1.プロローグ
この世界は大きく三つに分けられる。
一つは魔族が住まう土地デスガンド地方。世界の北に位置し、魔族以外の種族はほとんど住んでいない。魔族の絶対数もそこまで多くはないので、三つの地方の中では最も狭い領土となっている。
デスガンド地方から南東に位置するのはブリュンヒルデ帝国が支配するサリーナ地方。この地は東西南北をそれぞれグリモア家、スペリオール家、エルシャール家、そしてエデンブルク家が守護する。この地方は力が絶対とされており、その考え方は魔族に通ずるものがある。
そして、最後はデスガンド地方の南西、サリーナ地方からは海を挟んで西側にあるパンドラ地方。ここは王都アレクサンドリアが統治する地であり、昴達異世界人を召喚したのもここアレクサンドリアである。
デスガンド地方はサリーナ地方とパンドラ地方、どちらとも接しているのだが、険しい山々に囲まれており、暗黙のうちにそこが地方同士の境界線となっていた。
魔族領からパンドラ地方へと境界を越えた先、そこにはだだっぴろい平原が広がっていた。
その名もサロビア平原。
この世界で最も広大な平原。建物はおろか木の一本も生えておらず、視界をさえぎるものはない。ただただ草原が果てしなく続いているだけの場所。
元々はアレクサンドリアからの街道が整備されており、町も存在した。しかし今は何もない。
こうなってしまった理由は『龍神の谷』の東に位置するマレー山脈、通称『裁きの地』と似たようなものである。
五年前の魔族との戦争、最終局面は『裁きの地』によって行われたが、当然そこだけでしか戦いが行われなかったわけではない。アレクサンドリアと魔族との戦いはここサロビア平原で行われたのだ。その戦いの余波で町は滅ぼされ、大量の瘴気であふれかえったこの地は植物が育ちにくい場所となってしまった。
そんななにもないサロビア平原にただ一つ人工的に建てられたものがある。
それがナイデル砦。石で作られ、二百人ほどを収容できるこの砦は、先の戦争において魔族の監視および負傷者の救護の目的で作られたものだった。戦争が終わった今も魔族への牽制の意をこめて、十五人ほどの騎士たちが駐在し、目を光らせている。
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「なぁ、聞いたか?」
ナイデル砦の見張り台、そこに気怠そうな雰囲気を醸し出している騎士が二人サロビア平原を監視していた。そのうちの一人が退屈しのぎに声をかける。
「聞いたって何を?」
もう一人の騎士がつまらなそうに聞き返した。
「サロビア平原から魔族が侵攻する可能性があるんだってよ。それで異世界の勇者が騎士団を率いてこのナイデル砦に向かっているらしい」
「あぁ……なんかそんなこと誰かが噂していたな」
魔族が攻めてくるというビッグニュースを聞いても驚きも慌てもしない。
「異世界の勇者様がどれほどのもんかは知らないけどご苦労なことだな」
「まったくだ。光り輝く勇者様たちがこの’流刑地’に訪れるとは皮肉なもんだ」
騎士の男は若干馬鹿にしたような口調で言った。
このナイデル砦において戦争が終わってからというもの、まったくといっていいほど異常事態は起こらなかった。それもそのはず、ここまで見晴らしがよく広大なサロビア平原からアレクサンドリアに攻め込もうとする愚者はいない。
そのためナイデル砦に駐在する騎士たちの仕事は監視と何者かが攻め入ったときにおける迎撃ということになっているのだが、実質やることは二名が見張り台からサロビア平原を監視し、他のものたちは待機という名目でカードゲームに興じていたりした。ここに送られる者はなんらかのそそうをはたらいた者たちであり、そのため騎士たちの間ではこの地を’流刑地’と揶揄されていた。
「でも魔族が攻めてくるって言うのは本当なのかな?」
「んー?わからないけど…サロビア平原から攻めてくるなんて自殺行為だろ」
騎士の男が上体を反らしながら大きく伸びをした。
「確かに。ここから攻めてくるなんて正気の沙汰じゃないっつーの。いくら魔族でもそんなことしないだろ」
「あぁ…そうだよな」
不安そうな男の顔を見て、もう一人の男が眉をひそめた。
「なんだ?なんか心配事でもあるのか?」
「いや…魔物がさ。最近多いなって」
騎士の男が言うように最近ナイデル砦では魔物の報告が以前に比べ格段に増えていた。基本的には発見された魔物はすぐに騎士か冒険者の手によって倒されるので被害は出ていないが、それまで何の異変もなかっただけに、なんとなく胸騒ぎがしていた。
そんな心配性な同僚を見て、騎士の男は鼻を鳴らす。
「多いって言ったって大群で攻めてきているわけじゃないだろ?大方どこかしらの魔物大暴走の影響でも受けているんだろ」
「そうか…そうだよな!」
騎士の男の言葉にもう一人の男は気を取り直す。
「さっさと魔物大暴走の元凶を勇者様たちにしばいてもらっちまえばいいってもんさ」
「本当に勇者さまさまだよな」
そういうと二人は同時ににやりと笑った。二人の頭の中には今の楽な生活が壊されないようにすることしかなかった。
そんな話をしていたら見張りのうち一人がおもむろに立ち上がる。それをもう一人が訝しげな表情で見つめた。
「どうした?」
「……あれなんだと思う?」
立ち上がった男の指差す方向に目をやると、なにやら黒い塊がサロビア平原に現れ、少しずつだがこちらに近づいてきていた。
「……わからん。なんだ、あれは?」
男は黒い塊の正体を見破るべく目を細めるが、一向にその正体をつかめない。黒い塊は広いサロビア平原をゆっくりと黒く染め上げていく。その時、騎士の男たちが腰につけている石のようなものがけたたましい音を上げた。
「?なんでこいつが鳴るんだ?」
騎士の男が不思議そうに尋ねるも、もう一人は首をかしげる。騎士たちが装備しているこの石のようなものは魔物石とよばれる魔物の気配を察知する魔道具。魔物が接近すると音を立ててその接近を知らせるというものなのだが、ここまでの大音響は経験がなかった。よくよく耳を済ませると砦の内部でも魔物石が鳴り響いているのが聞こえた。
「どっかから魔物でも来ているのか?」
「さぁ…?見た感じそれらしいのは目に入らないが…」
騎士の男が見張り台から身を乗り出して辺りをうかがう。しかし、魔物の姿は一切見当たらなかった。
「魔物石の故障かな?っていっても他のやつも全部壊れたとは到底思えないよな?」
身を乗り出していた男は見張り席に戻ろうとすると、もう一人の男がその手をつかんだ。
「どうした?」
男が尋ねるも、手をつかんだ男は何も言わない。不審に思いながらよくよく見ると、つかできた手は震えていて、男の顔面も蒼白だった。
「どうしたっていうんだよ?」
再度たずねると、男は震える口を懸命に動かそうとする。
「も、もしかして……あ、あれ……ま、魔物なんじゃないかな?」
「あれ?」
すぐにはぴんと来なかった男も、何かに気づいたようにサロビア平原のほうに目を向ける。
「ま、まさか……」
信じられないといった様子で震える男の方に目を向けると、今にも吐きそうな顔をしている。
「お、お前……あれが全部魔物だとしたら……」
広大なサロビア平原を埋め尽くすほどの魔物。数千、いや万を越える数の魔物がここに押し寄せてきたら…。そこまで考えると、男の身体も極寒の地にいるかのごとくブルブルと震え始めた。
「と、とにかく、隊長に、ほ、報告だ!!」
見張りの二人は震える足を前に出し、この異常事態を知らせるべく砦の内部へと入っていった。