘴気分解】とは空気中にある瘴気を吸収、分解し自身の魔力として還元するスキルなのだが、これを用いることにより、免疫力低下によって体内に溜まった瘴気を分解することができる。
この特効薬に必要な薬草は比較的簡単に入手することができるのだが、【瘴気分解】のスキルをもつ魔物が極端に少なく、普通の冒険者では手が出せないような相手ばかりであること。エルシャール家の治めるこの地では、そのスキルを持つのが’ゴールデンコンガ’のみであった。
やっとの思いで手に入れたコアを抱えながらココは薬師の家をノックする。すると黒いローブを着た白髪交じりの男が家から顔を出した。
「これはこれはココ様。今日はどのようなご用件ですかな?」
「コアを手に入れたよ!」
「なんと!!」
ココがやって来たのは薬師の男のところで、父親の病気を快復させるため、ここがずっと通い詰めていたところであった。そのため事情は把握しており、ココは具体的な説明もなくコアを突き出すと薬師の男はそれを見て目を見張ったが、冷静になるべく首をブンブンと振り、急いでココを部屋の中へと招き入れる。
「私は早速薬の生成にうつりますので、ココ様はこの部屋でお待ちください」
ココからコアを受け取ると薬師の男は興奮した面持ちで奥の部屋へと入っていった。一人になったココは部屋にある椅子に腰掛けると、両手を机に置き、そこに顔を埋める。
(これでお父様を助けられる…)
ココは得も言われぬ達成感と多大な疲労感を感じていた。昼間に戦った'ゴールデンドコンガ'と、死を覚悟した'ストームドラゴン'のことを思い出しながらココは思わず笑みを浮かべる。
(あたし…よく生きてるな…あれもこれもスバル達のおかげだ…)
二人の顔を思い浮かべていると、だんだんと瞼が重くなってきた。
(今日は色々あったから少し疲れちゃった…)
抗いようのない睡魔を前に、ココはそのままゆっくりと目を閉じていく。
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ココは興味本位でついて来たことを激しく後悔していた。
今日はココの八歳の誕生日。いつもは父親と兄が二人で狩りに行っているのだが、それに同行することを許され、意気揚々と二人について来たのだった。
最初はピクニック気分で楽しんでいたのだが、いざ森に入ると昼間だというのに薄暗く、気味の悪い鳴き声がそこら中で響き渡り、時々襲いかかってくる魔物は父親が倒してくれるのでココは無傷であったが、どれもこれも恐ろしい怪物のように見えた。
「もう帰りたいよぉ…」
ココが半泣きで呟くと、前に歩いていたデルトが優しくココの手を握る。
「大丈夫だ、ココ。お兄ちゃんが守ってあげるからな」
兄の手から温もりを感じ、それを絶対に逃さないよう、ココは強く握り返した。それを見た父親が朗らかな笑みを浮かべる。
「まだココには早かったみたいだな」
「父上、今日はもう引き上げてはどうでしょう?」
「そうだな…帰ってココの誕生日会もしなければならないし、この辺で…むっ!」
家に帰ろう、と宣言しようとした瞬間、父親に向かって’ダークラビット’が三体飛びかかってきた。父親は手にしたサーベルでそれらを切り倒す。しかし目の前の敵に気を取られた父親は潜んでいたもう一匹の’ダークラビット’に気がつかなかった。
「ココッ!!」
茂みから飛び出した’ダークラビット’がココに襲いかかるのを見たデルトが咄嗟にココの前に出る。
(お兄様が危ないっ!!)
そう思ったココは瞬時に頭に浮かんだ言葉を無意識に唱えた。
「”風の刃”!!」
ココの身体から飛び出した風の刃が’ダークラビット’を切り裂いた。’ダークラビット’はそのまま地面に落ち、動かなくなる。
デルトも魔法を唱えたココ自身も唖然としながらそれを見ていた。
「ココ!デルト!大丈夫か!?」
父親が慌てて二人に駆け寄る。二人に怪我がないことを確認すると、満面の笑みを受かべココの頭を撫でた。
「すごいぞ、ココ!その歳で魔法が使えるとは、ここは天才だな!!」
「ココが天才?えへへっ…」
父親に褒められ、茫然としていたココは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「お兄様!ココすごい?天才?」
「あ、あぁ。すごいぞ、ココ!」
デルトがぎこちない笑みを浮かべる。ココは違和感を感じながらも尊敬する兄にも褒められ、素直に喜んだ。
「よし!今から帰ってココの誕生日会&初めて魔法を使った記念のお祝いをするぞ!」
「おーっ!!」
父親の言葉に、ココは元気よく手を上げながら答えたが、デルトは神妙な表情で地面の方へ視線を向ける。歩き出した父親の後ろをついていったココにはそれが見えなかった。
その日から、兄の妹を見る目が変わった。
仲睦まじかった二人だったが、ココが話しかけてもデルトは素っ気ない返事しかしなかった。父親との訓練において、ココの身体を気遣うようなことはなくなり、むしろ痛めつけるような動きまでする始末。
食事の時も会話はなくなり、デルトは真っ先に食事を終えると、そのまま自分の部屋に引きこもるようになった。
ココとデルトは次第に距離が離れていき、いつの間にかココは兄を避けるようになっていった。
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「…きて……さ……こ…ま」
誰かに肩を揺すられている。
「起きてください。ココ様」
ココは目を開け、顔を上げるとそこには薬師の男が金色の液体が入った瓶を持って立っていた。
「こちらが瘴気免疫不全症候群の特効薬になります」
「ん…ありがとう」
ココは目をこすりながら笑顔でそれを受け取る。
「早くギルオン様にそれを飲まして上げてください。効果はすぐに出るはずです」
「うん、わかったよ。世話になったね」
ココがお金を渡そうとすると、薬師の男は首を横に振った。
「ギルオン様には色々と助けていただいたご恩がありますので、その身体がよくなることが最大の報酬になります」
「…わかった。本当にありがとうね」
「いえいえ、お気になさらず」
ココは頭を下げながら家から出ていく。一刻も早く父親にこの薬を飲ませたい、その一心で走りだそうとしたココに向かってナイフが投げられた。ココは間一髪でそのナイフを避け、飛んで来た方向に視線を向ける。
そこには黒いマントを羽織り、目深にフードを被った者たちが立っていた。




