5.悪意の行使
「うぅ…」
呻き声と共に目を覚ました隆人の目に飛び込んできたのは冷たい石畳であった。隆人は自分の置かれている状況を考える。身体の方は重度の筋肉痛のようにミシミシと軋むようであったが、頭の方は今まで霧がかかったようにモヤモヤしていたのが嘘のようにクリアであった。
どうやはここは地下牢らしい。手首には『スキル封じ』の手錠がされており、少し顔を上げると鉄格子も見える。気持ち程度に置かれた松明により、目を凝らせば近くがギリギリ見える程の明るさであり、湿っているのかカビ臭い匂いが鼻に付いた。
隆人は起き上がりながらどうして地下牢に入れられているのかを思い出す。
「そうか….俺は楠木を…」
記憶はひどく曖昧だった。いや、曖昧というよりは他人の記憶を見ているような、どこか客観視している自分がいた。
「…目を覚ましたのか」
自分以外誰もいないと思っていた隆人は突然声をかけられたことに驚きながら声のした方へと目を向ける。ぼんやりとしか見えなかったが、次第に暗闇に目が慣れていき向かいの檻にいる声の主の姿を確認することができた。
「…前田」
「よぉ」
健司は力なく笑いながら手錠で繋がれた手を上げる。さっきまでは健司を締め上げて自分を脅していた真意を問い詰めようと思っていたのに、今は微塵もそんな気にならず、むしろ親しみすら抱いていた。
「お互い酷い格好だな」
「…そうだな」
そう答えながら隆人は笑みを浮かべる。笑うのなんていつぶりだろうか、何故だか今は心穏やかでいられた。
自分が殺したと思っていた男がひょっこり現れたというのに、まったく興味がわかない。自分を脅していた者のこともどうでもいいとさえ思えていた。今はただ昔みたいに健司とこうして話せるのが心地よかった。
「…そういえばなんで前田は牢に入れられたんだ?」
隆人が尋ねると健司は少し困ったような顔で笑う。
「…それがなぁ、俺もよくわからないんだ」
「わからないって…冤罪か?」
隆人が眉をひそめると健司は首を左右に振った。
「牢に入れられる理由はわかるし、それは当然だと思う。わからないのはなんでそんなことをしたのかってことだな」
「…お前、何したんだ?」
隆人が鋭い視線を向けると、健司は座りながら少しだけ後ろに下がり、牢屋の壁に寄りかかる。
「…俺は魔族と協力して王国を潰そうとした」
「なっ…!?」
思いもよらぬ健司の言葉に、隆人は目を見開き絶句した。そんな隆人を見て健司が自嘲するように笑う。
「まぁそんな反応になるよな。俺もなんでそんな事をしたのかわからない。….でもあん時はそれが玄田を救うただ一つの道だと思ってた」
「俺を…救う?」
益々訳がわからないといった表情を浮かべる隆人の目を見ながら健司は頷いた。
「玄田の様子がおかしくなってから、俺はその原因を躍起になって調べてたんだ。そしたら玄田が王国のやつらに脅されているっていう話を聞いて…それで…」
健司は話しながら顔をうつむかせた。そんな健司に隆人は何も言うことができない。
自分を脅していたのは王国で、自分が疑っていたやつは身体を張って自分を助けようとしていた。隆人は血が滲むほど強く自分の手を握りしめる。
俺は…俺はなんて馬鹿だったのだろう。
心から気遣ってくれている仲間を疑って勝手に距離を置いて、挙げ句の果てには犯人扱い。あの時、昴がいなければ勘違いをしたまま健司を探し出し、殺してしまっていただろう。それだけあの時の自分は何もかもを恨み、周りを見ることなどしなかった。
「…すまん」
自然と口から出たのは謝罪の言葉。それが何に対するものなのか、謝らなければならない事が多すぎて自分にもわからない。
突然頭を下げられ、健司は一瞬ポカンとした顔になったが、すぐに安心したような笑みを浮かべた。
「なんだ…王国にケンカ売ったのも案外悪くなかったかもな。こうやって昔みたいに玄田と話せるようになったんだからな」
「…そうだな。俺ももう戻れないと思っていたが、そんな事は無かったんだな」
いつから違えてしまったのだろうか。『恵みの森』から帰ってきてから?脅されてから?昴を殺してから?
どれも違う気がする。昴を崖から落とした時にはもうすでに自分はおかしかった。まるで誰かに唆されているように昴を敵と見定め、排除することしか頭になかった。
だけど今の自分はあの時の自分とは違う。
今ならまだ間に合うだろうか?もう一度健司と…誠一も古川とも元通りの仲に戻れるだろうか?
いや戻れるように努力しなければならない。地面に頭を擦り付けてでもあいつらに許しを請わなければならない。
今の自分なら素直にそれができるような気がした。
昔みたいにバカなことやって、くだらない話をして、沢山笑って…そんな関係に戻れたら、こんな自分を脅すような陰気臭い国からはおさらばしよう。大丈夫、あいつらがいればどこでだって生きていける。願わくばあの人も一緒に…。
「それにしても王国の奴らはひでぇよな。別に脅さなくてもちゃんと魔族と戦うつもりだったのに」
隆人が妄想に耽っていると、健司が気に入らなさそうな顔で唇を尖らせる。その言葉を聞いた隆人はなんとも言えない違和感を感じた。
「魔族と戦う?」
「ん?そうでしょ?」
健司が不思議そうな顔をこちらに向ける。どうにも話が噛み合っていない気がしてならない。
「…そういえば健司はどういう話を聞いたんだ?」
「えーっと…俺達異世界の勇者がちゃんと魔族と戦うように王国の奴らが弱味を見つけて脅してる、とかそんな感じだったかな?その最初の犠牲者が楠木を見捨てた玄田だった、って…」
ちゃんと魔族と戦うように?楠木を見捨てた?
違う。俺は楠木を見捨てたんじゃない、殺そうとしたんだ。しかも脅されてやっていたのは異世界の勇者の調査だ。あれはどちらかというと王国のメリットというよりも魔族の…。
そこまで考えて隆人はハッとした表情を見せる。早くなる鼓動を抑え、真剣な表情で健司を見つめた。
「前田…お前にその話をしたのは誰だ?」
「あぁ、それは」
「おしゃべりはそこまでにしていただきましょうか」
地下牢に響き渡る第三の声。二人は反射的に声のした方へと顔を向ける。そこには見慣れた顔が見慣れない服を着て立っていた。健司がチラリと隆人に視線を向け、訝しげな表情を浮かべる。
「なんでお前が…」
その瞬間、健司の口から大量の血が溢れ出した。いや、口からだけではなく鼻や目、耳に至るまで、ありとあらゆる穴から血が流れ出している。
愕然とした隆人が健司に声をかけようとするがなぜか口が動かない。それどころか金縛りにあったように全身の自由が効かなくなっていた。
「やはりスキルの恩恵というのは計り知れないですね。それを失った者などこの世界では脆いものです」
目の前で血を吐いている人間がいるというのに、何も感じていないような声で静かに呟く。隆人は必死に力を振り絞り、ゆっくりと首を動かすと現れた者の方に向いた。
その者は漆黒のローブに身を包み、ゴミを見るような目で隆人達を眺めている。その表情は自分が知っているものとはかけ離れており、隆人は心の底から恐怖を感じた。
そんな隆人の視線に気がついたローブの者は冷ややかな笑みを浮かべる。
「もう長くはないでしょうから冥土の土産に教えて差し上げます。…もう察しはついていると思いますがあなたを脅していたのは私です」
隆人の目が驚きに見開かれた。それを見たローブの者はますます笑みを深める。
「なかなか楽しい見世物でした。恋敵を殺したあなたが私の手のひらで踊り狂っているところは。まぁ、実際は憎んだ相手すら殺すことができない使えない人でしたけど」
こいつが俺を…。隆人の身体に激情の波が押し寄せるがもう指一本も自分の意思では動かさなかった。
「あなたの働きはそれなりに役に立ちました。安心して地獄に落ちてください。…それではご機嫌よう」
視界が赤に染まる。最後に映ったのは近づいてくる地面だった。テレビが消えるように、そこで隆人の意識はぷつりと途絶える。
血溜まりに沈む二つの死体を見ながらローブの者は大きくため息を吐いた
「楠木昴…まさかあの男が生きていたとは…」
もう少しの間、隆人で遊ぶつもりだったのだが、予定外の男の登場により計画の変更を余儀なくされる。
「まぁ、クズが一つ増えたところで問題はありませんか」
昴のことは知っている。呪われているだかなんだか知らないが、武器もろくに使えないような異世界の勇者達のお荷物。そんな男が生きたいたからといって何ができようか。
「…一応報告だけはしておきましょうか」
ローブの者は考えを改める。あの男はどうでもいいとして、一緒にいる者達は得体が知れない。万が一にも自分達の邪魔になる可能性を鑑みて情報を共有する方がいいだろう。最後にもう一度だけ二人だった物に目を向け、この場に興味がなくなったかのようにあっさりと踵を返すとそのまま音もなく地下牢の階段を上っていった。