35.魔性の女
突然現れた謎の美女に全員が困惑したような表情を浮かべる。ただ一人、オセだけは苦虫を噛み潰したような顔で美女を見ていた。
「リリム…何しに来やがった?」
オセが恫喝するような声音で尋ねるがリリムと呼ばれた魔族は指を唇に当てながら昴達を眺めている。
昴はオセの動きに警戒しながらリリムを観察した。かなり露出度の高いボンテージに花も恥じらうほどの美貌。さらに男を魅了するようなプロポーションは男の視線を釘付けにするには十二分な破壊力であった。
「胸を見過ぎ!」
「いたたたっ…」
昴の後ろで鼻の下を伸ばしていた優吾がさおりに耳を引っ張られうめき声をあげた。その隣では亘が誤魔化すように眼鏡の位置を直しながら咳払いをする、が視線はリリムから一切離れない。二人でなくても思わず凝視したくなるような格好をしているリリムがなぜこの場に現れたのか昴には測りかねていた。そしてそれ以上に昴が気になったのは、何故かリリムとは初めて会った気がしなかった。
「また会ったわね。お兄さん」
ゆっくりと空から降りてきたリリムが昴に微笑みかける。そんなリリムに見とれていた亘が物凄い剣幕で昴に詰め寄った。
「昴君…君と言う奴は見境なしですか!?」
「お、おい亘!落ち着け!俺はあんな女知らねぇ!」
「あら……知らないなんて、それは悲しいわね」
昴達のすぐそばに降り立ったリリムは悲しげにまつげを落とす。それを見た亘がさらに興奮した面持ちになるが、後ろから美冬が杖で亘の頭を叩き、黙らせた。
「昴、本当に知らないの?」
「あぁ、一度見たら忘れないだろうし」
「………昴が嘘つく理由もないし、嘘をついてるとしたらこっち」
雫に聞かれ、昴がきっぱり答えると美冬がリリムに視線を向けた。リリムは相変わらず微笑んでいるばかり。
「あたしの事に気がついた時から只者じゃないとは思っていたけれど……そう、あなたが'ジョーカー'なのね」
舐めるように昴の身体を見ていたリリムが囁くように言うと、ピクリと昴の身体が反応した。ここに来てから昴の二つ名の話などしていないのに、リリムがその事を知っている事に疑問を抱く。肯定も否定もしない昴を見てリリムは首を傾げた。
「あら?あたしの勘違いだったかしら?てっきりあなたが'ジョーカー'かと思ったのだけれど」
「その通り!こいつか'ジョーカー'だ!!」
「お前が答えんな!!」
「あいたっ!!」
意気揚々と前に出て来て指差しながら昴の正体を告げた優吾を昴がぶん殴る。
「なんで殴るんだよ?別に減るもんじゃないしいいだろ?」
「敵に情報教えんな!めんどくせぇ事になるだろうが!」
優吾は涙目で昴を見つめるが、昴に睨まれすごすごと後ろに下がっていった。
そんな様子をくすくすと笑いながらリリムは楽しげに眺めている。昴は不機嫌そうな様子でリリムの方に顔を向けた。
「やっぱりそうなのね。それならばガンドラで露天商の真似事をしているときに話しかければ良かったわ」
「ガンドラの露天商…?」
その瞬間昴の脳に電流が走る。ガンドラの街で宿屋の娘であるフランと二人で買い物をしていた時、小さな黒い箱を売っていた紺のローブを纏った怪しげな露天商がいた記憶が鮮明に蘇った。
昴の驚くさまを見ていたリリムはその真紅の唇を釣り上げる。それはまさに悪魔の笑みのようであった。
「思い出してくれたようね。よかったわ」
「…確かに一度会っているみたいだな。だがそれがどうした?街ですれ違った程度の話だぞ?」
「そんなことはないわ。あたしとあなたはもっと因縁深い仲なのよ?」
リリムは色っぽく腰を振りながら昴へと近づいていく。そして昴の目の前に立つと静かにその口を開いた。
「あなたはあたしをめちゃくちゃにした」
「なっ…!?」
まさかの発言に昴が目を丸くしていると、美冬に叩かれて倒れていた亘が勢いよく起き上がる。そして昴の肩を力強く掴むと勢いよく揺さぶった。
「見損ないましたよ、昴君!私達と離れてこんな美人とにゃんにゃんしてたなんて!!」
「いや、ちょ、まっ」
「昴君ともあろう人が敵に籠絡されているとは!!誠にうらやま…けしからんですよ!!」
昴が周りに助けを求めるもそれに応えるものはいない。心なしか女性陣の白い目を向けている気がする。興奮冷めやらぬ様子の亘を面白そうに眺めていたリリムが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あたしを、って言うよりもあたしの計画をめちゃくちゃしたって言った方が正しいかしら?」
ピタリと亘の動きが止まる。リリムに目を向け、仏頂面の昴に目を向けると、何事もなかったかように眼鏡を直し、後ろへと引き下がった。それを見てため息をついた昴はリリムに視線を戻す。
「お前の計画ってなんだ?」
「知りたい?」
リリムが上目づかいで聞いてくるが昴は全く反応を示さない。ただその目が事実を喋れと雄弁に語っていた。リリムは首を左右に振りながら肩を竦める。
「まぁ計画を破綻させた張本人には別に教えてもいいわね」
リルムは桜のようなピンクの髪を優雅にかき上げながら昴の目を見つめた。
「あたしの計画は魔物を狂わせてあのガンドラの街を落とすこと」
今日の天気を言うくらいの気軽さで告げられた事実に昴は驚かずにはいられなかった。
「まさか…お前が…?」
「うふふ…あたしはそのお手伝いをしただけ。実際にやったのはあの街の冒険者よ?確か名前は…クリプトンだったかしら」
その名前には聞き覚えがあった。ガンドラの街で活動する冒険者の一人、昴を魔物の囮に使った卑怯者の男。確かガンドラの街で起こった魔物大暴走から行方が分からなくなっていたが、昴は特に気にしてはいなかった。まさかその男の名前をこんなところで聞くことになろうとは。
「彼、かなりあなたに熱を上げていたみたいよ?魔道具を渡して『この魔道具を魔物がいる場所で使えば復讐できる』って教えてあげたら目の色を変えて飛んでいったわ。魔物を狂わせる魔道具とも知らずにね」
その時のことを思い出し、楽しげに笑うリリムを昴は無表情で見つめる。
「…クリプトンはどうした?」
「さぁ?好みじゃない男の事なんて知らないわ。魔物の餌にでもなってしまったんじゃない?」
心底どうでもいいといった感じでリリムは言った。別にクリプトンは昴の友人というわけではないし、むしろ嫌いな部類に入る相手だが、今回ばかりは同情を禁じえなかった。
「おい昴。どういうことだよ?」
まったく話の内容がわからない優吾が眉を寄せながら昴に問いかける。他の者も似たような表情を浮かべ昴のことを見ていた。
「色々複雑だから後で詳しく話す」
昴は短く答えるとリリムに向き直った。今大事なのはこの魔族の女をどうにかしなければならないこと。放っておけばまた何かをたくらむに違いない。
「話は分かった」
それだけ言うと昴は’鴉’をリリムに向けた。突然刃を向けられたというのにリリムに驚いた様子はない。
「うーん、好戦的な男って好きよ?」
「お前ら二人ともここで捕らえさせてもらう。色々知ってそうだからな」
「あら、束縛するタイプ?まぁそういう男もたまにはいいかしら」
昴の言葉を聞いてもリリムは一切余裕を崩さない。そんなリリムを訝しむ昴の隣でニールが静かに槍を構えた。
「話は終わったか?」
「あぁ、こいつらを生け捕りにする」
「最初からそうしておけばよかったんだ」
ニールがつまらなさそうに言い放つ。オセは確かな実力者な上にまだ力を隠しており、リリムの力は全くの未知数。だがそれはこちらも同じことであった。さっきまでは健司を気遣っての戦いであったが、今度は思う存分暴れることができる。
「こうなることは予測済みよ」
リリムは微笑を浮かべ人差し指を伸ばすと、宙に円を描いた。すると突然後ろに立っていた卓也と亘が持っている剣を自分の喉元にあてる。
「なっ…!?」
「えっ…!?」
全員が驚きの表情を浮かべるが一番驚いているのは当事者の二人であった。
「ふふふ、ダメじゃない。悪いお姉さんに見惚れてちゃ」
昴は咄嗟に’鴉’を振るおうとするが、リリムがそれを手で制した。
「ここにいる誰かが少しでも変な動きを見せればお友達の首が飛ぶことになるわよ」
リリムの笑みが深まる。昴はリリムを見据えながらゆっくりと手を下ろし’鴉’を戻した。そしてニールに目を向けると、ニールは大きくため息を吐いて昴同様’ファブニール’を収める。
「聞き分けがいい子は好きよ?」
リリムは静かに昴の顔に手を這わせた。昴は目を瞑ったまま微動だにしない。
「あなた達ってかわいい子も揃っているわよね。あたしは男も女もどっちもいける口だから羨ましいわ。そうね…特にあなた」
昴の頬を撫でながらリリムは真菜に目を向けた。そして色香をまき散らしながら真菜の下へと歩み寄っていく。
「クールでスマートできれいで最高だわ。ねぇ、あなた。私のペットにならない?」
先程の昴同様、大切なものを愛でるように真菜の顔を撫でまわした。さおりが不安そうに真菜の方へと目を向けるが真菜はリリムの目を見つめ続けている。
「あなたのペットになるくらいなら死んだほうがましだわ」
「そんな強気なところも愛おしいわ。食べちゃいたいくらい」
リリムが真菜の顔に自分の顔を近づける。細く長い指の先には紫色のマニキュアが塗られており、その手入れの行き届いたナイフのように鋭利な爪で真菜の頬をスッと切り裂いた。頬から血が流れても真菜はリリムから視線をそらさない。その血をリリムが淫靡に舐め上げた。
「奇麗な赤色。それに美味しいわ。いっそのこと全身から吹き出させてあげましょうか?」
「………やってみろ」
リリムが真菜から離れ声の主の方に振り返る。そこには隠すつもりが一切ない殺気を身体中に滾らせた昴がいた。
「望月の血を見る前にお前が真っ赤なバラを咲かせることになるぞ?」
「………やぁねぇ、冗談よ」
昴の殺気をまともに受けたリリムは余裕こそ崩しはしないものの額からは汗を垂らしている。
「もういいだろ。用件を言え」
それまで頑なに口を閉ざしていたオセがリリムを睨みつけながら言った。リリムはその場で羽を動かし飛翔するとオセの近くに舞い降りる。
「ベリアルからの伝言、『探し物は見つかった。至急城に戻るように』だそうよ」
さっきまでとは打って変わってつまらなさそうにリリムは告げた。オセは不機嫌そうに鼻を鳴らすとクルリと昴達に背を向ける。
「逃げるのか?」
ニールの言葉に反応したオセが少しだけ顔をこちらに向けた。
「お前は俺の獲物だ。次会ったら八つ裂きにしてやる」
そう言うと指笛を鳴らし、やって来た’ジャイアントスパロー’の背中に跨り、彼方へと飛んでいった。
「女性を置いて行って一人だけ帰るなんて最低ね。本当嫌いだわ」
去っていくオセの背中を憎々し気に見ていたリリムは昴達の方へと振り返ると色気漂う笑みを浮かべる。
「それじゃあたしもこのへんで失礼させていただくわ。あぁ、あたしがある程度離れないと二人の坊やにかかった【魅了】は解けないから追ってはこないでね」
追跡しようとしていた昴の頭の中をよんだようにリリムが告げた。昴は舌打ちをして、降参の意を示すように両手を上げる。それを見たリリムは満足そうに微笑んだ。
「では皆さんさようなら。’ジョーカー’さん、またゆっくりお話ししましょうね」
リリムは昴に向けて投げキッスを放つと、オセの向かった方へ後を追うように飛んでいく。残された者たちはただただその背中を見送ることしかできなかった。