15.『恵みの森』の男
パチパチッと何かが焼ける音で昴は目を覚ました。ぼやけた視界が音の正体であるたき火をとらえる。
「ここは…?」
意識を取り戻した昴に強烈な獣臭が鼻を襲う。匂いの出所を探すと昴にかけられている毛皮から発せられているものだった。急いで毛皮を脇によけ起き上がろうとすると腹部に激痛が走る。
「あーまだ起き上がらないほうがいいぞ。傷口が塞がっただけで、治ったわけじゃないと思うから。まぁすぐに良くなるとは思うけどな」
昴はたき火の向かい側にいる声の主に顔を向ける。そこにはたき火で何かを熱心に焼いている美形の男の姿があった。
年齢は不詳。二十代後半と言われれば納得する顔立ちであり、四十代と言われればそれ相応の貫録を感じる。漆黒のローブに黒いズボンが銀色の長髪の美しさを更に際立たせていた。
昴は身体を横にしたままあたりの様子を窺う。空はひっそりと白んできて、森には鳥のさえずりも聞こえてきていた。自分の下には葉っぱが敷き詰められており、毛皮を布団にして寝かされていたようだ。
「えーっと…なにがあったのか聞いても?」
「その前に腹ごしらえだ。かなり出血したから頭に血が回らねーだろ。肉を食え肉を」
木の枝に刺して焼いていた肉を昴に投げ渡す。肉を手渡されて初めて自分が空腹であることに気づいた昴は、ゆっくりと体を起こし、無言でかじりついた。
「…うまいな、これ」
「そうだろ?なかなか口にすることができない代物だぜ?」
「こんな肉、今まで食べたことないな…なんの肉だ?」
「'グリズリーベア'」
夢中でかぶりついてた昴は銀髪の男の言葉に思わず食べていたものを吹き出す。男は汚いな、と少し眉をひそめたが気にせず自分の分を頬張った。
「な、なんてもん食わすんだよ!魔物の肉なんて!」
「ん?魔物の肉食べたことないのか?うまいぞ?'オークキング'とか'バジリスク'とか、食べたことないやつは人生の半分以上損してるな」
「…魔物の肉は食べれないって教わったぞ?」
「いんやそんなことはないだろ。現に今食べてるし」
「それはあんたが何も言わずに渡してきたからだろ」
昴がジト目を向ける。そんな視線を気にしたそぶりもなく、男は食べ終わった枝で昴を指した。
「魔物の肉がなんでダメなんだ?元々熊の肉は食べるだろうに。それに瘴気が混ざっただけのことだろ」
「その瘴気が人体に悪影響を及ぼさないのか?」
「この世界に瘴気がない場所なんてねーんだから人は多かれ少なかれ瘴気を体に取り込んでんだよ。だから今更騒いでも遅いってことよ。瘴気によって肉が柔らかくなったり、うまくなったりすんだよ」
昴は自分の手元にある'グリズリーベア'の肉を見つめる。確かにこの肉は元の世界で食べた、どの肉よりもおいしかった。肉を焼いただけなのにしっかりと味がして、二、三度噛むだけで魔法のように口から消えていく。
こんな素晴らしい肉を'グリズリーベア'の肉だからと言って食べないのは愚か者がすることだ、と男に言われた昴は、あまり深く考えないようにしながら食事を再開した。
それからの昴は止まらなかった。一心不乱に肉に食いつき、食べ終わると無言でおかわりを催促する。そんな昴の様子を、男は笑いながら眺めていた。
「さて、腹もいっぱいになったところでそろそろお互いの話をしようかね」
結局最初のを含めて五本も熊串を食べた昴の食欲に、若干あきれながらも男は話を進める。
「まずは自己紹介からだな。俺はジェムル、冒険者だ」
「…楠木昴、王都に住んでいる」
「王都に住んでる、かぁ…いろいろと確認したいことがあるが、まずはスバルの疑問から答えていくか」
昴のはぐらかしたような言い方に何か言いたげだったがとりあえずは、といった様子でジェムルは昴に質問するよう促した。
「まずはここはどこなのか。あんたはなんでこんな場所にいるのか。そして俺があの化け物からどうやって助かったのか知りたい」
昴は知りたいことを矢継ぎ早に問いかける。他に異世界人や騎士団はどこいるとか森の異変について何か知らないかとか聞きたかったのだが、まずは自分が置かれている状況を確認するのが先決だった。
昴の言葉を聞いたジェムルが眉をひそめる。
「…どうやって助かったのかって覚えてないのか?」
「…覚えてない」
ジェムルは昴の様子を食い入るように見つめながら、無言で考え込む。その沈黙はなんだか探られているようで居心地のいいものではなかったが、仕方なくジェムルが言葉を発するまで待った。
「…覚えてないというよりは信じられないといった感じか」
呟くような独り言を、昴は黙って聞き流す。
「とりあえず最初の質問からだ。ここは『恵みの森』の最奥部。お前がいた川原からは少し離れた場所だ」
「最奥部…そんなところまで…」
昴達が調査を任されたのは森の入り口からそう遠くないところであった。ジェムルの言う通りここが最奥部であればかなりの距離を流されたことになる。
「次に俺がなんでここにいたかっつーのは、俺が魔物の生態を研究する冒険者で、ここの魔物の生態を調査していたからだ」
その説明ではいまいちピンときていない昴にジェムルは更に補足する。
冒険者については昴も城の座学の時間に習った。彼らは冒険者ギルドから依頼を受けたり、討伐した魔物を冒険者ギルドに売却をしたりして生計をたてている者達である。
彼らの中には魔物を討伐する以外になにか目的をもって冒険者として活動するものが一定数存在するらしい。ジェムルはその中でも魔物の生態を調査する類の冒険者、いや研究者に近かった。
ジェムルの話を聞いた昴が一応納得したように頷く。
「そんでお前がどうやって助かったかっていうと…まぁ簡単に言っちまえばお前が'グリズリーベア'をぶっ飛ばしたんだよ」
「俺が?」
昴が怪訝な顔でジェムルを見た。あの化け物を自分だけで倒したとは考えにくい。
「…信じられないな」
「信じる信じないは勝手だが俺は事実を言っている」
きっぱりと言い放つジェムルに昴は納得がいっていないような表情を浮かべた。
「…ていうかお前自身が見ていただろ?それ以上のことは何にも起こってねぇよ」
「……………」
ジェムルの言葉に昴は顔を伏せる。
実際ジェムルの言う通り自分の手で'グリズリーベア'を葬ったその光景を昴は見ていた。しかし目にしただけだ。自分の意思とは関係なく行われる殺戮を、映画を見るようにただただ見ていることしかできなかった。
「まぁスバルの問いに対する答えはこんな所かな。それじゃ今度は俺から質問させてもらうぜ」
「…俺に答えられる範囲で答えるよ」
「お前、異世界人か?」
軽々しい雰囲気から一転、ジェムルは真剣味を帯びた口調で昴に問いかける。やや間をおいて昴が首を縦に振った。
「なんでわかった?」
「なーに、俺の知り合いに異世界人がいてそいつとなんとなく、醸し出す雰囲気が似てたからさ」
「知り合いに?」
昴が驚きに目を見開くとジェムルはあっさりと首を縦に振った。
「あぁ。性格とかは全然違うんだけど、纏ってる空気っつーのかな…この世界のやつじゃないんだよな」
「…その知り合いってのは最近知り合ったのか?」
「いんや、古くからの知り合いだ。まぁここ二、三ヶ月くらいは会っていないけどな」
昴の頭に疑問符が浮かぶ。昴達がこの世界にやってきたのは一ヶ月前、それ以前にジェムルが昴達異世界人に会うことは不可能だ。それなのにジェムルが異世界人と面識があるということは、ジェムルが嘘をついているか、あるいは…。
「なにか気になるような事があるみたいだが、質問を続けるぜ?」
「あぁ、問題ない」
ジェムルに言われ、昴は疑問を一旦置いておくことにする。
「異世界人ってことは魔族とドンパチやるために召喚されたって事だよな?」
「まぁそういう名目で召喚したって言ってたな」
「つーことはスバルも魔族と戦争するつもりなのか?」
その質問に昴は首を傾げた。正直質問の意図が全くわからない。戸惑いながらも別に誤魔化すことでもないと思い昴は素直に答えることにした。
「今まではそれが目的だったからそのつもりだったんだけど、ジェムルの話を聞いて少し事情が変わった」
「へぇ…?」
ジェムルが興味深そうな視線を昴に向ける。そんなジェムルを見定めるように逆に昴が問いかけた。
「そもそも、なんでそんなこと聞くんだ」
「そりゃお前…魔族との戦争だぞ?そんな事が起これば一冒険者である俺も無関係ではいられない。そんな命が何個あっても足りないような戦争が起こるってんなら俺も身の振り方を考えなければいけないって事だ」
ジェムルは困ったような顔で肩をすくめる。
冒険者には一定の強さが要求される。そのため、種族の存亡をかけた戦争であれば当然、そんな冒険者達に声がかかるのだろう。
ジェムルはそれを懸念しており、それならば爆心地になるであろうこの国の近くにはいたくないという事だ。
「それで、事情が変わった理由ってのはなんだ?」
「俺たちは無理やりこっちの世界に連れてこられたんだ。当然元の世界に帰ろうとしたんだが、そのやり方はわからないって言われてな。こっちの世界のやつに聞けば魔王を倒せば元の世界に帰れるかもしれないらしいから元の世界に帰るために魔王を倒そうと思っていたんだが…」
ここで昴は言葉を切った。ジェムルはお預けをくらった犬のように眉をひそめ昴を見つめる。
「思ったが、なんだ?」
「…ジェムルの知り合いってのは俺が知っているやつじゃない。俺たちはこの世界に来てからまだ一ヶ月くらいしかたってないからな」
ジェムルには異世界人の知り合いがいる。それは十中八九以前召喚された者だろう。魔王を倒した異世界人の先輩がこの世界にまだいるということは、魔王を倒したところで目的は達成されないということだ。
昴の言葉にジェムルは納得したように頷いた。
「なるほどな…魔王が倒されたのに俺の知り合いがこの世界にいるって事は、お前が魔族と戦う理由がなくなったってことか…」
ふむ、とジェルムは自分の顎に手を添えた。
「魔族には人間を襲うような奴もいると聞くが?」
「それは人間も同じだろ?いい奴もいれば悪い奴もいる」
昴はクラスメート達のことを思い出す。一日しか離れていないのに、なぜだが遠い昔の知り合いのように思えた。
「とにかく俺の目的は元の世界に帰ること。それを邪魔するっていうなら戦う事にもなるだろうが、積極的に魔王を討伐するって気にはもうなれないってことだな。面倒臭いし」
「…お前はそういう風に考えるのな」
面白いものを見るようにジェムルは昴に目を向ける。
「でもみんながみんなスバルみたいな考え方はしないだろうな。遅かれ早かれ争いは起こる。俺に飛び火しないうちにさっさとずらかったほうが身のためだな」
「まぁ少なくともあと一年くらいはこちらからは動かなそうだけどな」
「ん?それはどういうこった」
「一年は俺たち異世界人を育て上げるんだとよ。あぁもう一ヶ月たったからあと十一ヶ月か」
「ほうほう、なら俺が逃げる時間も稼げるってわけだな」
嬉しそうに笑みを浮かべるジェムル。伝える事は伝えたと判断した昴は、立ち上がると自分の身体が問題なく動くか確認した。肉を食べた影響か、違和感は少なからずあるが動けないほどではない。
「世話になったな。ジェムルがここまで俺を連れてきてくれたんだろ?」
「ん?あ、あぁ。まぁ大した事はしてねーよ。…もう行くのか」
「あぁ、他の奴らが心配してるかもしれないからな。…してないかもだけど」
「仲間が失踪したってのに心配しないっつーのはなかなか辛辣だな。それで仲間と会ってどうする?そのまま城に戻るのか?」
「いや城には戻らない。なんだかんだ勝手に俺たちを巻き込んだ奴らだからな。俺にとっちゃ魔族なんかよりも信用できない奴らだよ」
昴が肩を竦めるとジェムルはくっくっくと愉快そうに笑った。
「とりあえずの目的は森を抜けることだな…ジェムル、川はどっちだ?」
「ん、あっちだ」
昴はジェムルが指さしたほうへ目を向ける。とにかく川まで行ければそれをたどって森を抜けられる。礼を言いつつ進み出そうとした昴の背中にジェムルが声をかけた。
「なぁ…最後に一つだけいいか?」
「なんだ?」
ジェムルの方へは顔を向けずに昴が応える。アトラス達が俺のことを探しているかもとか、どれくらい歩けば森を抜けられるだろうかとか、そんなことを考えていた昴だったが、ジェムルが告げた言葉によってそれらが一瞬に吹き飛ばされた。
「お前…呪われてるだろ?」
瞬間的に振り返る昴。ジェムルは大した事は言ってないといった雰囲気で火の後始末をしていた。あまりの驚きに声を出すことができない昴を見てジェムルは苦笑いを浮かべる。
「おいおい、自分のスキルってのはバレないようにしとかねーと命に関わるぜ?そんなあからさまに反応されるとこっちも困っちまう」
からかうような口調のジェムルを、ただただ呆然と見つめるしかない昴。
「なんでわかったかって顔してるな。'グリズリーベア'との戦いを見てたってのはあるが…一番は呪いスキル持ちの奴を見たことがあるからだ」
「…………知り合いか?」
「俺だ」
やっとの思いで言葉を口にした昴に対し、ジェムルは笑顔で親指を自分に向ける。これ以上の驚きなどないと思ってた昴におとずれる二度目の衝撃。
「どうせ今すぐに行かなきゃいけないってこともないだろ?ちょっと俺に付き合えよ」
そう言って立ち上がるとジェムルは森の方へと歩いていく。
「呪いのこと知りたいってんなら付いてきな」
昴はしばらくジェムルの背中を見ていたが、何も言わずにその後を追った。




