17.運命の出会い
楠木昴がその少女に出会ったのは中学二年生も終わりに近づいていた冬の日の事だった───。
昴は担任の教師に昼休みの内に教室へ持っていくよう頼まれたプリントを運んでいた。
「昴は相変わらず先生に雑用頼まれて大変ね」
「…そう思うんならお前も手伝え」
「嫌よ。頼まれたのは学級委員のあんたでしょ。あたしは頼まれてないもん」
山のようなプリントを運ぶ昴を見て霧崎雫があきれた様子で隣を歩く。付き合ってくれるのはありがたいが、正直何の意味もない。幼馴染の方を恨みがましく見た昴は一つため息をついた。
「雫もたまには誰かのためになることをしてみろよな」
「あたしはいつも昴のためにたくさんのことをしてあげてるわよ」
「例えば…?」
音が出てない口笛を吹きながらごまかすように雫は窓の外に視線をやる。そんな雫を見て昴は再びため息をついた。
「あっ…」
窓の外に何かを見つけたのか雫が窓に近づく。最初は誤魔化すための演技だと思っていたが、どうやらそうではない様子で雫が見たものが気になった昴も窓から見える校舎の裏に目をやった。
そこには三人の女子が一人の女子を取り囲むようにして立っているのが目に入る。その雰囲気は明らかに友好的なものではない。
取り囲まれた方の女子にはなんとなく同じクラスで見覚えがあった。そのの女の子は何かにおびえるように身を竦め、俯いている。
「あの子たち…」
雫が取り囲んでいる三人の女子を睨みつけるように見ていた。
「知り合いか?」
「いや…知り合いではないけど、あたしたちと同学年で、あまりいい噂は聞かない子たちなのよね」
昴が視線を戻すと取り囲んでいる一人の生徒がノートをびりびりに破っている。あとの二人はそれを見て笑っていた。明らかにあれは自分のノートを破り捨てているわけではないだろう。
「…雫、これ頼む」
「え?ちょ、ちょっと昴!?」
雫の静止も聞かずに昴は窓から外に出てズンズンと女子たちの方へ進んでいく。昴の姿を笑っている女子がとらえ、主犯格の女子に知らせた。
「げ…楠木…」
主犯格の女子が嫌そうな表情を浮かべ昴に顔を向ける。昴は主犯格の女子を、次に俯いている女子を、最後にボロボロになったノートに目をやった。
「お前ら何やってんの?」
「あ、あんたには関係ないでしょ!」
昴の問いかけに主犯格の女子が眉を釣り上げて声を荒げる。だが昴は至って冷静なままだった。
「同じクラスの奴が寄ってたかって何かされてんだ。無関係なツラなんてできねぇだろ」
「なにヒーロー気取ってんの!きもいんだよ!」
その声に呼応するように取り巻きの二人が昴に喚き散らす。そんな女子達をまるで相手にせずに、昴はいじめられていた女の子に目を向けた。まるで顔を隠すかのように前髪を伸ばしたその女の子は青白い顔をこちらにむけ、怯えるように昴の方を見ている。
「なんかギャーギャーうるさいけどお前らいいの?」
「な、なにがよ!?」
「もうすぐ俺が呼んだ先生来るけどここにいていいのかってこと」
「なっ…!?ふ、ふんっ!!真希、文香!行くわよ!!」
「ま、待ってよ冴子!」
冴子と呼ばれた女子が逃げるように立ち去ると、取り巻き二人も慌ててついていった。
三人がいなくなったのを確認すると、昴は地面に散らばった教科書や筆記用具を拾い始める。
「とりあえずこれで全部かな。えーっと…砂川さん?」
拾ったものをすべて女子生徒に渡すと、彼女は震えながら受け取り頭を下げた。
砂川恵子。昴の同級生で、目立つグループである昴とは異なり、教室ではほとんど一人でいる姿しか見たことがないような静かな女の子。学校にいつの間にか来ていて、気づいたらいなくなっているような生徒である。
「あ、ありがとうございます。な、名前…」
「え?」
「名前、知っていてくれたんですね」
恵子は顔をほんのり赤く染めてはにかんだ。恵子とは全くと言っていいほど面識がなかった昴はその素顔に思わず面食らう。
地味な女の子だと思っていたが、実際は整った容姿をしており、芋くさいおさげや前髪をあげて顔を出せば美少女と呼んでも差し支えないほどであった。
可愛い子には雫で耐性がある昴であったが、思わぬ不意打ちをうけ照れ隠しに頭をかいた。その瞬間、左側から強烈な衝撃を受けて吹き飛ばされる。
何が起こったかわからず目を白黒させていると、恵子や雫に負けず劣らずといったお人形さんのような可愛らしい顔立ちの女の子が恵子をかばうように昴の前に立ちはだかった。
「恵子に手を出すな。この屑が」
目を見張るような美少女からのあまりに辛辣な言葉に昴は絶句する。
「み、美冬!ち、ちが…」
「恵子は黙ってて。ボクが話をつけるから」
ゴミを見るような冷たい目線を向けられた昴は完全に気圧されていた。恵子が美冬に何か言おうとしてもしゃべらせてもらえず、あわあわしながら二人を見ていると美冬は抑揚のない声で続ける。
「金輪際、恵子と関わるな」
「い、いや俺は」
「こんなくだらないことしてる暇があったらもっとやることがあるんじゃない?」
「だから話を」
「目障りだから消えて」
「美冬っ!!!」
つきつけられた言葉の暴力に魂が抜けかけていた昴を見かねて恵子が大声を上げる。美冬は驚いたように恵子に目を向けた。
「もう!少しは私の話を聞いてよ!」
「え、えっと…ボクは…」
顔を上気させながら怒る恵子にたじたじになる美冬。だいたい美冬は、と日頃の思いをぶつけ始めた恵子。
そんな恵子の剣幕に押された美冬はあろうことが先程まで敵視していた昴に助け舟を出すように視線を送る。完全に置いてけぼりをくらった昴はただただその光景を眺めていた。
「えーっと…これはいったいどういう状況なのかな?」
昴に押し付けられたプリントを急いで教室に持って行き、校舎の裏までやってきた雫は美冬に説教している恵子、困り顔の美冬、そして尻餅をついて茫然としている昴を見てぽつりと呟いた。
これが楠木昴と北原美冬、そして砂川恵子の出会いだった。
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結局、後からきた雫が場をおさめ、恵子が美冬に事情を説明したことで美冬の誤解はすんなりとけた。しかしそれ以上の会話は昼休み終了のチャイムに遮られ、四人は慌てて教室に戻った。
一人クラスが違う美冬は三人と別れる手前、昴に何かを言おうとしていたが何も言わずに教室に入っていくのを見た昴は少し気になって足を止めたが、雫に「早く!」と急かされたため、駆け足で自分の教室に向かった。
放課後、帰りのホームルームも終え、昴が帰り仕度をしていると一人の男子生徒が昴の所へ近づいてくる。
「相変わらずトラブルに首を突っ込まないといられない性質なんだね」
「なんで隼人が知ってんだ?」
「ん?あぁ、なんか昼休みの一幕を見ていた誰かがいろんな人に言いふらしてるからじゃないかな?」
涼しい顔をして言い放つ隼人に、昴はため息をついて、そのありあまる美形を睨みつけた。
「そんな怖い顔で睨まれても俺のせいじゃないからね?見られた昴の自業自得」
「わかってるけどさ…八つ当たりできる相手はお前ぐらいしかいねぇだろ」
昴は自分の席の前に立っている親友の腹を力なく殴りつける。
目の前にいる男は高橋隼人。昴達が住む街にある居合道場の一人息子であり、学内でファンクラブができるくらいの美男子。
普段は物腰が柔らかい態度をとっているのだが、どこか人を近づけ難い雰囲気を醸し出しており、親しく話すのは昴と雫ぐらいであった。
昴とは小学生からの親友、いやどちらからというと腐れ縁に近い間柄。おせっかいな昴と、つかみ所のない隼人とでは、まるっきり性格が違うのだが、それが二人を仲良くさせる理由なのかもしれない。
「まぁ昴の性格上、そういうの見たら体が勝手に動いちゃうのは仕方ないけど、気をつけたほうがいいよ?」
「それは虐めていた奴らに対してか?」
「それもあるけど…俺が心配してるのはそっちじゃなくて」
「他になんか心配するようなことあったっけ?」
「まだ昴に心酔しちゃう子が増えちゃうって事」
隼人は悪戯っぽい視線を向けられた昴は怪訝な顔を浮かべた。
「お前じゃあるまいし、そんな奴いねーよ」
「はぁ…昴は本当に何にもわかってないんだね」
わざとらしく肩を落とし、右手を頭に添えながら首を振る。しかし何かに気づいたように手をポンっと叩き、隼人は笑顔を浮かべた。
「あぁ、でもそれは大丈夫か!なんたって昴の隣では誰かさんが睨みをきかせているから…」
「あたしは昴のお目付役じゃありません」
後ろからドスのきいた低い声を聞いた隼人の笑顔が引き攣る。ギギギッと音がしそうなくらいぎこちなく振り返った隼人の後ろには悪人も裸足で逃げ出す鬼が腕を組んでいた。
「や、やぁ。今日も雫は一段と可愛いね。でもそんな顔してたらせっかくの美貌が」
「ふんっ!」
隼人が最後まで言い切る前に、雫の右手が隼人の顔面に突き刺さる。
「まったく…こんなバカに付き合ってないでさっさと帰ろうよ」
顔を抑えてうずくまる隼人に冷たい視線をぶつける雫。いつもの光景に苦笑しながら昴も鞄を持って立ち上がった。
「あ、あのぉ!」
その時後ろから声がかけられる。昴が振り向くとそこには顔を真っ赤にした恵子が立っていた。
「あの…先ほどはありがとうございました!」
誰かに頭を殴られたような勢いで恵子は頭を下げる。昴はその勢いに若干押され気味ならながら頬をぽりぽりとかいた。
「いや。気にしないでいいよ」
「そ、そういうわけには…えーっと…」
何かを伝えようとするのだが上手く言葉が出てこず、恵子はもじもじとしたまま俯く。
そんな恵子に困った昴は二人に視線を送るが、雫は困り顔で首を振り、隼人に至っては憎たらしい笑顔を向けて無関係を決め込むつもりのようだ。
誰もが口を閉ざし四人を沈黙が包む。耐えきれなくなった雫が口を開きかけた瞬間、教室の扉が乱暴に開かれた。その瞬間扉の前に立つ無表情の美冬にクラス中の視線が一点に集まる。
突然の美少女の登場に戸惑いが隠せないクラスの人達を意にも介さず、美冬は教室の中をきょろきょろと見回し、お目当のものが見つかるとすたすたと歩き出した。そして昴の前まで来ると立ち止まり、無言で昴の顔を見上げる。
「何か…?」
先程の罵声がトラウマなのか、昴がたじろぎながら聞くと美冬はバツの悪そうな顔で俯いた。
「………めん」
「えっ?」
蚊の鳴くような声でもごもごと言った美冬に昴は耳を寄せる。
「さっきはごめん」
今度はしっかりと聞き取ることができた昴は素直に謝ったことに驚きつつ、美冬に笑いかけた。
「さっきも砂川さんに言ったけど気にしないでいいからさ」
昴は背中にクラス中の視線、主に男子からの嫉妬と羨望の視線を感じながら、平静を装いつつ答える。美冬はコクリと頷くと恵子同様黙りこくった。沈黙、今度は昴達だけではなく、クラス全体に静寂が広がる。
「えーっと…色々話したい事はあると思うんだけどさっ、あたし達これから帰るところだったから二人も一緒にどう?話なら帰り道でできると思うし」
このままだと何も進展しないと思った雫が二人に提案すると、二人は顔を見合わせて静かに頷いた。
ホッと息をついた雫は二人を促して教室を出て行く。そんな様子を見ていた隼人が「それじゃ俺は」と輝くような笑みを昴に向けてその場を立ち去ろうとした。
「待てや、コラ」
当然そんなことが許されるはずもなく、昴に全力で肩を掴まれる。
「俺は関係ないよね?」
「お前も道連れだ」
ミシミシッと隼人の肩を握り、昴は隼人に負けないくらいの笑顔を浮かべ、引きずるようにして教室を後にした。




