32.最初の仲間
昴がタマモを連れてきたのは《海産亭》。ちょうど昼のピークが終わったところなのか、空いているテーブルがちらほら見える。昴の姿を目ざとく見つけたミケが悪戯っぽい笑みを浮かべながらこちらに近づいてきた。
「おー昴!なんだい、フランと仲良く食べに来たと思ったら今度はこんなに小さい可愛い子を誑かしているのかい?」
「人聞き悪いぞ、ミケ」
肘でつついてくるミケに昴は苦笑いで答える。色恋沙汰には目がない様子の《海産亭》の犬耳美人店主はタマモに視線を向けると、その顔が決して明るいものでないことに気が付いた。ミケはからかいの色を消すとチラリと昴を見る。
「こいつは俺の…まぁなんだ…タマモだ」
「…タマモじゃ」
いきなりこんなところに連れてこられて混乱している上、自分の過去を話してしまって昴にネガティブな感情を抱かれていると思っているタマモの声は暗く沈んでいた。ミケはそんなタマモの頭をなでながら、優しいまなざしを向ける。
「あたしはミケ。この《海産亭》の店主だよ。同じ亜人族なんだから仲良くしようね、タマモ」
ミケは笑顔でタマモに手を差し出す。タマモは困ったような表情を浮かべたが、おずおずとその手を握った。
「よーし、それじゃ二人はあの窓際の席に座ってちょうだい!」
「わかった。注文は前と同じのを二つ頼む」
席を案内しようとしたミケが立ち止まり、タマモの方を見た。
「タマモも同じでいいのかい?」
「あぁ。タマモに俺がうまいと思ったものを食べさせてやりたいんだ」
昴の発言を聞いてタマモは少し驚いた表情を見せる。ミケは昴に視線を向け笑顔になると「了解。席で待っててね」と声をかけて、そのまま厨房に入っていった。
昴はミケに言われた席までタマモを座らせ、自分も向かいの席に腰掛ける。そのままタマモに何を言うでもなく、店内の様子を黙って眺めていた。タマモは昴の顔をちらちらと見るも、言葉を発することはない。
「のう…スバル」
「ここはガンドラの街でも屈指の料理屋さんなんだ。俺も初めて食べたときは驚いたな」
意を決して話しかけたタマモの言葉を遮るように昴は言った。
「タマモも絶対満足する。俺が保証するよ」
昴はキョトンとしているタマモに笑いかけた。それと同時にミケが料理を持ってくる。
「おまちどう!当店自慢の海鮮パスタだよ!」
二人の前に置かれたのは、以前昴が食べたトマトクリームのパスタ。その瞬間、食欲をそそるいい匂いがあたりに充満し、タマモはごくりとつばを飲み込んだ。
「それじゃごゆっくり~」
ミケは昴達にウインクしてから他のお客さんのところへと歩いていった。
「よし、食べるぞ!俺も帰ってきてからずっと寝ててなんも食ってないんだ。タマモはフォークの使い方は知ってるか?」
タマモは自分の前に置かれたフォークを手に取りながら首を左右に振った。
「そうか、見てろ。こうやって使うんだ」
昴は自分のフォークをくるくると回し器用にパスタを絡めていく。そしてある程度まとまったところでそれを口に入れた。
「パスタは音を立てて食べないのがマナーなんだ。ほら、タマモも食ってみ」
昴に促されてタマモもフォークでパスタを巻き上げる。それを持ち上げ、匂いを嗅ぐと自分の口へと運んだ。その瞬間タマモの耳がピンッと真上に立ち、信じられないものを見るような目でパスタを見た。
「どうだ?うまいだろ?」
「…うまいのじゃ」
少し興奮しているのか、タマモは頬を紅潮させながらパスタを食べる。だがその声にはあまり元気がない。昴はタマモの食べる姿を見ながら自分もパスタを食べていった。
あっという間に完食したタマモは昴の皿をじーっと見つめる。それに気づいた昴がタマモに声をかけた。
「どうした?俺のが欲しいのか?」
タマモは口をもごもごさせた後、消え入りそうな声で「いらんのじゃ」と言った。そんなタマモを見て、昴は遠慮なんてしなくていいのに、と心の中で思いながら苦笑した。おもむろにタマモの皿をとると昴は自分のパスタを半分いれ、タマモに返すと、なんとも言えないような顔で昴を見た。
「結構ボリュームあるからお腹いっぱいになるな。俺のを少し食べてくれるか?」
タマモは俯き加減で頷くと、静かに昴からもらったパスタを食べ始めた。
二人の皿が空になるのを見計らってミケが何かを持ってこちらに近づいてきた。
「よっ!お二人さん!満足いただけたかな?」
「おう!相変わらずうめーな」
「…のじゃ」
反応の薄いタマモを見てミケは眉を顰める。
「ははーん…確かに女の子はそうだよね…というわけでドーン!!」
ミケは後ろに隠し持っていたものをタマモの目の前に置いた。タマモはそれを見て不思議そうな顔をしたが、なぜか目を離すことができなかった。
「ミケ…これは…」
昴は目の前に現れたタワーのようなものを見て愕然としている。
「ふっふっふっ…これこそ《海産亭》の裏メニュー。女の子が一度は憧れる”スーパーフルーツ盛り合わせ”だ!!」
それは三十センチメートルはあろう木の容器に果物が所狭しと詰められ、その上に蜂蜜がこれでもかというくらいにかけられた超巨大なフルーツ盛り合わせだった。
「しかもただのフルーツではない。フルーツによっては焼いたり、コンポートにしたり、その素材が一番おいしく食べれるように研究しつくされた一品なのよ!」
その豊満な胸を強調するかのように自信満々に体を反らすミケ。昴はあまりの大きさに顔を引きつらせていたが、タマモは身体をうずうずさせていた。
「このメニューは常連さんの中でも一握りの人しか知らない特別メニューよ!心して味わいなさい!」
タマモはゆっくりと木のスプーンを近づけ、一番上の果実をとる。それを食べると、昴にもわかるくらいに目を輝かせた。しかし何かを思い出したようにハッとすると、また暗い顔に逆戻りした。
「まさかうちの裏メニューがおいしくないとでもいうの?」
タマモの態度が気に入らないミケは両手を腰に添えて詰め寄るように顔を近づける。タマモは慌てて首を振った。
「お、おいしいのじゃ」
「本当にそう思ってる?」
疑うような視線をタマモに向ける。
「本当においしいのじゃ!」
「…だったら」
ミケは両手でタマモの頬をつねるとそのまま上に持ち上げた。
「にゃ、にゃにをふる!?」
「美味しいものを食べたら笑いなさい。そうしないと料理に失礼よ」
「っ!?」
頬を引っ張られてじたばたしていたタマモはミケの言葉を聞いて抵抗するのをやめる。それを確認したミケはゆっくりと手を離した。
「ほら、もう一口食べてごらんなさい」
「……………」
タマモはフルーツの山にスプーンを入れ、果実を頬張った。そして味わうように何度も咀嚼すると、ミケの方を見て満面な笑みを浮かべた。
「とってもおいしいのじゃ!!」
それを見たミケも笑顔を浮かべてぐりぐりとタマモの頭をなでる。
「そうよ!タマモは笑った顔の方がかわいいんだからちゃんと笑いなさい!!」
乱暴になでられているもののまんざらでもない様子でタマモはスプーンを進める。ミケは満足したのか、その場を去ろうとしたときに昴が目で感謝を述べると、それに手を上げて応えたミケは厨房へと戻っていった。
昴はタマモがフルーツ盛り合わせを食べ終わるのを待ってから店を出た。ミケにフルーツ盛り合わせの料金も払おうと思っていたのだが、首を左右に振られ、「今度フランを連れて来てちょうだい」と笑顔で断られた。
店を後にしたタマモは、先程よりも軽い足取りになり、心に余裕が出来たのか、キョロキョロと周りを見渡していた。タマモはもともと山の中で母親と二人、誰とも関わらずに生きてきたから、こんなにたくさんの人族がいることが珍しいのであろう。
「タマモ、お腹いっぱいになったか?」
「う、うむ」
耳がピクッと動き、横に倒れた。今までにない反応に若干面食らったが、穏やかな顔で昴はタマモに言う。
「まだお腹空いているならそういえばいいんだぞ?」
「…お腹空いているわけじゃないのじゃ、ただお腹いっぱいってわけでもないのじゃ」
少し恥ずかしそうにタマモは言った。パスタにフルーツ盛り、しかも特大のを食べてまだ入るとは、と心の中で驚いていたが、
(五百年も飲まず食わずだったんだ、しょうがねーか)
昴はタマモの頭をポンと叩く。
「よーし、じゃあタマモに買い食いってのを教えてやるよ」
「買い食い?」
聞き慣れない言葉にタマモが思わず聞き返す。
「あぁ!適当に街をぶらついて、美味しそうなものがあればその場で買って食うんだよ!」
「それは…楽しそうじゃな」
自分が買い食いしているところを想像したのか、タマモの口角が少し上がっている。明らかにマルカットの屋敷から連れ出した時よりも明るくなっているタマモを見て、昴は心の中でもう一度ミケにお礼を言った。
昴が買い食いするためにやって来たのはフランの髪留めを買った露天商がある通称"露天通り"の一つ向こうの通り。ここには色々な屋台が並んでおり、香ばしい匂いがそこかしこで漂っていた。美味しいものから珍しいもの、癖のあるものなど、色々な種類の出店があり、来た人がついつい食べすぎで倒れてしまうことから"食い倒れ通り"と呼ばれている。
"食い倒れ通り"に入ったタマモは早速立ち止まり鼻をヒクヒクと動かした。そして匂いの発生源である出店を食い入るように見つめている。
「あれが食べたいのか?」
タマモの目線の先にはイカを網の上で焼き、塩をまぶすだけのシンプルなイカ焼きを売っている店があった。
「えっと、あの、その」
タマモはイカ焼き屋をチラチラ見ながらあたふたしていたが、急に大人しくなると、「…のじゃ」と首を縦に振った。昴はタマモを連れてツカツカと出店の方に近づき、店主の男に声をかける。
「おっちゃん。イカ焼き二つちょうだい」
「あいよ!毎度あり!二つで8シルな!」
威勢のいい声で返事した店主の男は昴の少し後ろにいるタマモを見た。タマモは身体をピクッとさせると隠れるように昴の後ろに隠れた。
「あーわりぃわりぃ!怖がらせちまったか!あんまりお嬢ちゃんが可憐なんで目が奪われちまったぜ!はいよ!これが注文のイカ焼きだ!それと…」
店主の男がチラリとタマモを見た。
「これはお嬢ちゃんを怖がらせたお詫びだ!」
そう言うと笑顔を向けて、少し小ぶりなイカをタマモに差し出した。タマモはゆっくりと昴の後ろから出てくると店主の男からイカ焼きを受け取り「あ、ありがとうなのじゃ」と言った。
二人でイカを頬張りながら"食い倒れ通り"を歩く。昴は正直塩ではなく醤油で味付けして欲しかったが、この世界に来て醤油を見たことなかったので、諦めて塩味だけのイカを噛みながらタマモの様子を伺う。タマモは両手にイカを持って幸せそうな顔をしていた。
「な?大丈夫だったろ?」
「ん?」
昴の言葉の意味がわからず、首を傾げながらタマモがこちらを見る。
「この時代にタマモのことを問答無用で傷つけようとするやつなんてそうはいないってことだ」
昴がイカを噛みちぎりながら言った言葉を聞いてポカンと口を開けて立ち止まった。
「ん?何してんだ?置いてくぞタマモ」
タマモが付いて来ていないことに気づいた昴が足を止めずにタマモに声をかける。呼ばれたタマモは我にかえると慌てて昴を追いかけた。
海が近いということから様々な浜焼きの出店があった。それ以外にもやきそば(塩)、肉団子(塩)、焼き芋(塩)、焼きとうもろこし(塩)など、縁日で並ぶようなものを食べながら、昴は心の中で、この世界に調味料を普及させるにはどうしたらいいのかを真剣に考えていた。
タマモは今まで自分が食べたことも見たこともない食べ物が次から次へと出てくるので、暗かったのが嘘のようにキャッキャッとはしゃいでいた。
そんなタマモと一緒にいることを昴も楽しんでいた。だがいつまでもこんな事はしていられない、自分はタマモに聞かなければならない事があるのだ。
「そろそろマルカットさんの屋敷に戻ろうか?」
途端にタマモは夢の世界から連れ戻されたように目を落としたながら頷いた。昴は【気配探知】を使いながら出来るだけ人のいない道を選んで歩いていく。その方がタマモが、自分が話しやすいから。
ちょうど人影がなくなったところで、しばらく黙ったまま後ろからチョコチョコと付いて来ていたタマモの気配が不意に止まった。昴はゆっくりと振り返る。
「昴は…嫌じゃろ?」
「…嫌?」
タマモは切なそうな声を上げる。
「うちは…呪われた子。半分とは言え魔族の血が入っている…魔族は人族の敵じゃ」
「……………」
昴はタマモから視線を一切逸らさない。真剣にタマモの話そうとしていることを聞いている。
「そんなうちと一緒にいるのは嫌じゃろ?そんなうちと一緒にいる事は迷惑じゃろ?」
タマモが肩を竦めながら自嘲する。昴は言葉を発しない。
「今日一日楽しかったのじゃ!久しぶりに…いや初めてのことばかりであった!人族がうちのことをすぐには嫌いにならないことがわかったしな!」
タマモが笑顔を浮かべる。
「でも…うちが魔族の子供だってわかったらみんなそうはいかない。だったらバレないように…うちはこのまま山に一人で戻ることにするのじゃ!」
それはとても笑顔と呼べるようなものではなかった。
「戦い方も思い出したし、狩りの仕方もわかるのじゃ!これからは独りで生きていけるのじゃ!独りで起きて、独りでご飯食べて、独りで、寝、て…」
タマモは込み上げて来たものを飲み込むように言葉を区切った。そのまま顔を伏せる。昴は無言のままだったが、唐突に'鴉'を呼び出した。
「スバル…?」
タマモは目を白黒させながら昴の刀に目をやると、途端に背筋に冷たいものを感じた。戦っているときは昴のことが心配で全然気づかなかったが、昴の手にある漆黒の二本の小刀は異様な威圧感を放っている。
「こいつは"双刀・鴉"。俺の相棒であり…」
昴は見せつけるように'鴉'を前に出した。
「こいつは俺の"呪い"だ」
「呪、い…?」
昴の言っていることは頭では理解できなかったが、あの刀がただの武器じゃないことを身体は感じとっていた。
「俺には【鴉の呪い】ってスキルがある。こいつのせいで俺は新しくスキルを習得できねーし、他の武器を使う事ができない。その代わりにこの'鴉'を使う事ができるし、こいつに込められてる強力なスキルを使用することもできる」
「……………」
タマモは'鴉'をじっと見つめる。昴の話は突拍子も無いことであったが、タマモにはなぜか信じられた。タマモの【第六感】が、昴の言葉は真実だと告げている。
「まーだから何が言いたいかって言うとだな…」
昴は'鴉'を戻し、ニヤリと笑みを浮かべた。
「呪われてるからって特別だと思うなよ?」
「っ!?」
昴の言葉を聞いたタマモの目が大きく見開かれる。そんなタマモを無視して昴は言葉を続けた。
「それに俺は人族じゃねーよ」
「………えっ?」
「つーかそもそも俺はこの世界の人間じゃない。俺は違う世界から来た異世界人なんだからな」
昴の言っていることがわからず、タマモは目をぱちくりと瞬かせた。
「だから人族だからとか魔族だからとか、そんなのは関係ない。大事なのは俺自身がそいつのことを気に入るかどうかなんだよ」
―――その人が魔族だからとか人族だからというだけで嫌いになってはいけない。タマモはちゃんとその人の内面を見てあげて。
不意によみがえる母親の言葉。
「だからタマモが亜人族だろーが魔族だろーが俺には関係ねーんだ。明るくて優しいタマモのことが気に入っただけだからな」
昴はタマモに手を差し伸べる。以前は拒まれた手をもう一度。
「タマモはどうなんだ?お前の本当の気持ちを聞かせてくれ」
タマモの顔がぐしゃりとゆがむ。目にたまっているものを必死にこぼさないように耐えていた。
「うちは…うちは…スバルと一緒にいてもいいのかの?」
昴は首を左右に振った。
「いいのかどうかなんて関係ない。俺はなタマモ、お前がどうしたいか聞いてるんだ」
「うちは…うちは…」
堪えていた涙が溢れ出してくる。ゆっくりと昴の近くに歩み寄ると、その手を力強く掴んだ。
「うちはスバルと一緒にいたい!!」
堰を切ったように本音が漏れだす。
「スバルと一緒に旅をして、ご飯を食べて、隣で眠って…」
力強く上げた顔はしっかりと昴の両眼を見据える。
「うちはスバルと生きたいんじゃ!!」
タマモの魂の叫びが路地裏に響き渡る。
「そうか…」
昴は少しほっとしたように息をつくとタマモの手を強く握り返した。
「よろしくな、タマモ」
昴が笑いかける。
「今日からお前は、俺の仲間だ」
「仲間…うん…うん…スバルー!!!」
感極まって飛び掛るタマモを受け止めながら昴は苦笑いを浮かべた。
「タマモは泣いてばっかりだな」
「うわぁぁぁぁん!!うわぁぁぁぁぁぁん!!」
たがが外れたように涙を流すタマモの背中にそっと手を回す。誰もいない路地裏で狐人種の少女の鳴き声がこだまする。昴はその声を聞きながら、タマモが泣き止むまでずっとその背中を優しくさすっていた。




