24.特別依頼
昴がマルカットと食事をする前、ギルド長室で時間をつぶしていたころに時間は少し戻る。
『炎の山』中腹。太陽はさんさんと輝いているのだが、高い木に阻まれ、あたりは昼前だというのに少し暗い。そこに一人の男が鼻息荒く佇んでいた。その手には手のひらサイズの黒い箱が握られている。
「あの姉ちゃんが言うには、人物を思い浮かべながら魔物が多い場所でこの箱を開ければ…」
男は笑い声をあげる。その目には凶器の色がうつっていた。
ここには魔物大暴走により大量の魔物が集まっており、紺のローブからこの箱の使い方を聞いたクリプトンは真っ先にこの場所が思いついた。
「ゲハハハハ!!あいつが悪いんだ!!全てあのガキが!!」
狂ったような笑い声が森に木霊するが、反応するものは誰もいない。クリプトンは期待に胸を膨らませながら箱に手を添えた。想像するのは憎たらしいあの黒髪。自分からすべてを奪った生かしてはおけない相手。
「これで………終わりだぁぁぁぁぁ!!!!」
勢いよく箱を開けると大量の煙が噴き出した。瞬く間にあたり一帯に広がると『炎の山』を飲み込んで行く。クリプトンは予想外の煙に若干狼狽えながらも、これによって昴を屠れるとほくそ笑んだ。
出てくるのも一瞬であったが消えるのも突然であった。煙が充満していたとは思えないほど、森はまた先ほどと全く同じ顔を見せる。
「こ、これで…ん?」
何かの気配を感じて振り向くと、そこには’ゴブリン’が立っていた。流石にランクEモンスター程度に遅れとるわけもないクリプトンは無視して町に戻ろうとしたが、そこでいつもの'ゴブリン'とは少し様子が違うことに気づく。もう一度'ゴブリン'に目を向けると、何故か白目をこちらに向けていた。
「な、なんだこいつ?」
不意に視線を感じ、クリプトンは咄嗟に振り向いた。そこには数十匹の魔物がこちらを見ており、向けられた眼球は先程のゴブリン同様、全てが白眼をむいている。
「そ、そうか。お前らがあのガキを殺す魔物だな!よし!あいつは街にいる。行け!」
薄気味悪く思いながらもクリプトンは獲物の場所を指で指し示す。
ガチンッ。
何かが歯をかみ合わせる音があたりに響いた。不思議に思ったクリプトンが辺りを見回すと目の前に口から血を滴らせている’ホワイトウルフ’がいた。クリプトンは何が起こったかわからなかったが、ゆっくりと自分の手に視線を下ろすと手首から先がなくなっていることに気づく。
「うぉぉぉぉぉぉ!!!お、俺様の手がぁぁぁぁぁぁ!!」
クリプトンは噛みちぎられた手首を抑えながら、地面を転げまわった。ダラダラと冷や汗を垂らしながら必死に頭を働かせる。【身体強化】を施している自分がランクDの’ホワイトウルフ’にやすやすと噛みつかれるなんてありえない。
「お、お前ら!!あ、あのガキを殺すんじゃねぇのかよ!!!」
おびえた表情を浮かべながら魔物に向かって叫ぶが、人語を理解しない魔物は一切反応しない。その白い眼に映るのはただの肉塊、餌。
「あのくそアマ…だましやがったのか…!!!」
クリプトンが紺のローブの女からこの黒い箱をもらった時、任意のターゲットに魔物を襲わせることができる魔道具である、という説明を受けていた。
「くそ…くそぉ…!!!この俺様が…’剛力’のクリプトン様が…こんなところで…こんなところでぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
魔物達はやかましく騒ぎたてる目の前の’餌’に向けて動き出す。その動きに一切の迷いはない。
何かを咀嚼する音が聞こえたのも束の間、森にはまた静寂が広がった。
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昴がノックもなしにギルド長室に駆け込むと、そこには先客がいた。一人は昴の冒険者試験の監督役であったランクC冒険者のゴア、それ以外の三人は昴が見たことのない男たち、そして奥には難しい顔をしたサガットが座っていた。
「なんだお前?ここがどこかわかっているのか?」
突然入ってきた見ず知らずのガキに対し、大剣を背中に差した男が冷たい視線を向ける。他の二人も似たような様子だったが、ゴアだけは昴の登場に少し驚いたようだった。昴はその男達を無視してサガットのもとに進む。
「おいおい…何だこいつは?」
「今は緊急事態なんだ。邪魔するとただじゃおかないぞ」
ボウガンを携えている男が呆れたように呟き、魔術師風の男が昴を止めようと手を伸ばしてきた。その手を躱し、眼中にない、といった感じでサガットの机の前に立つ。
「爺、『炎の山』に入る許可をくれ」
「…っ!?この…」
昴の無礼な物言いに大剣に手をかけた男をサガットは手で制す。
「…勝手な行動は慎んでもらいたいんだが」
サガットはいつも昴と話すようなトーンではなく、低く、威厳を感じさせる声で言った。
「魔物大騒動が迫っているのはわかっている。ただどうしても今すぐに『炎の山』に行かなければならないんだ」
「それはなぜだ」
「助けなきゃならないやつがいるからだ」
サガットは眉を顰めると後ろに控える四人に目を向ける。
「そんなわけはない。ここ二,三日は冒険者以外の立ち入りがないよう念入りに目を光らせておりました」
大剣の男が昴を疑うような視線を送る。
「…と言っているが?」
射貫くような鋭いサガットの視線を真正面から受け止める。
「なんと言われようとも、助けに行かなきゃいけない」
「…許可できなければ?」
「一応筋を通しに来ただけだ。ダメなら無理にでも行く」
「おいおい僕ちゃん。調子乗るのも大概にしときなよ」
少しイラついた様子でボウガンの男が言うが、昴は一切反応しない。
「ギルド長、こんな小僧の相手をする必要はない」
「力づくでここから追い出しましょう」
一人が大剣を抜き、もう一人が杖を構える。昴は面倒くさそうにそちらへ一瞥をくれると、’鴉’を呼び出した。サガットにもらった魔力ポーションのおかげで、まだ魔力は練れないものの、’鴉’を呼び出すことはできるようになっている。
にらみ合う昴達、互いに隙を伺う。大剣を持った男が動き出そうとした瞬間。
「お前たち、少し落ち着け」
サガットから容赦ない【威圧】が放たれ、一瞬にして全身から汗が噴き出す男たち。昴はだけは変わらぬ様子で面倒くさそうな顔をしながら'鴉'を戻すとサガットの方に振り返った。
「スバル、今回はお前が悪いぞ。儂がこいつらと話しているときに割り込みしてきたんだからな」
「…わかってる」
「何に焦っているのかは知らないが、そんなんじゃまともに話すことなどできない」
「……………」
昴は先ほど向かい合っていた男たちの方へ顔を向けると「すまない」と頭を下げた。不躾な男にまさか謝罪されるとは思っていなかった男たちは動揺をあらわにする。その時、それまで静観を決め込んでいたゴアが口を開いた。
「ギルド長。許可を出したらどうですか?」
「おいおい…」
「本気か!?」
ゴアの予想外の発言に、周りの男たちが目を丸くする。サガットはため息をつくと、椅子の背もたれに身を預けた。
「…元よりそのつもりだ。この男はこちらで縛るより、自由にやらせた方が街に貢献してくれるだろう。魔力も少しは戻っとるようだし」
「それじゃ行っていいってことだな?」
「まぁそう慌てるな。少し儂の話を聞け」
今にも部屋を飛び出しそうな昴に呆れながらサガットが言った。
「今こいつら監視役から報告を受けていたところだ。…どうやら魔物の様子がおかしいらしい」
「おかしい?」
サガットの言葉を聞いて昴は怪訝な表情を見せた。
「あぁ。それに気が付いたのがゾフマンだ。こいつは’ゴブリン’と戦ったらしい」
「様子がおかしいってのはどういうことだ?」
「普通の’ゴブリン’の強さではなかった。攻撃に一切の迷いがなく、自分の身が傷つこうとかまわず向かってきたのだ。おかしいと思った俺はカークに捕獲を依頼した」
サガットに視線を向けられた大剣の男が代わりに答えた。カークと呼ばれたボウガンの男が後に続く。
「俺の麻痺矢でその’ゴブリン’を捕獲しようとしたんだがなぜか効きやがらなかった。結局、マッカの水の魔法で縛って無理やり連れてきたんだよ」
なぁ?とカークが同意を求めると、魔術師風の男がフン、と鼻を鳴らして応えた。
「いまその’ゴブリン’をガンテツに解体させて調べているが…おそらく”狂化”の状態異常にかかっている」
「“狂化”?」
昴は耳慣れない言葉を発したサガットに顔を向けた。
「理性を完全になくし、リミッターが外れた状態になる。痛覚などが鈍くなり、恐怖の感情もなくなる…死をも恐れずひたすら突っ込んでくる魔物の出来上がりってわけだ。一般的に”狂化”状態になった魔物のランクは1、2ランク上昇すると言われている」
「なるほどな…厄介そうな状態異常だけどその’ゴブリン’はもう捕まえたんだろ」
なら心配ないだろう、とサガットの顔を見るも、その顔は曇ったままだった。
「“狂化”状態なのがその一匹だけならな」
「…まさか」
「あぁ。その’ゴブリン’を連れてきた後、儂はゴアに『炎の山』の調査を命じた。その結果…」
「俺が見た全ての魔物が”狂化”状態だった」
サガットの言葉を引き継ぐ形でゴアが神妙な顔をしながら告げる。
「…さすがにそんな偶然なんかねーだろ」
「あぁ。だが今はなぜそうなったのかは問題でなく、どうやってこの街を守るかが優先事項なのだ」
そう言いながらサガットはスッとその場で立ち上がった。
「今回の魔物大暴走は今までとはわけが違う。…街の被害を出さないためにも森に火を放つことを考えている」
「森に火を…?」
「魔物大暴走の時はいつも最終手段として考えていることだ。だが今回はそうも言っていられないかもしれん」
サガットが真剣な表情を浮かべながら昴に羊皮紙を渡す。
「これはギルドからの特別依頼書だ。お前さんに『炎の山』の調査を指名依頼としてとして依頼する」
昴はサガットから渡された依頼書を懐にしまい頷いた。そのまま流れるように部屋から出ていく。
「日没までに戻ってこい。そこで火を放つかの最終判断を行う」
昴は一旦立ち止まると、サガットの方に向き直る。その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
「安心しろ、爺。火なんて使わなくていいように俺が全部駆除してくるからよ」
それだけ言うと、昴は風のようにその場を後にした。




