35.ジョーカー
「大きい建物じゃのう。マルカットのところも大きかったけど、ここはあそこ以上に大きいんじゃないかの?」
タマモは目の前に建つ冒険者ギルドを見て目を丸くしている。
「まー数ある冒険者ギルドの中でも本部と呼ばれるところだからな。つっても俺は他のギルドを見たことがあるわけじゃねーけど」
昴はタマモを引き連れて冒険者ギルドの扉を開く。中に入った瞬間、ギルドにいる全ての視線が昴たちに向けられた。この場所だけが時間が止まったかのように誰も動かない。いつもは騒々しい冒険者ギルドが、今は水を打ったような静けさに包まれていた。何が起こったのかよく分からない昴は視線だけで辺りを見回すと冒険者も受付のギルド職員もこちらを見ていた。
「うわー!中も広いのじゃ!」
タマモだけが何も考えずにギルド内を動き回っていた。昴がどうしたらいいのか考えあぐねていると、前から見知った顔が昴の元へ駆け寄って来るのが目に入る。
「スバルさん!お待ちしてました!!黒いコートよくお似合いですね!」
若干頬を紅潮させながらいつもの笑顔でパルムが昴に声をかける。
「あ、あぁ。パルム、ありがとう」
救いの手を差し伸べてくれたパルムに昴は感謝の意を示す。パルムはコートを褒めたことに対する感謝と勘違いし、「いえいえ!本当によくお似合いです!」と笑顔を向けた。
「一昨日は大活躍だったみたいじゃないですか!」
「大活躍?俺は別に何もしてないぞ?」
「何言ってんですか!」
パルムが笑顔で昴の脇腹を肘で小突く。正直昴にはパルムが何を言っているのかよく分からなかった。そんな昴の様子には御構い無しでパルムが話を続ける。
「スバルさんの担当受付としてわたしは本当に鼻が高いです!」
「あの…パルム?」
「思えば最初に出会った頃からこの人は他の人とは違うと思っていました!」
「おーい」
「依頼を受けても傷一つ受けることなく難なくこなすし、ギルド長には気に入られるし」
「パルムさーん?」
「それに…わたしのことも助けてくれましたし」
きゃっ、とパルムは朱に染まった頬に両手を添えた。
「パルム!」
「あ、はい!なんでしょう?」
「状況を説明してくれ」
自分の世界に入っている猫耳受付嬢に昴は疲れた声で言った。
「あっそうでした!昴さんが来たら部屋に連れて来いとギルド長に言われています!」
「そんなことより!」
「そんなことより?」
パルムが不思議そうな顔をすると昴はパルムの後ろに目をやった。流石に動き出しているが、目だけはちらちらとせわしなくこちらに向いている。その視線は憧憬や羨望、はたまた畏怖のようなものであった。
「…なんで俺はこんなに注目されてんだ?」
「なぜってそりゃ…」
パルムは意気揚々と話そうとしたが、口にする直前で話すのをやめた。少し考えた後、真剣な表情を作り昴に一礼する。
「申し訳ありませんがこれ以上のことは当ギルド長にお尋ねください」
「……………」
なにが起こっているのか分からないが、碌なことになっていないことだけはわかった。昴は大きくため息を吐くと、ギルドの食事処を涎を垂らしながら眺めているタマモを大声で呼ぶ。
「なんじゃ、スバル?」
「今から妖怪狸爺の所に行くぞ」
昴はタマモの涎を吹き終わると、ギルドの二階へと歩いていく。タマモは後ろ髪を引かれる思いで食事処に目を向けると、目をギュッと瞑り、昴の後について行った。
ギルド長室の前までついた昴はノックもなしに扉を開けた。
「おい爺!どういうことか説明しや…」
部屋にはサガットしかいないと思っていた昴はズカズカと中に入って行ったが、他に誰かいることに気づき言葉を止めた。サガットの机の前には祭服を着た五十代くらいの冴えない男が立っている。昴がサガットに視線で説明を仰いだ。
「…スバル、こちらはガンドラの街にある教会のランダ司祭である。司祭、こいつがさっき話したスバルだ」
「ランダです。宜しくお願いします」
「…よろしくお願いします」
ランダからの握手に応じながらも、なぜ教会の司祭がいるのかわからない昴は訝しげな視線をサガットに向けた。
「そんな顔するな。ランダ司祭はそこのお嬢ちゃんのために来ていただいたんだ」
「タマモのため?」
「あぁ。そこのお嬢ちゃんはステータスプレートを持っていないだろ?」
「ステータスプレート?」
タマモが聞き慣れない言葉に首をかしげる。サガットはタマモに顔を向けて頷いた。
「本来であれば教会に自ら赴いて国民の儀を行うのだが…」
サガットがちらりと昴に視線を向ける。
「なるほどな…あんまり目立つ場にタマモを立たせたくないから、俺がタマモを教会に連れていかないだろうと」
「それもあるが…教会でいろいろ詮索されるのはこちらとしても面白くない」
「…いいのかよ?この人の前でそんなはっきり言ってさ」
昴がランダの方を見ると特に気にしているそぶりはなかった。
「まぁ教会の中にも変わった奴はいるってわけだ」
「私はそこまで敬虔な信者ではありませんので…おっとこれは口が滑りましたかね」
「なるほど…狸の知り合いは狸ってことですね」
昴はニヤリと笑いかけるとランダは涼しげな表情を浮かべた。
「というわけだ。そこのお嬢さんには隣の応接室で国民の儀を受けてもらう」
みんなが何を言っているのかさっぱり分からなかったタマモは不安そうに昴の方を見た。
「大丈夫だ。サガットは食えない爺だが一応信頼はできる。その爺が連れて来たランダ司祭も大丈夫だろ。…だがまーなんか変なことされたら大声をあげろ。そしたら」
昴はサガットとランダを見て、挑発的な笑みを向ける。
「このギルドを血祭りに上げてやる」
「わかったのじゃ!!なにかあったらうちも暴れまくるのじゃ!!」
タマモは満面の笑みを浮かべ、ランダが興味深かそうに昴を見た。
「なるほど…サガット殿の言う通り、面白いお方ですね」
「気をつけろ、ランダ。こいつははったりは言わないからな」
「目を見ればわかります。まぁでもご心配なく。少し時間がかかりますが、ちゃんと国民の儀を終わらせて来ますよ。出身地はガンドラでいいですか?」
「えぇ、それが一番都合が良さそうなのでそれでお願いします」
「わかりました。ではタマモ殿、私について来てください」
そう言うとランダはタマモを連れて部屋から出て行った。昴はそれを見送るといつも通りソファに遠慮なく腰掛ける。
「それで?色々聞きたいことがあるんだけど」
サガットは部屋の隅にある魔道具を作動させると、中から出て来た黒い液体をコップに入れ、一つは自分に、もう一つは昴の目の前に置いた。昴はそれを手に取り匂いを嗅ぐとコーヒーの香ばしい香りがした。少し薄いがちゃんとコーヒーの味がした。
「儂の話はお前さんの話を聞いた後だ。あのお嬢さんのこと聞かせてくれるんだろ?」
サガットも自分のコーヒーに口をつける。なんとなく気に入らなかったが、ここに来る途中にタマモに許可を取っていたので、昴は渋々タマモのことを話し始めた。
昴の話を聞き終えたサガットは眉をひそめる。
「お前さんが魔力枯渇になるまで全力を出さなきゃ壊せない結界か…しかも五百年もの間それを維持し、内部の時間を止めておくとは…生半可な使い手ではないだろうな」
「…それをやったやつに心当たりはないのか?」
サガットが険しい顔をする。
「さすがに五百年前のことは記録としてもほとんど残っておらんし、正直想像もつかない」
「まーそうだよな…」
結構な長話になったため、昴は喉を潤そうとすっかり冷めたコーヒーを飲んだ。
「とりあえずはお嬢さんの身元もわかったし、お前さんの行動の意味もわかった」
「そうかい、そいつはよかった」
「タマモ嬢はお前さんについて行くんだから、しっかり守ってやれ」
「言われるまでもねーよ」
サガットが真剣な表情で言うのを聞いて昴は肩を竦める。
「んじゃ次は俺の番だな」
「お前さんがなんであんなに注目を浴びたか、ってことか?」
「それだ。その理由を聞きたい」
「こいつがその理由だ」
サガットは一枚の羊皮紙を取り出し、昴の目の前に出した。それを見た昴は凍ったように固まった。
―――――――――――――――――――――
ギルド長通告
昨日起きた魔物大暴走において多大な功績を収めた
冒険者スバルをギルド長権限において特別にランクAとする
―――――――――――――――――――――
「………これは?」
しばらく絶句していた昴がやっとの思いで口を開いた。
「読んで字のごとくだ。昨日貼り出した」
「そういうことじゃねーよ!!」
昴が乱暴に机を叩いた。
「なんでこんなことになったんだって聞いてんだよ!」
鬼の形相で詰め寄ってくる昴を見てもサガットは特に表情を変えない。机から葉巻を取り出しシガーライターで先を切る。
「おい爺!!」
「全てお前さんの身から出た錆だ」
「なっ…!?」
サガットは昴を睨み付けるとゆっくりと葉巻に火をつけた。
「お前さんが帰って来た後、冒険者たちが山に入ったんだが…なかなかすごかったみたいだな」
「……………」
「山には魔物の気配は一切なく、あるのは一刀に斬り伏せられた何百もの亡骸のみ。…お前さん、目立ちたくないと言っておきながらそれはいかんだろ」
サガットは紫煙をくゆらせた。
「本当であったらすぐにでもランクSに推薦するほどのことなのだが…流石にそれだとお前さんの自由を奪うことにもなりかねんからな」
昴は頭を抱えて力なく座った。サガットの言う通り自業自得以外の何物でもない。
「まぁそういうことだ。この程度で済ませた儂に感謝せい」
サガットが勝ち誇った顔をするのが気に食わなかったが、今回ばかりはぐうの音も出ない。
「………恩にきるよ」
「………は?」
「だから恩にきるって!!」
昴の口からでた予想外の言葉にサガットが目を丸くする。
「…お前さんに素直に感謝されると気持ちが悪いな」
「悪かったな!ひねくれてて!」
昴が不機嫌そうに鼻を鳴らすと、サガットは葉巻を口にくわえた。
「そういうわけでお前さんの冒険者カードはこいつになる」
サガットは金色の冒険者カードを昴に渡した。
「パルムが登録しなおしてくれたから、古いカードはもう使えん。こちらで預かろう」
「…なんか金色って目立つな」
「それだけのことをお前さんはしたんだ」
昴は懐から自分の冒険者カードを取り出すと、サガットに渡した。
「こんなに早く、しかも銅から金に一気に格上げしたやつはなかなかおらんだろうに、もっと喜べ」
「嬉しくねー」
不貞腐れたように答える昴を見て、サガットは呆れたように笑う。
「まぁいい。ところで二つ名のことなんだが」
「え?」
昴が勢い良く顔を上げると、サガットは羊皮紙を見ていた。
「何個か候補があってな…」
「ちょっと待て」
「何だ?」
サガットがうっとおしそうに持っている羊皮紙から目を離し昴を見た。
「なんだ二つ名って」
「パルムから聞いとらんのか?」
「二つ名のくだりは聞いたことない」
「…まぁ大したことではないが、ランクB以上の冒険者には二つ名がつけられる決まりになっているんだ。名前よりもそちらの方がインパクトがあって覚えやすくなるしな」
「なんだそりゃ…」
昴が肩を落とす。厨二病とっくのとうに卒業した昴にとって二つ名がつけられるのはくるものがあった。
「基本的には本人が考えるのであるが」
サガットは死んだようにソファに座る昴にちらりと視線をやる。
「…俺はそういうの興味ないから爺が決めてくれ」
「そうか…ならお前の二つ名は”ジョーカー”だ」
「………ジョーカー?なんでまた?」
昴が眉を顰めるとサガットは一枚のカードを机の上に出す。それは昴もよく知るトランプのばばのカードであった。
「トランプは知っておるな?」
「ん?あー…まー知ってる。そのジョーカーか?」
この世界にもトランプってあるのか、と思いながら昴は聞いた。サガットは机に置いたジョーカーの札を昴に見せつけるように手に取る。
「こいつはトランプで遊ぶ際に基本的には全く使用しないカード。そういうところからジョーカーには'番外の札'という意味があるんだ」
「'番外の札'、ねぇ…」
ジョーカーを見ながら呟いた昴の言葉にサガットが頷く。
「お前さんはギルドで一旗あげようとは考えていない。だからギルドが危機に陥っても助けに入るか分からない。そんなリスクの高いお前さんは最初からあてにせんよう、いないものとして扱う。だから’番外の札’」
サガットは持っていたジョーカーを昴の方へ弾き飛ばした。昴は飛んで来たカードを掴み、無言でそれを見つめる。
「どうだ?」
「…いいんじゃね?要するに俺は'番外の札'なんだから無関係ってことなんだろ」
試すような笑みを向けるサガットに昴は面倒臭そうに答えた。それを聞いて満足そうに笑うサガット。そのタイミングでタマモが透明な板を持って部屋に飛び込んで来た。
「スバル!終わったのじゃ!!うちもステータスが見られるようになったのじゃ!」
「あぁ、終わったか。じゃあタマモのステータスを後で見せてくれ」
昴は持っていたカードをコートのポケットに滑り込ませる。タマモは国民の儀を受けられたことがそんなに嬉しいのかすこぶる上機嫌だ。
「ランダ司祭、ありがとうございました」
「いえいえ、タマモ殿は本当に元気なのですね」
後ろから入って来た少し疲れが見えるランダに昴が頭を下げる。
「それじゃ爺。俺らはそろそろ帰るぜ」
「あぁ。儂の用はもう終わったから構わんぞ」
「バイバイなのじゃ!!」
ブンブンと手を振るタマモを引きずるように昴は出て行った。
「それでは私はこれで」
「いつも無理言ってすまないな」
「いえ、あなたの無理難題には慣れてますので」
ランダの皮肉にサガットは苦笑を浮かべると軽く頭を下げ、部屋から出ていった。
一人になった部屋でサガットはゆっくりと煙を吐き出す。その口には笑みが浮かんでいた。
「さて…自分につけられた二つ名の意味に今度はどれくらいで気づくのか…’バジリスク’の時は存外早かったからなぁ…」
サガットはほくそ笑みながら葉巻を指で弾いて灰を落とす。
「なぁ…'最高の切り札'よ」