37.お礼
真菜は昴に近づいたものの声をかけあぐねていた。元の世界にいた時も、自分が男子と話すのは最低限の事務連絡か、命知らずの男子が告白してきた時に一言でばっさりと切り伏せる時だけ。自ら進んで話しかけたことなどなく、ましてやお礼などなんと声をかけていいのかわからなかった。
それでも昴が二度も真菜の命を救ってくれたことは事実。下手するとリリムの時も救ってくれたと考えられるので三度も助けられていることになる。男相手にそんなにも借りを作るなんて真菜にとってはあってはならないことだった。
昴のすぐ後ろを歩き咳払いをすると意を決したように昴に話しかけた。
「助けてくれてありがとう」
少し小さな、それでも務めて普段通りの凛とした声で言ったのだが、昴は何の反応も示さない。不審に思いながらも、声が小さすぎたのかも、と考え、真菜は渋々もう一度声をかけることにした。
「楠木君。助けてくれてありがとう」
「……誰かがなんか言ってるような気がするけど、もう少し大きな声で言ってくれないとよく聞こえないなー」
昴がわざとらしい口調で独り言を呟く。真菜が近づいてきていることなど気配で察しており、今の声も聞こえていた昴であったが、こんなからかい甲斐のあるシチュエーションをみすみす逃す男ではなかった。
昴の考えを察した真菜の額にピキッと青筋が立つ。そもそもこんな男に素直にお礼を言うこと自体が間違いだったのだ。自分はちゃんと感謝の言葉を告げた事だし、もう無視してもいいのではないか?
そう考えたのだが、からかわれっぱなしが性に合わない真菜はなんとか昴の鼻を明かしてやりたいと必死に頭を巡らせる。その結果、ある事を思い出し、一瞬ニヤリと笑みを浮かべると、またすぐに無表情に戻る。そして、おもむろに昴の横へと移動し、顔を向けた。
「あれ?踊り子さんじゃないですか?どうしたんですか?」
昴がニヤニヤしながら隣を歩く真菜に話しかける。それまで無表情だった真菜が男ならドキッとするような魅惑的な笑みを昴に向けた。
「色々と助けてもらったからお礼が言いたくて……ありがとうね、'ジョーカー'さん?」
ぴしりっと昴の表情が硬直する。それを見た真菜は満足そうに鼻を鳴らすと勝ち誇ったような表情を浮かべた。にやけ面から膨れっ面にシフトチェンジした昴は後ろを歩く優吾を睨みつける。
「あのバカ……魔族だけじゃなくて厄介な奴にも知られちまったじゃねぇか」
「あらいいんじゃない?羨ましいわ。'ジョーカー'なん素敵な二つ名があって」
「うるせぇ!俺だって好き好んでこんな二つ名名乗ってるわけじゃねぇよ!」
拗ねた口調の昴を前に、真菜の笑みがますます深まった。だが、こんなものでは踊り子の衣装やお姫様抱っこの恨みは晴らせていない。
「かっこいいと思ってるんでしょ?自分が納得しているならいいじゃない?'ジョーカー'さん」
「納得なんかしてるわけねぇだろ!」
「それにしても'ジョーカー'だなんて、普通の神経じゃ絶対名乗れないわね。それを恥ずかしげもなく名乗っているなんて流石は'ジョーカー'さんね」
「何度も'ジョーカー'って言うな!」
「私も'ジョーカー'さんみたいにみんなが憧れちゃうような二つ名を目指してみようかしら」
「だから'ジョーカー'って…!」
「でも、私だったら'ジョーカー'なんて死んでも呼ばれたくないわ。ねぇ、そう思わない?'ジョーカー'さん?」
「………勘弁してくれ」
'ケルベロス'の猛攻にも屈しなかった昴が度重なる真菜の言葉に心が折れる。真菜は満足げな笑みを浮かべると、表情を真面目なものにした。
「でも、感謝してるのは事実よ。ありがとうね」
「気にすんなって。同じ状況なら望月も同じことしただろう?」
「……それはどうかしらね」
真菜は昴から視線を逸らし前を向く。さおりや雫が危険な目にあっていたら確実に助けに入るだろうが、話したこともないような者を助けるほどお人好しではないと自分では思っている。だから昴にそんな事を言われるのは心が痛かった。
「楠木君は二つ名があるってことはランクBの冒険者なの?」
なんとなくこの話題を終わらせたかった真菜が違う話題を昴に振る。また二つ名の話か、と一瞬顔を顰めた昴であったが真菜の雰囲気がからかうような感じではなかったため、軽く肩を竦めた。
「俺はランクAだよ。ガンドラの街で色々あったからな」
「ガンドラの街で?その割には'ジョーカー'の名前はあんまり聞かないわね」
「ランクAになってからほとんど依頼をこなしてなかったからな…ガンドラの街では大人しくしてた」
昴はガンドラの街では、というところを強調する。港町ルクセントの冒険者ギルドではタマモと一緒に大暴れした事を思い出し、苦笑いを浮かべた。
「……それでもランクAの冒険者が生まれたって事ならアレクサンドリアの冒険者ギルドでも噂になると思うけど?」
真菜が納得できないような表情を浮かべる。冒険者が新しいランクA冒険者に興味がなかったのか、もしくはガンドラの冒険者ギルド長であるサガットが何かをしたのか。恐らく後者だろうな、と昴は思った。昴が目立ちたくないのを知っているサガットが裏から手を回してガンドラの街の冒険者に口止めをしたのであろう。相変わらず食えない爺だった。
「噂にならなくて結構。望月みたいな奴に知られたらまた厄介なことになる。俺は目立ちたくないからな」
「でも、今回の戦いで実質国を救ったことになるからランクSの伝説的な冒険者になっちゃうんじゃない?」
「……それはまじで困る。もしそんなことになったら俺は全力で拒絶するぞ」
げんなりした表情を浮かべる昴を真菜は面白そうに見つめる。
「拒否してなんとかなるものなのかしら」
「いざって時は俺の仲間と異世界の勇者様に全部なすりつけてやる」
「本気でランクSになりたくないみたいね。……どうして?」
真菜が不思議そうに小首を傾けた。昴はちらりと真菜の方に目を向けると盛大にため息をつく。
「さっきも言ったけど俺は目立ちたくないんだよ。目立てば大体面倒臭いことになる。俺は面倒臭い事は嫌いなんだ」
「目立ちたくないって、あれだけ大立ち回りをしといてそれを言う?」
若干あきれた様子で真菜が言うと、昴はバツが悪そうな表情を浮かべた。
「それに面倒臭い事が嫌いなら今回の件も絡まなければよかったじゃない。どう考えても触らぬ神に、の状況よね?」
「面倒臭い事は嫌いだけど、ここでお前らの事を見捨てたらもっと面倒臭い事になるんだよ」
「もっと面倒臭い事?」
「……なんか心がもやもやすんだろうが。ずっとつきまとうからそっちのがよっぽど面倒臭せぇんだよ」
昴の言葉を聞いた真菜は目をぱちくりさせると楽しげにクスリと笑う。
「なにそれ。楠木君って変な人なのね」
「うるせぇ」
昴は不機嫌そうにプイッとそっぽを向いた。あんな化け物じみた強さを持っていてもやっぱり自分達のクラスメートなんだ、と再確認した真菜は心の中で安堵する。そして子供のように拗ねている昴を優しげな笑みを向けていた。
「ま、真菜があんな顔で男の子と話している初めて見た……」
真菜の親友であるさおりは目を丸くしながら二人の方を見つめている。
「そういえば学校でも男の子と話しているところ見た事ないなぁ」
雫がしみじみといった感じで言うと、さおりは激しく首を縦に振った。
「基本的に男子が苦手っていうか嫌いだからね。話してることすら驚きなのに…」
さおりはまだ信じられないといった顔をしている。それを見た雫が苦笑いを浮かべた。
「まぁ、相手が昴だからね」
「……美冬っちも同じようなこと言ってたけどなにそれ、魔法の言葉なの?」
納得がいかない表情を浮かべるさおりに.雫は困ったように笑いかけるだけだった。さおりは再び前を歩く二人に目を向ける。
「本当に信じられない……」
普通の女の子のように笑う親友の姿を見て、さおりは静かに呟いた。