5.幼き日の出会い
作戦会議を終えた雫達はすぐに身支度を整え、ナイデル砦の外に集結した。元々ナイデル砦にいた騎士たちには砦の防衛を命じ、その指揮権を隊長であるキッパに委ねる。そのため今整列しているのは王国からやってきた騎士百五十名とガイアス、フリント、そして異世界人である雫達であった。
雫達はそれぞれ冒険者ギルドの依頼をこなして得た武器を手に隊列の戦闘に立っている。その中でも中央に立つ雫は銀の鎧を見にまとい、全員の注目を一身に受けていた。
「雫っちはド派手だねぇ~!!」
目を丸くしながらさおりが言うと、雫は照れたように頬を赤くした。
「今回の戦いに、ってカイルさんから頂いたんだ。【聖騎士】のスキルの中に【重装備】っていうのがあるからしっくりは来るんだけど…正直、恥ずかしい」
「そうね。前の雫だったら似合ってたけど、今の雫が着ると違和感あるわね」
からかう口調で真菜に言われ、雫はますます顔を赤くした。
「いやいやよく似合ってるよ!すっげーかっこいい!!」
「そ、そうかな?ありがとう」
目をキラキラと輝かせながら自分を見つめるさおりに、雫は困ったような笑みを浮かべる。
「あたしが着てもそうはならないだろうな~」
「さおりが着たら仮装パーティにしか見えないわね」
「真菜うっさい」
辛辣な物言いの親友に対し、さおりは歯を見せて威嚇する。
「いやでも本当によくお似合いだよ!!絵本に出てくるお姫様を助ける騎士みたい!!」
なんてことはないたとえ話、笑って流されると思ったその言葉を聞いた雫は何かを思い出すかのように遠い目をした。そんな様子を見て心配そうな表情を見せるさおり。
「雫っち?あれっ?あたしなんか変なこと言っちゃった」
「えっ?いや、何でもないよ!ちょっと緊張してきちゃって」
「そう…?ならいいんだけど…」
腑に落ちない顔をするも一応さおりは納得する。さおりの隣にいる真菜が少しだけ目を細めて雫を見ていた。
雫は身体の向きを変え立ちはだかる敵を見据える。キッパの言う通り、広大な平原を埋め尽くさんとばかりに黒い何かが蠢いていた。それがすべて魔物であるのならば、そう考えた雫はもう一度気を引き締め直し、誰にも聞こえないような小さい声でそっと呟く。
「騎士か…」
その言葉は雫にとって特別な思い入れのある言葉であった。
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霧崎雫はごくごく普通の家庭に生まれ育った。
金持ちでもなければ貧乏でもない、家族仲も決して悪いものではない。父親はメーカーのエンジニア、母親はスーパーでパートとして働いていた。共働きだからといって雫をないがしろにすることはなく、雫自身も自分の両親のことが大好きだった。
しかし昼間、両親のいない時間、雫は寂しい思いをしていた。幼稚園のころは母親の仕事が終わるまで幼稚園の先生が面倒を見てくれるため気がつかなかったが、小学生に上がり、母親に鍵を渡され、一人で家に帰ったときは愕然とした。母親が包丁で野菜を切る音も、父親がテレビを見ながら贔屓の野球チームに檄を飛ばす声もない。そんな無音が広がる家にただ一人でいることが雫は怖かった。ソファに置いてある自分の大好きなクマの人形も、誰もいない今は力なく横たわる不気味な物体にしか見えなかった。
だから雫はいつも家に帰るとビクビクしながら自分の部屋にあるお気に入りの本をもって外へと繰り出した。近くの公園にあるブランコに乗り、その本を読みながら母親の帰りを待つというのが雫の日課になっていた。
今日もその本を片手に公園へとやって来た。中をのぞくと雫以外誰もいないようで雫はホッと息を漏らす。時々、雫よりも先にブランコを使っている子がいるので、その時はがっくりしながらベンチに座り本を読んでいた。今日はそんなこともなかったので、それだけで雫はご機嫌になる。
鼻唄交じりでブランコに近づき、腰を掛けるといつものように本を開いた。何百回、何千回と読まれた本の表紙はかなり汚れており、よれよれになってはいるが雫はそんなこと全然気にしない。見かねた母親が新しい本を買ってあげるといった時は、雫は頑として首を縦には振らなかった。この本があればいい、そう意固地になる娘を見て母親は苦笑いを浮かべていた。
少しだけブランコを揺らしながら本を読んでいく。内容は全部知っているというのに、雫はハラハラドキドキしながら夢中になってページをめくっていた。
「何読んでんの?」
だから誰かが近づいてきていることに雫は気づかなかった。驚いて顔を上げると雫の前にニコニコと笑顔を浮かべる男の子と興味津々で本を覗き込んでいる男の子が立っていた。声をかけてきたのは本を覗き込んでいる男の子のようだ。少し人見知りの毛がある雫は慌てて本を閉じると、抱え込むように胸の前に持ってきた。
「昴のせいで怖がってるよ?」
「そうなの?ごめん」
ニコニコ顔の男の子に窘められ、昴と呼ばれた男の子が慌てて頭を下げる。雫は首を横に振るとおずおずと二人を見つめた。ニコニコ顔の男の子が優しく声をかける。
「雫ちゃんだよね?」
「えっ…なんであたしの名前を?」
二人の顔になんとなく見覚えがありながらも、自分のことを知っていることに雫は驚いた。
「だって僕達同じクラスだもん!」
自信満々に言い切ったもう一人の男の子の言葉を聞いて、雫はあっ!と声を上げる。どこかで見たことある顔だと思っていたら、同じ小学校のしかも同じクラスであることを思い出した。
「たしか…隼人君と昴君?」
おそるおそる雫が聞くと、二人は笑顔で頷く。入学したばかりで友達はおろか知り合いもいなかった雫であったが二人のことは知っていた。入学式の時、初めての小学校ということでみんなが緊張している中、教室に戻った二人が黒板消しを教室の扉に仕掛け、担任の先生から大目玉を喰らっていた。人付き合いの苦手な雫はそれを遠巻きに見ることしかできなかったが、二人は初日で既にクラスの中心人物になってしまったのだ。
「呼び捨てでいいよ!隼人もそっちのがいいよね?」
「そうだね、同じクラスなんだし」
「あっ…じゃああたしのことも雫で…」
雫はクラスの人気者から声をかけられ、ドギマギしながら答えた。
「それで何の本を読んでたの?」
昴に言われ、雫は慌てて本の表紙を二人に見せた。
「『おひめさまとないとさま』?」
表紙に書かれているタイトルを読みながら昴は首をひねった。隼人も眉を寄せている。
「おひめさまはわかるけど…『ないとさま』ってなに?」
難しい顔をしながら昴が顔を向けるが、隼人も知らない、と首をブンブン振った。
「『ないとさま』はね…とっても強くてカッコいいの!おひめさまを守るの!」
雫は自分が好きなナイトの魅力を必死に伝えようとするが二人は首をかしげるばかり。上手く伝えられなくて落ち込んでいる雫を見て隼人が提案する。
「それならみんなでその本を読んでみようよ。そしたら『ないとさま』が何かわかるよ」
「そうだね!一緒に読んでもいい?」
「うん!」
雫は満面の笑みで頷くと三人で本を読み始めた。
本の内容はありふれたものだった。
見目麗しいお姫様とそれを守る騎士の物語。
お姫様はある日その美しさから悪い魔法使いにさらわれてしまう。そんなお姫様のために主人公である騎士の男が名乗りを上げ、様々な苦難に立ち向かいながらお姫様のもとに向かい、悪い魔法使いからお姫様を救出する。そして二人は結ばれ末永く幸せに暮らすのだった。
本を読み終えた二人は興奮冷めやらぬ様子であった。
「『ないとさま』ってかっこいいな!!」
「うん!それに悪い魔法使いを倒しちゃうくらい強いんだね!!」
主人公をべた褒めする二人を見て、自分が褒められているかのように喜ぶ雫。そんな自分を呼ぶ声が聞こえ、雫がそちらに目を向けると母親が手を振っていた。
「あっお母さん」
「「えっ?」」
二人が揃って雫が見ていた方に目をやる。雫は手を振り返すと本を閉じ、いそいそとブランコを降りた。
「もう帰るの?」
「うん」
隼人に聞かれ、雫が残念そうに頷く。
「明日も来る?」
「えっ?」
「また一緒にその本読みたいと思って!」
昴が本を指さすと雫は一瞬ポカンとしたが、すぐに嬉しそうに笑いながら頷いた。
「じゃあまた明日ね!」
「うん!ばいばい!!」
「じゃあね!」
二人に別れを告げると、雫は走って母親の元まで行った。嬉しそうな娘の顔を見て雫の母親の顔が綻ぶ。
「お友達?」
「うん!!」
元気よく答えると雫は母親の手をギュッと握った。