7.満月だけが見ていた
目を開くとすっかり日は沈んでおり、夜の帳が下りていた。立ち上がろうと身体を動かすとビキッと全身に痛みが走る。昴は仕方なく地面に寝転がりながら空を見上げた。
(あいつら…派手にやりやがって…)
自分が気絶する前のことを思い出し、思わず悪態をつく。
あの後隆人達と裏庭まで来た昴は木剣を一つ渡され、四人同時に相手をすることとなった。ただでさえ数の暴力があるというのに剣を碌に振ることができない昴は隆人達にとって都合のいいサンドバックであった。
稽古と称して木剣でボコボコに殴られ、蹲っても今度は足が飛んでくる。最後の記憶は全員の邪悪な笑い顔であった。
自分一人だけがこの場にいるということは、気絶するまで痛ぶってそのまま放置されたのであろう。元の世界でも殴られたりはしたが、ここまで暴力的な扱いを受けたのは初めてだった。おそらく教師や親といった抑止力が存在しないこの世界であいつらのリミッターが外れたにちがいない。いずれにしろ昴にとってはいい迷惑であった。
(この世界にも月はあるんだなぁ…)
空に浮かぶ月を見ながら、昴はそんな事を考えていた。果たしてこの世界でもあれを月と呼ぶかはわからなかったがそんなことはどうでもいい。昴達がいた世界のよりも少しだけ赤みがかかっている月はボールのようにまん丸であった。
このままここで寝そべっててもしょうがないのでなんとかふんばって身体を起こす。自分の身体をよく見ると砂埃や血で汚れていたため、裏庭にある井戸までヨロヨロと歩いていった。
井戸から水を掬い出し、水をかぶろうとしてその手が止まる。ここの気温は元の世界と変わらないようであった。春先の夜に屋外で冷水をかぶればどうなるか、そんなことは小学生でもわかる問題である。
中々決心が固まらず昴が桶を持ったまま躊躇していると後ろからタオルを持った手が伸びてくる。驚いた昴は振り向き、タオルを持っている人物の無表情な顔を見てほっと息をついた。
「なんだ美冬か…おどかすなよ」
「………ん」
少し頷いたその顔には注意深く見れば気づくことができる程度の笑みが浮かんでいる。恐らく北原美冬を知るものが今の美冬を見たら心底驚くであろう。それほどに彼女は感情を表に出すことをしない。
整った容姿に小さな体、喜怒哀楽の無さも相まって、彼女を精巧な人形なのではないかと思う者も少なくなかった。
受け取ったタオルを水に濡らし体を拭いていく昴を美冬は黙って見つめる。二人の間に会話はない。その沈黙は決して嫌なものではなく、二人とも自然体で振舞っていた。
「美冬が俺に話しかけてくるなんて珍しいな」
「………いなかったから」
「そりゃあ気絶してて夕飯どころじゃなかったからな。おかげで腹の虫がなきやまねぇよ。…それにしても俺がいない事に気づくやつなんてお前くらいだろうな」
「………雫も」
「…あいつは目ざといから」
いつものおどおどした感じではなりを潜め、本来の自分で美冬に話しかける。美冬は少し不思議そうな顔をしながら言葉数少なくそれに答えていった。
「どうした?」
そんな美冬の様子に気づいた昴が尋ねると、美冬は口に出すべきか少し迷いながらも自分の疑問を昴にぶつけた。
「………口調」
「あー…今更お前に取り繕ってもしょうがないだろ?この前クラスで美冬に話しかけたら思いっきり嫌な顔されたしな」
教師から頼まれたプリントを美冬に渡した時のことを思い出す。一言二言しか交わしていないというのにあからさまに嫌悪感を示されたのだった。
「………あれはひどかった」
「そう言うなって。地味でひ弱な楠木君が無口な美少女北原さんに話しかけるのに、気安い感じじゃ色々と台無しだろ。美冬ファンの奴らに目の敵にされるわ」
「………そんなものない」
心なしか頬を染めながら答える美冬を見て昴は笑いを隠すために口元に手を添える。少し拗ねたような顔をした美冬だったが、すぐに無表情に戻し、真剣な眼差しを昴に向けた。
「………雫とは」
「それは口調の話か?」
「………それもあるけど」
「……………」
美冬の言いたい事を察した昴は何も言わずに視線を逸らす。だが美冬答えを聞くまでは動かない、という固い意志を感じ諦めたように肩を竦めた。
「変わったのは俺だけじゃないってことだ。柄じゃないキャラ演じやがって」
苦笑いを浮かべる昴に美冬は言葉をかけることができない。身体を拭き終えた昴はタオルを首にかけ真面目な表情を浮かべた。
「…あいつがあぁなっちまったのは全部俺のせいだ。だから俺はあいつの側にはいない方がいいんだろうよ」
「………雫はそんなこと」
「思ってないだろうな。でもそれが事実だ。あいつがどういうことを考えて今の『霧崎雫』になったかはわからないが…今のあいつを見ているといつか粉々に砕けてしまいそうで俺は嫌なんだ」
「……………」
昴の言葉に美冬は思わず顔を俯かせる。確かに今の雫の姿はガラス細工のように美冬の目にも映っていた。
「考えても見ろ、生徒会長だぞ?あの雫が。信じられるか?」
「………中学時代の雫からは考えられない」
「そういうこと」
「………でもそれは昴と」
「関係ないなんて言えるか?…あいつがあぁなったのはあの時からだ」
それだけ言って黙り込む昴。その表情には色濃く苦悩の色が浮かんでいる。
美冬は昴にかける言葉を必死に探すがまるで話し方を忘れてしまったかのように言葉が出てこない。再度静寂が二人を包み込む。さっきの気心知れた沈黙ではなく、いたたまれないような沈黙。それを破ったのは美冬だった。
「………いつまでこんなこと」
「ん?」
「………玄田達」
「あー…」
苦笑いしながら昴は自分の頭をぽりぽりとかいた。
「面倒くさいのが嫌いなのはお前も知ってんだろ。波風たたずに生きようとしてたんだけど、へんな難癖つけられて困ってんだよな。まぁそれもあとは高校卒業するまでの一年間我慢すれば終わると思ってたんだけど…こんなとこに召喚されてその計画も狂っちまったな」
諦めたような笑顔を浮かべる。それを見た美冬は唇をそっと噛みしめた。
「………違うでしょ」
「え?」
「………他の人が犠牲にならないようにでしょ」
「……………」
美冬の問いかけに昴は何も答えない。一切の感情を拭い去ったような顔で美冬を見つめる。
「………昴が耐えれば前みたいなことにはならない、そう思ってるからでしょ」
「……………」
必死に語りかける美冬にそれでも昴は無言を貫く。
「………いつまで責任感じてるの?」
「……………」
「………あれは昴のせいじゃない。昴は悪く」
「美冬っ!!」
美冬の言葉を切るように突然あげた昴の怒声に美冬はビクッと体を震わす。声を出した本人も大声を出したことに驚いていた。美冬が恐る恐る昴の顔色をうかがうと、昴は視線をそらし、思いっきり自分の髪をかきむしる。
「…悪い」
「………ん」
昴が大きくため息をつく。いつもの調子に戻った昴に美冬はホッと安堵の色を浮かべた。
「美冬…お前がどれだけ俺のことをかばってくれても何も変わらない。知っているだろ?」
光のともらない瞳で美冬を見つめ、そして空を仰ぐ。
「俺はただの人殺しなんだ」
月を見上げながらそう告げた昴の声色はまさに無色透明だった。後悔、葛藤、絶望、自棄、様々な感情が内心渦巻いているにもかかわらず、その言葉には一切の感情がない。まさに死んでいる言葉。美冬は思わず息をのむ。
「俺が悪いとか悪くないとかそんなことは関係ない。この件に関しては結果がすべてなんだ」
昴の顔からも一切の感情を読み取ることができない。淡々と機械のごとく話し続ける。
「だから俺はもう二度と同じことが起きないようにしなければならない。不幸な人が増えないように人と関わらないようにしなければならない。俺と関わったせいで誰かが傷つくのは…もう嫌なんだ」
それまで無表情だった昴が苦痛に顔を歪める。そんな昴を美冬が悲しげな表情で見つめていた。
「それが俺の贖罪」
はっきりと告げられる言葉。それは自分と関わるなという拒絶の言葉。当然美冬が納得でいるようなものではない。
「………玄田達からいじめられるのが贖罪になるの?雫やボクから距離をとることが必要なことなの?」
「あいつらは人を傷つけないと自分の居場所を見つけられないような屑どもだ。俺がだめだと分かったらどうせ他の奴がターゲットになるに決まってる。そうなってからじゃ遅いんだよ。…それは美冬もわかるだろ?」
「………それは……!!………ん」
言い返す言葉が見つからず美冬は仕方なく頷く。
「…悪いな。お前が一番辛いはずなのに」
「………そんなことない!」
美冬は勢いよく顔を上げ、強い口調で否定した。そんな美冬に少しだけ驚きながらも昴は優しい笑顔を向ける。
「ありがとうな。でも俺に関わるべきじゃないんだ…美冬も、雫もな」
「………雫がかわいそう」
「…もうあいつの周りには支えてくれるやつらがいる。何かあっても北村や天海が助けてくれるだろ。もう互いに干渉するべきじゃないんだよ、俺たちは」
「………ボクは?」
美冬が寂しそうな声で尋ねる。そんな美冬に昴は困った表情を浮かべた。
「むしろ美冬の方が俺と関わり合いたくないと思ってた。俺のこと見れば…その、なんだ…いろいろ思い出しちまうからさ」
自嘲じみた昴の言葉を否定するように美冬は首を横に振る。
「………どんなことが起きようと昴はボクの大切な人だよ。雫もあいつも」
「そうか…ありがとう」
美冬のまっすぐな言葉に昴は照れたように頬を掻いた。
「お前がそんな風に思っててくれたなんて…ちょっと嬉しいかな」
「……………」
「…そう思っちまう俺はまだまだ罪の意識が足りてないんだろうな」
雲に隠れていた月が静かに顔を出す。
「本当…自分で自分が許せねぇよ」
満月に照らし出された昴の顔は笑っていた、そして涙を流さずに泣いていた。そんな風に思った美冬の心は茨の鞭で締め付けられたようだった。そして確信する。昴は一生自分を責め続ける、そして一生自分を許すことはない、と。
どうしたらこの人の心を癒すことができるだろう、どうしたらこの人は自分を許すことができるだろう。
今にも泣きそうな顔をしている美冬の頭をポンッと叩くと、昴は「そろそろ戻ろうぜ」と優しく声をかけた。何も答えない美冬の頭をなでてから歩き出した昴の背中を見つめながら美冬は静かな声で問いかける。
「………一番辛いのは昴でしょ?」
そんな美冬の言葉を届いていないの聞こうとしないのか、昴は足を止めることなく宿舎へと向かっていった。