28.魔物使い
クズだと思っていた男が目の前で見せた圧倒的な力に健司は自分の目を疑った。しかしすぐに合点がいったかのように唇をめくって笑いはじめる。
「くっくっく…そうか…お前も魔族に魂を売ったのか…なぁ、そうだろ!?楠木ぃ!!?」
「…お前が言ってることさっきから一ミリもわかんねぇよ」
血走った目で笑い声をあげる健司を静かに見据えた。元の世界にいた時とは全くと言っていいほど人格が変わっている。以前の健司はお世辞にもいい人とは言えなかったが、こんなにも支離滅裂な事を言う男ではなかった。もうここまでくれば彼がなんらかの精神的な操作をされているのは明らかである。
「雫…こういう場合はどうすりゃ元に戻る?」
「操っている術者を倒すか、魔法を使うしかないけど…そういう魔法が使えるのはあたしたちの中では香織しかいないわね」
「ならぶん殴って北村さんの前まで引きずっていかなきゃな」
昴が'鴉'を構え、健司の元へと駆け出そうとした瞬間、健司が羽織っていたローブを脱ぎ放った。昴が足を止めて健司の方に目を向けると、その目が大きく見開かれる。
「なにを驚いている?お前も同じようなものをもらっているんだろ?」
勝ち誇ったような表情を浮かべる健司は長ズボンに上半身裸という格好だったのだが、その胸のあたりから右肩にかけて鉄でできた何かが装着されていた。幾本ものチューブが胸から上半身のいたるところに伸びており、そこからドス黒い魔力が漏れ出している。
健司のあまりの変わり様に後ろのクラスメート達は言葉を失っていた。
「…なんだ、それは?」
明らかに普通ではない装備を前に動揺を隠しながら昴が尋ねる。健司はみなの反応に満足しながら見せびらかせるように腕を大きく開いた。
「これは魔族の科学者が発明した魔道具だぁ!!こいつで俺の魔力もスキルも大幅に強化される!!だから本来は操ることなんかできねぇランクAの'オルトロス'だって好き勝手できるんだよ…こんな風になぁ!!」
健司がスキルを発動すると、昴の攻撃によって死体となった魔物が瘴気となり健司の元へと集まっていく。本来この【魔物育成】のスキルは自分の使役する魔物が敵を倒した時に少量の瘴気を経験値として得ることで少しずつ成長するものなのだが、魔道具によって強化されたスキルは魔物から根こそぎ瘴気を吸い取っていった。
吸い出された瘴気は全て健司が跨っている'オルトロス'自らの糧にしていく。すると突然、'オルトロス'の身体が光り輝き始めた。
「ま、まさか…進化するというのかっ!?」
強烈な光から自分の目をかばいながらガイアスが叫んだ。昴は目を細めて'オルトロス'を見ようとするも眩しすぎて直視することができない。
'オルトロス'から発せられた光は輝きだすのも突然であったが消えるのも突然であった。光が収まるや否や'オルトロス'の方に顔を向けた一同は、その姿に思わず息を呑む。
闇に溶け込むに適した漆黒の身体はドス黒い紫色に変わり、スラリと長かった脚は地面を陥没させるほど太く強靭なものへと様変わりした。隠密に適しており、気配を消すことに長けていた'オルトロス'とは異なり、圧倒的な戦闘力から隠れる必要性をなくした獣は驚異的な威圧感を身体に纏っている。'オルトロス'の特徴だった二つの頭がさらにもう一つ増え、その赤く光る六つの瞳は威嚇するように昴に向けられていた。
「地獄の番犬…ランクSモンスターの’ケルベロス’…初めて見たね。おとぎ話の世界の住人だと思っていたよ」
ぽつりと呟いたフリントの声は今まで聞いたことのないような緊張感に満たされたものだった。未知の世界であるランクSという言葉に雫達が一斉に反応する。
「ワオオオォォォォォオオォォォォオォォォォオオオオォォォン!!!」
目の前にいる獲物たちの驚きなど一切無視して’ケルベロス’の三つの頭が同時に雄たけびを上げた。ただの雄たけびですら凄まじい風を巻き起こし、腕で身体を庇い立っているのがやっとの様子である雫達から戦意をそぐには十分な威力であった。自分のペットの予想外の成長に健司は狂ったように歓喜する。
「くはっ…ははははははっ!!最高だっ!!こんな化物止められっこない!!しかもそれが俺の従順な下僕とは…いけるっ!!腐った王国をこいつで滅ぼすことができるっ!!」
健司は’ケルベロス’の背の上から’ケルベロス’の餌にならなかった傷ついた魔物を見渡した。
「お前らっ!!俺が命ずる!!目の前にいる王国に手を貸す屑どもを喰らい尽くせっ!!」
健司は【魔物治癒】のスキルを発動し、昴にやられてもなお生き残った魔物達の傷を癒していく。それまで立っているのがやっとであった魔物たちは生気を取り戻し、唸り声をあげて自分達の獲物を威嚇し始めた。
「………どうする?」
美冬が杖を構え魔力を練りながら昴の方へと顔を向ける。その隣で大きく息を吐きながら雫が腰から剣を抜いた。
「どうするも何も、さっきみたいに昴の大技を黙ってみているような相手じゃないわ。ここは全員で’ケルベロス’に向かっていって無力化する以外はないでしょ?」
「全員で突貫か…でも周りの魔物達がそうはさせてはくれなさそうだな」
優吾が大きな盾を構えながら周りを見回す。健司から邪魔者を排除するよう命令された魔物達はいつ襲ってきてもおかしくはない雰囲気であった。亘は額から汗を流しながら眼鏡をあげ、卓也は生唾を飲み込む。
「とにかく一丸になって突っ込むしかあるまい。死角をなくし、息を合わせてあの化物を倒す」
「後ろは僕とガイアスさんがつくから背中を気にせず戦ってくれて構わないよ」
ガイアスとフリントが昴達を守るように後ろに立った。さおりと真菜も頷き、左右からの魔物に備えて配置につく。円陣のような隊形であるが誰もが外側を向き、倒すべき敵をしっかりと見据えていた。
「突撃の合図は昴が出して」
隊の先頭に立つ昴に雫が声をかける。雫達が陣形を生んでいる間、片時も’ケルベロス’から視線を外さなかった昴が静かに口を開いた。
「悪いけどその作戦はなしだ」
「えっ?」
昴の予想外の発言に雫の声が裏返る。他の者たちも驚き昴の方に視線を向けるが、昴は’ケルベロス’を凝視したまま振り向こうとはしない。
「今の作戦が一番可能性が高いと思うけど?」
「全員であいつに特攻するなんて犠牲が出る可能性が高いだろうが」
昴にあっさりと却下され、雫はおもわず閉口する。確かに昴のいうことには一理あるが、今考えた作戦以外にあの強大な魔物を倒す術が見つからない一同は困惑の色を浮かべた。
「とにかく生き残ることだけを考えろ。死なないように戦いながら隙を見て魔物の数を減らしていく」
「で、でもそれをあの魔物が…」
そんな悠長なことあの’ケルベロス’が待ってくれるはずがない、そう昴に進言しようとした雫は昴の表情を見てその言葉を飲み込む。その顔には湧き上がる興奮と闘争本能が抑えきれないといったような笑みが浮かんでいた。
「俺は猫が好きなんだが…犬も嫌いじゃない。’烏哭’!!」
昴の身体から蒸気のように黒い魔力があふれ出す。その姿から並々ならぬ力を感じた雫達は本能的に身体を震わせた。
「死なないように周りの相手をしてやってくれ」
「…わかったわ」
「………こっちが片付いたらそっちに行く」
雫が頷き、美冬が魔力を練り始めたのを確認すると、昴は’鴉’を持った手を下ろし、体勢を低くした。
「躾の時間だ、ワン公。せいぜい思う存分じゃれついて来い」
「ワンッ!!ワオォォン!!」
一人と一匹は互いに獲物目がけて一直線に突っ込んでいく。黒いオーラを纏う男と黒紫の三つ首の獣が激しい音を立て戦場でぶつかり合った。