29.ケルべロス
’ケルベロス’の巨大な爪が’鴉’を受け止める。”烏哭”によって強化された昴が全力で振りぬこうとするも’ケルベロス’は一歩も譲ろうとはしない。
「こいつ…意外と力がありやがる」
「‘ケルベロス’!!そのままそいつの頭を食いちぎれっ!!」
背中にいる健司の命令を受け、’鴉’を押さえたまま昴の頭に噛みつこうと、三つの頭が同時にその大きな口を開いた。昴は受け流すように爪を横へとはじくと紙一重でその牙を躱す。そのまま左の首を斬ろうとするが、’ケルベロス’の強靭な皮膚に阻まれ刃を通すことができなかった。
「硬すぎんだろっ!!」
かなりの強度を誇るという【龍鱗】をもつニールですら’鴉’の一太刀には無傷でいられないというのに、目の前にいる獣はそれ以上の強度を持っている事実に昴は驚きを隠せない。同じランクSの’ストームドラゴン’もここまでの硬さではなかった。昴の黒刀が自慢の魔物に通じないところを見て、健司は勝ち誇ったように笑い声をあげる。
「はははっ!!馬鹿めっ!!こいつは災害クラスのランクSの魔物である上に俺が直々に強化してるんだぞ!?お前のような根暗な屑の攻撃なんて効くわけないだろうがっ!!」
’ケルベロス’はその巨体に似合わない速度で追撃を加える。その一撃一撃がくらえば屈強な戦士ですらただではすまないような攻撃をギリギリのところで避けながら昴は’ケルベロス’の動きを観察していた。
速さは本気を出したニールに遠く及ばない。問題はその巨体故の攻撃範囲の広さと攻撃を通さない強固な守り。そして一番厄介であったのが頭が三つあることであった。
「ウオオオォォォオオォォン!!!」
二つの頭が直接昴を攻撃するのに集中している間にもう一つの頭が魔力を練り上げ咆哮を上げる。すると突然’ケルベロス’の足元から土で出来た巨大なスパイクが生えてきて昴に襲いかかった。咄嗟に腕を前で組み防御の姿勢をとるが、スパイクが直撃し後ろへと吹き飛ばされる。
「ちっ!!”飛燕”!!」
「ガオッ!!」
後ろに吹き飛びながら’鴉’を振るい、黒い刃を’ケルベロス’に放つが、’ケルベロス’が前足で地面をたたくとそこから土の壁が出現し、昴の攻撃をすべて防いだ。それと同時に一番右の頭が口から黒い球体を発生させ、自身の頭の上に浮遊させる。
「なんだあれ…なっ!?」
なんとか受け身をとって地面に着地した昴が眉をひそめて黒い球体を見た瞬間、身体が宙に浮き、引っ張られるように黒い球体へと向かっていった。
「【闇属性魔法】かっ!!?」
「俺のペットは多芸でなぁ…飛んできた奴をそのまま食い殺せぇ!!」
昴の視線の先には大口を開いた’ケルベロス’の姿があった。磁石のように引っ張られながらも昴は”飛燕”を撃ち、黒い球体を破壊する。引力がなくなり昴の身体が減速したため、’ケルベロス’の牙はガキンッと大きな音を立てながら空を切り、閉じた口を昴が思い切り蹴り上げた。
「ガッ…!!」
「まだだワン公。おかわりやるよ」
上を向かせた頭に”鴉”を押し当て、そのまま魔力を爆発させ力任せに振りぬいた。”ケルベロス”の巨体は地面をズザーと滑りながら吹き飛ばされる。間髪入れずに攻撃を叩き込むべく昴は地面を蹴った。
「くっ…おい'ケルベロス'!!来てるぞ!!避けろ!!」
「ワ、ワウッ!!」
迫りくる昴の姿を捉え健司が大声で指示を出す。’ケルベロス’は地を踏みしめ勢いを殺すとそのまま上空へと跳び上がった。
「アォォォーーーン!!」
真ん中の首が魔法を唱えるといくつもの岩が浮かび上がる。’ケルベロス’はその一つに着地すると下にいる昴を睨みつけた。
「【地属性魔法】と【闇属性魔法】の併せ技か…器用なことすんな」
昴も跳び上がり浮かび上がった岩を足場にして’ケルベロス’へと向かっていく。’ケルベロス’も岩の上を駆け抜け、勢いをつけながら昴に突進していった。
激しい音を立てながらぶつかり合う爪と黒刀。ぶつかっては離れ、ぶつかっては離れを繰り返し、空中で激戦を繰り広げる。昴と’ケルベロス’が衝突するたびに近くの岩が壊れ、地面へと降り注いでいき、段々と使える足場が減っていった。
「は、早く殺せっ!!’ケルベロス’!!」
伝説の魔物を従えているという余裕から苦戦を全く想定していなかった健司の口調が焦りの色を帯び始める。’ケルベロス’自身も自分よりも数段小さく、非力であろう相手を喰らい尽くせないという事実に憤りを感じていた。その感情が攻撃にも表れてきており、昴はその隙を見逃さない。
「攻撃が大降りになってきてんぞ?」
「ガウ!!ウガーオ!!」
一発でも当たれば昴の身体を引き裂くことなど容易であろう魔力を纏った爪を昴は優雅に受け流していく。三つの頭が食いつこうと怒り任せに首を伸ばした瞬間、昴はその迫りくる首の上で身体を滑らし、健司の跨る背中まで移動すると’鴉’を振り上げた。
「こいつが伏せだ。覚えておけ。”雲雀”」
「ま、待て…!!」
自分の近くで’鴉’を構えた昴を見て、健司は腕で顔を庇いながら怯えた声を上げる。昴は健司には当たらないように目にもとまらぬ速さで’ケルベロス’の背中を斬りつけた。’ケルベロス’は一直線に地面へと叩きつけられ、大きなクレーターを作りながら大量の砂埃を上げる。少し離れたところに着地した昴が目を凝らしていると、なんとか立ち上がる’ケルベロス’の影が見えた。流石に今の攻撃は堪えたらしく、砂煙が晴れたそこには息を荒げた’ケルベロス’の姿があった。地面にぶつかった衝撃は背中にいる健司にも届いていたらしく、怒りの形相を昴の方へ向けている。
「くずのきの分際でぇぇぇ!!!殺してやるよぉぉぉ!!」
「…やっぱタフだな。躾のしがいがあるってもんだ」
怒り心頭の様子の健司には一切目もくれず、昴は再度’鴉’を構え、’ケルベロス’へと駆け出した。
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「す、すごい…」
自分の知っている同級生が伝説の魔物を圧倒している光景にさおりはおもわず目を奪われる。さおりが昴に抱いているイメージは静かで目立たなくて、こういう場では前には立たずに裏方で頑張る男の子といったものでった。この世界に来てからは剣も碌に振れない様子だったので、実際に昴の戦いをこの目で見ても信じられない自分がいた。
「さおりちゃん!!横っ!!」
「えっ…わっ!!」
「ぼやっとしない!!」
雫の声に反応し、横を向くと’ブルーブル’が突進してきており、驚くさおりの目の前で真菜が風を纏った鉄扇で器用に突進の軌道をずらした。’ブルーブル’はそのままさおり達の後ろにいる魔物達へと突っ込んでいく。
「ご、ごめん…でも楠木君が余りにすごくて…」
「…まぁその気持ちはわからないでもないわね。彼、何者よ?」
真菜が眉をひそめて付き合いが長いであろう雫に問いかける。雫は剣で魔物を弾き飛ばしながら曖昧な笑みを浮かべた。
「何者って聞かれても…あたしたちと大して変わらないよ?」
「変わらないって…ねぇ?」
「私達はランクSのモンスターと戦うことなんてできないわ。それに私が手も足も出なかった魔族をほとんど一瞬で倒したのよ?」
「一瞬って…」
さおりが信じられないといった表情で真菜を見るが、今の昴の戦いを見た後では事実なのだろうと思い、雫の方へと顔を向ける。急に尋ねられても『恵みの森』から昴の動向を知らない雫が知るわけもない。答えに窮する雫の隙をついて襲いかかろうとした’グリズリーベア’が大きな火の玉によって吹き飛ばされた。
「………昴はああいう奴。考えても仕方がない」
「美冬!!」
「………だから今は魔物を減らすことだけに集中」
それだけ言うと美冬は魔物が密集する方へと向かっていった。一瞬呆気にとられた様子のさおりと真菜であったが、すぐに表情を引き締め魔物達に向き直る。
「そうだね!味方が強いことはいいことなんだからあれこれ考えていてもしょうがないよね!!」
「終わったら問い詰めればいいことね」
二人は互いに顔を見合わせ頷きあうと、終わりの見えない魔物の群れの中へと飛び込んでいった。