6.疑い
翌日、雫達の部屋でぐっすりと休むことができたタマモが勢いよく食堂の扉を開けるも昴達が焦点の合わない目で朝食を食べていた。
「おはようなのじゃー!」
「……おう」
「……おはようございます」
元気よく挨拶したものの全員の反応は芳しくない。首をかしげるタマモの後ろから不思議そうに雫が顔を覗かせた。
「なんか疲れてない?」
「……このバカに言ってくれ」
優吾が持っていたスプーンでニールを指す。ニールは不機嫌な顔で箸を進めており、その前に座る美冬は目の前にある食事をぼーっと眺めているだけだった。
「一日寝なかったくらいで情けない。俺達は一週間は睡眠をとらなくても問題はない」
「竜人種と一緒にされても困るよ……」
卓也はため息をつきながら眠気覚ましのコーヒーを口へと運ぶ。
「寝なかったってあんた達一晩中何やってたの?」
さおりが目を丸くしながら優吾に尋ねた。一緒にいるところを見るに昨日はさおりと真菜も雫の部屋に泊まったようだ。
「……ババ抜き」
「ババ抜き?」
表情を曇らせながら答える優吾を見て、真菜が唖然とした表情を見せる。久しぶりに会ったから話し込んでいた、とかならわかるのだがこれは完全に想定外の答えだった。
「……もしかして美冬もなの?」
「…………迂闊だった。ニールがこんなに負けず嫌いだったとは」
ため息をつきながら言った美冬に雫が呆れ顔を向ける。どうやらニールが勝つまでババ抜きを終えることが出来ず、ニールの顔色を見る限りまだ終わりは迎えていないようだった。
「こんなバカ達は放っておいてあなた達もご飯を取ってきたら?」
いつの間にか自分の分の料理を持ったユミラティスが優吾の隣に座る。雫達もそそくさと朝食を持ってくると昴達の周りに座った。
それを見た浩介が眉をしかめる。他のクラスメート達も視線を向けてはいるが話しかける者はいなかった。いきなり現れたイレギュラーを前に誰もが警戒心を見せている。千里だけはニールに視線が釘付けだった。
口数少なく昴達は食事を進める。昴の斜め前に座る香織がチラチラと昴の方を見ているが、なにを言えばいいの変わらず声をかけ倦んでいた。そんな香織に気がついたユミラティスが助け舟を出す。
「ねぇ昴?昨日カオリと沢山話したのだけど、あなたカオリの事助けたんだって?」
「……助けたっていうかタックルをかましただけだな」
「そんな事ない!楠木君は私の事を助けてくれたよ!」
いきなり声を上げ立ち上がった香織を見て昴は目をパチクリした。香織はハッとしたような表情を浮かべると、顔を真っ赤にさせ席に座り、顔を俯かせる。
「……って本人は言っているけどどうなの?」
「まぁ北村さんが言うんならそうなんじゃねぇの?」
頬杖をつきながら尋ねてくるユミラティスに昴はそっけない調子で答えた。
「そんなカオリの前からお礼も聞かずにいなくなったそうじゃない?本当にひどい男ねぇ」
昴がパンを食べる手を止め顔をしかめる。ユミラティスの言いたい事を理解した昴は小さく息を吐くとパンを皿に戻し、香織に向き直った。
「いきなりいなくなってごめん。もしかしたら北村さんに心配かけちゃったかな?」
「いやいや楠木君が謝る事じゃないよ!確かに心配はしてたけど……生きていてくれて本当によかった!」
香織が目に涙を溜めながら嬉しそうに笑った。それを見た昴が少し照れたように頬をかく。
「……あなたにも素直に謝るって事が出来たのね?」
「……お前は俺をなんだと思ってるんだ」
意外そうな顔でこちらを見つめる真菜に昴がジト目を向けた。
昴達がそんな会話をしていると突然食堂の扉が大きな音を立てて開かれる。何事かと皆が目を向けるとそこには深刻な表情を浮かべたガイアスが立っていた。
「……全員いるな」
食堂を見渡し、異世界の勇者達の人数を確認したガイアスは皆の前に立つ。
「朝っぱらからすまない。どうしても貴殿らに報告しなければならない事がある」
「……一体何があったんですか?」
ガイアスが漂わせる雰囲気からしてただ事ではないと感じた浩介が真剣な眼差しをガイアスに向けた。
ガイアスは一つ大きく息を吐くと食堂にいる全員に聞こえる声で告げる。
「昨日、城の地下牢に閉じ込めていたタカヒト殿とケンジ殿が何者かによって殺害された」
一瞬ガイアスの言った言葉が理解できなかった異世界の勇者達はポカンとした表情を浮かべたが、すぐに驚きの波が押し寄せた。
クラスメートの死亡の報告は二回目なのだが、今回の方が遥かに衝撃が大きい。なぜなら、
「……殺されたというのは?」
全員が気にしているところを浩介が尋ねる。昴の時は一種の事故のようなものであったが、今回ガイアスは明確に殺しと断定した。
「現場の状況から自殺はありえないと判断した。ケンジ殿もタカヒト殿もスキル封じの錠をしていたため、スキルや狂気なしにあのような殺し方は出来まい」
「どのような殺され方ですか?」
「全身のいたるところから血が流れ出していた」
ガイアスの言葉を聞いた何人かが二人の死に様を想像したのか顔を歪める。
「死因はそれですか?」
「あぁ……外傷が全く見られないところから呪いの類だと思われる」
「呪い……!!」
咲が口に両手を運びはっした表情を浮かべると昴の方に顔を向けた。それにつられるように何人かが同様に昴へと目をやる。浩介もスッと目を細めて昴を睨みつけた。
バンっ!!
隆人の取り巻きである古川勝が机を叩きつけながら飛び跳ねるように立ち上がる。そして肩を怒らせながら昴のところまで近づいて行くと憤怒の形相を浮かべた。
「お前がやったのか」
「……さぁな」
こちらをちらりとも見ようとしない昴に腹を立てた勝が怒りに任せて机を蹴り上げる。食べ物は飛び散り、悲鳴をあげている者もいるが、そんなの御構い無しに昴の胸倉を掴むと無理やり引き寄せた。
「おい、古川」
「加藤は黙ってろ。もう一度聞く、お前がやったんだろ」
後ろからやって来た誠一に言い放つと、勝は胸倉を掴む手に力を込める。昴は一切怯んだ様子もなく、不愉快そうな顔で何も言わずに勝の顔を見つめた。
「おい!聞いてんのかっ!」
「……手を離せよ」
声を荒げる勝に昴は静かに告げる。その瞬間、勝の中でぷつりと何かが切れる音がした。頭が真っ白になりながら、無意識に昴を掴んでいない方の手を振り上げる。しかしその手が振り下ろされることはなかった。
「やりすぎだよ」
勝の手を掴んだのは浩介だった。無理矢理昴と勝の間に入り込み、掴んでいた勝の手を解かせる。まだフーフーと息を荒くして怒り心頭である勝を誠一が後ろで宥めた。
「とは言うものの僕は古川の意見に賛成なんだけどね」
浩介が昴に鋭い視線を向ける。
「楠木じゃないだろ。君は一体誰だ?」
「……何言ってんだ、お前」
突拍子も無い浩介の発言に呆れを通り越して驚きすら浮かべる昴。それを図星と勘違いした浩介が声のトーンを一段階上げた。
「僕の知っている楠木は君みたいなやつじゃない。もし魔族が扮しているしているなら、これ以上にないほどお粗末な変装だね」
自信満々に浩介は言い放つ。あまりの物言いに思わず雫が口を挟みそうになるが昴がそれを手で制した。
「それで?仮にそうだとしたらお前はどうするんだ?」
「その反応、やはり君は楠木じゃないね」
納得したように笑みを浮かべると浩介は昴に背を向ける。
「ついて来なよ。訓練場で化けの皮を剥いであげる」
「コ、コウスケ殿!?」
ガイアスの制止も聞かず、浩介は食堂から出て行った。浩介がいなくなった食堂にはなんともいえない微妙な空気が漂う。
「なんかおもしれぇことが始まりそうだな!」
そんな中、葵は楽しそうに笑いながら浩介の後を追っていった。それに続くように一人、また一人と食堂から出て行く。勝は気に入らなさそうに昴を睨みつけていたが、誠一に引きずられるようにしてこの場から立ち去った。
「スバル殿……」
ガイアスが不安そうな顔で昴の方に近づいてくる。昴は困ったように笑うと肩をすくめた。
「大丈夫ですよ。ガイアスさんはあいつが無茶しないように見ていてください」
「……かたじけない」
ガイアスは頭を下げると浮かない顔で訓練場へと向かっていった。
残されたのは昴と一緒の部屋にいた者と雫の部屋にいた者だけ。誰もが疲れたような表情をしていた。
「どうしちゃったんだろ天海君……楠木君は魔族であるはずないのに……」
「それはどうかな?あいつの言う通り魔族が扮しているのかもしれないよ?」
難しい顔をしながら悩む香織に昴がおどけた口調で言う。だが香織はきっぱりと首を横に振った。
「それはありえないよ。確かに楠木君は……その……前とはだいぶ印象が違うけど、昨日は私がアレクサンドリア全体に魔法を張っていたから魔族の反応があればすぐにわかるわ。楠木君は問題なく城へと入れたし」
「なるほど……魔族発見器のセンサーが働いていたってわけだな」
昴は顎をなぞるように触ると大きくため息を吐いた。
「めんどくせぇことになったな」
「まぁあれは昴君の態度が悪かったから自業自得だと思いますけどね」
亘がばっさりと言い切ると同意するように卓也と優吾が頷く。そんな四人に雫が怪訝な表情を向けた。
「貴方達……ガイアスさんの話を聞いてもそんなに驚いた風には見えなかったけど、何か知っているでしょ?」
「確かに……結構冷静だったよね」
雫の言葉を聞いて、香織が思い出しながら首を傾げる。
ガイアスが隆人達の死を知らせた時、ほとんどの者が驚いていたにもかかわらず、何故か昴達はあまり驚いていなかった。美冬の反応が薄いのはいつものことだとして、いつもオーバーリアクション気味な優吾ですら驚きが薄かったことが雫には引っかかっていた。
「まぁ……なんとなく予想はしていたからね」
「あぁ。行動の早さと大胆さには多少驚かされたが」
卓也の言葉に頷きながら優吾が答える。
昨日、隆人を脅している者がいるという仮説を立てていた優吾達は遅かれ早かれ、その人物は隆人を排除するべく動き出すと予想していた。その現場を押さえ、黒幕をあぶり出そうと考えていたが、敵に先手を打たれる形になった。
「予想ってなに?」
「んー……まぁおいおい話すよ」
敵の耳がどこにあるかわからない現状、こんな開放的な場所で詳細を話すわけにはいかない。昴に話をはぐらかされ、雫は不貞腐れたように頬を膨らませた。
「のぉのぉ。いまいち話がわからんのじゃが、スバルは今から何をしに行くのじゃ?」
話に全然ついていけてなかったタマモが昴の袖を引っ張る。
「俺もよくわからないけど、多分さっきのやつと手合わせしなきゃなんないだろうな」
「さっきのっていうとやたらと気障ったらしい動きをしていた者かの?あまり強そうには見えなかったんじゃが」
タマモの発言を聞いて香織が思わず目を丸くした。【勇者】のユニークスキルを持つ浩介は異世界の勇者の中でも頭一つ飛び抜けた戦闘力を持っている。そんな浩介を見てあまり強そうではないとは……無知なのか、それとも強者なのか。昨日のさおりの反応を思い出し、香織は後者なのだろう、と思った。
「さて、と。私達は冒険者ギルドにでも行こうか」
真菜に声をかけられたさおりが驚きの表情で真菜に目を向ける。
「えっ?あたし達も訓練場に行くんじゃないの?」
「勝敗が決まっている戦いになんて興味ないわ」
「じ、じゃあ玄田君達の件はどうするの!?」
さおりが慌てたように言うと、真菜はつまらなさそうに昴に顔を向けた。
「あなたが殺したの?」
「んなめんどくせぇことするわけないだろ」
「でしょうね。玄田君はともかく加藤君を殺すつもりだったんなら、彼が敵に回った時にあんな回りくどい戦い方しないでしょ」
それだけ言うと真菜はさっさと食堂の出口に向かって歩き出す。その後をさおりが慌てて追いかけて行く。
「ちょっと真菜!謁見はどうするの!?」
「欠席で」
雫が立ち上がりながら声をかけるがサラリと答えて食堂から出て行こうと扉に手をかけた。そんな真菜の方に昴が顔を向ける。
「望月」
「……なに?」
昴に呼ばれ、真菜が訝しげな表情で振り返った。
「俺があげた服、着て行かなくていいのか?」
「……頭の中がお花畑な勇者様の手で地獄に落とされなさい」
そうならないことなどわかっていながら真菜は不機嫌そうに言うと、そのまま乱暴に扉を閉めていった。それを見ながらニヤニヤと楽しそうに笑う昴に香織がジト目を向ける。
「……なんか楠木君と真菜ちゃん、仲良いね」
「ん?あぁ、あいつはからかうと面白いからな」
昴は答えると、少しだけ拗ねたような顔をしている香織には全く気づくことなく、その場で大きく伸びをする。
「あんまり待たせても悪いからな。勇者様の招待を謹んで受けるとするか」
軽い口調で告げると、昴は訓練場に向かって歩き出した。