32.打開策
「…ってぇな、ちくしょう」
昴は悪態をつきながら瓦礫の山から身体を起こし、状況を確認する。他の事に気がとられていた昴はガードする暇もなく’ケルベロス’の前足に殴られ、数十メートル程吹き飛ばされたのだった。
チラリと真菜の方に目を向けた昴は安堵の息を吐く。視界の端で虎の魔物が真菜に襲いかかろうとしているのが見え、咄嗟に攻撃したのだが、何とか無事のようであった。
「…痛っ…!!」
立ち上がろとした瞬間、腹部に激痛が走る。そこは’ケルベロス’の攻撃が直撃した場所、黒コートは破れてはいないが中の身体にはくっきりと爪痕が残されているだろう。左の視界も真っ赤に染まっており、おそらく頭からも血が流れているはずだ。
「…少し舐めてたか」
なんとか立ち上がりながら離れた場所でこちらを警戒するように威嚇している’ケルベロス’を見ながら昴は呟いた。健司のことがあるため、倒すまでには至っていないが、完全に負ける相手ではないと周囲に気を配っていたら手痛いしっぺ返しを受けたのだった。
昴が立ち上がったのを確認した’ケルベロス’は止めを刺すべく、うなり声をあげながら体勢を低くし昴の下へと駆け出す。昴は大きく息を吐くと両腕を開き迎撃の構えをとった。
その時、昴と’ケルベロス’の間に光の壁と炎の壁が出現し、二人の衝突を阻む。’ケルベロス’は突然現れた障害にその足で地を蹴り、大きく距離をとった。
昴も少し驚いた様子であったが、すぐにそれをやったであろう二人が自分のところへやって来るのを見て眉をひそめる。
「魔物の相手をしてくれって頼んだだろ」
「………それならボク達を心配させる戦いをしない」
「美冬の言うとおりね」
そんな昴の様子を意に介さずに雫と美冬は隣に立ち武器を構えた。ぐうの音も出ないほどの正論に昴はため息を吐くことしかできない。
「………どうして攻めないの?」
「前田が魔力を消費して’ケルベロス’の傷を治した途端血を吐きやがった」
「それって…」
昴は前でヒビが入った二人の障壁を見ながら頷いた。これ以上’ケルベロス’を攻撃し【魔物治癒】のスキルを使わせてしまったら健司の命が危ない。美冬が真剣な表情を浮かべ昴の顔を見つめる。
「………策はあるの?」
「…考え中だっ!」
昴がそう答えながら駆け出すのと障壁が壊れるのはほぼ同時であった。地面が砕けるほど強く踏み込む’ケルベロス’は凄まじい速度でこちらへと突進してくる。昴は闘牛の要領でヒラリと躱すが、その隙をついて攻めることはできない。ただひたすら繰り出される’ケルベロス’の攻撃を顔を歪めながら黙って受け流していった。
「何かいい考えはないの?」
昴の戦いを見ながら雫は焦ったような声を上げる。美冬は黙って’ケルベロス’の上で狂喜している健司を目を細めて眺めていた。
「………あの魔道具が原因なのは明らか」
「それは分かっているわ!早くしないと昴もみんなも…!!」
自分達が昴の方に来てしまったせいで真菜達の方もかなり厳しい状況に置かれているようであった。とにかくどちらかを何とかしなければ、しかし何とかできる可能性の高かった昴が袋小路の状態。雫の焦燥感は募るばかりであった。
「………この状況を打開できる可能性があるとすれば一つだけ」
しばらく無言で考え事をしていた美冬が静かに口を開く。昴の方に目を向けていた雫が勢いよく美冬に顔を向けた。
「どうしたらいいの!?」
美冬はもう一度健司に目を向けると、雫に打開策を授ける。それを聞いた雫は少しだけ驚いた表情を浮かべるとすぐに顔を引き締めた。
「わかった、何とかやってみる」
「………あくまで可能性だからうまくいくかはわからない」
「その時は…また違う策を考えるわ!美冬はみんなの方を助けてあげて」
美冬は小さく頷くと【風属性魔法】を唱え真菜達の方へ飛んでいく。雫はそれを見送り、一つ深呼吸をすると昴と’ケルベロス’が戦う死地へと足を進めた。
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「どうした楠木ぃ!!動きが鈍っているぞぉ!?」
自分の’ケルベロス’に追い詰められている昴を見て健司は醜悪な笑みを浮かべる。当然昴にはそれに答える余裕などなく、一心不乱に’ケルベロス’の攻撃を捌いていた。
本来、昴の戦闘スタイルは二本の’鴉’を用いて素早い動きで翻弄し、手数で押していくもの。まさに攻撃は最大の防御を体現している戦い方。そのため今のような受けを主体にするやり方を昴は苦手としていた。
それでも’鴉’を駆使し、器用に’ケルベロス’の攻撃を躱していく。怒涛の連続攻撃を繰り出していた’ケルベロス’の集中力も落ちてきているようで、攻撃が大降りになってきていた。
「…やばっ!!」
’ケルベロス’から生じた隙に身体が無条件で反応してしまった昴は慌てて攻撃の手を止める。一瞬身体の動きが止まった昴の肩を’ケルベロス’の爪が抉り取った。
「くっ…!!」
飛び散る鮮血。昴は顔を歪めながら肩を押さえ、蹴りの反動を利用して大きく後退する。昴を追撃しようと’ケルベロス’の前に剣を構えた雫が躍り出た。それを見た健司が’ケルベロス’を制止させ声を荒げる。
「霧崎っ!!こいつを庇うのか!?」
「仲間を守るのは当たり前のことだよ!」
「…ならお前もあの世に送ってやるよ!!」
躊躇したのはほんの一瞬、健司は’ケルベロス’に攻撃を命じた。’ケルベロス’はつまらなさそうに雫を見るとおもむろに前足を振り下ろす。それを剣で受け止めた雫は、昴がどれほどの化物を相手にしているのかを身をもって痛感した。
「雫っ!!」
歯を食いしばって剣を抑える雫を昴が脇に抱え、’ケルベロス’の足の下から脱出させる。支えを失った足は地面に叩きつけられ、無数の地割れを生み出した。
「バカっ!!何やってんだ!!ボロボロのお前じゃあいつの攻撃に耐えられねぇぞ!!」
「ごめん…でもあの魔道具を何とかできるかもしれないの!!」
腕の中で真剣な表情を浮かべる雫に、昴は言葉を詰まらせる。詳しい事情を聞こうとするも、’ケルベロス’が二人を執拗に狙ってくるので躱すのに手いっぱいになっていた。そんな様子を察し、雫は抱えられながら必死に昴に説明する。
「美冬によるとあの魔道具には【闇属性魔法】が使われているらしいの!!あの子は【魔眼】にスキルを持っているからっ!!」
美冬が持つ【魔眼】のスキルはその目で見た魔法の詳細を知ることができるもの。魔法の弱点や対抗策を瞬時に見極めることができるかなり有能なスキルであり、魔法のプロフェッショナルである【賢者】のユニークスキルに内包しているものであった。
【魔眼】のスキルの詳細は知らないが、二人の言葉は信用することができる。美冬がそう告げ、雫が信じたのであればあの魔道具は【闇属性魔法】が使用されているのだろう。
「なるほど、それで!?」
まだ話の流れが見えない昴は紙一重で’ケルベロス’の攻撃を避けながら雫に続きを促した。
「もしそうならばあたしの【聖属性魔法】で浄化することができるかもしれないの!!そうすればあの魔道具の機能もきっと停止するはず!!」
「…そういうことか。だから美冬は戻ってお前だけが来たわけね」
昴は瞬時に戦略を組み立てる。雫の話には仮定の話が混じっており、確実とは言えないが、今はそれを試してみる以外に道はなかった。
「お前を遠くへ飛ばす。そして俺が気を引く。後は任せた」
短い言葉で作戦を伝え、雫が頷くのを確認した昴は’ケルベロス’の後方へと雫を投げ飛ばした。一瞬飛んでいった’雫’に気を取られた’ケルベロス’であったが、要注意人物を倒すことを優先し、すぐに昴への攻撃を再開する。
雫は上手く着地をすると、’ケルベロス’の注意がこちらに向いていないことを確認し、魔力を練り始めた。十分な魔力が溜まると、両手で剣を持ち、健司の魔道具に狙いを定め、チャンスを待つ。
雫の剣先に光が集中するのを横目で確認した昴は’ケルベロス’の動きを止めるため鍔迫り合いの形に持ち込んだ。”烏哭”を限界まで発動させ、振り下ろされた両足を二本の刀で受け止める。何とか押しつぶそうと’ケルベロス’が力をこめるが本気を出した昴は微動だにしなかった。
「“穢れを払う浄化の光”!!」
’ケルベロス’の動きの止まった瞬間を狙っていた雫が魔法を唱えると、雫の持つ剣から一筋の光が線が発せられる。それは一直線に’ケルベロス’に跨る健司へと伸びていった。
当たる!そう雫が確信した瞬間、’ケルベロス’が振り返り雫の方に目を向ける。そして自分の身を盾にして雫の発した光から健司を守った。
「なっ…!?」
’ケルベロス’の意識は完全に昴に向いていたはず。あの状態で自分の魔法に反応することなどありえない。
驚き目を見開いている雫を睨むと’ケルベロス’はそちらに走り出そうとする。しかし行く手に昴の’飛燕’が横切り、大きく跳躍すると、二人の姿を捉えることができるところへと着地した。
「何を狙っていたのかは知らないが、俺の魔物は俺への攻撃には自動で反応するぞ?」
せせら笑う健司を前に、雫は悔しそうに唇を噛む。そんな雫の側にいつの間にかやって来ていた昴が、小声で雫に告げる。
「やっぱ前田に魔法を当てるにはあのワン公を何とかしなくちゃならねぇみたいだ」
「でも’ケルベロス’を攻撃したら」
前田君の身が危ない、そう告げる前に昴は首を縦に振った。
「わかってる…だから一発で仕留める」
「えっ?」
「中途半端な攻撃じゃすぐに傷を治されて雫の魔法を防がれちまう。だから致命傷を与える」
「でもそれじゃあ…」
「その俺の攻撃の直後に雫が魔法を撃ってくれ」
「っ!?」
昴の作戦を理解した雫は思わず瞠目した。多少の傷では健司に魔法を当てることはできない。しかもその傷を癒すたびに彼の身体は蝕まれてしまう。だから昴が再起不能になるほどのダメージを’ケルベロス’に負わせた瞬間を狙って雫が魔法を放てば健司にあてることができる。
口にするのは簡単だが、実際その難易度は計り知れない。少しでも魔法が早ければ’ケルベロス’は昴の攻撃よりも雫の魔法に反応してしまい、少しでも遅ければ健司が’ケルベロス’を治癒してしまう。そうなれば、足一本を直すだけであの様子、健司は確実に死に至ることになるだろう。
本当は雫にこんな重荷を背負わせたくないというのが昴の本音であった。もしこれで雫が拒否するのであれば違う作戦を練るしかない、そう考えていたが雫は静かに、だが力強く頷いた。それを見た昴は何かを考えるように目を閉じ、そしてゆっくりと目を開くと’ケルベロス’を睨みつける。
「…チャンスは一度きりだ。行くぞ」
「えぇ」
短くそう答えると雫は覚悟を決め、走り出した昴の背中についていった。