22.二人の昴
昴は何も映らなくなったスクリーンをしばらくの間見つめていた。先ほどまで映し出されていた映像のことを思い出す。おそらく昴にとって人生の分岐点ともあろう過去を映像としてまざまざと見せつけられた昴の気持ちは意外にも冷静だった。
「で、これが何?」
虚勢や強がりからではない、本心から昴が問いかける。。
「なるほど…そういう反応か」
黒い昴は興味深そうに顎をさすると目を細め、値踏みするように昴を眺めた。
「これを見せつけることで俺が動揺するとでも思ったのか?」
昴にとって今見たものは一生消えることのない心の癌であるといっても過言ではない。トラウマなんて生易しいレベルのものなどではなく、過去に負った傷にもかかわらず、治る見込みの一切ない、今もまだ血を吹き出している生傷なのだ。そんな傷を負い続けている昴にとって先ほどの映像は事実の確認程度のものにしかならなかった。
「悪いがあの光景は毎晩夢に出てくるからお腹いっぱいなんだ。一時だって忘れたことはない」
「まぁそうだよな。過去に縛られている…いや過去から逃げている楠木昴にとっては意味のない映像だったか」
「俺が…逃げているだと?」
昴の眉がピクリと動く。そんな昴を見て黒い昴は鼻で笑った。
「そうだよ。霧崎雫、北原美冬、高橋隼人…この三人と距離を置いているのがその証拠じゃないか。…あぁ、自分と関わると不幸になるから近くにいないんだっけ?」
黒い昴がいやらしい笑みをうかべる。
「悲劇の主人公を気取るのもいいがここまで来ると…滑稽だな」
昴は何も言わないがその両手は血が出る程に強く握り締められていた。それを見た黒い昴はますます笑みを深める。
「お前は…いや、俺はただの臆病者だ。一人でいるのは、あのことから少しでも自分を遠ざけようとするため。人に関わらないようにしようと思いながらも、誰かを守ろうとするのは、結局一人で生きていくのが怖いため。自ら進んで虐げられるのは、自分の罪を少しでも軽くしようと足掻いているためだ」
「……………」
「おっと…最後のは違ったな。自ら進んで虐げられるのは罪を背負って生きてく覚悟がないからだ」
「っ!?」
昴は怒りで身体を震わしながらもう一人の自分に鋭い視線を向けた。そんな視線を受けても一切変わらぬ様子で黒い昴は淡々と言葉を紡ぐ。
「図星だからって睨むなよ。自分が不幸な目にあえばそれだけ罪の意識を感じなくてすむ。結局俺は、罪を背負って生きてくいくことなんてできない、罪から逃げているだけなんだよ」
「…適当なことほざいてんじゃねぇ」
やっと絞り出した言葉は自分のものとは思えない空虚なものだった。
「俺が言っていることが適当かどうか試してみるか?」
その言葉と同時に昴の手に何かが握られる。それはナイフというには長すぎて、普通の剣というにはいささか長さが足りない、刃渡り五十センチメートル程の小太刀だった。鞘はなく、柄も刀身も鍔も夜の闇を一点に集約したような漆黒の黒。見たことないはずなのにずっと昔から持っていたような錯覚に陥る。
黒い昴の方に目をやると全く同じものをこちらに向けていた。
「…俺が間違ってるっていうんなら倒してみろよ。そのために来たんだろ?」
黒い昴がゆっくりと小太刀を構えた。昴は胸の中にうずまくモヤモヤした何かを吹き飛ばすように力強く柄を握り、眼前の敵を見据える。今までのように目眩や違和感の類は一切ない。むしろ小太刀から力がどんどん湧いて出ているような感覚さえあった。
「お前を倒して従わせてやるよ…この呪い野郎」
「おもしろい。やれるもんならやってみろ」
その言葉を皮切りに二人が同時に動き出す。ぶつかり合う刀と刀。交差する刀越しに昴は相手の顔を睨みつけた。黒い昴はニヤリと笑うとつばぜり合いの状態から力を緩め、体勢が崩れた昴の腹に思いっきり蹴りを入れる。
「くっ…」
咄嗟に手で防ぎながらも勢いそのまま後ろに飛ばされた昴は何とか受け身をとろうとするが目の前には既に黒い昴が迫っていた。
「こんなものか?」
黒い昴は突っ込みながら小太刀を横に構え、そのまま昴に斬りかかる。その一撃を受け止めても黒い昴は止まらない。繰り出される連撃に昴は防戦一方を強いられた。
「手も足も出ないのか?情けねぇな…俺とは思えない」
「お前は俺じゃねぇよ!」
余裕を見せる黒い昴の猛攻を必死に耐えながら昴が叫ぶ。なんとか距離をとらねば、そう考えた昴は力任せに刀を振りぬき相手を弾き飛ばすと、後ろに飛んで体勢を立て直した。黒い昴は後を追うことはせず、こちらの様子を興味深げに眺めている。
「結局は逃げるだけか。得意技だもんな、それ」
「うるせぇ!」
普段なら聞き流せるような安い挑発も、今の昴には効果的だった。心に余裕を持てない昴は煽られるままに黒い昴へと突貫する。そんな昴の攻撃をつまらないものを見るような目で見ながら黒い昴は華麗に躱していった。
「単調だな。面白くもない」
「お前だって逃げてるじゃねぇか!」
「逃げるのと躱すのは意味が違う」
昴の刀の軌跡に合わせて自分の刀を添え受け流すと、黒い昴は体勢を崩した昴の顔に拳を叩きつける。
「ぐはっ…!!」
またしても吹き飛ばされる昴だったが、黒い昴は追撃をしようとはしない。その場に佇み、昴が向かってくるのを待っている。昴はゆっくりと立ち上がりながらペッ、と唾と一緒に血を吐いた。
「随分余裕だな…本気で俺を殺す気があるのか?」
「さぁな…ただ今のお前には負ける気がしないだけだ」
自分のことを歯牙にもかけないもう一人の自分に苛立ちを覚えながらも、昴は頭で冷静に考える。
(このままじゃ勝てねぇ…)
どう頭の中でシミュレートしても黒い昴に勝てるビジョンが思い描けなかった。
(それでも…)
負けるわけにはいかない昴はとにかく攻めるしかなかった。昴は地を蹴り、黒い昴に向かっていく。
「何をそんなに必死になっている?」
剣戟の合間にも黒い昴は話しかけてきた。昴は無視して相手の剣筋を崩すことだけに集中する。
「認めろよ。俺はお前だ。どんなに心の隅に押し込めても俺はお前の中に存在する」
思いっきり小太刀を振りぬいたが、黒い昴はそれを難なくいなしながら、ふわりと後ろに一回転して優雅に着地する。
「認めらんねぇよ。俺はお前を倒すって決めてるんだ」
「…そうかよ」
黒い昴は少し失望した顔を見せる。その表情ですら昴の神経を逆なでした。昴は小太刀を構えなおし、勢いのまま突っ込む。
「そんな猪みたいに突っ込んでくるだけじゃ俺には勝てない」
そんな昴をあざ笑うかのように、黒い昴はいとも簡単にそれを受け流した。昴は舌打ちしながらがむしゃらに小太刀を相手に振るったが一太刀も相手に届くことはない。
「たしか猪ってのは臆病な動物だったな。…お前にお似合いだ」
「黙れ!」
昴は小太刀を思いっきり振りかぶる。だがその動きを読んでいた黒い昴は一気に距離を詰めると、強烈な回し蹴りを昴目がけて繰り出した。嗚咽を漏らしながら昴は後ろに吹き飛ばされ、その場に倒れる。
ゆっくりと歩み寄ってくる黒い昴を見て、体勢を立て直そうとするが思いのほかダメージが大きく、上手く立ち上がることはできない。
「自分と向き合おうとすらしない軟弱ものに負けるわけがない」
昴の目の前に立つと、黒い昴は吐き捨てるように言い放った。
「いい加減認めろよ。お前は俺だ。罪の意識から自分を守るためにお前自身が生み出したんだ」
「だ、黙れって…言ってんだろ」
血が流れる口元をぬぐいながら荒い呼吸のまま答える昴を見て、黒い昴は肩を竦める。そのまま立ち上がろうともがいている昴を蹴り飛ばした。
「我ながら情けなくなってくるぜ。自分がこんなに弱いなんてな」
黒い昴の言葉も昴の耳には届かない。クリーンヒットした二発の蹴りは昴の意識を刈り取るには十分な威力だった。
(勝てねぇ…)
朦朧とする意識の中で相手との圧倒的な実力差を認識する。昴は地面に突っ伏したまま身動き一つとることができなくなっていた。
(このままじゃ…呪いに…)
かすむ視界に少しずつ近づいてくる黒い昴をとらえる。なんとか反撃をと頭では考えるものの身体は全くいうことをきかない。
(あいつを…あの偽物を倒さなきゃ…俺は)
ごふっ、と血を吹き出す。視界まで真っ赤になっていき、意識は徐々に薄れていく。
(こんなところで…俺は…………………)
──────なに格好つけてんだ。
靄がかかっていた昴の頭を一瞬でクリアにするような声が響き渡る。
──────お前の力はこんなもんじゃないだろう。
その声には聞き覚えがあった。
──────あいつを倒さなければお前は一生負け犬だぞ。
'グリズリーベア'と対峙したときに自分にずっと話しかけていた声。
──────早く力を開放しろ。
昴が死に瀕した際に悪魔のささやきを続けた声。
──────そして今すぐに目の前の敵を殺せ。
昴が持っていた小太刀から黒い魔力があふれ出す。その魔力に包まれた昴は今まで動けなかったのが嘘のように体が軽くなるのを感じた。身体を蝕んでいた激痛はきれいさっぱりなくなり、それどころか身体中からあふれんばかりの力を感じる。
昴はすっと立ち上がるとその様子を何も言わずに見ていた黒い昴に言い放った。
「悪いけど…勝たせてもらうぜ」
昴が一直線に突き進む。黒い昴には消えたようにしか見えなかった。先程とは段違いのスピード。黒い昴は一瞬で目の前に現れた昴を迎撃するために小太刀を前に構える。目にもとまらぬ速さでそのまま後ろに回りこんだ昴は黒い昴の背中をそのまま斬り伏せた。
「がはっ!!」
口から血を吐きながらも、後ろにいる昴に斬りかかる。が、すでにその場にいない昴は正面からもう一人の自分を袈裟切りにした。
「く、そぉ…!!」
斬られた箇所を抑えながら膝をつく黒い昴の顔面に昴は容赦なく足を振りぬいた。まともに蹴りを受けた黒い昴は苦しそうに息を漏らしながら、はるか後方に吹き飛ばされると、そのまま大の字に横たわる。
勝負はまさに一瞬でついた。
昴は魔力を解くと、動く気配のない黒い昴のもとへ歩み寄る。黒い昴は口から血を流しながら昴を見て薄ら笑いを浮かべていた。
「な…んだよ。こんなことが…できんなら、最初…からやって…おけよ」
「……………」
昴は自分の持っている黒刀に目をやった。この力は黒刀からから引き出したものに間違いない。【身体強化】の如く自分の肉体は強化され、太刀打ちできなかった相手を完膚なきまでに叩きのめした。なぜ自分にこんなまねができたのか、それ以上になぜ目の前のこいつはこの力を使わなかったのか、それがわからない昴は顔を顰めながらもう一人の自分を見る。
「なんで手を抜いた?」
「手なんか…抜いてねぇよ…これでも本気でやって…たんだぜ?」
「嘘だな。お前も俺と同じ武器を使っている。それならば俺と同じことができたはずだ」
「………俺には…使う……ことはで…きねぇ」
「なぜだ」
昴の問いかけに黒い昴はニッと笑うだけで答えようとしない。
「そ…んなことよ…り、俺はもう…動け…ねぇ……さっさ…と止めを…させ」
昴は黙って横たわる男を見つめる。持っている刀を振り下ろせばすぐにでも決着がつくというのになぜか昴にはそれができなかった。これはまさか呪いのせいか、と疑ったが、昴の本能がこの男を殺してはいけない、と言っているように感じた。
「俺はお前を殺す」
「あぁ…そう、だろうな。俺を殺して…犬みたいに同じところをぐるぐる回っていろ」
そんな思いをかき消すように小太刀を相手に向けながら呟いた昴だったが、黒い昴は諦めたように笑うだけだった。
迷っている自分に昴は戸惑いを隠せない。さっきまではこの男を倒すことだけが目的だったはずなのに今では止めを刺すことに躊躇している自分がいる。
この男を倒すためにここにきた。いや本当にこの男を倒すためにここに来たのか?目的はこの男を倒すためだったのか?こいつが呪いの正体なのか?動けない男を前に昴を激しい葛藤が襲った。
(何も悩むことはない…こいつを倒せばすべて終わる)
すべての雑念をなくすように頭を振ると昴は黒刀を振りかぶった。はぁはぁ、と息を吐きながらチラリとそれを見た黒い昴は笑ったまま目を閉じる。意を決して昴は構えた刀を振り下ろした。
「だめですよ。これ以上自分を傷つけるのは」
時間が止まる。
頭の中が真っ白になる。
鼓動が早くなる。
後ろから声をかけられたのに昴は振り返ることができない。その懐かしい声色を聞いて、昴の全身は金縛りにあったかのように動かなくなった。そんな昴を気にした様子もなく声をかけた人物は後ろからゆっくりと昴に近づいていく。
「お久しぶりですね。昴君」
名前を呼ばれ思わず息を呑んだ。そんな、バカな、ありえない…あらゆる言葉が頭に浮かんでは消えていく。
震える身体でゆっくりと振り返った先には溢れんばかりの笑顔を携えた砂川恵子が立っていた。




