26.偽りの自分
香織は剣を振り続ける親友を見つめていた。上段に構えた木剣を振り下ろすだけの動き、そこには一切の迷いがない。いや迷いをかき消すため一心不乱に振り下ろす。ガイアスの話を聞いてから数時間、一言も話さず素振りを続ける雫を、香織はたただた見つめていた。
昴の話を聞いた香織は自分の中で抱いていた一縷の希望が砕かれた。親友が気にかけている男の子、自分を守ってくれた男の子、昴が死んだという事実に涙をとめることができなかった。
そんな香織とは裏腹に、話を聞いた雫は一貫して無表情。不自然なほどに沈黙を貫き、泣き続ける香織にすら声をかけずに話が終わるとそのままどこかへ消えてしまった。
心配になった香織が城内を探しまわったところ、一人訓練場にいるのを見つけた。それから今に至るまで、流れる汗もいとわず剣を振り続けている。声をかけることも憚られる様子に、香織は黙ってみていることしかできなかった。
「雫…」
呟くように読んだ名前は雫には届かない。涙どころか感情を見せない雫の姿に、香織は心を痛めていた。
「まったく…なにやっているんだろうね」
不意に聞こえた声に驚いた香織が慌てて振り返ると、そこにはどこか憐れむような視線を雫に向ける隼人が立っていた。
「高橋君…?」
「やぁ北村さん。霧崎さんはずっとあの様子かい?」
「え…?あぁ、うん。ずっとあそこで剣を振ってるよ」
「そうなんだ…。霧崎さんに付き合って北村さんはずっとここにいるのか。大変だね」
「そんな…私が勝手にここにいるだけだから」
ニコニコと笑顔を向けてくる隼人に香織は困ったような表情を浮かべる。学校でもほとんど接したことない隼人から話しかけられた香織は、何を考えているのかいまいちよくわからない男とどのように接したらいいかわからなかった。
「高橋君はどうしてここに?」
会話が途切れるのがいたたまれなかった香織はとりあえず疑問に思ったことを隼人に聞いた。
「ん?今は休みで実践訓練がないからね。身体がなまらないように鍛錬をしようと思ってきたのさ」
隼人は自分が持っている木剣を香織に見せた。香織は同級生の死という衝撃的な報告を受けても変わらない隼人に半ば恐怖し、半ば感心していた。これ以上話すことが思いつかなかった香織はそのまま黙って雫の方に目を向ける。雫は隼人が来ていることに気づいた様子はなく剣を振り続けていた。しばらく雫の様子を見ていた隼人は、おもむろに近づいていき、雫の後ろに立つ。
「霧崎さん」
隼人の声に雫の動きがピタリと止まる。雫は振り返ると感情のない顔で隼人を見た。
「暇だから稽古つけてくれない?」
笑顔を崩さない隼人を雫は無言で見つめる。
「打ち合うだけでいいからさ。だめかな?」
「………かまわない」
隼人に聞こえるか聞こえないかの声で言った雫は、そのまま正眼の構えをとった。そんな雫に礼を言うと、隼人は両手を下げる独自のスタイルで剣を構える。
ぶつかり合う剣と剣。その回数は既に百を超えている。二人の間に言葉はなく、無言で打ち合い続けていた。
涼しい顔で剣をふるう隼人に対し、雫は先ほど素振りをしていた時のような無表情ではなく、鬼気迫る勢いで隼人に向かっている。香織は二人の様子を固唾をのんで見守っていたが、そんな雫を見て不安になる気持を抑えることができなかった。
「…なにから逃げているのかな?」
それまで雫の様子を観察していた隼人が不意に雫に話しかける。その声量は香織には聞こえないほどのものであったが、雫の耳にははっきりと聞き取ることができた。
「…なに?」
いままでとりつかれた様に攻め立てていた雫が距離をとる。隼人は雫を追うこともなくその場に佇んでいた。
「そんなに必死になって霧崎さんはなにから逃げてるのかなって」
「別に私は逃げてなどいない」
抑揚のない声で答える雫を隼人は鼻で笑った。
「どうみても現実逃避しているでしょ。…北村さんだって気づいてるよ。親友に心配させて、霧崎さんはひどい人だ」
「私は自分を高めるためにここで剣をふるっていただけだ」
茶化すような隼人の物言いにも、特に感情を出さずに答える。
「高めるためねぇ…それはあいつが死んだことと関係あるのかな?」
「……………」
「話を聞いた時、北村さんは泣いていたね」
「……………」
「ねぇなんでその時に霧崎さんは慰めてあげなかったの?親友が泣いてるたら普通気遣ってあげるでしょ」
「…何が言いたい」
笑みを浮かべたままの隼人に、雫は表情を変えずに言うが、その声色にはいら立ちが混じっていた。雫の問いには答えず、隼人は身体を軽く左右に振ると一瞬で雫のもとへ詰め寄る。そのままの勢いで剣を上げると、雫はなんとかその剣を受け止めた。
「雫は認めたくないんだよね。昴が死んだことを」
「っ!?」
囁くように告げられた隼人の言葉に雫は動揺を隠すことができなかった。その隙を見逃さなかった隼人は雫の持ち手に自分の木剣をからめ雫の剣を弾き飛ばす。
剣を失った雫は微動だにしない。はじかれた剣のことなど頭になく、ただただ隼人の顔を見つめる。
「雫がその話し方をし始めたのは高校に入ってからかな」
隼人は構えをとくと静かに語り始めた。
「理由は昴に心配かけないようにするためかな?」
雫は無表情のまま黙りこくっている。
「だんまりを決め込むってことは肯定しているってとっていいのかな」
「…私はそのようなことは」
「しゃべり方」
「え?」
「もうやめなよ。慣れない自分を演じていると痛々しくて見てられないよ」
「…………」
雫は隼人の言葉にこたえることができずに目を伏せた。そんな雫を隼人は黙って見続ける。
「あたしは昴に頼りきりだった」
意を決したように雫が口を開く。
「昴はいつもお前はサポート役だって言ってくれたけど、それはただ昴の陰に隠れていただけ。昴は私を守るためにいつも無理していた。あたしは頼りない弱い女だった…そんなことにあたしは気づかなかった」
「………」
「あの時だってそう。あたしがもっと頼りになる女だったら昴が一人で重荷をしょい込まないですんだかもしれない。そうすればもっと違う未来があったかもしれない」
隼人は黙ったまま雫の顔から視線をそらさない。
「だからあたしは強い女になりたかった。強い女になるために今までとは違う自分を作り上げた。そうすれば昴が頼ってくれる、そう思ったから。でも…」
だめだった、最後は消え入りそうな声で雫は言った。隼人はしばらく思案していたが呆れたように大きくため息をついた。
「雫のやり方は間違っているよ。そんなやり方あのバカが見たら俺のせいだってまた自分を責めることになるでしょ。そうやってますます雫には負担をかけまいと考えるだろうね」
「それはっ…!!………そう…かもね」
雫が自嘲するように笑う。
「そもそも俺には雫が頼り切っている関係には見えなかったよ」
「え…?」
「昴が雫を頼らなかったのは雫が頼りないからなんじゃなくてあのバカのせい。誰かに頼るくらいなら自分でやってやろうっていう性分なんだよあいつは」
めんどくさいやつだね、と隼人は肩を竦める。
「そういうやつだって雫はよくわかってると思っていたけど?」
「あたしは…それでも昴に何かをしてあげたかったから」
「それなら雫が変わらずにあいつが立ち直るのを待つべきだったんじゃないかな?それとも…」
隼人はここでいったん言葉を切ると雫に対し試すような視線をぶつける。
「あのバカは一人で立ち直れないほど弱い奴だとでも思っていたのかな?」
「っ!?」
隼人の言葉に雫は雷が落ちたかのようなショックをうける。
「あいつは今の雫の姿なんて望んじゃいないよ」
「…なんでそう思うの?」
雫はなんとか声を絞り出し問いかける。
「俺もそう思うからね」
いつもの飄々とした態度を一切見せずに、真面目な顔で答える隼人の顔を雫は黙って見つめた。
「あいつはありのままの雫の姿でいてほしいと願うはずだよ。俺や昴が無理をしたときに叱ってくれる苦労人の雫をね」
伝えたいことをすべて伝えきったのか、そう言うと隼人は踵を返して歩き始めた。しかしふいに立ち止まるとそのまま雫の方を見ずに告げる。
「もっとも、今はあいつはこの場にいないから確かめることはできないけど。雫ならあいつの気持ちがよく分かってあげられるんじゃないかな」
雫の言葉は聞かずに再び隼人は歩き始めた。そして少し離れたところで二人のやり取りをじっと見ていた香織のそばまで行き声をかける。
「長い間友達を借りちゃってごめんね」
「そんな…高橋君、ありがとう」
「ん?何かお礼を言われるようなことをしたかな?」
香織は胸の前で手を合わせながら涙ぐんでいる瞳を隼人に向け、頭を左右に振る。
「ううん、こっちの話」
「そっか…霧崎さんのこと支えてあげてね」
隼人は香織に向かって微笑むとその場を離れていった。香織は離れていく隼人の背中にぺこりと頭を下げ雫のもとに駆け足で近づいていく。
城に入る直前、隼人は振り返り、泣いている雫を慰めている香織に目を向ける。その光景をじっと見つめ、誰に聞こえるわけでも無い声でそっと呟いた。
「雫にあんな顔させるなんて…今度は一発殴るだけじゃすまないな」
その視線はしっかりと『恵みの森』に向けられていた。




