29.ティア、悩む
女王であるティア・フォン・アレクサンドリアの執務室は重苦しい空気が立ち込めていた。
「それではスバル様の生死は絶望的ということですか?」
ティアが耐え忍ぶような声で言った。
「現状そうなりますな。実際に死体を見つけたわけではありませんが大量の血痕と彼の遺留品と思われるものも見つかっております」
大臣のカイルが感情のない声色で告げる。ティアは悲しそうに目を伏せた。
遠征時に昴の行方が分からなくなったという報告を受けたティアはすぐさま隊を組織し、捜索に当たるように命じた。異世界人が一人いなくなると戦力に影響するということもあるが、こちらの都合で呼び出した者たちが、この世界を救うという重荷を背負わしてしまったことにティアは心を痛めていた。その者の一人がこちらの不手際で行方が分からなくなってしまったなど許されることではなかった。
「…もう少し捜索することはできませんか?確か今回派遣した人数も多くはありませんでしたよね?もっと人数を増やせばあるいは───」
「お言葉ですが女王陛下」
懇願するようなティアの発言をカイルはぴしゃりと遮る。
「今一番大切なことはこの国が魔族の手に落ちないようにするということです。確かに異世界人を失うのは我々にとって手痛いことですが、それにいつまでもかまっていたら本来の目的を遂行することはできません」
「しかしまだ可能性があるのなら…」
「こういう言い方をしてはあれなのですが、今回行方不明になった異世界人はこちらの戦力として見込めないものでした。それよりも希少なスキルを持つ者が残っておりますので、早急にそちらを育て、巨大な戦力とすることに尽力するのがこの国のためだと思われますが」
きっぱりと言い切ったカイルに対してティアは何も言うことはできない。
父親が急死したため、何の準備もなくそのまま女王として祭り上げられたティアに国政などできるわけもなく、大臣のカイルがティアの代わりに政務を執り行っていた。重要な会議にはティアは出席せず、カイルが取りまとめたものに対して許可を与えることしかしてこなかったティアがカイルの意見に言い返せるわけもなかった。
カイル自身もたかだか十八歳の小娘の意見など鼻から聞く耳をもたず、お飾りの女王でいることを望んでいた。
「…わかりました。カイルさんに全てお任せいたします」
「賢明な判断に感謝いたします」
カイルは満足げな様子で一礼するとそのまま執務室から出ていった。
心が暴れる。言いようのない感情がティアの内側に渦巻いていた。
一人になったティアはそっと目を閉じ、静かに両手を組んだ。この世界に連れてきてしまったこと、昴を守れなかったこと、自分に力がないこと、組んだ両手の上に額を当てる。昴に対して懺悔をし続けるティアの目からは涙が止まらなかった。
一時間ほど泣き続けていたティアは外へと腫れた目を向ける。しばらくぼーっと景色を眺めていたティアであったが、おもむろに立ち上がり衣装箪笥の前に足を運ぶと、その中から白いローブを取り出した。このローブはお忍びでどこかに出かけるときの服装であり、手早く着替えると、誰にも気づかれないように執務室にある隠し扉から外へと向かった。
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アレクサンドリア城には『王の庭』と呼ばれる場所がある。城の正面には城下町が広がっているのだが、裏手には森があり、歴代の王たちがそこで狩猟を楽しんでいたことからその名がつけられた。
白いローブに身を包んだティアの姿がその『王の庭』にあった。少し息を弾ませながら目的の場所まで早足で向かう。しばらく森の中を歩くと、一軒の丸太小屋が見えてきた。ティアはその扉の前に立ち、息を整えると、遠慮がちにその扉をノックした。少しして扉から顔を出したのは白髪頭に白髭、青いローブを着た老齢の男であった。
「はいはいどちら様…ありゃこれは珍客ですな」
ティアの顔を見て少し驚いた表情を見せたが、すぐに柔和な笑みを浮かべティアを小屋の中へと案内する。ティアはぺこりと頭を下げ、中へと入っていく。老齢の男は長すぎる髪と髭を引きづりながらその後に続いた。
小屋の中はお世辞にもきれいとは言えず、そこかしこに本が散らばっていた。老齢の男は窓を開けるとほこりまみれの椅子と机を思い切りはたいた。
「今お茶を出しますんでそこに座っていてください」
「そんな…お気遣いなく」
ティアが声をかけるも男は鼻唄交じりにお茶の準備を始めた。ほどなくしてクッキーと赤い液体の入ったカップを持ってきた男がいまだに立ったままのティアを見て「ほらほら、座ってください」と言ったので、ティアは腰を下ろした。
「これは儂が最近ハマっているお茶でしてな。ガントラから直接仕入れたものなんですじゃ」
ティアは勧められるがままにお茶に口をつける。渋みのある香りが鼻腔をつき、口の中に仄かな酸味が広がった。荒んでいた気持ちがなんとなく落ち着いていくようであった。
「…とてもおいしいです」
微笑をうかべたティアを見て、男は満足そうに頷いた。
「…少しは落ち着かれましたかな?」
「え?」
男の言葉にティアは目を見張る。男はゆくりと自分のカップに口をつけた。
「ひどく心に余裕がないように見受けられたので。余計なお世話でしたかな?」
「いえ、そのようなことは…お気遣いに感謝いたします」
やはりこの人には頭が上がらない、ティアは心の中でそう思った。
「して、女王様がこの老いぼれに何の御用ですかな?」
「女王様なんて…以前のようにティアちゃんとお呼びください」
「そんなことはできません!他のものに知れたら打ち首ですよ」
男は身体の前で大げさに手を振りながらおどけた調子で言った。そんな男の様子を見てティアはくすりと笑う。
「マーリン様は変わりませんね」
「人間、年を重ねると変われなくなってしまうものなのですよ」
マーリンはしみじみと言いながらクッキーを頬張った。
「私は…変わってしまった。変わらなければならなかった。」
ティアは両手で包み込むように持ったカップに目を落とす。
「女王という立場になった今、以前の私がどれだけ能天気であったか、どれだけ世間知らずであったか身につまされます」
「………何かあったのですか?」
マーリンが丸眼鏡をクイっと上にあげる。ティアはためらいながらも事の顛末をマーリンに話した。マーリンはティアの顔から一切視線を離さずにその話を聞いた。
「私はこの国のために縁もゆかりもない人の命を散らしてしまった。これからもそのようなことが起こるかもしれない。…そう思うとどうしたらいいのかわからなくなってしまって」
それっきりティアは黙り込む。その肩は小刻みに震えていた。
「…自分がしていることに、この国がしていることに自信が持てませんかな?」
マーリンの言葉にティアはビクッと身体を震わせる。答えがなくてもその反応だけでマーリンには十分であった。
「儂が大臣をやっていた時、陛下も同じように苦しんでおられた」
マーリンが遠い目をしながら言った。
「こちらの都合で異世界の者を呼び出し、その者にこの国の命運を託す。なんて無責任であろうか、と常日頃儂に言っていたもんじゃ。酒の席になるとのぉ…死んでいった騎士のことを思い、時には涙を流しておった」
マーリンの話を聞いてティアは驚愕していた。ティアの知る父親は常に威厳に満ちており、弱音など一切はかない人だと思っていた。そんなティアの心を読んだかのようにマーリンはニヤリと笑った。
「娘には弱い自分を見せたくなかったのであろう。…ただ人間というのは脆く儚い。一人で抱え込んでいてはいずれ壊れてしまう。儂がいいはけ口じゃったんじゃな。女王様には聞かせられない下世話な話もよくしたもんじゃ」
「お父様が…そうだったんですね」
「この話を女王様にしたとばれたら、儂は陛下に殺されてしまう」
マーリンは悪戯めいた笑顔を浮かべる。ティアもつられて微笑んだ。
「…女王様には今そういうお人がおられますか?」
「そういう人…」
「女王様自身が本音で話せる人、女王様自身に本音で話してくれる人。そういうお方が「王」という人の上に立つ者には必要なのです」
「私には…」
ティアは口をつぐんだ。マーリンが言うような人が頭に浮かんでこなかった。マーリンはティアの肩に優しく手を添えた。
「まずはそういう人を見つけなさい。そしてそういう人を大事にしなさい。そうすればその人は必ずティアちゃんの力になってくれるはず」
マーリンの言葉は温かく、そして心強かった。思わず涙があふれそうになりながらもティアは力強く頷く。それを見てマーリンも笑顔で頷いた。
「おっと、今ティアちゃんと言ったのは儂らだけの秘密にしといてください」
ペロっと舌を出しながらマーリンが人差し指を立て、口元へと運ぶ。自分を元気づけようとするマーリンの優しさを一身に感じ、ティアは笑顔を浮かべた。
「さてさて、女王様が不在と知れたら城が大騒ぎになる。そろそろお戻りいただいた方がよろしいのではないですか?」
「そうですね。…マーリン様、本当にありがとうございました」
ティアは深々とお辞儀をすると席を立ち扉に向かう。扉を開け、外に出ようとしたが、そこでマーリンの方へと振り返った。
「また…お茶をいただきに来てもいいですか?」
「えぇ。とっておきのお茶を用意してお待ちしております」
笑顔で答えたマーリンに頭を下げ、ティアは小屋から出ていった。小屋の中で一人になったマーリンは自慢の髭をいじりながら独り言をこぼす。
「ふむ…これは早く支えになれる者が見つからんとティアちゃんはつぶされてしまうかもしれないのう…。カイルの奴は頭は切れるが野心がありすぎてそういうのにはむかんし…」
マーリンは立ち上がると窓へと近づき、城の方へ目をやった。
「陛下…あの子にはまだ荷が重すぎたのかもしれません…」
城の方へ戻っていく白いローブを見ながらマーリンはそう呟いた。




