21.面倒くさがりやな理由
少しだけ会話の部分を付け足しました!
(なにが起こっているんだ…)
屋上に広がる光景を目の当たりにして昴の頭の中は真っ白になる。
家にいてもなんだか落ち着かなかった昴は冴子が指定した時間よりも早く学校に向かっていた。
夜見る学校はいつも自分が通っているところとは思えないほど不気味な雰囲気が漂っており、中に入るのをためらわせる。それでもお化けや幽霊が怖いなんて歳でもないので、昴は校門をよじ登り校内に侵入するとそのまま屋上を目指した。
見回りの教師にも出会うことなく進んでいたのだが、途中で誰かの叫び声が校舎に響き渡る。驚いた昴は慌てて階段を駆け上がり、屋上の扉を開けると、そこにはへたり込んだ者と屋上の端に立っている者の姿がかろうじて目にはいった。
屋上には明かりがなく、今は分厚い雲がかかっているため月あかりもない。おそらく一人は冴子であろう、しかしこの場に二人いるのは完全に想定外の事だった。
混乱している昴に屋上の端に立っている者が声をかける。
「来るのが早いですよ…昴君」
昴の心臓がドクンと高鳴った。
「女の子は準備に時間がかかるんですから、少し遅れてくるのが紳士のたしなみですよ?」
この透き通るような儚げな、それでいて芯のある声には聞き覚えがある。昴は声のする方へとゆっくりと視線をずらす。
「恵子…?なにやってんだ?」
「来ないで」
自分の方に歩いてきた昴を恵子の恵子ははっきりと拒絶する。いままでこんなにはっきりと言われたことのなかった昴は戸惑いながらその足を止めた。その時、雲間から薄い月明かりが恵子の姿を照らし出す。
「えっ…」
恵子の腹部は絵の具をぶちまけたように真っ赤に染まっており、口の端からは血を流していた。事情は全く把握できていないが本能的に駆け寄ろうとする昴を恵子は微笑みながら手で制する。その目が、その手が昴の身体から自由を奪った。
「ごめんなさい、昴君…もうあんまり時間がないから私にしゃべらせてください」
「恵子…なにを…」
「本当はこんな姿見せるつもりはなかったんですがね…」
恵子は自嘲気味に顔を伏せた。
「昴君がいけないんですよ?十九時だって言ってたくせにこんなに早くに来てしまうんですから…でもそんなところも昴君らしいですね」
幸せそうな笑みをうかべる恵子に昴は何を言うこともできない。
「ここ最近は本当に楽しかったです。美冬がいて雫さんがいて隼人君がいて…そして昴君がいました」
恵子は空を仰ぎながらゆっくりと目を瞑ると、瞼の裏には四人で騒いだ日々が走馬灯のように流れていく。
「よく話していましたよね。隼人君と昴君は子供の頃、かっこいい騎士になりたかったって」
それは他愛もない会話の中で聞いたこと。絵本の主人公に憧れた少年達の話。
「私はお姫様になりたかったです。お姫様になって騎士の昴君に守ってもらいたかったです。…少しお人好しすぎる騎士様だと思いますけどね」
恵子は甲冑に身を包んだ昴を想像しながらくすりと笑った。
「こんな私にはおこがましい願いとは思いますが、最後くらい夢見ても良いですよね?…生まれ変わったらお姫様になれますように」
恵子はぎゅっと自分の手を握りしめると、願いを乞うように自分の胸元へと持っていく。そして静かに目を開くと硬直している昴へと目を向けた。
「三人に謝っておいてください。心配かけてごめんなさいって」
「け、恵子…?」
未だに昴の頭の中は真っ白であった。そんな昴を愛おしそうに見つめながら恵子はフラフラの身体でゆっくりと頭を下げる。
「いろいろありがとうございました。あなたには本当に感謝してます。こんな形になってしまって本当に申し訳ありません。もっとみんなと…昴君といたかったのですが、それもどうやら無理そうですね」
残念そうに眉尻を下げる恵子のもとに向かうべきなのだが、足の裏から根っこが生えたようにその場から動く事が出来ない。
「最後に一つだけ。これも伝えるつもりはなかったのですが、こんなにも早く来てしまったあなたにちょっとした意趣返しのつもりで…」
恵子は悪戯っぽい笑みを浮かべながら俯き、一呼吸置くと覚悟を決めたように顔を上げ口を開いた。
「昴君…あなたのことが大好きでした」
恵子は破顔しながらそのまま後ろに倒れこむ。その光景が昴にはスローモーション映像を見ているように鮮明に映った。慌てて駆け寄り、必死に恵子の手をつかもうとするが無情にもその手が空を切る。震える身体で屋上から身を乗り出すと、下には恵子が真っ赤な華を咲かしていた。
「うそ、だ…」
ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。
「そんなっ…」
現実を直視できなくてゆっくりと後ずさりする。
「俺は…俺は…」
足がもつれてその場に倒れこんだ。
「うわぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁあぁぁああぁああぁぁあぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!!!!」
自制のきかない心の底からの絶叫。校舎中に昴の声がこだました。
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恵子の死は自殺という形で処理された。自殺の理由はいじめを苦にしたもの。腹部に刺し傷があり、屋上に包丁が落ちていたため、冴子は傷害罪で少年院送りになるはずだったのだが、精神に異常がみられるということで一先ず精神病院送りとになった。
冴子と同様に警察の事情聴取を受けた昴は、すぐに家に帰されたが、二週間ほとんど部屋から出てくることはなかった。雫や美冬、隼人が心配して家まで様子を見に来たが顔を出すことはなく、携帯電話の電源も切ったまま誰とも連絡を取ろうとはしなかった。
そして久しぶりの登校。午前中は病院のカウンセリングを受けていたため、午後の授業の途中で教室に入った昴はクラスメートの視線を一身に受けながら無言で自分の席に着く。その目に生気はなく、授業中はずっと誰も座っていない恵子の席を見つめていた。
放課後になっても誰も昴に話しかけてこない。否、話しかけられる雰囲気ではない。昴は学校に来てから一言も言葉を発さずに帰り支度をして、そのまま教室を出ていった。
廊下には雫たちが待っていたが、昴はちらりと一瞥しただけでそのまま無言でその脇を通りぬける。
「す、昴!」
必死な様子で雫が声をかける。昴は足を止めるが顔は向けない。
「あ、あの…なんていうか…」
「………辛いならボクたちを頼って」
言葉が続かない雫の代わりに美冬が小さい声で告げる。昴は何も答えない。
「昴が受けた傷はあたしには想像もつかないと思うけど…それでも昴のために何かしてあげたいから…」
「……………」
「今はつらいと思うけど、みんなで支えあえばいつかきっと…」
「いつかきっとなんだ?」
昴が発したしわがれた声に雫がビクッと肩を震わす。
「いつかきっと恵子のこと忘れるのか?忘れられるような程度の出来事なのか?」
「あ、あたしは別にそう意味で言ったわけじゃ…」
「じゃあどういう意味だよっ!!」
突然語調を荒げる昴。雫は圧倒されて声を出すことができず、美冬も昴の様子に目を見開いている。今まで黙って成り行きを見ていた隼人がそんな美冬と雫をかばうようにスッと前に出た。
「落ち着きなよ」
「お前らは忘れられるかもな。実際に恵子が死んでいく姿を見ていないから」
「………」
「お前らは関係ないもんな。恵子が死んだ原因は全部俺のせいなんだから!」
「昴」
感情のタガが外れた昴は自分では止めることができなかった。諫めるような隼人の言葉はもはや昴の耳には届かない。
「何にも知らず、何にも考えないでのうのうと過ごしてたんだろうな!そんなお前らなら確かにあいつが死んでも心を痛めるようなことは…」
手加減なしの隼人の一撃が昴の頬を襲う。思わず後ろに吹き飛ぶ昴を見て、何人かの生徒が悲鳴を上げた。昴は殴られた場所を手で押さえながらゆっくりと顔を上げ隼人を睨みつける。
「昴だけが傷ついてるなんて言わせないよ。美冬はショックで一週間以上しゃべれなかった。雫は食事がのどを通らなくて学校で倒れた。美冬も雫も友達の死を知って心を痛めたんだ。いや今現在だって痛めてるはずだ。そんなこともわからずに心配してくれる友達相手に八つ当たりとは…最低だなお前」
隼人から向けられた視線には侮蔑すら含まれていた。昴は口を真一文字に結び、ただただ隼人の目を見ている。
「言い返すこともできないのかい?本当に情けない姿になったね」
そんな挑発の言葉を受けても昴は微動だにしなかった。
「殴られても向かってこないとは…これ以上時間を無駄にしたくない。美冬、雫、悪いけど俺は先帰るね」
隼人は昴に一瞥もくれることなく歩き出した。昴も立ち上がると無言で隼人とは反対方向に歩き出す。美冬と雫はどちらを追えばわからず、結果的に二人は取り残されてしまった。
「なんで…なんでこうなっちゃうのよ」
「………雫……………」
泣き出した雫の背中をさする美冬。美冬自身は三日間絶え間なく泣き続けたせいで涙は枯れてしまっていた。美冬は離れていく昴の背中を縋るように見つめる。その背中はあまりに小さく今にも消えていきそうだった。
この日から昴は変わった。
人に関わることはしない。
誰かに働きかけたりもしない。
自分と関わることが誰かを不幸にすると確信しているから。
自分のせいで誰かが不幸になることが何よりも怖いから。
人に迷惑をかけるくらいなら自分が耐える。
どんなに辛くても、どんなにきつくても耐えきる。
自分が被る不利益を享受する。
何にも考えない。
何にも感じない。
そんな自分を守るようにいつも心の中で呟く。
──────面倒くせぇなぁ、と。




