39.魔族の動き
魔王城、会議室。
青髪の美女、'魔将'ベリアルが一人席に座っていると会議室の扉が乱暴に開かれる。そこから憤怒の形相をした金髪の大男とつまらなさそうな面持ちの麗人が入ってきた。
「くそがっ!!」
部屋に入るなりオセは中央にある円卓を力任せに殴りつける。机は木っ端微塵に砕け散り、立ち上る埃に後ろに立っていたリリムが顔を顰めた。
「あーやだやだ。男のヒステリって本当醜いわよね」
「なにぃ!?」
オセがものすごい剣幕で睨みつけるも、リリムは鬱陶しそうに手をパタパタとはたきながらその辺にある椅子に腰を下ろす。
「遠征ご苦労であった。首尾を聞こうか?」
「………ちっ!!」
オセの荒れっぷりに眉ひとつ動かさなかったベリアルが尋ねるとオセが憮然とした表情で顔を背けた。するとリリムがニヤニヤと笑みを浮かべながらベリアルに顔を向ける。
「我らが'獣将'様は意気揚々と戦いに赴いたはいいものの、手下をみんな討ち取られてすごすごと戻って来ちゃいました」
「リリム!!てめぇ!!」
「何か間違いはあるかしら?」
リリムが鋭い視線を向けるとオセは悔しそうに口を噤んだ。ベリアルが思案に耽るように自分の口元に指を添える。
「まさかオセを打ち払う戦力を王国が有しているとは誤算だった。異世界の勇者達はそこまで成長していたというのか?」
「異世界の勇者達は肩透かしな連中ばっかだったわよ?問題は途中で参戦した子達ね」
「途中参加?」
ベリアルが顔を向けるとリリムが意味ありげな笑みを浮かべた。
「あら?あなたも知ってる人よ?ベリアル」
「我が?」
「そうよ」
「それは誰だ?」
眉をひそめるベリアルをリリムが楽しげに見つめる。それを見たベリアルが眉をピクリと反応させると、リリムは更に笑みを深めた。
ベリアルは微かに苛立ちを感じさせる声でリリムに再度尋ねる。
「リリム。それはいったい誰かと───」
「'ジョーカー'」
リリムの告げた名前にベリアルの表情が固まった。
それは前に一度聞いたことがあるもの。リリムに命じたガンドラの街への襲撃、それを阻んだ者の名前。些細なことと捨て置いたものの、自分の中に一抹の不安を抱かせた名前。
「…それだけじゃない。そいつの仲間にあの竜人族もいやがった」
自分の世界に入り込んでいたベリアルがオセの言葉で現実へと引き戻される。
「他に仲間がいるかはわからねぇが、少なくともその二人に関しては、仮に殴り合ったらオレ様でも手を焼くような奴らだった」
「獣将とも呼ばれるお前が、か」
「認めたくねぇが事実だ」
オセは不機嫌そうに、だが冷静にベリアルに告げた。
オセは魔族の中でも、こと接近戦においては右に出るものはいないと自負しており、絶対の自信を持っている。そんな彼にそこまで言わせる二人は我々魔族にとって障害になる事は火を見るより明らかであった。
「それでどうするの?危険な芽は早めに摘んどく?」
ベリアルのそんな胸中を見透かしたようにリリムは尋ねる。その目は試しているようにも挑発しているようでもあった。
「………今はそれよりも優先すべき事項がある」
しばらく悩んだ後、ベリアルは静かに口を開いた。その言葉にオセがいきり立つ。
「厄介な奴が敵にいるんだぞ!?そいつらを潰すより大事なことなんかあんのかよ!?」
今にも殴りかかりそうな程詰め寄ってきたオセに目をやると、ベリアルは何も言わずに立ち上がった。そして会議室の出口へと向かって歩き出す。
「おい!ベリアル!!」
「付いて来い。二人ともだ」
有無を言わさぬ口調でそう告げるとベリアルら部屋から出て行った。オセは舌打ちをすると険しい表情でベリアルの後を追う。リリムも肩を竦めながらため息を吐くとその後に従った。
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ベリアルに二人が連れてこられたのは魔王城の地下。召集があるたびに幾度となく城を訪れている二人であったが地下に降りた事は一度もなかった。
五メートル程の巨大な両開きの扉をベリアルが開くと、そこは多種多様な魔道具が所狭しと並べられた研究所のような部屋であった。液体で満たされた透明な筒状のものには魔物よりもおどろおどろしいものがつめられており、時折生きているかのように動いている。
「こ、ここは…!?」
「おやおやこれは珍しいお客さんだのぉ」
魔王城にこんな部屋があったのか、と驚いている二人に怪しげな笑みを浮かべた白髪の老人が声をかけた。
「'妖将'殿と'獣将'殿がこんな陰気なところになんのようですかな?」
興味深そうに二人を眺めるグシオンの前にベリアルが腕を組みながら立つ。
「グシオン、戯れはいい。我が連れてきたという事で用件は分かっているのだろう」
「ふぇっふぇっふぇっ…怖い怖い」
言葉とは裏腹にグシオンは楽しそうな様子で研究室の奥へと進んでいった。オセとリリムは黙ってそれに付いて行き、そして目の前に現れたものを見て驚愕に目を見開く。
「驚いたわね…」
「こ、こいつが…魔王かっ!?」
オセは冷や汗を流しながらその場でたじろいだ。いつもは余裕を見せているリリムですら表情を強張らせている。
二人の前にはオセにも匹敵するほどの大柄な魔族が氷の中で眠っていた。眠っているはずなのに、その夥しい程の魔力がこの部屋にいる者達を包み込む。そして動くことがない身体からはひれ伏したくなるような圧倒的な威圧感が溢れ出していた。
「このお方が五百年前においてこの世界に恐怖と絶望をもたらした魔王だ。…今は見ての通り氷霊種により封印されてる」
ベリアルの声に、氷漬けにされた魔王に見とれていた二人が我を取り戻す。
「封印されてるってまだ解けていないの?」
リリムがいつにもなく真面目な顔で問いかけるとベリアルは静かに頷いた。オセは額から汗を流しながら乾いた笑みを浮かべ、魔王の方に目をやる。
「封印されててこれだけ力を放てるのかよ…バケモンだな」
ベリアルは遠慮のない足取りで近づくと、そっとその氷に触れた。
「封印を解く目処はたったのか?」
「ふーむ…ここの設備はちと古くてなぁ…儂の研究所であればもう少し詳しく調べられるのだがのぉ…」
「ここから出すことは許さん」
ベリアルがぴしゃりと言い放つとグシオンはやれやれ、と言った様子で首を左右に振る。
「それならば氷霊種の女王を逃したのは痛手であったのぉ」
「…それは我のミスだ。許せ」
ベリアルは素直に頭を下げる。
霊峰ギルガに攻め込んだとき、魔族達が見つけたのは封印された二つの氷塊であった。一つは探し求めていた物、そしてもう一つは今回の遠征で一番の障壁と考えていた女であった。
なぜ封印されていたのか、理由は分からなかったがこれを好機と他の氷霊種を無力化し、想像していたよりも容易に魔王の身体を手に入れることができた。
ベリアルは部下の魔族達に魔王の身体を運ばせ、念のためにもう一つの封印には部下を配備させ城に帰ってきた。しかし実際に魔王の封印を見たグシオンに氷霊種の女王が必要と告げられ、急遽戻ったのであったがそこにあったのは無惨にやられた部下の姿と封印の解かれた氷の破片だけだった。
「この封印を解くには氷霊種の女王の力が必要となる。…もうお前達がやるべき事はわかるだろう」
ベリアルはゆっくりと振り返り二人の顔に目をやる。
「氷霊種の女王、ユミラティスの身柄を確保しろ」