7.勇者VSジョーカー
昴はゆっくりと首を動かしながら懐かしい思いで訓練場の景色を眺めていた。実力を測るための手合わせではフリントに辿り着きさえしなかったことも、一人で黙々と木刀を振り続けたことも、雫や美冬と二人で話したことも今ではいい思い出に感じる。
だがそんな悠長なことは言っていられなかった。目の前にはやる気満々の勇者様が射殺すような視線をこちらに向け、煌びやかな剣でヒュンヒュンと宙を斬っている。
「おーい!!お前ら二人のどちらか勝った方が次はあたいと勝負な!というわけで天海!覚悟しておけよ!!」
「ははは、勘弁願いたいな」
浩介は芸術的とも思える素振りを止め、葵に笑顔を向けた。葵も浩介も昴が勝つなどとは微塵も思っていない。それを見た優吾がケッと不満そうな表情を浮かべた。
「何か気に障ることでも?」
「……なんとなく昴が馬鹿にされているような気がして気に入らねぇ」
子供のように不貞腐れている優吾を亘が呆れたように見つめる。
「好きに言わせておけばいいでしょう。どうせすぐにわかることです」
「そういうことだ。タマモの言う通りあのバカの敵じゃない」
いつの間にか後ろにいたニールが鼻で息を吐きながらつまらなさそうに言い放った。卓也が少し不安そうな顔をニールに向ける。
「天海君は僕達異世界人の中でもトップの強さを持っているんだよね。昴君……大丈夫かな」
「タクヤ……お前スバルの何を見てきた?確かに人族の中ではそこそこできるようだが、スバルが本気出したら二秒と持たないぞ」
「だから心配してるんだ……勢いあまって殺しちゃったりしないよね?」
卓也が心配している本当の意味を理解したニールはふむ、と眉を寄せた。
「断言はできんがな。あいつが本気でスバルに向かっていったのなら、多少の痛い目はみることになるだろうな」
「はぁ……心配だよ」
「いいだろ?いつも偉そうにしてるんだから少しくらい痛い目見ろってんだ!いけー!昴!!」
優吾が隣で声援を送りだしたのを見て卓也は頭を抱えながら大きくため息を吐いた。
少し離れたところで雫が困った顔で二人を見つめている。
「止めるべきか止めないべきか……」
「…………止めても無駄」
美冬が肩を竦めながら両手をあげた。確かに美冬の言う通りなのだが、それでもこんなバカげたことを早く終わらせたい雫はうーん、と唸りながら頭を悩ませる。
「止めてしまったら次は古川君が有無を言わさず襲いかかりそうだよ?」
そんな雫を見かねた香織が指さす方へ視線を向けると、片時も昴から目を離さない勝の姿があった。隣にいる誠一は難しい顔で考え込んでいる。
「加藤君は昴がやったんじゃないってなんとなくわかっているんでしょうね。食堂でも古川君を止めていたみたいだし」
「そうだね……彼は何気に頭の回転が速いから」
おそらく今彼は必死になって隆人を殺した犯人を探っているのだろう。一先ずは勝のように暴走する危険性はなさそうだった。
そんなことを考えていると後ろからいきなりタマモが飛びついてくる。タマモは雫におぶさりながら目を凝らして浩介のことを見つめていた。
「うーむ……やっぱり大した強さには見えんのじゃ。ユミラ姉はどう思う?」
「あんまりタイプの子じゃないわね」
「そういうことを聞いているんじゃないでしょ!」
雫が白けた視線を向けるとユミラティスは微笑を浮かべる。
「冗談よ。そうねぇ……五十……いや百人くらいかしら?」
「えーっと……それは何の人数?」
強さを聞かれて人数で答えるユミラティスに香織はわけがわからないといった顔で尋ねかけた。ユミラティスはんー?っと少しだけ溜めを作るとおもむろに顔を近づける。
「昴を倒すために必要なあの子の人数よ」
「あー……まぁそんなところじゃな」
「……へっ?」
タマモは納得したように頷いたが香織はそんなことはない。ユミラティスはフフッと笑うと目をまん丸にしている香織に対して悪戯っぽくウインクした。
「さて……ギャラリーも飽きてきてしまっているみたいだし、そろそろ始めてもいいかな?魔族君?」
「勝手にしろ」
気障ったらしい言い回しにげんなりしながら昴が言うと、浩介は眉をピクリと動かした。
「……武器を構えていないみたいだけど?」
「気にするな。そういう仕様だ」
あっけらかんと言い放つ昴を見る目が鋭利な刃物のように鋭くなる。浩介は足を少し後ろに下げ、剣を前に傾け突撃の姿勢をとった。
「後悔しても知らないよ?」
「お前が心配することじゃねぇな。いいからさっさと来いよ」
昴が面倒くさそうにそう言い放った瞬間、浩介は思い切り地面を蹴った。そしてあっという間に昴を間合いに入れると躊躇なく剣を振り下ろす。
だが昴はそれをいともたやすく横へと躱した。浩介の目が一瞬驚きに見開かれるが、すぐに体勢を立て直し、二撃、三撃と追撃を仕掛けていく。
「……流石は魔族といったところだね。随分躱すのが上手いじゃないか」
「そいつはどうも」
縦横無尽に迫りくる剣を昴は眉一つ動かさずにそれを避けていた。剣筋を完全に見切っており、必要最低限の動きだけでそれを躱している。
表面上は余裕を見せているものの浩介の内心は焦りを感じ始めていた。【身体強化】を施し、徐々に剣を振る速度は上がっているというのに全く当たる気配がない。
浩介は一旦昴から距離を取ると肩で息をしながら剣の切っ先を昴に向けた。
「やはり僕の考えは正しかったみたいだな!そんな動き、人間には不可能だ!」
「………………」
昴は芝居がかった口調で話し始めた浩介に無言で目をやった。
「玄田や前田のように僕達のことも殺すんだろう!?この魔族めっ!!」
「………………」
「だが残念だったな!僕は異世界からやって来た勇者だ!!お前らみたいな魔族からこの王国を護るのが僕の役目だ!!」
「言うじゃねぇか!!」
「天海君……かっこいい」
いきなり始まった勇者の高説に葵は嬉しそうに囃し立て、咲はうっとりしながら浩介を見つめている。一方、優吾達は何とも言えないような表情を浮かべていた。
「そろそろ化けの皮を剥いでもらおうか!素顔のお前を僕が叩き切ってやる!!」
観客の声もあり、浩介の声に益々力が入っていく。
「どうした!?ここまで言われても正体をさらさないのか!?」
「………………」
「それともその醜悪な姿をさらすのが怖くなったのか!?」
「………………」
「ならばそれでいい!僕は仮の姿のままのお前をこの手で」
「なぁ」
それまで何も言わずに浩介の話を聞いていた昴が静かに口を開いた。
「お前、俺が魔族じゃないって気づいてんだろ?」
昴の言葉に浩介の身体がピクッと反応する。一部の者達が驚きの表情で昴に視線を向けた。
「北村さんに聞いたんだ。昨日は魔族が入れないような結界を敷いてたって。俺がその結界の中には入れている以上魔族でないことくらいお前ならわかってんだろ?」
それを聞いた咲がはっと息を呑む。昴の言ったことは紛れもない事実であり、それは昴が魔族でないことを如実に証明していた。
昴の問いかけに浩介は何も言わない。急に静かになった浩介は地面を見つめたまま石像のように動かなくなった。
静まり返る訓練場。昴が無言で浩介の反応を待っていると、突然目の前で笑い始めた。
「なるほど!馬鹿ではないようだね!」
浩介は笑いながら顔を手で覆い隠すと指の隙間から昴を睨みつける。
「君を魔族ということにした方がみんなのショックが少ないという僕の配慮だったんだけど無駄だったみたいだね」
浩介は剣を下に向けるとゆっくりと魔力を練り上げ始めた。それを見た昴は眉をひそめる。
「なぜ魔族でもない君に剣を向けているかわからないようだね……それは君が魔族以下の悪魔であることを知っているからだよ!」
浩介はチラリと観衆に目を向けた。
「みんなは知らないだろうね。この男は過去に自分のクラスメートをその手で殺しているのさっ!!」
優吾達や雫以外の者達が驚愕の面持ちで浩介の方を見る。いい具合に自分への注目が集まっていることに気をよくした浩介がビシッと昴を指さした。
「直接手を下したわけではないさ……そうしたら少年院送りだからね。この男は自分の手は汚さずに同級生の女の子を追い詰め、自殺に追い込んだんだよっ!!」
声に憎悪をのせて昴にぶつける。昴の過去を知らない者たちが昴の方に視線を向けるが、否定をしないところを見て、それが事実であることを確信した。
「だから今回のように玄田や加藤を殺したとしても僕は驚かない!この男には前科がある!同級生を殺しても何とも思わないのさ!この悪魔め!!」
「………………もう我慢ならねぇ」
浩介のあまりの言い草に堪忍袋の緒が切れた優吾が飛び出そうとするも、ニールが肩を押さえてそれを止める。
「離せよ」
ニールを睨みつけながら優吾が冷たい声で言ったが、ニールは首を左右に振った。
「優吾君、落ち着いてください」
「あそこまで言われて落ち着いてなんかいられるか!!」
勢いよく振り返った優吾は亘と卓也を見てその動きが止まる。亘の眼鏡の奥の瞳には一切の光が宿っていなかった。いつも温厚な卓也ですら俯きながら怒りに顔を歪め「落ち着け……落ち着け……」とブツブツとつぶやいている。
「気持ちは分かるがな、ユウゴ。当事者が我慢しているんだ、お前が行くわけにはいかないだろ」
ニールが優吾を宥めながら横に目をやった。ニールの視線の先を目で追うとそこには尋常じゃない魔力を滾らせている美冬と、身体を震わしながら握り拳から血を流している雫の姿。それを見た途端、優吾の火照った頭が急速に冷却されていった。
「ニール……もう大丈夫だ。ありがとう」
ニールは静かに頷くと掴んでいた手を離す。優吾は静かに怒りを胸に抱きながら二人の成り行きを見守った。
「……言いたいことはそれだけか?」
「………………は?」
衝撃の過去を暴露されたというのに昴に動揺の色は一切ない。浩介は怪訝そうな表情で昴に目を向けた。
「頭の中がお花畑、ね……うまいこと言いやがる」
昴は真菜の言葉を思い出しながら苦笑いを浮かべる。そしてゆっくりと腕を上げ人差し指を上げるとクイクイッと動かし、浩介を誘った。
「おしゃべりはもういいだろ。さっさとその悪魔とやらを倒してくれよ、勇者様?」
「っ!?」
その仕草にカチンときた浩介は魔力を一気に最大まで溜め上げる。
「"勇敢なる生き様"」
浩介の身体がまばゆい光に包み込まれた。それを見たガイアスが焦りの表情を浮かべるが、昴は顔色一つ変えない。
「今までのはお遊びだ。ここからは本気で君を倒しに行く」
「……御託はいい。早く来い」
浩介は敵の姿を見据えると、全力で地面を蹴った。最初と全く同じ構図、だが最初とは全く異なっていた。
浩介が昴に向かって行った瞬間、あまりの速度に砂塵が舞い上がる。ただ動いただけだというのに、巻き起こった突風が周りで見ている者達にまで届いた。
昴はしっかりと浩介の動きを目で追い、顔目がけて突き出された剣をすんでのところで躱す。だが剣には触れていないというのに、その剣圧だけで昴の顔に切り傷が入った。
「本気で行くと言っただろ!!"勇敢なる生き様"を使った僕の剣は躱せる代物じゃない!!」
そのまま回転斬りへと派生させる。昴は後ろへと飛び退いたが、黒いコートに真一文字の線が入った。浩介はそのまま前へ前へと昴に詰め寄っていく。
「さっきまでの威勢はどうした!!逃げてばっかりじゃないか!!」
先程見せた連撃とは比較にならないほどのスピード。昴は躱すのに精一杯だとみた浩介が一気に勝負を決めにかかる。
「“一時の輝き”!!」
【聖属性魔法】の中でも初歩の初歩。一瞬だけ光を発するだけの魔法ではあるが、目くらましには十分であった。
浩介は昴の背後に一瞬で回り込むと剣を振り上げる。
「終わりだっ!!」
「………………”烏哭”」
浩介が勝利を確信したのと昴が魔法を唱えたのがほぼ同時。振り下ろされた剣は空を切り、浩介は標的を見失った。
「天海、お前に一つ言いたいことがある」
自分の後ろから声が聞こえた浩介は剣を構えて慌てて振り返る。だがそこには身体をひねり、もう既に蹴りを放っていた昴の姿があった。
「お前、弱いな」
昴の蹴りをまともに喰らった浩介は猛スピードで後ろへと飛んでいく。そして訓練場の端にある石の壁にまともに叩きつけられた。
「がはっ!!」
あまりの衝撃に呼吸ができなくなる。蹴られた腹に手を添え、朦朧とする意識で昴の方に目を向けると、いつの間にか握られている二本の短い黒刀から放たれた複数の黒い刃が自分目がけて飛んできているのが見えた。
死ぬ……!?
一瞬で死を連想させるほどの攻撃を前に、浩介は目を瞑って腕で顔を庇うことぐらいしかできない。
昴の撃った”飛燕”は全て浩介の身体を逸れていき、周りの地面や壁を切り刻んだ。浩介はゆっくりと目を開け、自分が無事であることを確認すると、恐る恐る周りに目をやる。昴の放った黒刃が当たった場所にはすべてに深い切れ込みが入っており、それが自分の身体に当たっていたらと思うと身体中から冷や汗があふれ出した。
「……そろそろ時間なんじゃないの?」
信じられない光景を目の当たりにし、昴を知らぬ者達が茫然としたまま声を出せないでいる中、ユミラティスが静かに声をかける。
「ん?あぁ、謁見か……もう行ってもいいですか?」
昴がガイアスに尋ねると、ホッとしたような表情で頷いた。勇者が本気を出した時にはどうなることかと思ったが、大した怪我もなく終わりガイアスは内心安堵していた。
「私が先導しよう。サロビア平原の戦いに参加した者達はついてきてくれ」
昴が何事もなかったかのようにその後について行く。そんな昴に近づいていった優吾が嬉しそうに肩を組んだ。
「なんだよ?」
「別に!ただスカッとしただけだ!!」
上機嫌な優吾を見て昴が苦笑いを浮かべる。他の者も続々とその後に続く中、雫だけが浩介の方に歩いていった。そして放心状態の浩介の前に立つと、思いっきり頬をひっぱたく。殴られたということが理解できなかった浩介が虚ろな瞳を雫に向けた。
「何も知らないくせに昴を語るんじゃないわよ。次同じことを言ったらビンタじゃすまさないから」
「会長……」
それだけ言うと、浩介の返事も聞かずに踵を返してスタスタと浩介のもとから離れていく。浩介はそんな雫の背中を何も言わずに見つめることしかできなかった。