13.太陽の宿
昴はサガットにもらったメモを頼りに《太陽の宿》に向かっていると、近くで大きな人の声が聞こえた。今、昴が歩いているのは市民が暮らす住宅区。料理屋や酒場のある商業区とは違い、日がすっかり落ちたこの時間帯には人の姿は見られない。そんな中で聞こえた人の声、不思議に思った昴は気配を断ち、声のする方へと近づいた。
「ねぇねぇいいじゃん。俺らと遊ぼうよ~」
「そうだよ。俺らといいことしようよ~」
「すいません。急いでいますので」
こっそり忍び寄った昴の前にはちゃらちゃらした男が二人と小柄な薄桃色の髪をした女の子が一人話していた。いや女の子の方は露骨に困った顔をしているので話しているとはいえない。
「だいたいこんな夜遅くに一人で危ないよ~」
「俺たちが守ってやるよ~」
「結構です。買い物の途中なので」
女の子はそう言うと足早にこの場をさろうとするが、一人の男が壁に手をついて女の子の行く手を阻む。すると突然もう一人の男がその女の子に後ろから抱きついた。
「きゃっ!!」
「一人で夜道を歩くなんて…本当はこういうこと期待してるんだろ?」
「おい、独り占めすんなよ」
壁に手をついた男が不満げに言うと抱きついた男は「順番だよ♪」と女の子の身体をまさぐるように手を這わす。
「や、やめてください!!」
「ん~怒った表情も可愛いね~」
女の子は必死に抵抗するも男の手からは逃れられない。前に立っていたニヤニヤと笑いながら男もじりじりと近づいてきた。昴は気づかれない程度にため息をつく。ただのナンパなら放っておこうと思っていたが、手を出してしまったなら見過ごすわけにはいかない。こんな場面に出くわさせた神様を恨みながら心底面倒くさそうに抱きついている男の背後に立つとその首に手刀を落とした。
抱きついていた男はしまりのない顔のまま気絶し、そのまま地面に倒れこむ。急に解放された女の子は倒れた男を見て困惑していた。
「お、おい!どうしたんだよ!?」
もう一人の男は仲間が急に倒れたことに焦り、目の前の女の子を睨んだ。
「お、お前がなんかやったのか!?」
「わ、私は…なにも」
「嘘つけ!!」
仲間がやられた、という異常事態を受け声を荒げる男。怒鳴られた女の子は恐怖に身を竦めた。
「このアマっ!!」
敵意むき出しで襲い掛かってくる男を前に、女の子は手で顔をかばいながら目をつぶった。昴は音もなく男の横に行くと、その鳩尾に膝蹴りをくらわす。うっ、と息を吐くと男は膝から崩れ落ちた。
昴は気絶している二人をつかむと、乱暴に路地裏へと投げ捨てる。一仕事終えた昴が女の子に視線を向けると女の子はまだ目を閉じたまま微動だにしていなかった。なんとなくその薄桃色の髪に見覚えがあった昴は動かない女の子に声をかける。
「大丈夫?」
女の子は昴の声にビクっと体を震わし、恐る恐る目を開く。目の前に立っているのが先程の男たちではないと分かるとほっと安堵の息を漏らした。と思ったら慌てて昴に頭を下げる。
「助けていただき、ありがとうございます!!」
このお礼のされ方もなんとなくデジャブを感じた昴は確認するように女の子に問いかけた。
「もしかして…フラン?」
「えっ!?」
自分の名前が呼ばれたことに驚いたフランはバッと顔を上げると目を見開いて口元に手を当てた。
「うそ…スバルさんですか!?」
「あぁ、そうだよ」
まさか助けた女の子が知っている人だとは思わなかった昴は少し気まずそうに答えた。フランは目の前にいるのが昴であることに驚き言葉を失っている。
「それにしても…フランはよく絡まれる体質なんだな」
苦笑交じりの昴にフランは顔を赤くしながらブンブンと手を振った。
「べ、別にいつも絡まれているわけじゃないです!!」
「冗談だって。でも絡みやすそうな雰囲気はするな」
フランの容姿は昴から見ても可愛い。そんなフランが一人で夜歩いていたら、馬鹿な男はほってはおかないだろう。
「あいつらじゃないけど、こんな夜遅くに女の子の一人歩きは危ないぞ?」
「はい…そうなんですけど…」
フランは自分の持っている木の籠に目を落とす。
「そういえば買い物の途中って言ってたな。俺が送っていくよ」
「そんな!悪いです!」
「気にすんなって。別に急いでないし」
「そう、ですか…?ありがとうございます」
照れたように頬を染めるフランを見ながら昴は懐をまさぐった。
「そのかわりここがどこにあるか教えてもらえる?」
昴はサガットにもらった紙をフランに渡す。紙を見たフランはまたも驚きの表情を浮かべた。
「これ…うちです」
「へっ?」
「私の家は宿屋をやってて…その…この《太陽の宿》はうちのことです」
なんとなく気まずそうにフランは言った。
「へー…偶然ってあるもんだな。ならちょうどいい、フランに案内してもらえばいいな」
「スバルさんはうちに泊まるんですか?」
「そのつもり。ギルドに紹介されたのが《太陽の宿》だったからな。…なんかまずかったか?」
「い、いえ!そんなことは!!」
フランは慌てて否定すると「そっかぁ…うちに泊まるのかぁ…」と少し嬉しそうに呟いた。
「フランも送れるし、一石二鳥だな」
「そ、そうですね!じゃあ行きましょうか!!」
弾んだ調子で歩き出したフランの手から昴が買い物籠を取る。いきなりのことにフランは驚き、その場に立ち止まった。
「どうした?」
「えっと…荷物を」
「あぁ、案内してくれるお礼。それよりさっさと行こうぜ。腹減ったわ」
そう言うとそのまま歩き出した昴の背中をぽーっと眺めていたフランだったが、はっと我に返り急いで昴の後を追った。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
「あらいらっしゃ…おやまぁ、なんであんたが一緒なんだい?」
《太陽の宿》に入ると、カウンター越しに物腰柔らかそうなおばさんが出迎えてくれた。おばさんは昴の横にいるフランを不思議そうに見つめる。
「あっこの人は」
「俺が宿屋を探しているときにたまたま会って案内してもらったんですよ」
フランが何か言う前にスラスラと昴が答える。さっきの出来事を説明して感謝されるのが嫌だった昴は、無言で籠をフランに返し、カウンターへと進んだ。
「そうなのかい。フラン!食材をお父さんのところに持って行ってやってくれ」
「わ、わかった!」
フランはちらりと昴の方を見ると小走りで宿の奥へと向かった。
「泊まりたいんだけど部屋って空いてます?」
「今日は何室か空いてるけど、なにか希望はあるかい?」
「できれば風呂とかついてるとありがたいんだけど…」
マルカットの屋敷で入った風呂が忘れられない昴はダメもとで聞いてみるが案の定フランの母は難しい顔をする。
「お風呂がついている部屋は流石にないねぇ…というかお風呂付の宿なんてほとんどないよ。桶と布を渡すからそれで体を洗ってもらうしかないねぇ」
「まぁそうですよね。わかりました、それで大丈夫です。一泊いくらですか?」
「素泊まり30シルで朝夕ご飯付だと42シル30カプだよ」
「連泊もできます?」
「大歓迎だよ!」
フランの母は笑顔で答える。昴は少し考えると一週間分の2ゴル96シル10カプを支払った。するとフランの母は驚いたのか目を丸くする。
「あんた計算早いね!スキル持ちかい?」
「えっと…知り合いの商人に習いました」
この世界は一瞬で数を計算することができる【計算】のスキルがある。これを持っていない人の大部分は計算にかなりの時間がかかる、とマルカットから教わっていたのを昴は失念していた。
(この程度でも早いと思われるのか…今度からは注意しないとな)
昴は差し出された宿泊帳に名前を書きながら今度からは相手に計算させよう、と心に決める。フランの母は宿泊帳に書かれた[スバル]という名前を見て目を見開いた。
「スバルって…あんたもしかして昨日《ハウンドドッグ》で娘を助けてくれたっていうスバルさんかい!?」
「助けたっていうか…まぁ、知り合ったのは昨日ですね」
「そうかいそうかい!!」
フランの母は昴の手を両手でつかむと満面の笑みを向けた。
「娘の恩人にお礼を言いたかったんだよ!!ありがとうね!!」
「いや、お礼なんて全然…」
「あの子昨日帰ってきてからずっと昴さんの話ばっかりでさぁ!あたしはフランの母親でフローラだよ!!」
「あ、昴です。よろしく」
ニコニコと笑顔を向けるフローラを見ながら昴は、笑った顔がフランにそっくりだなと他愛のないことを考えていた。
「娘の恩人からお金なんて取れないねぇ…」
フローラはさっき昴から受け取ったお金をそっくりそのまま返そうとするので昴は慌ててそれを止める。
「いやいや!恩人なんかじゃないですから!!」
「いーや恩人だよ!!」
お金を受け取らないというフローラ、お金を払うという昴。どちらも一歩も譲らない。しばらく押問答が繰り返されたのち、素泊まりの値段でご飯も頂くという妥協案で話がついた。
「本当に無料でいいんだけどねぇ…」
「それだとなんかいたたまれないですから」
昴は2ゴルと10シル支払った。フローラはそれを渋々受け取り、104と書かれた鍵を昴に手渡した。
「そこがスバルさんの部屋だよ。すぐにご飯の用意をするから荷物…はないみたいだから食堂で待ってておくれ。席に座ってれば料理が出るからさ」
「わかりました。ギルドでおいしい料理って聞いてるから楽しみですよ」
「あぁ!!自慢じゃないがうちの旦那が作る料理は天下一品さ!」
フローラが自信満々に笑いかける。昴はそれに笑顔で答えると食堂に向かった。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
遅い時間帯なのせいか、食堂には昴以外の人はいなかった。昴は適当に二人掛けの木のテーブルに座ると、料理が来るのを待つ。マルカットの屋敷で朝食を食べてから何にもお腹に入れていないため、空腹で死にそうであった。いまかいまかと待っていると料理を持ったフランがこちらにやって来るのが目に入る。なにやら緊張しているようで、心なしかその顔は赤い。
「あの…お待たせしました」
「サンキュ!」
昴は料理を持ってきてくれたフランにお礼を言った。テーブルに料理を置いたフランだったが、なぜかその場から動かない。
「ん?どうした?」
「あの…えっと…」
昴はフランが同じ料理をもう一つ手に持っていることに気づいた。
「もしかしてフランも食事か?」
「そうなんですけど…お父さんがせっかくなら一緒に食べて来いって言ってくれて…あの、迷惑じゃなければご一緒してもいいですか?」
上目遣いで聞いてくるフランを見て昴は苦笑いを浮かべた。
「なんか緊張してると思ったらそんなことか。俺も一人で食べんのは寂しかったから一緒に食べようか」
「は、はい!!」
フランは元気よく返事をすると昴の向かい側に座った。昴は手を合わせていただきます、と言おうとしたが、フランが特に何も言わずに食べ始めたのを見て、昴も何も言わずに料理を食べ始める。
出てきた料理はパンとサラダ、そしてグラタンであった。パンは小麦粉から作っているらしく、ふっくらしておりほのかに甘かった。グラタンには食べてみると海老やイカ、そして野菜がホワイトスープに入っており、グラタンというよりはシチューに近いものであった。
「このグラタンは父の一番の得意料理なんです」
おいしそうに昴が食べているのを見て、嬉しそうにフランが言った。
「どうりで。これめちゃくちゃうまいもんな。パンもおいしい」
マルカットの屋敷で食べた料理は豪勢なうまさがあったが、ここの料理は家庭料理っぽいおいしさがあり、昴はこの宿を進めたサガットを心の中で褒めた。
「フランはいつも家の手伝いをしているのか?」
飲み物を飲みながら昴はフランに尋ねる。この飲み物はリンゴの果汁に蜂蜜を混ぜたものであり、濃厚な甘さの割にはさっぱりしていて昴は気に入っていた。
「そうですね。いつも部屋のお掃除や買い出しなどをしています。時々お父さんに料理を教えてもらったりもしていますね。将来的にはお父さんと同じくらい料理ができるようになりたいんです!」
「なるほど。これ美味しいもんな」
昴は自分が食べている料理に目を落とす。昴がいた世界よりも調味料などは確実に不足しているのに、これほどのクオリティーが出せるとは、と素直に感心していた。
「あれ?じゃあなんで昨日は《ハウンドドッグ》で飯食ってたの?こんなにおいしい料理があるのに」
「お父さんに『若いうちに舌を肥やしとけ。《ハウンドドッグ》や《海産亭》になるべく行くようにしろ』って言われたので、時々ああやって食べに行ってるんです」
「あー…確かにダンクのおっさんの料理は旨かったよな。あんな面して」
「あんな面って…スバルさん失礼ですよ」
昴の無遠慮な発言を聞いてクスクスと笑いながらフランが答えた。ダンクの顔は赤ん坊が十人いたら九人は泣くだろうと思えるほどの強面なのだ。
「そういえばスバルさんは無事に冒険者になれたのですか?」
「それがさー…すっげー面倒くさかったんだよ…」
芝居がかった調子で肩を竦めると、冒険者ギルドでの顛末をフランに話し始めた。
「ギルド長からの特別試験ですか?」
一度目の試験に落ちて、ギルド長から直々に特別試験を課された話をしたところでフランは少し驚いたように声を上げた。
「そんな驚くようなことか?」
「はい。サガット様は新人冒険者に興味を持たれることはないという噂で…しかも」
フランはここで言葉を切ると、昴をちらちらと気にしていた。
「しかも?」
「…スバルさんのようにまだ冒険者にもなっていない人に興味を持たれたことが…その…不思議で」
フランは言い終えると「すいません!」と昴に謝罪した。昴は苦笑しながら「気にすんなって」と声をかける。
「それだけスバルさんがすごかったってことですよね!きっと!」
「うーん…どうなんだろう。あの爺と会ったの事態が初めてだからすごいかどうかなんてわからないはずだけどな」
「爺なんて…そんな呼び方…」
昴の厚かましい態度にフランは言葉を失った。気を取り直してフランが昴に尋ねる。
「それで特別試験っていうのはもう終わったのですか?」
「あぁ、今日の昼に言われたんだけど、何とか夜までに達成したぜ」
「そうなんですか!!じゃあこれでスバルさんも晴れて冒険者の仲間入りですね!!」
自分のことのように嬉しそうにするフランを見て、思わず昴も微笑む。はしゃぎすぎたのが恥ずかしかったのか、フランは頬を染めながら慌てて話題を振った。
「と、特別試験っていうのはどういった内容だったのですか?」
「あぁ…『炎の山』に行って卵を取ってくるっていう、まっ子供のお使いみたいなもんさ」
「子どものお使いだなんて…『炎の山』に入って無事でいられるだけでもすごいんですよ?」
「確かにあの山には魔物が結構いたからなぁ…卵を探すのに苦労したぜ」
「なんの卵だったんですか?」
「‘バジリスク’」
カラーン、とフランは持っていたスプーンを落とした。
「…すみません。もう一度聞いてもいいですか?な、なんの卵を取りに行ったんですか?」
「だから‘バジリスク’だよ。あれ?もしかして知らない?」
昴があっけらかんと答えるとフランはそのままの姿勢で停止した。昴が顔の前で手を動かしても一切反応なし。仕方がないので昴はフランが動き出すのを料理食べながら待った。はっと我に返ったフランは突然机をバンッと両手で叩くと昴の方に身を乗り出す。
「スバルさん!!」
「な、なに?」
やっと戻ったか、と思ったら物凄い勢いで詰め寄ってきたフランを見て昴は少し身体を引く。
「どこか怪我とかされてないですか!?」
「怪我なんて…別にしてないけど?」
「本当ですか!?もしかして無理とかしてないですか!?」
「いや、無理もしてないって…どうしたフラン?たかだかランクEの魔物くらいで」
「ランクE!?」
興奮しているフランを宥めようとした昴の言葉に、フランはさらに取り乱したようだった。
「‘バジリスク’ですよ!?ランクEなんてとんでもない!!あの魔物はランクBでも高位に位置する魔物ですよ!?」
「…は?」
寝耳に水といったようにポカンとする昴。そんな昴を見て少し落ち着きを取り戻したフランは前のめりだった身体を戻し、席に着いた。
「‘バジリスク’のランクはBです。新人冒険者どころかベテランでも一人で狩るのは危険だと言われている魔物なんですよ?それをスバルさん一人で倒してしまったなんて…」
「……………」
「スバルさん?」
フランの話を聞いて下を向いたまま何も言わなくなった昴を見て、何か失礼なことを言ったのか、とフランは不安になった。
「あの…?もしかして気を悪くされました?」
おずおずとフランが聞いても昴は何の反応も示さない。
「何か気に障ることを言ってしまったのなら」
「あのクソ爺…」
「え?」
フランが謝罪の意を示そうとすると昴が低い声で何かを呟いた。戸惑うフランの目の前で昴はゆっくりと立ち上がる。
「あのクソ爺…はめやがったなぁぁぁ!!!!」
昴の魂の叫びが《太陽の宿》の食堂に虚しくこだました。




