41.ティア、報告を受ける
アレクサンドリア城、女王の寝室ではティア・フォン・アレクサンドリアが今日一日の出来事を記録しておくため机に向かっていた。だがいざ書こうとしてもなかなか筆が進まない。思い出すのは与えられた書類にハンコを押す自分の姿だけ。毎日が同じ事の繰り返しであるため、見返してみても書かれた内容に大差はなかった。それを見ていると自分がいかにこの王国にとって不必要な存在なのかを突きつけられているようで、耐えきれなくなったティアはパタリと日記を閉じ、深くため息を吐く。
コンコン。
そんなティアの部屋にノックの音が響き渡った。今は城の誰もが寝静まるような夜更け。ティアも湯浴みを終え白いネグリジェ姿であり、日記を書いたら就寝しようと思っていたくらいの遅い時間に誰かが自分の部屋へとやってきた。
そもそも夜中でなくても自分の部屋に誰かが訪ねてくる者など皆無であるのに、一体こんな時間に誰が何のために来たのであろう。
ティアは不審に思いながらも無視するわけにはいかず、椅子から立ち上がると恐る恐る扉へと近づき鍵を開けた。
遠慮がちに扉を開いたのはティアの予想外の人物であった。
「…モーゼフ?一体どうしたのですか?」
部屋の外に立っていたのはアレクサンドリアの宰相であるモーゼフ。厳格な性格をしており、知識も深いため異世界の勇者達の教育係にも任命されている。
宰相という立場上普通であればティアとの接点は多いはずなのだが、大臣のカイルが国政を担っているため、面と向かって話した事はほとんどない相手であった。
モーゼフはティアを見ると申し訳なさそうな表情で頭を下げる。
「こんな夜遅くに申し訳ございません、陛下。至急お耳に入れたいことがございまして…」
モーゼフの言葉を聞いてティアは更に驚かされた。
本来、ティアへの報告はカイルの役目でありモーゼフが直接来るという事は今の今まで一度もない。まさかカイルの身に何かあったのでは…?そんな不安が顔に出ていたらしく、 いつも真面目な顔をしているモーゼフが不器用な笑みを向けた。
「そんなに不安がる内容ではございません。カイル殿には明日伝えればいいと言われましたが、私がどうしてもすぐにお伝えしたく参上した次第です」
「そう、ですか…とりあえず中に入りますか?」
モーゼフの様子を見るに悪いことが起きたわけではなさそうである。ティアは内心胸を撫で下ろし、部屋に入るように促したがモーゼフは手を上げてそれを拒否した。
「女王陛下の私室に足を踏み入れるなど畏れ多くてとてもとても…。そんなに長くならないが故、ここで報告する事をお許し願いませんでしょうか?」
「…わかりました。ならばここで聞かせていただきます」
ティアの許可をもらいホッとした様子のモーゼフは何から報告すべきか少し頭の中を整理する。
「いくつかあるのですが…大まかにいって良い報告が二つと悪い報告が一つ、といったところでしょうか。どちらからお聞きになられますか?」
「それは………悪い方でお願いします」
「わかりました」
そう言うだろうと思っていたモーゼフは居住まいを正し、表情を引き締めた。
「今回の魔族による侵攻、残念ながらこちらの勢力から離反者が出ました」
「離反者…」
「はい。具体的には異世界の勇者、【魔物使い】のケンジ殿が魔族側についたという情報が届いております」
「そんな…!」
ティアは思わず口元に手を当てる。予想だにしていなかった事実。まさか魔族の味方をする者が、しかも異世界の勇者から出るとは夢にも思っていなかった。
そもそもメリットがわからない。彼らの目的は元の世界に帰ること。そのために魔王を倒すという使命を帯びて、この城で厳しい訓練を積んでいたというのに…まさか魔族には彼等を帰す手立てがあるというのか。そうであれば異世界の勇者達は皆が魔族の軍勢にくだってしまうのではないだろうか。
いやそんな簡単に異世界転移などできるはずがない。であれば自分の統治に嫌気がさしてしまったのであろうか。自分がもっとコミュニケーションを図っていれば防げた事態なのではないだろうか。
あらゆる考えが浮かんできて頭がパンクしそうだった。その場でふらりと倒れそうになるティアを見てモーゼフは慌ててティアの身体を支えた。
「陛下!お気を確かに!!」
「すみません、大丈夫です。…離反した理由はわかりますか?」
「そこまでは聞いておりません」
「そうですか…」
そう答えながらゆっくりと離れるティアをモーゼフは心配そうに見つめる。ティアは気を強く持ちながらモーゼフに頭を下げた。
「ご心配おかけしました。もう大丈夫です」
「…離反者が出た事は陛下が気に病むことではございません」
「ありがとうございます。…悪い知らせというのはそれで終わりでしょうか?」
「はい」
モーゼフの答えにティアは心の底から安堵した。今の精神状態の自分にはこれ以上のことは耐えられそうにない。
「それでは良い知らせを聞かせてください」
今のこの気持ちを吹き飛ばすような事を期待しながらティアが静かに告げる。そのの言葉を受け、モーゼフは先程よりも柔らかい表情になった。
「サラビア平原において魔物を使った魔族達の侵攻は異世界の勇者らによって食い止められました」
「っ!?そ、それは本当ですか!?」
「一足先に戻ってきた騎士団の者からの情報なので確かだと思われます」
ティア頭の中が一瞬真っ白になる。そしてすぐに喜びが身体中を駆け巡った。
悪い知らせも予想外の内容であったように、良い知らせも自分の予想の範疇を超えていた。
嬉しさのあまりに我を忘れて飛び上がりそうになるのを必死に堪えながらティアはモーゼフに尋ねる。
「それは大変喜ばしいことではありますが…ケンジ様はどうなったのでしょうか?」
「報告によれば話し合いによる解決は見込めず、戦いにはなったものの何とか生きて捕らえているということです」
「そう、ですか…」
捕らえられているという事実に胸を痛めたティアであったが、生きているという事に少しだけ救われる思いであった。彼がどのような思惑で裏切ったとしても、それはこちらの落ち度である可能性が高い。それなのに裏切ったから殺す、などという事になったら他の異世界の勇者達にも顔向けすることなどできない。
そんなティアの心の内がわかっているかのようにモーゼフが笑みを浮かべた。
「戻ってきたら少しの間は牢に入る事になりますが、彼等は元々こちらの世界の住人ではない。もう魔族の側にはつかないと約束さえすれば、こちらも寛大な処置をくだせるでしょう」
「そうですね。元はと言えばこちらが助けていただいてる立場なんですから偉そうな事は言えません」
ティアが微笑みながら言った。最近ほとんど笑顔を見せることがなくなった女王のそんな顔が見られてモーゼフは少しだけ安心する。
「それで…ケンジ様を生きたまま捕まえることができた、という事が二つ目の良い事なのでしょうか?」
ティアの質問にモーゼフは笑顔で首を横に振った。
「今回の戦い、魔族の力が予想以上に凄まじく、我等が騎士団と異世界の勇者はかなりの苦戦を強いられたと聞いております」
「そうなのですか…勇者様達ですら苦戦したのですね」
戦いの「た」の字も知らないヒヨッコであった彼等も今では王国でも上位の力を有している。そんな彼等が苦戦したとは、それだけ魔族というのは強力な種族であることをティアは再認識させられる。
「無数の魔物、勇者にも匹敵する魔族達。勝てる見込みなどほとんどなかった、と戻ってきた騎士は言っておりました」
「それほどですか…ではどのように勝利を?」
「戦いの途中で新たな味方が現れたらしいです」
「味方…ですか?」
全く心当たりがないティアは不思議そうに首をかしげた。
「えぇ、『龍神の谷』から無事帰還したユウゴ殿達が参戦してくださったのです」
「まさか…無事に戻ってきたのですね!!」
いつ以来だろう、こんなに幸せな気持ちになったのは。自分が知らぬ間に人柱として送られていた優吾達が生きて帰ってきた。訓練場での事を思い出しズキリと心が痛んだが、それでも嬉しい事には違いなかった。これで皆さんに謝る事ができる、そう思うと胸にのしかかっていた重荷が少しだけ軽くなったような気がした。
「しかし」
モーゼフの逆説の言葉によってティアは現実へと引き戻された。
「【賢者】のミフユ殿は確かにお強いですが、それでも【聖騎士】のシズク殿と同等か少し劣る実力。他の三人は非戦闘系のスキルであるがため、魔族の力を打ち破るには至らないでしょうな」
「それはっ…!そうですね…」
モーゼフの言葉を咄嗟に否定しようとしたティアであったが、残念ながらその言葉は非常に的確であり反論の余地などどこにもない。
【聖騎士】の雫と【勇者】の浩介は異世界の勇者の中でも群を抜いて高い戦闘力を誇る。そんな雫がいても魔族相手に苦戦をしたということはそんじゃそこらの戦力では戦況を変えることなどできない。
「ならばどうやって…?」
「それは当然の疑問でしょうな…私も騎士団に同じ問いかけをいたしました」
ティアは真剣な眼差しでモーゼフの言葉に耳を傾ける。少しだけ黙ったモーゼフは頭の中で騎士から聞いた話を噛み砕きながら静かに口を開いた。
「突如として戦場に現れたのは四人。その内三人は人属ではなく、その誰もが一騎当千の実力を有していたらしいです」
「三人の他種族?」
「えぇ。その者達は瞬く間に魔物を蹴散らし、魔族どもを打ち滅ぼし、一気に優位な戦況へと流れを変えました。…彼等を連れてきた人物には感謝しなければなりませんね」
「…その人物というのは?」
ティアが平静を装いながら問いかける。
その人物が皆目見当がつかないというのに、何故だか自分はその人物を知っているような気がした。
らしくない悪戯めいた笑みを浮かべるとモーゼフはその人物の名前を告げる。
「まさか生きておられるとは…スバル殿が強力な仲間を連れて駆けつけてくれたのです」
ドクンッ。
心臓が高鳴る。
「う…そ………」
ドクンッ。
喉がカラカラと乾いて掠れた声しかあげられない。
「嘘ではありません。もしこれが嘘であればその騎士を極刑に処さなければならないほど悪質なものですぞ?」
ドクンッ。
呼吸が荒くなる。
「陛下が彼の死を心の底から悼まれていたのを存じておりましたのでこんな夜更けにお邪魔させていただいたというわけです」
ドクンッ。
何も考えることができない。
「恐らく明日の朝にでも謁見に来ると思います。此度の戦いで力を振るった彼等に女王自ら労いの言葉をかけてやってください」
「…そうですね」
全く気持ちのこもっていない返事だったが、そうなるのも無理はないとモーゼフは微笑みながら頭を下げる。
「こんな遅くに申し訳ありませんでした。私からの報告は以上になりますのでこれにて失礼させていただきます」
「…報告ご苦労様でした」
心ここに在らずといった感じのティアを優しく見つめながらモーゼフは静かに扉を閉めた。
一人残されたティアはおぼつかない足取りでベッドまで移動すると、その上にストンと腰を下ろした。そしてそのままの体勢でベッドへと倒れこむ。
「どうして…?」
ティアの口からでたのは疑問の言葉であった。
楠木昴。『恵みの森』での実地訓練の途中で行方不明となり、捜索隊が組まれた結果、状況から死亡したものと思われていた。
そんな彼が生きていた。これは紛れもなく喜ばしいことなのだ。
実際ティアも喜んではいる。しかし優吾達が生きていたと知った時とは全く違う感情がティアの中に溢れていた。しかもその感情はティアが抱いたことがない、全く未知の感情。まるで自分ではない誰かが抱いているかのようであった。
最初からなんとなく自分でもおかしいと思っていた。アレクサンドリアは今魔族との戦争の真っただ中。それでなくても常に死と隣り合わせであるこの世界では自分が知っている人が死ぬことなどさして珍しいことでもない。昨日酒を飲み交わした友が、今日になって死体となって自分の目の前に現れるということが平気で起こる世界なのだ。
だというのに自分は、声も知らない、話したこともない、顔もほとんど覚えていない、そんな男がいなくなってしまってなぜあんなにも涙を流したのであろう。
異世界からこちらの都合で呼び出したという負い目があったのは事実だ。だがそれだけの理由で自分はあそこまで悲しむことができるのであろうか。
「スバル様…あなたは一体何者なのでしょうか…」
呟かれた言葉に答えるものはいない。ティアは明日の謁見に思いを馳せながらゆっくりとその瞳を閉じていった。