3.戦の前
ナイデル砦にたどり着いた日の翌日、まだ日も昇らないうちに異世界人の勇者たち、騎士団のガイアスとフリント、そしてナイデル砦の代表としてキッパが会議室に集まった。あの後キッパのことを放っておいたら、夜通し見張り台に立ち続けていたらしく、今も半目で船をこいでいる。
そんなキッパは置いておき、早速作戦会議を始めようとするも、前に立っている雫は肘をついてその上に顎を乗せている誠一に鋭い視線を向けた。
「加藤、前田はどうした?」
昨日あれだけ不満を垂れていた千里ですら仏頂面で会議に臨んでいるというのに、そんな避難めいた視線をもろともせずに誠一は顎を乗せていない方の手をぶらぶらと振った。
「知らねぇ」
「その一言で片づけられることじゃないだろ」
益々視線を鋭くする雫に対し、誠一は小さくため息をついた。
「昨日気になることがあるって言って別れた後、あいつは俺らのところに来なかったんだよ。なぁ?」
誠一が視線を送ると、勝は大きく頷いた。
「元々あいつは戦いに向かない性格だからな。とどのつまり逃げ出したってことだろ」
「ちょっと何よそれ!!」
それまで大人しく座っていた千里が机を叩きながら立ち上がった。
「ここまで来て逃げ出すなんて…あいつどんだけ卑怯者なのよ!」
「それを俺に言うな」
「あんたが監督者でしょ!!」
「そんなもんになったつもりはない」
「二人とも落ち着け」
ヒートアップし始めた二人を雫が窘めた。誠一はあくびを手で押さえ、千里は射殺さんばかりに雫を睨みつけている。雫の少し後ろに立っていたガイアスが雫の前に立った。
「今更いなくなってしまった人をどうこう言っている時間はない。それに戦いたくない者を無理やり戦場に出したところで足を引っ張るだけだ」
「な、ならあたしも…!」
「結局ここが落とされれば城が襲われそこで戦うことになる。戦う場所くらい勝手に選べばいい」
ガイアスが淡々と言い放った言葉を聞いて、この戦いから逃げ出そうと手を上げかけた千里はその手を膝に乗せ、握り拳を作った。
「それで?この場にここから去りたいものはいるか?私はそれを止めないぞ」
ガイアスが顔を見渡すが、名乗り出る者はいなかった。さすがは王国が誇る騎士団の団長を張る男。いくら雫達異世界人が強いと言っても、こんな風に人をまとめることはできない。
「皆の協力に感謝する。それではシズク殿、お願いする」
それだけ言うとガイアスはスッと雫の後ろに引っ込んだ。あくまで今回の作戦は異世界人主体であるため自分がでしゃばることではないという配慮からである。雫は感謝の意をこめて頷くと、皆の方に向き直った。
「ガイアスさんも言っていた通り、魔物の大群はナイデル砦の近くまで接近しており一刻の猶予もない。私達の戦う相手が何なのか、そして私達はどのようにこの砦を防衛するのか、それが決まり次第戦場へと赴く」
雫の言葉を聞いて何人かが生唾を飲み込んだ。
「それでは相手の種類と規模をキッパさんお願いします」
「……………」
「キッパさん?」
「………zzz」
張り詰めた緊張感が漂う会議室で一人、鼻提灯をぶら下げている男がいた。雫が咳払いするも起きる気配はなく、フリントが後ろに立って自分の剣を鞘に入れたまま思いっきりキッパの頭に叩きつけたところでようやく目を覚ました。
「ひ、ひゃい!?なんでしょう!!」
キッパは起きた瞬間直立不動の姿勢で立ち上がり、雫の方を見る。その後ろで般若の形相でキッパを睨みつけているガイアスを見て冷や汗をダラダラと流し始めた。
「ナイデル砦に接近している魔物について教えてください」
雫がため息をこらえ、あくまで平静を装いながらキッパに問いかける。
「は、はい!わかりました!!」
キッパは慌てて懐をまさぐると、よれよれの羊皮紙を取り出した。
「まず砦から確認できた魔物から…ランクFモンスター’イビルラット’、ランクEモンスター’ダークラビット’’ワイルドドッグ’、ランクDモンスター’ホワイトウルフ’、’スキンヘッドホーク’、ランクCモンスター’グリズリーベア’、’ジャイアントスパロー’、’ブルーブル’、そしてランクBモンスター’サーベルタイガー’であります!」
息継ぎもせずに書いてあることを読んだキッパは、すべてを言い終えたところで全力疾走をした後のように息を荒げた。
「ランクBまでいるのか…」
ガイアスが難しそうな顔で呟いた。おそらくこの場でランクBモンスターと一対一で戦って無事でいられるのは雫くらいであろう。
「キッパさん、続けてください」
「あっ、は、はいであります!」
雫に促され、息を整えていたキッパが再び羊皮紙に目を落とす。
「えーっと…魔物たちは夜更けまでナイデル砦に向かっていましたが、一定の距離まで近づくとその場にとどまっているであります!」
「それはどれくらいの距離ですか?」
「目算ですが…城から出て貴族街を抜けるくらいの距離であります!」
何ともわかりにくい例えだが、何回も通っている道なので雫はおよそ三キロメートルほどの距離とあたりをつける。
「なるほど…僕たちに圧力をかける距離としては妥当なところだね」
フリントが軽い調子で言うと、ガイアスは重々しく頷いた。
「規模はどのくらいになりますか?」
「規模…魔物たちの大きさでありますか?自分が見張りをしていたので直接見たのですが結構大きい魔物もいるであります!」
自信満々に答えるキッパに頭が痛くなりながらも雫が努めて優しく諭す。
「キッパさん…数の話です」
「か、数?あっ…」
自分のしでかした間違いに顔を赤くしながら再度メモを確認する。
「これも具体的な数字はわからないでありますが…」
「おおよそで結構です」
「………万は超えているようであります」
おずおずと答えたキッパの言葉を聞いて全員が息を呑んだ。正直先程キッパがあげた魔物たちは、雫達が一度はクエストなどで倒したことのある相手であった。実際ランクBモンスターである’サーベルタイガー’もさおりと真菜の二人で傷つきながらも倒している。
しかし、それはあくまで少数に対して。冒険者ギルドの用意する依頼に魔物を千匹狩って来いといった無理難題はもちろんなく、多くてランクFモンスターである’イビルラット’を百匹討伐するのが関の山である。
一万という想像することもかなわないような数を相手に果たして無事に砦を防衛することができるのか、雫達は一様に不安に襲われた。それでもやるしかない、と雫は自らを奮い立たせる。
「キッパさん、ありがとうございます」
雫に言われ脂汗を吹きながらキッパは席に着いた。
「それでは次にどのように砦を守るかを…」
「ねぇ…あんたは本当に勝てると思ってるの?」
雫が次の話題に移ろうとするところで、千里がそれを遮った。その声は微かに震えている。雫が皆の顔を見渡すと、千里も萌も、普段は間抜け面の勝もだるそうに作戦会議を聞いていた誠一ですら緊張の面持ちを浮かべている。
「あたしたちは確かに強くなったわ。依頼だってこなして魔物を狩ってきたし、レベルも上がったわ…でもこんな常識外れの戦場に出てあたしたちが生き残ることなんてできるって本気で思ってるの!?」
口調を荒げながら千里は言った。それは怒りよりも自身が感じている恐怖を打ち消そうとした結果である。千里の問いかけに雫は答えることができなかった。できるわけもない、雫自身生き残れるなんて微塵も思えなかった。しかしそれを口にすることはできない。
全員の視線が雫に集中する。自分はこの場を任された責任者であり、悪戯に皆の不安を煽るような事はしたくない。それでも代わりの答えを持ち合わせていない雫は、ただただ無言を貫くことしかできなかった。