14.呪いの目覚め
水の流れる音に昴は目を覚ます。目を開けるとそこは大小の石が転がる川原であった。
「なんとか生きてる…」
崖から落とされた昴はそのままかなりの時間激流にさらされ続け、気がついたらこの場所に打ち上げられていた。昴はゆっくりと身体を起こす。
「痛っ!…肩引っかかれたの忘れてた」
思わず肩口を押さえて痛みに顔を歪めた。さっきまではアドレナリンで痛みを感じなかったようだが、落ち着いてきた今、痺れるような痛みが肩を襲っている。
激痛だが動けないほどではないと昴は立ち上がりあたりを調べ始めた。
「…ダメだ、なんもわからん。そもそも森の大きさも地理もまったく知らないんだからどうしようもねぇか…」
はっきりしているのは今昴がいるのは『恵みの森』の川原ということだけ。時間もわからないが空の様子を見る限り、日の出まではまだまだ時間がありそうだ。川原の周りには鬱蒼と木が生い茂り月明かりを遮っているため、目を凝らしてもほとんどなにも見えない。
しばらく辺りを歩き回った昴だったがなにも成果は得られなかった。松明も何もない今の状態ではこの辺りを調べるのは不可能。
朝になるまで探索することを諦め、'アイテムボックス'から食料と傷薬、護身用の剣を取り出す。この傷薬は咲が森の中で拾った薬草で調合し、チームメンバーにあらかじめ配っていたものであった。傷口を川の水で洗い流し、薬を塗りつけると声が出そうになるくらいしみる。だが効果は覿面で肩を襲っていた刺すような痛みが和らいだ。
咲に感謝しつつ、ほっと息をつく昴。緊張の連続であったため、知らず知らずのうちに身体に力が入り、疲労が蓄積していたようだ。
流し込むように食事をとり、口を漱いで、枕になりそうな石を探す。具合のいい物を見つけて早速横になるが直接頭を乗せると痛くて寝るどころではなかった。何度か試行錯誤を繰り返したが、どう置いても頭が痛いのには変わらず、諦めて頭の後ろで指を組み、石を枕にして空を見上げる。木々の葉に隠されながらも、かすかに見える空には星が輝いてた。
「明日昼間のうちにみんなと合流できないと面倒くさいことになるな…」
右も左もわからない、地図もない状態で森の中を進むことになる。川の上流に向かっていけばとりあえず森を抜けることができるか、と気持ちを切り替える昴だったが、不意に崖の上からこちらを見ていた隆人の姿を思い出した。
「…戻っても面倒くさいことになるな、こりゃ」
誰もいないとわかっていても愚痴らずにはいられない。昴は自分の運命を呪いながら目を瞑った。
どれくらいの時間が経っただろう。昴が夢と現の狭間を行き来していると、川の方でなにやらバチャバチャと音がした。
寝ぼけ眼で身体を起こし、音のした方をぼーっと見つめると、そこには赤い点が浮かんでいる。寝起きでまったく頭が働かない昴は目をこすりもう一度同じ場所を見るが結果は変わらない。赤い点は揺らめきながらこちらに近づいてきていた。
昴は何があってもいいように体勢を整える。相手の姿はまだ見えないが味方でないことだけは確かだった。昴が目を細めて相手を見つめていると真上まできていた月がその姿を照らし出す。
そこにいたのは執念深い隻眼の狩人。赤く光った瞳がギロリと動き、四メートルを超える巨体は月光も相まって天が遣わせた死神のように見えた。
「なるほど…神様はまだ俺を休ませちゃくれないみたいだな」
護身用の剣をとると昴は後ろに飛び退いて'グリズリーベア'の様子を伺う。その唸り声にはあきらかに苛立ちが混じっていた。いや苛立ちなんて生易しいものではない、大量の餌を見つけたと思ったら崖から落とされ、したくもない川遊びをさせられたこの'グリズリーベア'は相当にキている。
昴は威嚇するように剣を向けた。この一ヶ月で剣を構えた時に生じる虚脱感と目眩は一向に良くならなかったが、それを悟らせまいと精一杯の虚勢をはる。
「おい、熊の化け物。こっちは剣持ちだ。怪我したくなかったら大人しく…」
昴の言葉が最後まで言い終わる前に'グリズリーベア'が猛スピードで突進してきた。慌てて剣を突き出すも、本気になったグリズリーベアには何の意味もなく、ぶつかった衝撃で剣が真っ二つに折れた。
ザシュッ!
お腹に感じる違和感。昴は目の前にいる'グリズリーベア'からゆっくりと視線を下ろすとそこには'グリズリーベア'の爪が自分のお腹を貫いているのが目に入った。
「ゴフッ…!」
そのまま持ち上げられ宙づりにされた昴が盛大に口から血をまき散らし、お腹から流れ出た血が足元で血だまりを作っている。何とか抜けようともがこうとするが身体は一切動かない。
(まいったな…これは流石にどうしようもない)
痛いという感覚はない、むしろ寒い。体の震えが止まらない。
薄れゆく意識の中で'グリズリーベア'がもう片方の手を振り上げるのが見える。その様子はスローモーション映像を見ているかのごとく、昴の目に飛び込んできた。
死を確信した昴の頭に浮かんだのは一人の少女。
(ははっ…走馬灯まで見えてくるとは…いよいよもってダメだなこりゃ。…お迎えがお前とは神様も粋なことしてくれる)
大量の血を吐き出した口元が緩む。何となく気持ちが楽になったような気がした。
そんな昴にはお構いなしに'グリズリーベア'が昴の喉元めがけて爪を突き出す。
(今からそっちに行くぜ…恵子)
──────なに格好つけてんだ。
突き立てられた爪がすんでのところで止められる。受け止めたのは黒い壁。'グリズリーベア'は驚愕しながらも、それを破ろうとさらに力を込めるが、突如昴の目の前に現れた三十センチメートル四方の小さな壁にはヒビ一つ入らない。
業を煮やした'グリズリーベア'は手を引き、食い破ろうと牙を向けるが、文字通り黒い壁には全く歯が立たなかった。昴は感情の一切ない顔で'グリズリーベア'の様子を眺め、黒い靄のようなものをまとった左手を上げると、おもむろに'グリズリーベア'の腕に手刀を振り下ろした。
「グギャオオオオオオウ!!?」
森の中に響き渡る絶叫。'グリズリーベア'は後ずさり、自分の右手があった場所を見つめる。そこからは噴水のように血があふれ出ていた。
狼狽する'グリズリーベア'を尻目に、昴は自分のお腹を貫いている右腕を引き抜き投げ捨てると、傷口に右手を添える。左手同様、右手からも黒い靄があふれ出し、見る見るうちに傷口をふさいでいった。
'グリズリーベア'はただの獲物だと思っていた生き物から得体のしれない力を感じ、その目に恐怖の色を浮かべる。
傷を治した昴が近づいていくと'グリズリーベア'はビクッと身体を震わせ、脱兎のごとく逃げ出した。それを見ながら昴は右手を上げ空を掴む。そしてまるで剣を持っているかのように空を握った右手を降り下ろした。
右手からあふれ出していた黒い靄が一つの塊になり、それが黒い斬撃となって'グリズリーベア'を襲いかかり、その身体をいとも簡単に二つに分けた。
昴は何も言わずに近づいていき、物言わぬ肉塊とかしたグリズリーベアを見つめる。
「…なんか気味の悪い気配がすると思って来てみれば…面倒事の匂いがプンプンするな」
声のした方へ問答無用で黒い刃を飛ばす昴。だが刃は目標に届く前に霧散する。そこには見知らぬ男が悠然と立っていた。
「話を聞きたいがそんな雰囲気でもないな」
男が目にもとまらぬ速さで昴の後ろに回る。昴はとっさに前へと飛びながら、男の方に向き直る。が、そこにはもう男の姿はない。
「悪いけど少しおねんねしてもらうぜ」
背中から声がした瞬間、昴の意識は刈り取られていた。




