8.マルカットの屋敷
冒険者ギルドを出た昴は、特に予定もないのでプラプラと街を見て回った。
このガンドラの街は商業区、住宅区、漁業区、娯楽区、貴族区の五つの区域に分かれていた。商業区は主にお店や露天商が並び、生活必需品や武具が売られている。住宅区は文字通りこの街で生活する人の住宅が集合している。漁業区は海に面した区域であり、港もそこにあるため、貨物船が並び、早朝には新鮮な魚介類が出される市などが開かれる。娯楽区は娼館や賭博場が立ち並び、未成年(この世界では15歳を指す)未満の立ち入りは禁止となっていた。貴族区は爵位を与えられた貴族が住む場であり、一般の人の入場は規制されている。冒険者ギルドはちょうど商業区と住宅区の中間に位置していた。
ある程度歩き回った昴は、日も傾いてきたので散策もそこそこにマルカットの屋敷に向かうことにした。屋敷の場所は野菜を売っていた商人から聞くことができた。その商人が言うにはガンドラの街でその名前を知らないものはいないほどマルカットは有名な人らしい。
商人に聞いた場所まで来るとそこには宮殿のような屋敷があった。
「はー…商人って儲かるんだな…」
冒険者ギルドにも勝るとも劣らないほどの立派な建物を前にして昴は唖然としながら呟いた。とりあえず中に入ろうと屋敷の前にいる人に声をかける。
「すいませーん。マルカットさんに会いたいんですけど」
門番の男は昴の姿を訝しむように眺めた。その手は腰に携えている剣の柄を握っている。
「…何者だ?」
「俺は昴。マルカットさんから聞いてない?」
昴が名乗るも門番の男の表情は変わらない。
「何の用で来た?」
「用って言われても…マルカットさんに招かれたから」
「この屋敷の主人はお前のような小僧に用などない。帰れ」
門番の男は鋭い視線を昴に向ける。そんな男の様子に昴は困ったような表情を浮かべた。
「…小僧。まさかこの屋敷に盗みに来たのか?」
「え?」
「ここは大商人マルカット様のお屋敷。なるほど、確かに小僧の目に狂いはない」
門番の男は静かに剣を抜く。昴は慌てて手を前に突き出して門番を宥めた。
「いやいやいや!!そんなんじゃないから!!」
「マルカット様より怪しい奴は捕まえろとの命を受けている。おとなしく―――」
「モック!!!」
門番の男が今にも昴に飛び掛かろうとする寸前、屋敷の方から彼を呼ぶ声が聞こえた。昴もモックと呼ばれた男も声のした方に顔を向ける。そこには慌てた様子でメイド服を乱しながら駆け寄ってくるミトリアの姿があった。
「スバル様!!申し訳ありません!!」
ミトリアは昴のもとに着くや否や、いつもの落ち着いた雰囲気はどこへやら、顔を上気させ必死に頭を下げた。ミトリアの普段と違う様子にモックは目を白黒とさせている。
「ほら!あなたも謝りなさい!!この方は旦那様の命の恩人なのですよ!!」
ミトリアの言葉を聞いてモックは一瞬「えっ?」っとポカンとした様子だったが、ミトリアの必死な形相を見て、すぐに顔面蒼白になると土下座をする勢いで昴に謝った。モックのあまりの謝りっぷりに昴は苦笑しながら「気にしないで」と声をかける。そんな昴を見てミトリアはほっとしたような表情を浮かべた。
「まったく…スバル様が寛大な人だったからいいものを…。モック、あなたは当分減給です」
モックは死刑宣告でも受けたかのような顔をした後、がっくりと肩を落とした。
「ミトリアさん、それは勘弁してあげてくれないかな?」
「え?」
昴の意外な発言にミトリアとモックが昴の顔を見つめる。
「モックさん…かな?この人は門番として怪しい男を見つけたから職務を全うしようとしただけで、別に悪いことしたわけじゃないからさ。俺も説明が悪かったし…誤解が解けたからかまわないよ」
「そう…ですか?まぁスバル様がそういうなら…。ただモック、今後は気を付けてくださいね」
「はい!」
ミトリアに許してもらえたことがそんなに嬉しかったのか、モックは昴に何度も何度も頭を下げた。
「それではスバル様、屋敷をご案内いたします」
ミトリアはモックに見張りを続けるように命じると昴を屋敷の方へと招いた。
屋敷の中はシャンデリアや赤い絨毯といった昴がテレビで見たような中世貴族の家のようであった。物珍しそうにきょろきょろとあたりを見回し、廊下においてある西洋の鎧に感動しているとミトリアはクスリと笑った。
「なんだかそういうところを見ていると、スバル様も年相応の男なんだなって思います」
「年相応って…これでも十七歳なんだから」
少し恥ずかしそうに顔を赤くし、唇を尖らせていると、ミトリアは微笑みながら謝った。
「このお屋敷には様々なお客様がお越しになりますので、商人の格というものをしっかりと示さなければならないのです」
「なるほどねぇ…舐められたら商売ができないってことか」
「おっしゃる通りです」
ミトリアは他の扉とは少し違う装飾が施された扉の前に立つと静かにノックをした。
「旦那様、スバル様がお越しになっています」
「通してくれ」
扉の向こうからのマルカットの声を確認するとミトリアは扉を開けた。
「やぁスバルさん。ようこそ来てくれました」
部屋の中には大理石の机を挟むようにしてソファがあり、奥の大きな机にはマルカットが座っている。傍らにグランが立っており、昴に対してお辞儀をした。
「立ち話もなんですし、こちらへ」
マルカットは昴をソファへ誘うとミトリアに目配せをする。ミトリアは軽く頭を下げると部屋から出ていった。昴がソファに座るとその対面にマルカットが腰を下ろした。
「マルカットさんって有名人なんですね。街の人も知らない人はいないって言ってたし、驚きましたよ」
「いやいや私などしがない商人でしかないですよ」
「そんなことはありませんよ、旦那様。この街で一、二を争う大商人であると私は思っております」
マルカットの謙遜したような物言いに、グランが物腰柔らかく異議を申し立てた。
「そうですね…この屋敷を見たら、しがない商人なんて思えない」
昴も苦笑いを浮かべながらグランに賛同する。
「いやはや昴さんにそう言っていただけると頑張ってきたかいがありましたな」
マルカットは少し照れたように頭をかいた。そんなマルカットを見ながら昴は何気なく部屋を見渡す。仕事で使うようなものや絵や置物といった嗜好品も置いてあり、物の価値がわからない昴でも高級感は伝わってきた。
(これも相手に甘く見られないため…戦いにおける威嚇みたいなものか)
そんなことを考えているとミトリアがお茶を持って部屋に戻ってきた。慣れた動作で昴とマルカットの前に置かれたカップの中身はミントティーの透き通ったものとは違い、薄い橙色をした飲み物であった。
「これは新商品でしてね。オレンジの果実をベースにしたお茶になっています」
マルカットが飲み物の説明をする。昴はカップを手に取り匂いを嗅ぐとみかんの甘酸っぱい匂いが広がり、口をつけると少し酸味の強い効いた紅茶のようであった。
「これもおいしいですね」
昴の感想を聞いて満足そうな表情を浮かべながらマルカットも自分のオレンジティーを飲む。
「ガンドラの街はどうでした?」
「話に聞いた通り大きなところですね。それに異世界の街というのは初めてだったので何もかも新鮮でしたよ。アレクサンドリアの街とは違って活気があって。俺は好きですよ、こういう街」
「気に入っていただけたら幸いです」
「マルカットさんの言う通り冒険者ギルドにも行ってきました。まー冒険者になれるかは明日の試験次第なんですけどね」
「そうですか…スバルさんなら試験も楽々突破できるでしょう。サリーナ地方に行くなら絶対に冒険者になった方がいいですからね。冒険者は王国や帝国とは無関係な組織なので」
「帝国?」
初めて聞く単語に昴は眉を顰める。
「えぇ。このパンドラ地方を治めているのは王都アレクサンドリアなのですが、サリーナ地方の人族をまとめ上げているのは帝国ブリュンヒルデなのです」
「ブリュンヒルデ…」
「血を大事にしてきた王都と力が絶対の帝国はどちらが人族の長であるかを決するため度々戦争をするほど仲が悪く、サリーナ地方ではおそらく王都のステータスプレートは役に立ちません。ただ冒険者ギルドは中立な立場なので、冒険者カードを所持していればあちらの地方でも何かと便利です」
「へぇ…人族ってのは王都を中心にひとまとまりだと思ってました」
「人族は数が多い…それだけ考え方も様々です。一つの考えにみんなが賛同するというのは至難の業というわけです」
マルカットはしみじみと話しながらお茶をすする。力が絶対の帝国、できれば関わり合いになりたくないと昴は思った。マルカットはカップを置くとチラリと昴の顔を視線を向ける。
「ところで宿はもう決まってますか?」
「いや、ぷらぷら散歩しながらまっすぐここまで来たので」
「そうですか」
マルカットは満面の笑みを浮かべた。
「ちょうど命の恩人にお礼をし足りないと思っていたところです。今日のところはこの屋敷に泊まっていきませんか?」
「そんな…十分報酬はいただいてますよ?」
「グラン、マルカットの商訓は?」
「与えられた恩はきっちりと返すべし」
急に話を振られたグランはさして驚きもせず、すらすらと答えた。
「ということで、スバルさんどうですか?」
「…それじゃお言葉に甘えさせていただきます」
少し遠慮がちに昴が答えるとマルカットは嬉しそうにグランに部屋を用意するように伝えた。




