17.黒髪の騎士
他とは隔絶された空間で雫は全力をぶつける。今まではこの三人の魔族との戦いが終わった後のことを考え、心のどこかで無意識に力をセーブしていた。だが、今は目の前にいる敵を倒すことだけに集中し、他の一切を考えない。
「はぁぁぁぁ!!!」
今ある限界の魔力を注ぎ込んで”聖なる祝福”を発動し、一心不乱に剣を振るう。受けるウォックは防御に徹しているものの、確実にその傷を増やしていく。集中力が極限まで高められている雫は、ビルのナイフもジンロの不意打ちもことごとく躱し、ウォックたちを追い詰めていった。
「こ、いつ…さっきまでとは別人じゃねぇか!!くそったれ!!」
致命傷だけは避けつつウォックが悪態をつくが、その実喋っている暇などない。それほどまでに雫の攻撃は苛烈で容赦のないものだった。
「とにかく攻め手を欠くな」
「牽制は無意味っていうか、数で押すしかないっていうか」
終始援護に回っていたジンロはモーニングスターの鎖を収め、フレイル型からメイス型に変えるとウォックを攻め立てる雫へと接近戦を仕掛ける。ビルもそれに倣って、翻弄する動きを止め、正面から雫に向かって行った。
雫は振り下ろされたモーニングスターを絡めるように剣を滑らせ、バランスを崩したジンロをこちらに向かってくるビルの方へと蹴り飛ばした。そのままもつれ合う二人に斬りかかるがそれはウォックの拳によって阻止される。
「さっさとくたばりやがれ!!」
連続で繰り出される拳をしっかりと見据えながら躱していく。自分の拳が当たらないことに苛立ちを募らせるウォックの足元にしゃがみ込むと、そのまま足払いを決め、倒れたウォックに剣を振り下ろした。
「させないぞ!!」
ジンロがウォックの身体の上に飛び込み、自分の身を呈して雫の攻撃からウォックを守る。構わず振るわれた剣に肩口を切られ、鮮血が飛び散った。ジンロは表情を変えずに身体をひねり起こしながらモーニングスターを雫へと振るう。それと同時にビルが後ろから雫に斬りかかった。
雫は予備動作なしで地面を蹴ると空中で半回転しながら三人から距離をとる。その隙にジンロはウォックの身体を起こし、ビルは油断なく雫の動きを探っていた。
「…これが本来の実力ってか?今まで手加減でもしていたのか?」
限界をとうに超えているウォックが気力だけで立ちあがりながら、雫を睨みつける。距離を取ることで息を整えていた雫が小さく首を横に降った。
「手加減なんてしていないよ。あたしはずっと全力で戦ってた。…今はただ単に無理してるだけ」
雫の言う通り、後先考えずに魔力を行使しているため、いつ限界が来るかわからない状態であった。そのためこの身体が動かなくなる前に、この三人だけはここで倒しておかなければならない。
「なるほど…お前が力つきるのが先か、俺達が力つきる方が先か…わかりやすくて俺好みだ!」
「そういうことになるね」
ウォックの言葉に素直に頷きながら、剣を構える。
「でも、あたしは負ける気なんてないから」
「はっ!そりゃこっちのセリフだ!!」
ウォックは、もうとっくに底をつきかけてる魔力を絞り出すように練り、自身の体を強化する。
「私たちにも魔族としての意地がある」
ジンロも【身体強化】を発動しなおし、モーニングスターを雫の方へと向けた。
「三体一っていうのにこの女化け物かっていうか、負けるわけにはいかないっていうか」
雫との根比べということなので、ビルは殺傷能力の高い紫のナイフをしまい、相手の攻撃を受け流しやすい手慣れた二本のナイフへとシフトチェンジする。
ウォック達は目で合図をすると、三人同時に雫に襲い掛かった。小手先の技術などなし、純粋に人数と手数だけで雫を圧倒しようと各々の武器を振りかざす。
それでも雫の身体を傷つきるには至らない。嵐のように迫り来るすべての攻撃を雫は剣一本で凌いでいく。
「くそがぁぁ!!」
ウォックが雄叫びをあげながら雫に拳を出し続けた。腕をふるうたびに斬られた場所から血が噴き出し、雫の顔を赤く染め上げるが一切気にすることはない。
「人族風情が!さっさと我々にひれ伏せ!!」
雫の余りの硬さに、今までの無感情を装っていたジンロが怒気をあらわにする。力任せに振り下ろしたモーニングスターをか細い剣で易々と受け止められ、さらに怒りの色が濃くなった。
「ここで決めるっていうか!!」
気合のこもったビルの一突きを半身で躱し、その場で回転しながら上段蹴りを放った。まともに受けたビルはそのまま吹き飛び雫の張った”隔絶せし聖なる壁”に叩きつけられる。
そのまま超高速でジンロの足元に滑り込むと、馬の前足を剣で切り裂いた。おもわず膝をつくジンロを無視して雫はウォックに向かっていく。
「死ねぇぇぇぇ!!!」
雫の顔がこちらに向く前から渾身の右ストレートを叩き込もうと力を溜めていたウォックの拳が襲いかかる。雫は軽く手を前に出すと囁くように魔法を唱えた。
「”眩む光”」
雫が唱えた魔法は【聖属性魔法】でも初歩の初歩に該当するもの。なんの特殊効果もない強い光が発生するだけのものだった。普通ならばこんな魔法は何の役にも立たないのだが、戦闘、特に近接戦闘中であれば一回に限り相手の虚をつくことができる。
雫は初めから攻撃の要であるウォックを倒すことだけを考えていた。ウォックさえ落とせば、彼ほど脅威でない残りの二人を倒すことができると計算し、ねこだまし戦法を使う機会を虎視眈々と狙っていた。
「ぐぁぁぁぁぁ!!?」
至近距離からの強烈な発光を受けたウォックは両手で目を抑えてうめき声をあげる。自分の思い描いていた理想的な状況、雫は勝利を確信し力強く剣を振り上げた。
その瞬間、雫の全身から力が抜けていく。
「あっ…………」
情けない声とともに膝ががくりと折れ、そのままゆっくりと地面に倒れていく。周りに張られていた”隔絶せし聖なる壁”段々と薄くなっていき、光の粒子となって完全に消え去った。
なんとか力の入らない身体に鞭を打ち立ち上がろうとするが、視界が元に戻ったウォックが雫を思い切り蹴り上げる。
「がはっ…!?」
血の混じった息を吐きながらなすすべもなく吹き飛ばされ、受け身も取れぬまま雫は地面に叩きつけられた。
「どうやら…時間切れのようだな」
斬られた足をかばいながら立ち上がるジンロがニヤリと笑みを浮かべた。
「やっとっていうか、どんだけ魔力あるんだよっていうか」
ビルは蹴られた場所をさすりながらウォック達に近づき、化け物を見るような目を雫へと向ける。雫は自分の身体に魔力も体力もひとかけらもないことを感じながら、剣を杖のようにして気力だけで立ち上がった。
「ま…だ…負けて…ない」
「あぁ?」
まだ喋る元気があるのかと呆れたようにウォックが眉をしかめる。
「あ…たしは…こんなところで…負けるわけには…いかない…。あたしは…みんなを護る…騎士…なんだから」
やっとの思いで絞り出した声は掠れており、先ほどもまでの力強さは一切感じさせない。
「無様だな。自分の度量もわからず大言壮語を吐くとは」
鼻で笑うジンロをよそに、雫は剣を向ける。ビルは懐から四本の投擲用ナイフを取り出すと雫に向けて投げはなった。
「うっ…」
ビルの投げたナイフは雫の四肢に突き刺さるが、それでも雫は倒れない。
「まだ諦めないっていうか、大した根性してるっていうか」
さらに懐からナイフを取り出そうとしたビルをウォックが手で制した。
「こいつは俺が倒す。お前らは手を出すな」
ウォックは二人にそう告げると、ゆっくりと雫のもとに歩いていく。ボロボロになりながらも仲間のために立ち上がる雫の姿に、ウォックはある種の尊敬の念を抱いていた。そのため、せめてもの礼儀としてとどめを刺すのはどうしても自分の手でやりたかった。
視界がぼやけながらもウォックが少しずつ近づいてくるのが見える。雫は震える両手でギュッと剣を握りしめた。
「……敵ながら天晴れ。今楽にしてやる」
そんな雫の姿を見て、ウォックは静かに呟いた。一歩ずつゆっくりと、雫に引導を渡すためその歩を進める。
「あ……たしは……騎士に……」
なりたかった。
雫の頭に仲間の顔が走馬灯のように浮かんでくる。涼しげな表情を浮かべる隼人、無愛想な顔の美冬、ニコニコとこちらに笑みを向ける恵子、そして眠たそうにこちらを見ている昴。
自分も胸を張ってあの人達の横に並びたい、そう思ったから雫は騎士になりたいと思った。
隼人は何も言わずに自分を支えてくれる。昴は文句を言いながらもいつも自分を護ってくれる。美冬はなんでも自分一人で解決してしまう。恵子は自分の命を賭してまで昴を守り抜いた。
そんな自分の仲間達と比べて雫はいつも一歩下がったところにいる気がしていた。それが雫は嫌だった。
ちゃんと対等な存在でいたい、仲間達と同じ目線で同じ場所に立っていたい、守ってもらったから今度は自分が誰かを守りたい。
霞んでいく意識の中で雫がそんなことを考えていると、いつの間にか目の前にはウォックが立っていた。
「苦しみはない。一撃で終わらせてやる」
それがせめてもの慈悲、とでもいうようにウォックが右手に魔力を蓄える。雫は自分の死期を悟り目を瞑るなんてことはしない。それは諦めてしまったという証拠。自分の仲間は絶対に諦めたりはしない、ならば自分も最後まであがいてやる。
力なく振り下ろされた剣を、ウォックは防ぎも躱しもしない。ただ真顔でそれを受け、その頑強な肉体ではじき返した。
「最後までよく戦った」
ウォックは魔力の溜まった右手をゆっくりと振り上げる。
「誇りを抱いて死んでいけ」
その言葉と同時に振るわれたウォックの拳をなんとか避けようとするも、雫の身体は一切いうことを聞かなかった。
(こんな…こんなところで!!)
すべての景色がスローモーションに映り、ウォックの拳がゆっくり近づいてくるのを見て、雫は心の中で叫び声をあげる。
(まだみんなを護れてないのにっ!!まだ自分が憧れる騎士になれていないのにっ!!!)
悔しくて仕方ない。みんなを護れない自分が、敵を倒せない自分が、何もできない自分が悔しくて、情けなくて仕方なかった。
だが諦めない、諦めるわけにはいかない。同じ状況でも私の大切な人たちは絶対に諦めたりはしない。
必死に頭を回転させる。勝つために、守るために、生きるために雫はあらゆる方法を模索した。
しかし、現実は非常である。練り上げる魔力は底をついており、そもそも魔力を練っている時間などない。剣を使おうにも身体に力など入らず、先程まで振り回していた剣は鉛のように重かった。
本当にどうすることもできないのか?ウォックの拳はもう目前まで迫ってきている。目を逸らしてなるものか。騎士としてのプライドか、はたまた単なる悪あがきか、雫はウォックの拳を睨み続けた。
ドゴッ!!
目を離さなかったはずなのに、雫の視界からウォックの姿が一瞬にして消え、その代わりに目の前には黒いコートを羽織った黒髪の青年が自分に背を向けて立っている。
何が起こったのか雫には全く分からなかった。黒髪の青年は自分が蹴り飛ばした相手に目をやり、後ろにいる雫にニヤリと笑いかける。
「待たせたな。騎士さまの登場だ」
そのひどく懐かしい声で告げられた言葉は、雫の心の奥底に眠っていたあの言葉だった。