12.凶狼
「おらおらどうした!!」
連続で繰り出される拳を雫は剣一本で防ぎ、弾き、いなしていく。【剣聖】のユニークスキルを持つ隼人には劣るものの、雫の剣術は異世界人の中でも頭一つ飛び出していた。
(この人…強い…!!)
ウォックの猛攻を受けながら冷静に相手の力量を分析していた雫はウォックの強さに内心で驚きを隠せない。ランクAの魔物を討伐したこともある雫であったが、ウォックの強さはそれと同等かもしくはそれ以上であった。
(でも…!!)
相手の強さを認めると同時に雫は確信していた。
(勝てない相手じゃないっ!!)
剣圧に押され後ろへと下がった雫は着地と同時に地面を蹴り、ウォックの下へと飛び込んでいく。ウォックはそれを見越して雫が来るであろう位置に拳を放つが、雫はその拳を刃先で滑らせ、身体を回転させながらウォックを袈裟切りにした。
「ぐっ…なめるなぁ!!」
【獣神化】により身体が頑丈になっているため致命傷には至らないが、それでもウォックの顔を歪めさせるくらいには効いていた。間近にいる敵を睨みつけ腕に力をこめると、拳を思い切り叩きつける。雫は落ち着き払った様子で拳が自分に届く前に後ろへ飛び、ウォックから距離をとった。
「流石は異世界の勇者様ってわけだな」
涼しい顔でこちらを軽快している雫に息を整えながらウォックが話しかける。
「…異世界人であることを知っているの?」
「当然だ。さっきも言ったが戦う相手の情報はしっかりと集めるもんだぜ」
ウォックは自分の肩から腰にかけて斜めに入った切り傷に手を添え魔力を注ぐ。すると傷がみるみる塞がっていき、あっという間に傷のない奇麗な身体に戻った。
「【自己治癒能力】…」
「ご名答。狼の魔物っていうのは大概そのスキルを持っているからしぶてぇんだよな」
眉を顰める雫の顔を見ながらウォックはニヤリと笑みを浮かべる。
「俺もスキルを披露したんだ…あんたのその白いモヤモヤの正体を教えてくれよ」
ウォックが雫の身体からあふれ出している白い魔力を指さすが、雫は口を真一文字に結んだまま答えようとしない。
「だんまりか…まぁそれでもいいぜっ!!」
ファイティングポーズをとりながら迫ってくるウォックに対して雫は剣を振るう。
「その白いモヤモヤが出てきてからあんたは急に強くなった!!それはあんたの本気ってことかい!?」
拳を打ちながらもウォックは話しかけてくるが、雫は一切取り合わず冷静に攻撃をさばいていく。
「その白い魔力は知っているぞ!!あんたは【聖騎士】だもんな!!」
「…………」
「【聖属性魔法】は魔族には無縁の魔法だから詳しくは知らねぇが、その魔法は見たことがある!!”聖なる祝福”だっ!!」
ウォックの言葉に一瞬雫の身体がピクリと反応する。その隙を見逃さないウォックが会心の右ストレートを放った。雫が咄嗟に反応して右に躱すもウォックは途中で拳を止め、雫の動いた方へと身体をひねりながら鋭利な爪で雫をきりさく。右肩に走る激痛に堪えながら雫は剣をウォックの身体に押し当て、力任せに斬り飛ばした。
吹き飛ばされたウォックは身体の伸縮だけで立ち上がると、首に手を当てコキコキと音を鳴らす。雫は血が流れる肩を抑えながら魔力を高めた。
「“癒しの光”」
左手が一瞬まばゆい光を放ったと思ったら、次の瞬間には肩の傷はきれいさっぱりなくなっていた。
「まぁ【聖属性魔法】が使えるなら当然それもできるわな。ただ”聖なる祝福”を使っている今、いつまで魔力が持つかな?」
ウォックが心底楽しそうな笑みを浮かべる。それに対して雫は無表情でいるが、内心はかなり焦っていた。
今雫が自分に使用しているのはウォックの言う通り”聖なる祝福”の魔法であった。この魔法は【身体強化】のスキル同様自身の身体能力を格段に上げてくれる魔法である。ただ一つ大きく異なる点があり、【身体強化】は発動時に魔力を消費するだけなのだが、”聖なる祝福”は使用中は常時魔力を消費している、ということであった。その分【身体強化】よりも飛躍的なステータス上昇は見込めるのだが、魔力が切れたらどうすることもできなくなってしまう。
この状態の雫は自身に施こすことのできる強化の限界であった。雫はウォックと戦いながら、本気を出せば勝てる相手であると判断し、”聖なる祝福”を使用した。しかし、現実はウォック相手に押してはいるものの倒せるまでには至っていない。
「あたしも一つ聞いてもいい?」
雫は心中を相手にわからせまいと余裕の様子でウォックに話しかける。ウォックは少し意外そうな顔をしたが、すぐに興味深そうな表情を浮かべた。
「俺の質問には答えてくれないくせにな。まぁいいぜ!なんだ?」
「八獣星の中であなたが一番強いの?」
「当然だろ!!俺は無敵の’凶狼’だぜ?」
「そう…それを聞いて安心したわ」
「なっ!?」
雫は魔力をさらに高め、一瞬でウォックの懐に潜り込む。先程とは段違いのスピードで肉薄されたことに驚き、ウォックは間近にいる雫を見て目を見開いた。ウォックが雫の姿を認識したときには既に剣は振り上げられていた。
「ぐぁぁぁぁ!!!!」
さっき斬られた時と同じ状況のはずなのに、先程とは異なり雫の剣はかなり深いところまで届いていた。雫は魔力を高めたまま無酸素運動でウォックを斬りまくる。雫の速度についていけないウォックはされるがままになっていた。
ウォックが膝をついたところで後ろに下がり、”聖なる祝福”を解除する。一度もウォックの攻撃を喰らっていない雫なのだが、その身体からは大量の汗が噴き出していた。
雫が息を整えている間にウォックは【自己治癒能力】を発動するが、最早それでは手におえないような傷ばかりであった。
「そ、れがお前の本気か?」
血だらけになりながらも笑みを浮かべて雫に問いかける。雫はそれには答えず、”アイテムボックス”から魔力ポーションを取り出すと一気に飲み干した。
【身体強化】と”聖なる祝福”の併用。確かにこれは自身に施こすことのできる強化の限界ではあったが、その二つの使用=雫の強さの限界というわけではなかった。その理由は”聖なる祝福”の仕様にある。
この魔法は【身体強化】とは異なり、常時魔力を消費するものではあるのだが、それによるステータスの向上は消費する魔力量に依存するのであった。そのため魔力を注げば注ぐほど、もっともそんなことをすればすぐに魔力が尽きてしまい、戦うどころではないのだが、理論的には雫はステータスを際限なく上げることが可能である。
つまり今見せた動きが戦闘時間を加味した現段階における雫の本気ということになる。
両腕を力なくだらりと下げたウォックを見て、雫は剣を鞘へと戻した。
「何のつもりだ?」
「これで終わりでいいでしょ。これ以上やったらあなたは死んでしまう」
訝しげな表情でこちらを見るウォックに、雫はさも当たり前といった様子で告げた。その言葉がウォックの琴線に触れる。
「なるほど…久しぶりにキレたぜ」
敵に情けをかけられる、それはウォックが最も忌避する行為であった。【瀕死行動】のスキルによりボロボロのウォックの身体に力が宿っていく。
「ジンロォォォォ!!!」
ウォッカの大声に応えて隣に下半身が馬になったジンロが軽やかに降り立つ。その姿はさながら神話に出てくるケンタウロスのようであった。
「この女はここで確実に息の根を止める!!」
憤怒の形相で告げるウォッカに対し、ジンロは一切の感情が表に出ていない。
「だから言っただろ。人族などさっさと殺すべきだと」
それでもモーニングスターを握る手には力が籠り、雫を見る目は憎悪に満ち溢れていた。雫はゆっくりと息を吐くと”聖なる祝福”を唱え、剣を構える。
「行くぞ、異世界の甘ちゃん……第二ラウンドだ!!」
怒りに燃える瀕死の狼男と憎悪を滾らすケンタウロスが同時に地を蹴り、雫へと向かっていった。